11 狂牛暴走
何事もなくエラメルトに帰ることができ、バスを降りる。すぐにロナが首を傾げた。
「騒がしい?」
そうなのかと平太は周囲を見し、出発したときには見られなかった光景を見つける。それは外壁の補修をしている人々の姿だ。どこか慌てているようにも見える。
「年に一度の補修工事でもやってんのかな」
「そうなの?」
「いや、思いついたことを言っただけ。俺もここの出身じゃないからよくわからない」
首を傾げつつ二人は町に入る。家にそろそろ到着といったところで、息を乱した神官に平太は名前を呼ばれ止められた。
「エラメーラ様がお呼びです。急いで神殿にきてください」
「俺だけ? ロナはどうとか言ってました?」
神官は首を横に振る。
「特には聞いていません。あなたを呼ぶようにとエラメーラ様付きのメイドから聞いただけですので」
「一緒に来る?」
ロナを見て問う。少し考えたロナは頷く。わざわざ呼ぶことと現状の騒がしさに関連があるのか気になったのだ。行ってみて会えないのならば帰ればいいだけだ。
神官は走り出し、二人もその後ろを走る。神殿に着くとすぐにエラメーラの部屋に通された。
部屋に入るのを止められないということは、聞いても大丈夫なのだろうとロナは判断し平太の後ろについていく。
メイドの表情は落ち着きのないものだが、エラメーラはいつも通りに見え、部屋に入ってきた二人を笑顔で出迎える。
「おかえりなさい。ちょうどいいタイミングで戻ってきてくれたわ」
「なにがあったんですか?」
「ちょっと魔物の群れが東からこっちへと向かってるらしくてね」
昨日の日暮れ直後に東の村から転移能力者が知らせてきたのだ。エラメーラの力の欠片が届く距離ではないため確認はできていないのだが、報告した者の必死な表情に信じる気持ちの方が勝った。
「どれくらいの量です?」
東ということに平太はミレアのことが思い出される。それを気にしつつ規模を聞く。
「リンガイに確認してもらったところ二千くらいじゃないかということらしいわ」
想像以上の数に平太は驚きを隠せない。ロナも静かではあるが、表情は少し驚きへと変化している。
「多っ!? リンガイって警備兵の長ですよね? あの人がどうやって確認したんですか?」
「俯瞰視界っていう遠距離も見える能力を持っていてね、転移能力者と向こうにとんでもらって確認したの」
「群れは一種類ですか? それともいろいろな魔物が混ざってますか?」
ロナが聞く。
「一種類。レッドバッファローよ」
「一匹だけなら苦戦はしませんが、そこまでの数は」
レッドバッファローはその名の通り、赤毛に覆われたバッファローだ。気性が荒く、怒ると体力の続く限り真っ直ぐ走り続ける。大きさはそこらの牛とかわらず、硬い角を前に出した勢いのある突進は一般人が受けると確実に即死だ。一匹だけならば突進されても避けやすいが、複数でいると厄介だ。
強さはローガ川周辺の魔物よりも上だ。川の次に向かうことになるガイナー湖周辺の魔物と同程度になる。ロナは湖の魔物だと楽勝とまではいかないが油断しなければ勝率は高い。その次のオオル礫砂漠となると一匹ならばなんとかなるが、複数でこられると厳しくなる。
この町のハンターだと熟練者は湖か礫砂漠に行っている。なのでレッドバッファローに勝てない人材がいないなんてことはない。だが二千のレッドバッファローを相手取る数はいない。この町に常駐する戦える者は引退した者を含めてようやく五百人に届く。単純計算で一人四頭を倒せばいいが、平太のように実力不足の者が多いので熟練者にかかる負担はもっと大
きくなるだろう。
「そもそもレッドバッファローが移動しているのはなぜです?」
ロナの問いかけにエラメーラは小さく首を横に振った。
「調査中よ。この町ができて、魔王が出現したときでもこの数の魔物が突撃してきたことはないわ。なにか理由があるなら私も知りたいわね」
エラメーラのような小神がいれば魔物は近づいてこないが、侵入できないというわけではない。近寄りがたいものを感じているだけで、我を忘れての移動ならば突撃してきてもおかしくはないのだ。
「レッドバッファローってたしかここから徒歩で十日ってところを縄張りにしていたような」
ロナは魔物生息図を思い出し、確認するように口に出す。
「そうよ」
「人が歩いて進むより速いとはいえ、それだけの距離を一直線にこちらへと向かうのはどう考えてもおかしいですね」
「まあね。興奮してるんだろうけど、普通なら三日も興奮状態はもたないからね。きっとこっちに着く頃にはわりとぼろぼろね。それは幸運でしょう」
勝手に弱ってくれるのだから、ぶつかるこちらとしては勝率が上がり嬉しいことなのだ。それでも二千という数は脅威でしかないが。
「なにかに追い立てられた? 群れの後方になにか見たという報告はありましたか?」
「ないわね」
答えながらエラメーラは首を横に振る。
「本当に理由がわかりませんね」
ロナはふぅっと溜息を吐く。
「結局のところどうして俺を呼んだんですか? 魔物が接近して危ないから外にでるなと知らせるためなのか、魔物退治に協力要請するため?」
「どちらかというと後者よ」
直接的ではない言い方に平太とロナは首を傾げた。エラメーラは困ったように手を頬に当てて続ける。
「あまり目立たせたくはなかったんだけどね。ここを守ってもらうために力を使ってもらわないと駄目そうなのよ」
「つまりレッドバッファローを倒すんじゃなくて、別のなにかの役割があると」
「そうなるわ。ちなみにどんな役割か想像つくかしら」
平太が腕を組み考え始める。一方でロナは確認しようと口を開く。
「ヘイタの能力って贋作ですよね?」
「そう考えたのね。まあ大きく外れているわけでもない。贋作も含んでると言っていいし」
「含んでる、ですか。となると」
ここでふと思い出す。いつだか平太が再現という言葉を使ったことを。しかしそれをロナは否定した。歴史上一人しか発現させていない能力だ。自分の近くにいるわけがないと。それに、もし再現だとしたらフォルウント家が静かなのはおかしい。初代の再来だといって、持ち主が犯罪者でも迎え入れるはずだ。昔から再現使いは当主として迎え入れると宣言している。けれど当主がいきなり代わったという話は聞かない。
「でも贋作を含んだ能力なんて」
「思い当たってるみたいだから言ってしまうけど、ヘイタは再現使いよ。秘密にしてね?」
エラメーラは片目を瞑り、人差し指を口に当てた。
可愛いその仕草に見惚れる者は多いのだろうが、平太は考えこんでいる最中で、ロナは内容に驚いてそれどころではなかった。
「再現使いってそんな!?」
珍しく大きく感情を見せた。それほどに驚くことなのだ。能力は様々なものがあるが、再現のように使用者が少ないものはいくつもある。有名どころだと、再現を半分にわけたような『贋作』と『模倣』。平太が偽って教えたものまねが模倣にあたる。軽量と縮小と遅延が一緒になった『保管』。物体から必要なものだけを取り出せる『摘出』。死人と話すことができる『死人語り』。人の心を読む『読心』。
これらはたしかにレアなのだが、これまでに何人も所有者は出ていて、再現のように一人のみといったことはないのだ。
「本当のことよ。これまでにお菓子を出したところをこの目で見ているわ。ほかに治療能力を使ったり、誰かの技術を再現したと聞いている」
「治療は私にやったこと? 魔術具を作り出したと思っていたのに」
「ヘイタは治療の魔術具を見たことないのじゃないかしら? 神殿の倉庫には案内していないし、高価なものだから町でも商品棚に置くようなことはしないだろうし」
この世界にはテレビゲームに出てくる道具のように、即座に傷を治せる道具がある。だがそれは作成が難しく品質の低いものでも五千ジェラと一ヶ月以上の生活費に相当する。そんな高価なものは魔術屋でも倉庫の中に大事にしまい込み表には出されず、平太が目にする機会はないのだ。
「……本当だとしてそのようなことをどうして私に教えたのですか?」
「あなたはヘイタに命を救われたと言っていいし、望みを叶えることができた。大きな恩がある。感謝もしている。そうよね?」
「はい。間違いなく。ヘイタに出会えたことは私にとって人生最大の幸運でした」
あのまま逃げ続けても待っていたのは死だ。平太に出会えたから、エラメーラへと縁が繋がり、追手を撒ける案を授かることができた。平太は胸を揉んで礼は先払いしてもらったと言っているが、そのようなことでは返しきれない感謝があった。平太が望めば体を差し出してもいいくらいだ。
「そう考えるあなただから教えたのよ。誰かに話してヘイタに害をなすことなんてないでしょうから」
「はい。そのようなこと恩を仇で返すことです」
「ロナ、大げさに考えすぎじゃない?」
会話が聞こえて考えることを止めた平太が言う。指で頬をかき、少し照れているのがわかる。
「あなたとっては大げさかもしれない。でも彼女にとってはとても大きなことなのよ。それでどうやって能力を使うかわかった?」
「さっぱりです。どうにかして二千頭をさらに弱らせることが求められてるのかなって思いましたけど」
「んー結果的には少し弱るものも出るかもね」
「違いましたかー」
降参ですと平太は両手を上げる。
「求めるのは二つのこと。レッドバッファローの勢いを一度止める。そして群れを二分する」
「できるんですか、そんなこと」
「先代再現使いは何度かやったそうよ。どうやったかというと群れの前に城壁とか頑丈な壁を再現したの」
「ああ、なるほど」
その様子を想像しロナはすぐに納得したように頷いた。
「城壁とか見たことないんですけど、この町の塀を再現すればいいんですか?」
頑丈な壁といって思い浮かんだのは万里の長城だが、あれは写真で見ただけで実際に目にしていないため再現は難しいかなと思う。それと実際はそこまで頑丈じゃないという噂も聞いていたためイメージに引っ張られる可能性もあった。
「補修してるとはいえ、この町の塀だと不安しかないね。だから転移能力者に王都まで行ってもらう。そこで城を守る城壁を間近で見て実際に触れてもらって帰ってきてほしい」
「王都の城壁なら突進を受け止められます?」
「ええ、頑丈に作られているからね。体当たりの衝撃でひび割れくらいはするでしょう、けれど壁を抜いて突破するのは無理。あとは左右にわかれて進み始めた魔物を、ハンターと警備兵の混合軍が始めは遠距離攻撃、そのあと突撃で倒すって手筈よ」
そのつもりで既に準備を進めており、東に四時間歩いた平原に軍の配置が行われている。
ちょうど平太が帰ってきたが、そうでなければ準備が無駄になったというとそうでもない。川そばの村に転移を使える者を向かわせているのだ。今頃そこにいない平太を探して回っているだろう。
「優れた土の能力使いが壁を作るって説明してあるからそのつもりでね」
平太の力を借りると言っても、さすがに能力まではばらすつもりはない。
「あと話すことは……この後の予定くらいかな。王都へはすぐにでも行ってもらうつもり。帰ってきたら護衛と一緒に東の平原に行ってほしい」
「わかりました」
平太の頷きを確認するとエラメーラはテーブルの上にある鈴を振る。それを聞いた部屋外に待機していたメイドが入ってきて、用件を聞くとまた部屋を出て行った。
メイドと一緒にきた女の転移能力者と一緒に平太は王都の外に転移する。
「あれ? 壁は?」
平太の近くには壁はない。あるのは畑だ。その向こうに町並みが見える。
「今回の目的は向こうですね」
首を傾げた平太に町並みの方角を指差す。その反対にも外壁があり、外敵から王都を守っている。商人の荷物検査もそちらの壁で行われていた。
町中への転移は緊急時以外は褒められたものではないので、外に転移したのだ。
さあ行きましょうと言い歩き出す女と一緒に早歩きで町の中に入る。エラメルトよりも活気のある町中に気を取られながら二十分ほど急ぎ足で歩くと城に到着した。
城は王都の西にあり、その周囲を高さ十メートルには届かない城壁が囲む。大きなブロックとして切った岩を積み上げて作られた壁で、厚さは二メートルに近い。上部には柵が作られ兵が歩けるようになっている。これだけ分厚ければ並の魔物にぶつかられてもものともしないだろう。
「これ作るのにどれだけ時間かけだんだろう。苦労したんだろうなぁ」
ピラミッドのような巨大建築物も人力でどうにかできたのだから、これを人の手で作ったことに疑いはもたない。その建築時間を考え、感心する思いが湧き上がる。実際は能力が使えたため、平太の予想よりは幾分か楽に作られていた。
「私にはわかりませんね。それでどのようなものか学ぶことはできました?」
「うん。大丈夫」
では帰りましょうとさっさと離れる。来た道を逆に戻って、畑まで来ると転移でエラメーラの部屋に戻る。そこには平太の見知った男女がいた。
女を労ったエラメーラは退室を促して、平太に向き直る。
「おかえり。ちゃんと覚えてきたかしら?」
「はい。あれなら魔物の突進にも耐えられそうでした」
「その言葉が聞けて嬉しいわね。あなたたちもそう思うでしょう?」
平太の護衛役として呼ばれていたオーソンとカテラが頷いた。実力の違いすぎる魔物との戦闘に引きずり出すのだ、護衛はつけて当然だ。その護衛も見知った者がいいだろうとこの二人が選ばれたのだった。
「馬を用意させてる。それに乗って東の平原に急いで」
頷いた四人は神殿を出て町の外に向かう。その途中で家に寄ってもらった。ミレアの無事を確認するためだが、バイルドによるとまだ帰ってきていないらしい。
「東に行くって言ってたし巻き込まれた?」
「無事を祈るしかないと思う」
ロナの言葉に深く頷く。
「そう、だね。本当に無事でいてほしいよ」
用意された馬は四頭いたが、平太は乗れないのでロナの後ろに乗ることになる。
「しっかりつかまってて」
「うん」
「僕も乗馬はあまり得意じゃないんだけどなぁ」
平民出のオーソンは馬に乗る機会が少なかった。平太がいる時点で乗馬未経験者がいることはわかっており、乗りやすさを考えて、速さではなく穏やかさを基準に選ばれているので技量が足りずともなんとかなるだろう。
騎士を父に持つカテラは何度も乗ったことがあり、初めての馬でも乗りこなす姿は様になっている。
「よい鍛練になると思いなさいな。では出発しますわよ」
カテラの掛け声で馬を東に向けてかなりの速度で走らせる。道中二度休憩を行い、軍が待機している場所についた。
「これからどう動けば?」
「リンガイ隊長に会いに行くよう指示されていますわ」
平太の疑問にカテラが答えて、馬を預けた兵にリンガイの居場所を聞く。
「到着したか」
能力を使ってレッドバッファローの動きを見ていたリンガイが兵に話しかけられ、能力を止め四人を見る。
四人を代表して部下であるカテラが口を開く。
「エラメーラ様の指示に従い到着しました。以後の指示をお願いします」
「うむ。慌ただしいが皆に紹介したあと、こちらの指示する場所に移動してほしい。魔物はあと一時間もせずに見えるはずだ」
「わかりました。作戦の最終確認をしたいのですが変更はありましたか?」
「変更はない。アキヤマが壁を作り、魔物が動き止めたところで左右から遠距離攻撃、そののち突撃だ。こちらからも聞きたいのだが、壁はどれくらい出現していると思われる?」
その問いに平太はわかりませんと首を横に振る。
「一度も大きな壁を作ったことはないのでどれくらいもつのかさっぱりです。確実にいえるのは三十分はもたないだろうと」
「もしかすると数秒で消える可能性も?」
「否定はできません」
以前作ったどら焼きとロナの偽者では存在する時間が違った。もしかすると大きさで違うのかもしれないとは思う。それから考えると作ろうとしている壁の大きさは相当なもので、数秒で消える可能性もあるのだ。
「まあ、動きを止めることだけでもありがたい。壁にぶつかってダメージを負ったら運が良かったと考えておこう。待機地点までは案内をつける。魔物の群れが間近に迫ったら能力を使ってくれ」
「格上の魔物なんですよね? 気圧されて動けなくなる可能性もあるんですが」
「そのときはその三人に正気に戻してもらえ。お前の役割は壁を作ること。それだけやれば役目は果たしたことになる。後の戦いには参加しなくていい。役目を果たすことだけにすべての力を注げばいい」
そのほかのことはこちらに任せろとリンガイは自信をもって言う。無意味な自信ではなく、精彩を欠いたレッドバッファローを見ていること、平太を送り出したエラメーラを信じているからこその自信だ。
「言葉に甘えることにします」
少しだけ気が楽になる平太。
リンガイは近くの兵に銅鑼を鳴らすように指示を出して、急いで作らせた櫓に平太を連れて上がる。
兵やハンターたちの注目が集まる中、リンガイは口を開く。
「皆のものっいよいよ作戦開始だ! あと一時間もせずにレッドバッファローは姿を見せるだろう。作戦は事前に話したことと変わらない。この者が壁を作る。足を止めたレッドバッファローを遠距離攻撃、その後に突撃だ。我らの背後にはエラメーラ様と戦えない町の者たちがいる。彼らを守れるのは我らだけなのだっ君たちの持つ力を振り絞って戦ってもらいたい! 健闘を祈る!」
『おおおおーーーっ』
気合いの入った雄叫びがそこかしこから上がり、平太はびりびりとした空気の振動とともに高い戦意を感じた。こういった状況は初めての平太はやや呆けた様子で眼下の兵たちを見ていた。
「では遠距離攻撃隊は移動を始めろ!」
雄叫びが静まるとリンガイは指示を出して、移動を始めた兵たちを見てから櫓を降りる。
「アキヤマも待機地点に向かってくれ」
こくこくと言葉なく頷いた平太は、近寄ってきたロナたちと待機地点に向かう。
待機地点につくと案内してきた兵が帰る。正面も見ても今はまだレッドバッファローの姿はない。周囲を確認すると、左右それぞれ百メートルの位置に遠距離攻撃隊が既にいた。
しばらく静かな時間が流れ、ロナとカテラが平原の向こうに反応する。カテラがハルバードを握りしめ好戦的な笑みを浮かべた。ロナが目を細めて表情を消し、神殿の兵から借りた剣に手をやる。
「来ましたわよ」
「ヘイタ、準備を」
促され平太は頷き、王城の頑丈な城壁を思い出す。いつでも能力を発動できるようにして真っ直ぐに前を見る。平太の手をロナが握り、肩にオーソンが手を置いた。
「力みすぎないようにね」
「魔物の強さに怖くなってもいい。私が、私たちが必ず守るから」
二人の励ましの言葉に頷く。手を通し伝わってくる体温に少し力みを抜いて大きく深呼吸を一つ。
すぐに平太の目にもレッドバッファローの影が見える。横にずらりと並ぶ様子に数の多さを改めて確認できた。徐々に鮮明になるレッドバッファローの狂騒ともいえる様に冷や汗が流れる。
思わず手に力を込めると、いまだ繋いだままの手をロナが握り返した。
「大丈夫」
たった一言だが、自信の込められたロナの言葉に落ち着きが戻ってくる。
平太の様子に気づいたオーソンとカテラも笑みを向けてきた。
そして平太たちとレッドバッファローの距離が百メートルをきり、さらに縮まっていき十メートルをきって平太は能力を使った。
「壁よっ現れろ!」
巨大なものを再現したためか、余計に力を必要としたのだろう魔導核に微かに痛みが走る。
顔を顰めるがそれを無視してきちんとできているか平太は首を動かす。横百メートルに少し届かない壁ができていた。
突如現れた壁に、兵やハンターたちはどよめく。優秀な土使いが壁を作るとは聞いていたが、ここまで立派なものを作るのは思っていなかった。
平太が未熟ゆえか力が足りなかったか、本来ならば四方を囲むようにできていたはずだが完全には再現できていない。だがもとより目の前に壁ができていれば問題なく、様子を見ていたリンガイはよくやったと言葉にだし、攻撃の合図を送る。壁に対する歓声とともに、攻撃へと声を上げて矢や火や風や岩といったものが魔物めがけて飛ぶ。
壁の向こうからはレッドバッファローがぶつかる音が聞こえ、壁に触れていれば振動も伝わってきただろう。その音のすぐ後に何かが爆発する音や肉にぶつかる音が聞こえてくる。
「攻撃が始まったみたいですわ」
「いやー話には聞いていたけど実際に見るとすごいね」
オーソンが見慣れた城壁そっくりな壁に触れる。
「三人ともすぐに戦闘態勢に。これ一分くらいしかもたない」
「それだけもてば十分ですわよ。ともあれ戦いですか、今回はその機会はないと思っていましたが」
戦いの濃い気配にカテラの笑みは深まり、楽しみだとハルバードを構える。ぶっそうではあるが、その戦意が今は頼もしい。
「私はヘイタを守るから積極的には攻めない」
「わかってる。ヘイタ君の直接の護衛は君に任せる。僕とカテラは近寄ってきそうな魔物を倒すよ。というわけで突っ込みすきないようにね」
「仕方ありませんわね」
少し興が削がれたといった表情でカテラは不満顔を見せるも、エラメーラからの直接の指示を無視する気もなく逸る気を抑える。
平太とロナが下がり、突然現れた壁は同じように突然消えた。地面に何体もの魔物が横たわり、いまだ生きているものも足を止められている。
壁が消えたことを合図に、リンガイが突撃の合図を出す。いまだ数としては魔物の方が多いが、この勢いで押せばなんとかなるだろうと余裕ももつことができた。
一時間後、その余裕が偽りではなかったと証明される。致命傷一歩手前の怪我人はでたものの死者はなく、レッドバッファローの殲滅が達せられた。
「終わったぁ」
安堵したように平太は力を抜いてその場に座る。死体が壁代わりを果たし平太は戦うことはなかったが、格上の魔物が近くにいるということで精神的消耗はあった。付け加え周囲に漂うむせるような血の匂いに少し気分が悪くもなっている。
「ん、終わった。この後はどうするんだろう」
血には慣れているロナは平気そうな顔で警戒を解いてカテラたちの姿を探す。魔物がこちらにこないことを確認するとカテラは、遠くに行きすぎないように気をつけて魔物を乗り越え戦っていたのだ。その付き添いにオーソンも行ったため平太のそばにはロナしかいなかった。
探していた二人が近づいてくる。
「戦えましたわ」
満足といったふうにカテラは体のあちこちに返り血をつけてにこやかに笑う。町中で見ると花咲くような笑みに見惚れる者多数だろうが、ここではまとう昂る雰囲気と返り血もあって見惚れる者はいなかった。むしろその姿を見て、今後ナンパしようと考える者が減った。
「このあとはどうするか聞いている?」
「聞いていませんけど、怪我人の治療と同時進行で魔物の処理じゃないかしら。これだけの魔物を腐らせるのはさすがにもったいないから全部持ち帰るでしょう。この魔物を売ったお金でハンターたちへの報酬が賄われると思いますし」
大量にありすぎて値崩れするだろうが、それでもシューラビやラフドッグよりも高値で売ることができる。レッドバッファローは通常六百ジェラで売却可能で、今回は大量にあるため四百から三百ジェラで買い取られることになる。参加した者たちには一人千ジェラが渡されることになった。報酬と肉を売ったお金で差額が生まれるが、それは神殿が没収するわけではなく、被害を受けた村への援助として使われるのだ。
あれだけの数の魔物が動いて被害が皆無なはずはなく、進行上にあった小さな村が一つ群れに飲み込まれているのだ。
「僕は治療の手伝いに行ってきます」
これからがオーソンにとっての正念場で気合いが入る。
「私も怪我人を運びましょうか。二人は隊長に一言言って帰ってもいいと思いますわ」
そうするかと平太とロナはリンガイを探して歩き始める。その途中で神殿の兵が今夜宴を開くので町の外に集まるようにと大声で叫んでいた。報酬が少なめな分、レッドバッファローを十頭ほど使って焼肉パーティーを開いて労わることになったのだった。普段食べる肉よりも上等なものなので楽しみだという声がそこかしこから上がる。
もう一つ知らせていることがあり、それは今回負った怪我治療は無料となるということだった。怪我をしていない平太たちには関係のない知らせだ。
リンガイを見つけ、帰ることを告げると特に問題なく許可が出た。ただし馬は荷物を運ぶのに役立つので置いていってほしいということだったので徒歩で帰ることになった。
ほかに帰る者たちに混ざり歩いてエラメルトに到着したのは夕暮れ前だ。無事に討伐完了したという報告に、不安を抱いていた町人たちはわっと歓声を上げた。
一応報告に行った方がいいのだろうかと考えた平太は神殿に向かう。あっさりと奥へ通され、エラメーラの部屋に入る。
「お疲れ様」
「それは戦闘を頑張ったハンターと兵たちに言ってあげてください」
「もちろん言うわよ? でもあなたたちが頑張ったのも事実ではないのかしら。そうでなければ撃退の報ではなく、突破されたという知らせを聞いていたはずよ。こうやって落ち着いてお茶を飲む余裕もなかったはず」
持っていたティーカップを小さく揺らす。
「出発する前に話したことだけど、どうしてレッドバッファローが動いたか。直接その眼で見て推測できたかしら」
エラメーラの問いにロナは首を横に振った。
「それらしい情報はなかったですね。ただ興奮しているだけではなく、追い立てられたようにも感じました。気のせいかもしれないけど」
確信はない。なんとなくなのだ。けれど興奮だけではもともとの住処から移動できる距離ではない。なにか自身の知らないところで、あの状況を招いた物事があるのではないかと思えた。
「追い立てられた、か」
「なにか心当たりあるのですか?」
「いくらか推測できるけど、これだという確信はないわ。ないのだけど直感が無視していいとは言っていない。無駄かもしれないけど、人を派遣して調べてもらいましょう」
今後の方針を決めたエラメーラは一つ頷くと、壁を作ってみた感想を聞き、疲れを癒すように言って二人を退室させる。
神殿から出た二人は家に戻る。ミレアはまだ帰ってきていなかった。ミレアの心配をしつつも夜に開かれた宴に参加する。レッドバッファローだけではなく、町人から差し入れもあり、豪華で賑やかな宴が行われた。飲めや歌えの宴は遅くまで続く。
平太たちは最後まで付き合うことはなく、笑い声を聞きながら家に帰り、ベッドに入る。
慌ただしかった一日は昼と夜で、その雰囲気を変えて終わりを迎える。
誤字指摘ありがとうございます
書き溜めてきますのでしばらく更新なしです