19 夏祭り 準備2
翌日と翌々日で平太は募金を集め終わる。今日の分のお金を渡し会計の手伝いは終わりとなる。労りの言葉とともにカルニのところに行くようオートニーから告げられた。
廊下を歩く神官に声をかけて、カルニのいる場所にたどり着く。
「カルニさん、会計の手伝い終わりました」
「お疲れさま。詐欺師を捕まえたんだって? 報告は受けているよ。何年かに一度はそういった輩がでるんだ。でもタイミングよく君がそれにあたるのは思ってなかったよ」
「俺もですよ。少しでもズレてれば捕まえられなかったですね。さて次はなにをするんですか?」
「次はほかの神官と一緒に清掃をしてほしい。募金を集めているときにあちこちで掃除している人がいなかったかい?」
よく覚えている。神官と一緒に町人が掃いているところや路地裏のゴミを運んでいるところを見ていた。
「しばらく掃除を手伝ってもらい、祭間近になったら設営を手伝ってもらおうと思う」
「わかりました」
頷いた平太は、集合場所と時間を聞いて家に帰る。掃除は午前中のみで、午後からは自由に時間を使うことができる。どのように過ごそうかと思っていると、ロナからよろず作業屋で少し人手を必要としていると聞き、手伝うことにする。
よろず作業屋を手伝うと決めた朝、平太はロナの雰囲気が少し軽いように感じられた。
「上機嫌ですね」
ミレアもロナの雰囲気を察したようで微笑ましそうに皿をテーブルに置く。
「そう?」
本人はよくわかっていないようで、軽めな雰囲気を漂わせながら首を傾げる。
友達といえる平太と一緒に仕事ができる。それを心の奥底で楽しみに思う気持ちが生まれているのだが、その心情に本人が気づいていない。そういった心はアサシンとして邪魔なので、できるだけ感じないよう教育された。それが今も尾を引いている。そのうえで人間らしくあれという指導も受けたのだからストレスは溜まって当然だろう。
こういった雰囲気が漂っているということは、一般人の感覚に戻り始めているということでロナにとっては歓迎できることだ。
本人がわかっていないことを、平太とミレアが理解できるはずはなく、上機嫌なロナを不思議そうに見ている。
午前の掃除が終わり、平太は昼食を食べたあとよろず作業屋に向かう。
「こんにちはー」
玄関を開けて声をかけると、机などが端に寄せられ道具などがいろいろと床に置かれた光景が目に入る。
声に反応しカナロアが部屋から出てくる。
「いらっしゃい。手伝ってくれるんだって? 助かるわ」
「人手がほしいとだけ聞いたんですけど、なにをしているんですか?」
玄関を閉めながら平太は聞く。
「そろそろ祭じゃない? その祭で売るためにアクセサリーを作っているの。よろず作業屋を始めてから毎年皆で力を合わせて売っているのよ」
縫製品デザイナーのカナロアに写本屋のキッツがアドバイスしてアクセサリーデザインを作って、木工細工のクルルートができたデザインにそった櫛や髪飾りやペンダントトップを作り、ドレンとアルネシンが組んで色を作って、皆で細かな作業をして完成させる。
これが夏祭り前のスケジュールだ。毎年こういった流れになっているため、年中仕事の合間に準備もしていて、いつもならば少し忙しくなるだけですんでいる。
「でも今年は祭前に小さな仕事がいくつか入ってきてね、人手が足りなくなったの。だからあなたの助力を得られるかもと聞いて嬉しかったわ。きちんと報酬だすから頑張ってちょうだいね」
「わかりました。俺はどういったことをやるんですか?」
「色塗り、アクセサリーの品質チェック、ペンダントトップに紐を通す。この三つよ。私たちはアクセサリーのおおまかな削り出しにやすりがけに細かな色塗りを担当」
平太とロナの色塗り作業は、下地といったミスしても問題ない部分を担当する。
カナロアが先に作り上げていたサンプル品を持ってきて、どの部分を塗るかといった説明をしている間に、ロナたち外食組が帰ってきた。
平太とそれぞれが挨拶を交わし、早速作業を始める。
普段はそれぞれの部屋で仕事をやるが、祭の準備は皆で集まり、それぞれの作業を確認しながらやることになっている。そのため一番広い玄関先のフロアに集まるのだ。
平太とロナは、箱に入れられた無地のアクセサリーを手に取り、アルネシンが準備した絵具を使って色を塗っていく。いっきに全部塗ってしまうと、乾かすときの置き場所に困るため、まずは片面から塗り残しがないよう丁寧に塗っていく。
塗ってはテーブルに置いて、また塗ってと繰り返し、テーブルに置けなくなると、少し休憩する。
(バスとか機械化されている部分もあるけど、こういった作業は手作業なんだな。電動の糸鋸や電動やすりに近いものとかないのかな。あっても使わないかな、以前アルネシンさんが手作業の方がいいって言ってたし)
「疲れた?」
ぼうっと周囲を見ている平太にロナが声をかける。
「いや疲れてはないよ。ただこういった商品作りで手作業は故郷だと珍しいからね」
「生産の能力持ちがたくさんいたの?」
「いや違う。作業を機械化されていたんだ。自動で動く糸鋸があったりしたよ」
「そういう機械はあるらしいが、値段が高くてな。それに大量に作る依頼は受けていないから、必要ないというのもある」
普段は手作業で十分間に合うのだと、作業をする手を止めてクルルートが言う。
そもそも地球とこの世界では人口規模に差があるため、機械化して大量生産する必要がないのだ。
今後人口が増えて行けば、家内制手工業から工場制機械工業に移っていくのだろう。もしくは能力を使ったこの世界独自の発展を見せていくのかもしれない。
「そうね、多いものでも三十個作ってくれって感じだものね。そういった機械は手に余るわ」
アルネシンも手作業で十分だと同意する。
「私は能力ですませているから、機械そのものが必要ないよー」
書き写しに関連した能力を持つキッツは、機械そのものが必要ない。
デザイナーのカナロアも機械があれば作業が捗るという仕事ではないため必要ない側だ。
「能力でどうやって写本をしてるんですか?」
平太は勝手にペンが動くところを想像しながら聞く。
「まずは内容を写したい本と白紙と黒インクを用意。次にインク壺を開けて紙の近くに置く。能力を発動し、本の内容を口にだして読む。するとインクが動き、読む速さと同じ速度で文字が書き込まれていく。こんな感じー」
注意点としては、読み間違うとその間違いをそのまま写すことになるので、あまり早口で読むことは避けるべきということ。紙の白紙の部分に注意する必要もある。書き込めないのに読み続けると机に文字が写されていくことになる。
「ペンが勝手に動くのかなと思ってました」
「魔術具でそんな感じのものはあるらしいよー」
皆が話し始め、集中力が途切れたと判断したドレンが、小休止を提案する。
お茶と茶菓子が配られて、一息つけていると玄関がノックされた。
「客かなー」
キッツが立ち上がり、玄関に向かう。
玄関を開けると、そこにはリュックを背負った十四才の少年がいた。
「ここはよろず作業屋という店よ。なにかご用かしら?」
「ここにアルネシンという人物がいるはず! 会わせてほしいっ」
勢いよく要求を告げた少年にキッツは目をぱちりと瞬かせ、屋内に振り返る。
「アルネシンさーん、お客さんですよー」
誰かしらと言いつつアルネシンはカップを置いて、玄関に向かう。そこにいた少年に見覚えはないのだが、アルネシンはなにか古い記憶が刺激された。
思いだせそうで思い出せない、そんなもどかしさを感じつつ話しかける。
「なにか注文でもあるの?」
「……」
少年は目を見開いてアルネシンを見る。
「どうしたのかしら、そんなに驚いて」
「アルネシン?」
少年は指差して問う。それにアルネシンは頷きを返す。
「父さんからはありふれた風体の男だって聞いたぞ! そんな女装じみたおかしな服を着てるなんて聞いてないっ」
「おかしいだなんて、失礼ね。あなたのお父さんの名前は?」
「ディオール」
名前を聞いた途端、アルネシンの表情に劣等感が表れてすぐに消えた。かわりに表に出た感情は懐かしさだ。
「懐かしい名前ね。そしてディオールが私のことをありふれたと言い表したのも納得できるわ」
ディオールという男はアルネシンがオネエとして振る舞う前の知人なのだ。
「それでディオールの息子が私になんの用事よ。ああ、用事を聞く前に名前を聞きたいわね」
「ティオル。色師希望のティオルだ。ここに来たのは修行目的だった。でもあんたみたいのがっ父さんを超える職人だなんて認めないっ」
そう言うとティオルはあっという間に反転し走り去っていく。
「あ、言うだけ言ってどこかに行っちゃったわ。ちょっと追いかけてくるわね、皆少しだけ抜けるわ」
平太たちへ振り返りそう言うと、アルネシンも家を出る。
アルネシンの心には、ティオルが言った「父さんを超える職人」という言葉が突き刺さっていた。
「話を聞いてたかぎりだと、新しくここで働く奴が増えるかもしれないってことか?」
自分なりに理解したことを口に出すドレン。続くようにクルルートが口を開く。
「ここで働くというよりはアルネシンの弟子が増えるという感じだろう」
「ディオールって誰だか知ってる人いる?」
その名に聞き覚えのないキッツが聞く。
その問いに全員が首を横に振った。もともとアルネシンが王都にいたということは知っているが、そこでどのように暮らしていたか聞いたことはないのだ。
先ほどの会話でわかったのは、ディオールという男はアルネシンと同じ色師なのだろうということだ。
どういった事情があるのか気になりはするものの、本人がいない場所でどうこう言っても無意味で、作業に戻ることにする。
平太とロナが帰るまでにアルネシンは帰ってきたものの、ティオルは捕まらなかったようで一緒ではなかった。
平太がよろず作業屋で手伝い始めて数日ほど経過する。今日は掃除も手伝いも休みで、暇だったので武具店や魔術屋を覗いてみようとロナと一緒に出かけた。
「予算がたくさんあると、選べる品もたくさんあって迷うね」
「選択肢が多いことはいいこと」
「多すぎて結局なにも買ってないけどね」
予算六千ジェラで武具を探してみたが、平太のような駆け出しが身に着けるには過ぎたもので、ロナや武具店の店主には止められた。
武器だよりの戦い方になってしまっては、その武器が失われたときに困る。防具に関しては、防具の頑丈さ任せの戦い方になってしまえば回避が疎かになる。今はよくても将来困ることになる、そういった理由で止められたのだ。
そんな長いことハンターを続ける気は平太にはないのだが、二人が親切で言っているとわかったため従ったのだ。
魔術具は購入を止められることはなかった。ただ選べる品が多くて、選びきれなかった。
結局今日の買い物はジュースくらいなものだ。
「このあとはどうする? なにかタオルとか服とか必要なものを買って帰る?」
「それでいい」
ロナは頷き、同意しかけて視線をふいっと左にそらす。
その視線を平太も追った先には、ティオルと見知らぬ男がいた。男の手には小さな小物入れがある。
「ティオルだっけか?」
自信なさげな平太にロナは頷く。
ティオルは男にくってかかり、男は追い払うように手を振っている。少し問答を続けたかと思うと、男はティオルを無視して建物に入っていく。
悔しそうに男を見ていたティオルは少しばかりそのまま立っていて、やがて大きな溜息を吐くと歩き出す。
「アルネシンさんはティオルに逃げられたままで、会えてないって言ってたっけ」
「少し寄り道したい」
いいか、と目で問いかけてくるロナの言葉を平太は読み取る。
「どこに行くのさ」
「あの子の宿を見つけ出したい。アルネシンさん気にしてたから」
「……いいよ。尾行するなら俺もロナの技術を再現した方がいいかな」
「いらない。あの子、そういった方面は素人だから。騒がなければみつからない」
行こうと誘われて、平太はロナの隣を歩き出す。
前を歩くティオルは周囲に気を向けてはおらず、簡単についていくことができた。
ティオルはどこかに寄ることなく、真っ直ぐに宿に帰る。意気消沈といった様子を宿の従業員に背中を叩かれ励まされ、宿の中に入っていった。
滞在地がここだと確定し、追っていた二人は次によろず作業屋に向かう。
「こんにちは」
声をかけて建物に入るロナに、作業中だったアルネシンたちの視線が集まる。
「あら、どうしたの? 今日は休みよ」
聞いてくるアルネシンに用事があるのだとロナは返す。
「ティオルをさっき見かけた。そのまま尾行して宿を突き止めた。それをアルネシンさんに伝えに来た」
「あら、それは」
ティオルのことは気にしていたので、この情報はありがたい。
だが会いに行くのには迷いがある。ディオールに関しては苦い思いがあるのだ。だからティオルが避けるのならば会わなくともいいのではと思えたのだ。
そんな考えが邪魔をしてアルネシンは今日までティオルに会えずにいた。会おうと思えばすぐに会えた。アルネシン自身のツテを使えば、ティオルを探し出せたのだ。
「会いに行きにくいの?」
カナロナが迷いを見せるアルネシンに聞く。
「彼にはなにも思うところはないのよ」
「ではディオールという方との間に問題が?」
アルネシンは小さく溜息を吐く。
「……問題というほど、問題があったわけじゃないわ。彼は兄弟子でね、世話になったし感謝もしている。私が一方的に劣等感を抱いていただけ」
たとえば師匠から夕焼け色の課題を出されたことがある。アルネシンが悩み出した作った色よりもイメージに沿った色をディオールは提出した。こんなふうに常にアルネシンの上を行くディオールに敬意を持ちつつも、追いつけないことに悔しさが募った。
師匠から一人前と認められたあとも、客の反応はディオールの方がよかったのだ。
「五年くらい一緒の店で働いていたんだけど、少しずつ溜まった劣等感があふれ出しそうになってね。エラメルトに逃げるようにやってきたの。こっちでも客の反応は王都と変わらなかったけど、少しは心に余裕が生まれて、周囲の人間のアドバイスも聞けるようになった」
そういったアドバイスがきっかけで一皮むけたアルネシンは腕を上げていったのだ。
「ティオルに会いに行けないのは、劣等感が思い出されるから?」
カナロアの言葉をアルネシンは小さく首を振って否定する。
「それもないとは言わない。より大きな原因は後ろめたさかしら。思い出してみればディオールも師匠も、私にアドバイスをくれていたの。それを聞かなかったのは私。そして相談もせずに飛び出した。恩を仇で返すような真似をした私が、ディオール本人ではないとはいえ親族に会っていいものか」
「ティオル君を助けることが恩返しの一つになると思わないか?」
クルルートの提案にアルネシンは迷いを見せた。
「そうだといいのだけれど」
「ちょっと話を聞きに行くくらいならありじゃないですかね。ちょうどいいと言うのか、俺たちが見つけたときどこかの店の人ともめてましたし。それが話題のきっかけになると思います」
平太が言った、もめていたという部分に反応を見せるアルネシン。
「もめてたの?」
ロナがこくりと頷いた。
「うん。店の人は小物入れをティオルに見せながらなにか言ってた」
「仕事を受けたのかしら? それが相手の要求に届かなかったのかもしれないわね。ちょっとしたアドバイスができるかも」
きっかけを得てアルネシンは立ち上がる。
「皆、少し抜けるわ。ごめんなさい」
「気にするな。さっさと迷いを解決して、良い物を作ってくれればいい」
ドレンなり激励に皆追従して頷く。一緒に仕事を始めて短くない時間が過ぎている。仲間の悩み事が解決するならそれは彼らにとって喜べることなのだ。
そんな彼らの励ましにアルネシンは心が温かくなり、自然と笑みを浮かべた。
「行ってくるわ。二人とも案内してちょうだい」
よろず作業屋を出た三人は、ティオルの泊まる宿に向かう。
宿の前まで来たとき、なにかの用事があるのか宿から出てきたティオルとはちあわせた。
「あ」
嫌そうにアルネシンを見て一歩あとずさる。
「こんにちは、会いに来たのよ。お話させてもらえるかしら」
「話すことなんてない」
アルネシンは歩き出そうとするティオルの肩を掴んで止める。
「私にはあるの。結局どうして私を訪ねて来たのかも聞けてないんだから。それにディオールが元気にしているのかも知りたいわ」
「父さんは二年前に死んだ。心臓を悪くして」
肩を掴む手が緩み、ティオルはアルネシンの手を払う。
アルネシンの手は力なく垂れ下がり、反対の手で顔を覆う。死んだと聞いてショックを受けたが、そのショックの大きさに内心驚きも感じている。
「そう……死んでしまったのね。礼を言うこともできなかった、か」
アルネシンは小さく深呼吸して、赤く充血した目でティオルを見る。
「なおさらあなたと話したくなったわ。私がディールを超えるって部分も気になるし。それに少し前に店の人ともめていたってことも聞いたわ。仕事に関してなにかあったのでしょう?」
「……あんたには関係ない」
ティオルは顔を横にそらして言う。
「あなた自身のためにやるんじゃなく、私がやりたいからやるのよ。話さないといつまでもつきまとうわ」
その言葉に本気を感じて、ティオルは溜息を吐いた。中で話そうと言い、宿に入る。
平太とロナは話を聞いていいのか迷いを見せる。それを見てアルネシンがおいでと手で招く。
「なにから話せばいい?」
食堂の椅子に座ったティオルが、アルネシンを見て聞く。
「どうして私に会いに来たのか? なにかしらの目的があったから王都からエラメルトに来たのでしょ」
「父さんから修行するならあんたのところに行けって言われたんだ」
「師匠のところはすすめられなかったの? 私より長く色師として活動しているし、弟子も育てていて適任だと思うけど」
「父さんたちの師匠はもう引退している。一度話してみたけど、弟子を育てるつもりはないって断られた」
師匠についてアルネシンは疑問を抱く。
師匠はそれなりに年をとっているが、基礎を教えるくらいならまだまだできそうなのだ。そして弟子の育成を楽しむ人だった。
そんな人が職人として現役をひいたからといって、弟子育成まで止めるだろうか。
「師匠は病気になったり、どこか怪我をしたの?」
「いや、まだまだ元気そうだったけど」
「そう」
腑に落ちないものを感じつつ、アルネシンは次の質問に進む。
「じゃあ次ね、私がディオールを超えたっていうのが信じられないのだけど。私はディオールとの腕に大きな差を感じていたわ。その差がひっくり返ったと言われても正直実感なんてないの。そりゃ私も腕を磨いてきたわ、でもそれはディオールだって同じでしょ」
差が縮まることならば考えられるが、追い越したというのはアルネシンには信じられない。
「父さんは超えたとは言ってない。いずれ超えるって言ったんだ。あんたの作品をときどき手に入れて、それを見て年々追いつかれていると感じてたらしい。このまま時間がたてば、いつか並び抜かれるって。そのときの父さんは誇らしそうで嬉しそうだった」
「あ」
またアルネシンは涙腺が緩むのを感じる。
ディオールが自分の作品を見ていたなんて、想像もしていなかったのだ。
飛び出て行った馬鹿な自分のことを気にかけてもらっていたことが、とても嬉しく、礼を言えないことがすごく悲しい。
今度こそ我慢できずに涙が流れでる。今度時間を作り、王都にあるディオールの墓に行くことに決めた。そこで「ありがとう」「ごめんなさい」という二つの言葉を絶対送るのだと誓う。
しばし泣き続け、落ち着いたアルネシンの表情は晴れやかなものだった。
涙をハンカチでぬぐい、ティオルを真っ直ぐ見る。
「いきなり泣いて、ごめんなさいね。じゃあ最後、お店でなにがあったの?」
「……」
無言でいるティオル。
これは恥じをさらすことになるので、言いたくないのだが、自分でもどこが悪いのかわからないため、誰かしらの助言はほしかった。
「仕事をしようとした。それで店主からどんな色をどのように塗ってほしいか指示を出すから、できあがったものをサンプルとして出してくれと言われた」
「そこまでは普通のことね」
「できあがったものを今日持っていった。そしたら駄目だと言われた。どこがどう駄目なのか聞いたら、イメージに届いていないと言われた。けど俺は指示通りに色を作り、塗ったんだ。それなのにっ、これじゃ注文はだせないと断られたんだっ」
「……とりあえずサンプルを見せてちょうだい」
実物を見なければなにを言えず、見せてくれるように頼む。
ティオルは部屋に戻り、店主に出したものをテーブルに置く。
それを見たアルネシンはピンっとくるものがあった。
(まさかディオールの子が私と似た悩みを持つとはね)
ティオルにオネエの素質がある、という話ではない。もっと根本的な問題だ。アルネシンも同じ悩みを抱えていたため、なんとなくピンっとくるものがあったのだ。
「アルネシンさん、なにかわかった?」
アルネシンの表情の変化を読み取ったロナが聞く。
「鋭いわね、ロナちゃん。確信じゃないてけど、おそらくね」
「なにが悪いんだよ」
一目見ただけで、どこが悪いのかわかるほど自分の仕事は雑。そう言われたような気がしてティオルはアルネシンを睨む。
「まあまずはどういった要望を出されたのか教えてちょうだいな」
不機嫌なティオルが語る要望に、アルネシンはふむふむと頷く。
「技術的には合格点を出せるわ。しっかりとした基礎技術が見て取れる。これを却下した人は感受性が優れていたんでしょうね、まさにイメージの部分でひっかかったの」
「どういうことだよ」
「おそらくあなたなにか悩みごとを抱えているでしょう? それが作品に現れているの。要望したものから遠ざかってボケて感じられるわ。これが断られた原因よ」
平太とロナには理解できない話だった。だがティオルには心当たりがあるのだろう、なにか反論したそうで、でもできないでいる。
「悩みというのは誰にでもあることよ。私にだってあったし、私がディオールに及ばなかった原因の一つでもある。私の場合、昔からオネエとしての自分を隠していた。世間一般から見ればおかしいことだからね。周囲にばれないように隠していたら、作品にも人を遠ざける雰囲気が表れるようになったわ。それを客は無意識にでも感じ取ったのでしょうね。私よりもディオールを選んでいったわ」
エラメルトに逃げてきたときも隠し続けていたのだが、ある日それを言葉にして指摘してくれた人がいたのだ。そして隠さなくてもいいじゃないかと言ってくれたのだ。多くの人に嫌われようが、私はいつまでも友だと言ってくれた人がいた。
これまで聞いたどの言葉よりも嬉しかったそれは、アルネシンを抑制から解き放ち、作品にも変化をもたらして今に繋がっている。
そのアルネシンの背を押してくれた人物は、言葉を違えず、今も付き合いがある。
「今後、色師として腕を上げていきたいのなら、悩み事は解決しておいた方がいいわよ」
ティオルは無言だ。無言ではあるが、表情には変化があった。
色師として腕を上げる、とアルネシンが言った部分でわずかに表情が動いたのだ。
それを見逃さなかったアルネシンは、ひょっとしたらとある考えを持つ。
「あなたもしかして色師をやりたくない?」
「っ!? 違う! 色師だって立派な仕事だし、父さんがやってたものを邪険にはしない!」
「じゃあ、ほかに興味のある職があるといったところかしら」
ティオルの反応から真意を探り、言葉を投げかける。
師匠が弟子として引き受けなかったのも、ここに原因があるのだろうと考えた。もう少し他の職のことを考える時間を与えたのだろう。考えたうえで、色師をやりたいと結論をだして弟子入りを頼めば引き受けてくれたはずだ。
アルネシンの言葉を受けて明らかに表情の変わったティオルに、三人はそれだなとあたりをつけた。
「あなたはどうして色師をやろうと思ったのかしら? 私やディオールは単色のすばらしさ、様々な色を組み合わせたときの鮮やかさといったものに惹かれて、この仕事を選んだの。だから辛い時でも辞めようとは思わなかったわ。この仕事が好きだから。あなたはこの仕事が好き?」
「……俺が色師をやるのは期待する人たちがいるからだ」
周囲の人間が父のような立派な色師になるんだぞと悪気なく言い、何度もそういった言葉を投げかけられ、ティオルも色師になるのが当然なのだと思ったのだ。
小さな子供にとって、大人の言葉は重い。投げかけられた言葉をそうなのかと受け止め、判断基準にするほどには大きなものだ。
もちろんティオルに声をかけた者たちは、本気で色師になれと言ったわけではない。だが、受け止める側のことを考えていなかったのも事実なのだ。
「周囲がそうであれと言ったから色師をやるんなら辞めなさい。ディオールも喜ばないわよ。彼自身、好きでやっていた仕事だから、義務感などでやってほしくないはず」
「俺自身もやりたいとは思ってる! でも彫刻とか木工細工も気になるんだっ」
「やりたいことあるんじゃない。その道を進んでもいいと思うわよ? 子供のやりたいことを阻む親だったかしら、ディオールは」
ティオルの脳裏に思い出されるのは小さい頃の記憶。父の真似をして板にベタベタと色を塗っていたときのこと。
どんな風に色を塗るか迷ったティオルが父に助言を求めると、ティオルの頭を撫でながら父は決まってこう言った。
『好きなようにやりな。いろいろ試してみるのはいいことだ。そんな挑戦から新しいことが見つかることもある。これは色を塗ることだけじゃなくて、ほかのことにも言えるんだぞ。いろんなことに挑戦してみな。きっとその中から楽しいことがみつかるから』
当時のティオルにはどういった意味を含んでいるのかわからず、結局どんな色を使えばいいかわからず文句を言ったものだ。
だが今ならばわかる。親と同じ道を歩む必要はない、好きな道を行けばいい。そう言っていたのだと。
だからアルネシンの言葉は否定できる。
「違う。父さんは俺がやりたいことをやれって言う、絶対だ」
その返答にアルネシンは笑みを浮かべる。
「ええ、そうね。きっと、そうなのでしょう。だったら答えは決まっているわね」
「木工細工をやってみたい。でも色師も捨てたくはない。父さんとの繋がりだから」
「あなたがそうしたいというなら止めないわ。私が言いたかったのは、自身を抑えつけるなってことだし。ちなみに木工細工なら私が所属しているところに職人がいるけど、その人に弟子入りしてみる?」
「とりあえず会って話を聞いてみる」
じゃあ行きましょうとアルネシンが誘い、ティオルは立ち上がる。
いろいろと荷を下ろしたようなアルネシンに平太が声をかける。
「これ以上はついていっても仕方ないから、俺たちは帰りますね」
「今回は本当にありがとうね。二人がティオルの宿を教えてくれたおかげで、いろいろと助かったわ。感謝しきれないくらい」
この気持ちハグで受け取ってと言い、平太とロナにまとめて抱き着く。
苦しくない程度に力を込めて、すぐに離れる。
「なにか困ったことがあれば、今度は私が相談にのるわ。じゃあ、ロナちゃんまた明日」
「ん」
去っていくアルネシンとティオルを見送り、平太たちも帰路につく。
「ティオルはロナの同僚になるのかな」
「どうだろ。同僚になっても、私とは違う扱いになると思う。私は今のところ職人になりたいわけじゃないし」
「そっか。ロナはどんなふうになりたいっておぼろげでもイメージある?」
ロナは少し考えて小さく首を振る。
「……前も言ったように壊すよりも作り出したい。まだこんなところ」
「うん。これからまだまだ人生は続くし、いずれ見つかるだろうさ」
「見つけたい」
きっと見つかるだろうと、アサシン時代とはまったく違う、まばゆいばかりに輝く日々を思い言った。




