22 橋の見覚えのない客
祭りが終わって数日たち、平太はエラメーラから大丈夫だろうという言葉をもらい狩りのため町を出る。
狙いはラフドッグだ。久々の狩りで複数を同時に相手する気はなく、一匹でいるラフドッグを探す。一時間ほど草原を歩き回り、一匹でいたラフドッグを見つけた。
すぐに駆け寄り、剣を振りかぶる。
足音に気づいたラフドッグが吠えるが、平太はまったく動揺することはなかった。
ラフドッグよりも上の魔物と戦ったり、角族の威圧感にさらされたことで、少々の威圧では動じなくなったのだ。
久々の戦闘だが、最初に戦ったときよりも武具はいいもので、成長もしている。いまさら一匹のラフドッグに負けることはない。一匹ならばローガ川のホーンドッグとも十分に戦えるだろう。
「一匹なら余裕になったかー。強くなったもんだ。まあ雑魚に余裕になったからって慢心はできないけど」
そんなことを言いつつ、周囲を警戒する。ラフドッグなどが隠れていないことを確認し、倒したラフドッグを引きずり移動を始める。
今度は二匹同時に戦ってみようと、ラフドッグを探していく。
一時間ほどかけて草原を歩き回り、二匹一緒のラフドッグを見つけることができた。
持っていたラフドッグをその場に置いて、周辺の確認をする。ほかのラフドッグの姿はなく、戦うことに決めた。
特に緊張はない。二匹同時ならばまだ勝ち筋が想像できるのだ。さっさと一匹を倒してしまい、残りの一匹と戦う。一対一を二回やる、そういったイメージだ。
戦闘はそのとおりに行われ、平太は怪我なく勝つことができた。
「問題は三匹同時に戦うときからだなぁ。まずはロナかリンガイさんの戦い方を再現して感覚を掴むかな」
今後の予定ついて決め、平太は今倒した二匹を持って町に戻る。先に倒した一匹はもったいないが、その場に残した。今の平太では三匹は売れないのだ。
町に戻り、肉の買い取り所で職人の剥ぎ取り技術を再現し、二匹を処理して売る。
平太が家に帰ると、ミレアが狩りについて尋ねる。
「特にアクシデントもなかったようで安心しました。狩りの方はどうでした?」
「ラフドッグ二匹同時までなら余裕をもってやれたよ。明日は強い人の技術とかを再現して三匹同時に戦って学ぶつもり」
「そうでしたか。順調なようでなによりです。しばらくは複数との戦闘が続きますか?」
「うん、その予定」
平太はこの予定どおりに過ごし、数日ほど複数との戦闘を繰り返して経験を積む。
複数に囲まれた際に気を付けることなどを再現した技術から学び、ほかのハンターよりも濃い学習を行うことができ、ハンターとして早く成長していった。おかげで持っている武具に見合ったハンターになれたといっていいだろう。
肉の買い取り所も、連日二匹のラフドッグを持ち込む平太の実力を認め、獲物を持ち込む上限を上げる。
実力を認められたことが、きっかけとなり成長も起きた。もう一回成長すれば一日に三回再現が使えるようになるだろう。
ローガ川にまた行ってみることを視野に入れつつ、新しい鎧の購入を考えて武具屋に行こうとした平太を誰かが呼んで止める。
「はいな?」
振り返るとそこにいたのは肉の買い取り所で何度か話したことのある男の職員だった。
「アキヤマさん、依頼したいことがあるので買い取り所まで来ていただけませんか?」
「依頼? どんな依頼なんですか」
「その説明も買い取り所でやります。強制ではありませんから、とりあえず話だけでもいかがでしょう?」
「断ってなにかこちらに不利益発生しますかね?」
「いえ、特には」
それならばと平太は頷き、職員と一緒に肉の買い取り所に向かう。
話し合いを行うための部屋に入り、平太を連れてきた職員と向かい合う形でテーブルにつく。テーブルにはここら一帯の地図が置かれている。
「まずは来ていただきありがとうございます。本日来ていただいたのは、言いましたように依頼したいことがあるのです」
「聞いたら断れなくなるといった類の依頼でもないですよね」
「はい。依頼したいということはですね、土使いとしての力を振るってもらいたいということです」
(土使い?)
平太は一瞬戸惑う。そしてすぐに思い出した。レッドバッファローが暴れたときに土使いとして動いたことを。
「続きをどうぞ」
職員は頷き、地図のある場所に人差し指を置く。そこにはイジャ峡谷と書かれている。
イジャ峡谷はエラメルトの南部にあり、距離にして歩きで一日もかからない。エラメルト周辺よりも強めな魔物がでるが、ローガ川辺りよりは安全な場所だ。
「イジャ峡谷ですか。行ったことありませんけど、ここになにか?」
「イジャ峡谷には四十メートルほどの石橋がかけられているんですが、三日前からその橋が通れなくなっているのです」
「崩れたのか」
違うと職員は首を横に振った。
「橋の老朽化は進んでいますが、毎年補修工事も行われていますので、まだまだ崩れ落ちることはありません。通れなくなった原因はですね、とある魔物が居座ったのです」
「居座ったから通れないなら、出すべきは討伐依頼ですよね。土使いじゃないと倒せない魔物とかですか?」
それも違うと職員は再び首を振る。
「特定の能力じゃないと倒せないというのは正解なんですけどね。居座った魔物はダルクガイストといって、わかりやすく言うと幽霊です。この魔物は浄化という能力持ちがいないと倒せないのです」
幽霊の魔物はほかにもいるが、そちらは浄化を真似た道具を使用すれば倒すなり追い払うなりできるのだ。ダルクガイストのように能力持ちでなければ倒せない幽霊の魔物は三種類しかいない。
「浄化能力持ちは数が多くないうえ、タイミング悪く近場の能力持ちはほかの依頼で留守にしてまして。能力持ちが到着するまでの間、一時的にでも橋を作っていただけないか? というのが依頼になります」
「急ぎで橋をかける必要あるんです?
「南部と行き来する馬車などが足止め状態でして、今はまだ物流に影響は出ていませんが、浄化能力者が到着する頃には駄目になる商品もでたりするんですよ。損失を防げないかと商店の方々から相談されて、壁を作り出したあなたのことを思い出したわけです」
あれだけ大きな壁を作った平太ならば橋も作れるんじゃないかと。
できるできないかで言えばできるが、その橋がどれくらいの時間存在するのかわからないため、平太はこの場で了承はできない。
「橋自体はできると思う」
「おおっ」
顔を喜色に染める職員に平太は「でも」と続ける。
「壁が短時間で消えたように、橋も短時間で消える可能性がある」
「どうにかして一時間ほどたもたせることできませんか?」
「一度やってみないことにはどれくらいもつかわかりません。もしかすると一時間もつ可能性もあります」
「現場に行って実際に作ってからでないと駄目なんですね。でしたら二つ依頼を出しましょう。一度橋を作ってみること。橋が長時間たもつのならば、浄化能力者が到着するまで毎日橋をかけること。この二つです」
「毎日かけるのはいいけど、日に二回しか橋はかけられませんよ」
「問題ありません。毎日二時間でも橋がかかるなら助かりますし」
「ちなみに土の能力者はほかにもいるでしょ? そっちに声はかけなかったんですか」
「かけましたよ。でも橋の長さを聞いて無理だと断られました」
平太はほかに聞くべきことを聞いていく。
何日この依頼に拘束されるのか、橋までの自分で歩いていくのか、橋を渡る人たちの整理をする者はいるのかなどだ。
それに対し職員は、すらすらと答えていく。
拘束時間は短くて四日、長くて六日。橋までは足の速い馬車を肉の買い取り所が準備する。交通整理も肉の買い取り所が雇った者が行う。
といった感じで疑問を晴らした平太は、あとはいつ出発するかを聞いて、肉の買い取り所を出る。
最初の目的のとおり、鎧を見に行ったあと家に帰る。
翌日、平太は今日休みだったロナと一緒に肉の買い取り所に向かう。
ロナはまた角族襲撃のようなアクシデントが起きないかを心配しての同行だ。
肉の買い取り所に入り、カウンターにいた職員に用件を告げる。
「少しお待ちください。ラレドを呼んできます」
ラレドというのは昨日平太に依頼した職員だ。今は奥の部屋で急ぎの仕事の引継ぎを行っていた。
五分ほどでラレドは姿を見せて、平太に頭を下げる。
「おはようございます。そちらの方は?」
「仲間のロナです。護衛としてついてきてくれることになりまして、なにか問題はありますかね」
「ありませんよ。では早速行きましょう」
ラレドの先導で町の東入口に向かう。
入口そばにラレドが昨日手配しておいた、急行馬車が平太たちを待っていた。
急行馬車の馬は魔術具で強化されており、馬力や体力は通常の馬を軽く上回る。その力に合わせるように馬車の方も頑丈に作られている。
その急行馬車に三人は乗り込み、ラレドが御者に出すように声をかける。御者は二頭の馬に繋がる手綱を動かし、馬車を南へ走らせる。
ここらの魔物では勢いよく走る馬車に襲いかかかることはおろか、近づくこともないのか、平穏に目的地に到着した。
イジャ峡谷の橋周辺には、立ち往生している馬車がいくつか見える。ここ数日で橋を通ろうとした全ての馬車が残っているわけではない。遠回りの道を選び、ここから去った馬車もある。
平太たちは馬車から降りて、橋の方を見る。
「とりあえず、橋を見てみよう」
そうしないと橋をかけられない平太は橋に近寄る。
肉の買い取り所の職員と一緒にいる平太はそれなりに注目を集め、浄化能力者なのかと話す声も聞こえてきた。
そう言った声を聞きつつ、橋の前までくる。
「あれがダルクガイストかー」
平太たちの視線の先には二メートルほどの黒い靄の塊が、橋の中央を陣取っていた。
「近づいたら攻撃とかしてくるんですか?」
「ええ、こっちの攻撃は効かないのに、あっちの攻撃は通るという理不尽ぶりです。幸いなことに鎧や盾で防御できるのでやられっぱなしというわけではないんですが」
「向こうの攻撃の瞬間だけ、こっちの攻撃が通るとかそういったことは?」
「ないみたいですよ。同じ考えを思いついた人が試してみて、攻撃をはねのけることはできても、ダメージを与えることはできなかったということらしいです」
昔からいる魔物なので、対処を考える者はいたのだ。しかし浄化の能力以外にこれといった排除の方法はみつからなかった。
平太とラレドが話していると、ダルクガイストを見ていたロナがちょんちょんと平太を肩を突く。
「ロナ?」
「あれ、なんだかおかしい」
ロナはダルクガイストを指差し、平太たちはそちらを見る。
ただの黒い靄の塊だったダルクガイストが揺れていた。皆の注目が集まる中、靄は収縮していき、高さ二メートル強のごつい鎧姿に形を変えた。威厳を感じさせる作りの鎧で、ただのハンターや兵が着るようには見えない。
「ダルクガイストってあんな変化するんです?」
平太の問いに、ラレドは無言で首を横に振る。ラレドの知識では、ダルクガイストは最初から靄型や人型や獣型といった形をとり、変化するようなことはない。
ダルクガイストの変化は終わり、黒靄をまとった黒騎士となった。
フルフェイスの兜の奥には目などなく暗闇しか見えないが、平太はじっと自身に注がれる強い視線を感じた。
黒騎士が誰を見ているのかラレドも気づいたようで、視線を黒騎士に向けたまま平太に尋ねる。
「あれとお知り合いなので?」
「いや知らない。あれだけインパクトのある奴なら一度見たら忘れないし」
「まあ、そうですよね」
「……!」
黒騎士の挙動をずっと見ていたロナは、黒騎士の体がわずかに沈んだのを見逃さず、ラレドの肩を押し、平太の腕を引っ張る。
平太がいた場所を黒騎士が一直線に駆け抜けた。
「うわあっ!?」「な、なんだ!?」「危ないぞ!」
途端に商人や護衛していたハンターたちの悲鳴が上がる。
「ロナ、助かったよありがとう」
あのまま動かずにいたら確実にあの巨体にぶつかられていたはずだ。痛いだけではすまなかったと簡単に想像できた。
「護衛として来てるんだから守るのは当然」
黒騎士は体の向きを変えて、再び平太に視線を向ける。
「なんで俺に?」
「身に覚えはないの? 先祖があれと戦ったとか」
「そういった話は聞いたことはないよ」
地球出身の先祖が、こちらの存在と出会うことはありえないため、即座にそう答えた。
(もしかすると俺みたいに召喚された可能性もあるかもしれないけど、その可能性は低いだろうし)
本当にどうして自分を狙ってくるのか、さっぱりわからず平太は溜息を吐く。
また黒騎士の挙動を察知したロナに腕を引っ張られ、平太はその場から移動する。
黒騎士の移動上にあった馬車が倒れ、持ち主が恐怖とは違う悲鳴を上げる。
「ここにいると被害が増えるだけだ。移動する? まあ移動してどうするかって言われると策はないんだけど」
「……移動しよう。近くの林に隠れたらやりすごせるかもしれない」
「わかった。ラレドさん!」
こっちを見ていたラレドに声をかける。
「はい!」
「俺たちここから離れます。狙いがなぜか俺みたいですから、引き連れていくことができると思います。ラレドさんはあれをどうにかする方法を皆さんと考えくれませんかっ」
「わかりました。ご武運を!」
二人だけに任せていいものか、一瞬迷いを見せたラレドだったが、ここにいてもいたずらに被害が増えるだけと判断し頷く。
平太とロナは林へと走る。その移動を見ていた黒騎士は、周囲の人間に欠片も関心を向けずに平太を追う。
二人と一体がいなくなり、その場にいた者たちは嵐のような存在が去ったことに胸をなでおろす。
「なんだったんだ、あれ」
「ほんとにな。追われてる奴は身に覚えがないようだったし、もしかするとダルクガイストが恨んでいる奴にそっくりだったとか」
「そうだったらあいつは災難だな。どうにかしてやりたいが、なにも思いつかないしなぁ」
話しながら、倒れた馬車の処置などを始める。
林へと逃げた二人は、黒騎士に追いつかれることはあっても、ぶつかられる前に避けて、なんとか林に入ることができた。
今は藪の影に隠れて、息を潜めて黒騎士の動向をうかがっている。
平太は命を狙われていると言っていい状況だが、ロナが一緒ということもあり、取り乱すほどの恐怖は感じていない。
黒騎士は平太の姿を求めて顔をあちこちに向けている。
(あの様子だと、気配を探るとかはできないのか?)
このまま隠れ続ければ大丈夫かと平太が考えていると、黒騎士は腕を振り回して近くの藪や木を攻撃しはじめた。
ここらの木は子供でも余裕で手を回せる太さの木ばかりだ。それを黒騎士は一度殴るだけで折っていく。
「力ずくかっ」
隠れている場所を標的にしようとした黒騎士から離れるため、平太とロナは急いで立ち上がる。
「木を盾に使って逃げ回ろう」
ロナの提案に異論なく平太は頷く。今はそれくらいしか思いつかないのだ。
二人は離れすぎないように行動し、黒騎士の攻撃を避けていく。黒騎士をやり過ごすことはできなかったが、攻撃を受けることなく体力の消耗も多くはなかった。
避けながら黒騎士を観察していたロナが口を開く。
「ここまででわかったことを言っていく」
「お願い」
黒騎士から目を放さず返事をする。
「あれは知能が高くない。というよりも思うがまま動いている。私たちの行動の先読みをしないで、見つけたら突進、見つからなかったら暴れて捜す。体の動かし方は綺麗なのに、いかせてない。問題なのは、そのしつこさ。体力に限りがないように見えるから、このまま追いかけっこが続くと困るのはこっち」
休めず、飲み食いできずに逃げ続けるなど不可能。それを平太も理解し頷く。
「どうにかしないとね。浄化を一度でも見てれば話は簡単だったんだけど」
「ないものねだりしても仕方ない。今ある手札でどうにかしよう」
「わかっていることと手札……わかってることはあれの知能が低いってことと俺をなぜか狙うってこと。ほかには……ダルクガイストそのものについてなにか知ってる?」
「職員が話したこと以外にはなにも」
ロナも名前くらいは聞いたことはあったが、実物を見るのはこれが初めてだった。
「あれは幽霊の一種って言ってたし、幽霊の対処方法については?」
「浄化、魔術具、未練を果たす。この三つは聞いたことある」
「あれも未練を果たしたら成仏はせずとも、俺を追うことはなくなるかな?」
「あれの未練はヘイタを狙ってることから、ヘイタを殺すことだと思われる。それは駄目」
「俺も死にたくないし、未練を果たすっていう方向性はなし……いや偽者の死体でも用意できればどうかな?」
ロナの死を偽装したことを思い出し、今回も似たようなことができないか提案する。
「偽者っていうと私のときみたいに再現で準備するつもりね」
「うん。あれの知能は高くないみたいだし、騙されるかもしれない」
「試してみる価値はあるかもね。あなたが二人いるとさすがに騙されないかもしれないから、再現で準備したあとあなたは偽者とは別の場所に隠れないといけない」
流れとしてはまた隠れて、そこで偽者を準備。平太は黒騎士に見つからないように偽者から離れる。偽者を黒騎士に発見させる。こんな感じだろう。
二人は黒騎士から逃げつつ、隠れるのにちょうどいい場所を探す。
そして藪の後ろが窪んでいる場所を見つけた。偽者を置いたあと、窪地にそって動けばみつかりにくいだろう。
「あそこにどうにか隠れましょう。私についてきて」
ロナの動きに合わせて移動し、一度隠れ場所から離れて、黒騎士の隙をついて隠れ場所にいっきに移動する。
藪の隙間から、平太たちの姿を求めて周囲を探している様子が見える。
その間に平太は自身を再現する。
「自分がもう一人って変な感じ」
そんな感想を残して平太は、ゆっくりとその場から離れるロナについていく。
二人は黒騎士に見つからずに、もう一つの藪に身を潜める。
ロナは拾ってあった枝を偽者が倒れている藪に投げて場所を知らせた。
黒騎士は素直に音がした藪に向かう。そこで倒れている偽者を見つけて、動きを止めた。
黒騎士の様子を平太たちは息を殺して観察する。その視線の先で、黒騎士は右足を大きく上げると、思いっきり叩き付けた。肉が潰れ、骨が砕ける音が響く。
平太たちの位置からは偽者がどうなっているか見えないが、音でなんとなく予想はできた。
黒騎士は踏みつけと殴りを飽きることなく何度も繰り返す。
自身の偽者に向けられる殺意に、平太は顔を青くしながら、どうしてあそこまで恨まれているのか考えてみる。
(あれと会ったことはない。これは絶対。日本にいた頃でも墓に悪戯したことなんてないし、そもそも武者ならともかく西洋鎧の幽霊に会う機会なんてない。だとすると……角族があれになにかしたのか?)
角族の線を疑うも、それを強く推すことはできなかった。平太がここに来ることは決まってなどいなかったのだ。人々の考えを誘導し、平太をここに呼び出すことができるなら、角族本人が待ち受ければいいのだ。
そんなことを考えているうちに、打撃音が止む。
黒騎士は動きを止めて、血に濡れた両の拳を天に掲げた。そして力が抜けたようにだらりと下げた。
「どことなく満足したって感じがする」
「うん」
そのまま黒騎士をじっと見ていると、黒騎士の姿が再びぶれて最初に見た黒い靄に戻る。さらに黒い靄がほつれるように空へと向かって黒い筋ができる。上空で黒い靄となり、風に流されるようにいずこかへと去っていく。
完全に見えなくなって、平太とロナは林から出る。そのときに平太の偽者がどうなったかは確認しなかった。わざわざ凄惨な状況を見る気はなかった。
橋では、通れなくなっていた馬車が今の内だとばかりに移動しており、残っているのは修理している馬車と平太たちが乗ってきた急行馬車だけだ。
「ラレドさん」
「あ! アキヤマさん、無事でしたか」
「なんとか」
「ダルクガイストはどうなったんです? 倒せたわけはないでしょうし」
「しばらくやりすごしてたら諦めたのか、どこかへと飛んでいきました。空に黒い塊が浮かんでたんですが、気づきませんでした?」
再現のことは言えないので、誤魔化す。
「空に……気づきませんでしたね。あなたたちが無事でよかったですけど、ダルクガイストはどこに行ったんでしょうねぇ」
「さあ、俺にはわからないです。あのまま空を漂ってくれれば安心できるんですけど」
「空を行く人には迷惑かもしれない」
ロナの突っ込みに、ああそうかもと平太とラレドは頷いた。
「こんな結果になりましたけど、依頼はどうなるんでしょ」
「そうですねぇ。予定していた流れとは違いますが、ここを通れるようにするという目的は果たしているわけですし、少し様子を見てあれが戻ってこなければ達成でいいと思います。今日のところはもうやることはないので帰りましょう」
ラレドが、そう言うと同時に平太の腹が鳴る。
「ははは、もう昼ですからね。食事をとってから帰りましょうか」
御者も含めて全員で昼食を取る。その間、黒騎士が戻ってくることはなく、魔物の姿もない。夏の陽射しの下、吹く風を感じながら食べる昼食は美味しく、平太たちに先ほどまでの荒事を忘れさせた。
腹も膨れたことで急行馬車に乗り込み、エラメルトに向かう。
夕暮れになる前に町に帰ってきた平太たちは、ラレドとわかれる。
「俺は今日あったことを一応エラメーラ様に伝えてくるけど、ロナはどうする?」
「私は先に帰って、なにもなかったってミレアに伝える」
家に帰るロナとわかれて、神殿に入った平太はいつもの庭に向かう。
そこにいたエラメーラに挨拶して、今日あったことを話す。
「ダルクガイストがあなたを狙った、か。私の知るかぎりでは狙われるようなことはしてないのよね」
「俺もしてないと断言できます。角族が俺狙いでなにか仕込んだのかなと思いましたけど、違うような気もしましたし」
「角族がなにかしたとしても、あなた狙いではない気がするわ。あなたが渓谷に行くとはかぎらないし。偶然なのでしょうね。だとするとダルクガイストはなぜあなたを狙ったのか」
考え込む様子を見せたが、すぐに首を横に振る。あまりにヒントがなさすぎる。
「駄目ね、なにも考えつかない。私にできるのは町にダルクガイストが近づいてきたらあなたに知らせることくらい」
渓谷になにかダルクガイスト関連の話があればよかったのだが、あそこらで有名な話は町の記録にもエラメーラの記憶にもなかった。
ちょっとした謎を残しつつ、渓谷での仕事は終わる。
あのダルクガイストと平太の関わりは、この先思いもよらぬ場所でわかることになる。




