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(2) ミギハシ誕生 <後編>

・・・ ・・・ ・・・

 

 樹木のダンジョン


 …その深奥の闘技場のような空間にて


 源霊 VS 【偽神暗鬼】


・・・ ・・・ ・・・

 

 「インテリジェント・タイプ…と言っても、各魔法の持続時間に関する知識までは持っていないようですね…【失楽爆炎獄】の持続時間は約10秒。起動し始めてから本来の効果を発揮するまでが約3秒。消滅に2秒。合わせて約15秒…貴様が体を一回転させるのに…そんなにはかかりませんよね」


 つまり、源霊は少なくとももう一回転分、【偽神暗鬼】に姿を晒さずに行動できるということだ。

 その間に、源霊はMPの回復薬を服用し、回復したMPで習得したうちで最も威力の高い攻撃魔法を放ち、【偽神暗鬼】を倒せば良いのだ。


 もっとも、【偽神暗鬼】が律儀にもう一回転しなければならない理由はないわけだが、逆回転したところで直前の【失楽爆炎獄】がより激しく燃えているわけだし、その効果範囲は足下にまで広がっているから、下から潜り抜けることもできないはずだ。

 何より、源霊の移動に合わせて、素早く体を回転させていたワケだから、すぐにその回転のモーメントを止めることはできないだろう。

 唯一の懸念は…【偽神暗鬼】の真上方向。

 さすがに、そこには【失楽爆炎獄】の効果は及んでいない。

 【偽神暗鬼】にそこまでのジャンプ力や飛翔能力があるとは聞いたことがないが、そこはもう「飛べないでくれよ」と祈るしかない。


 祈りとは…すなわち…不安。

 その不安…疑心は、暗鬼という形をとって火球の群の間から飛び出してくる。


     【ぶわぁ…っっつ!】


・・・

 

 「しまっ…」


 しまった…と最後まで口にする前に、衝撃が源霊に襲いかかる。


 吹き飛ばされる源霊。

 錐揉み状態となりながら、この闘技場状の空間を形作る樹木の壁へと激突…

 しない。

 衝撃音とともに樹木の壁から粉塵と樹液が吹き出るが…

 その直前で見えない力場が源霊を包みこみ、彼は辛うじて体勢を立て直す。


 最大級の攻撃魔法を発動する時間こそ与えられなかったが、何とかMP回復薬は服用することができていたのだ。

 咄嗟に衝撃を弾いたのはもちろん【一線】で、今彼を包み込む透明な力場は風の【円環】の効果だ。樹木の壁には【円環】の力場がメリ込んだ穴が穿たれている。


 源霊の右のこめかみを冷や汗が流れる。

 乱れてしまった呼吸を、意志の力で必死に整える。


 (…こころを…読まれた…というより…まるでこれは…)


 まさに「疑心暗鬼を生ずる」の言葉どおりなのではないだろうか。

 源霊の行動の先読みをされているのではない…ということは明らかだ。

 一旦は、源霊の策略に乗って目潰しにかかったのだから。


・・・

 

 源霊が上方向に抜け道がある…と考えた思考を読み取って、上方向から脱出したというのとも違う気がする。

 何故なら、タイムラグがまるで無かったからだ。

 もしも、源霊の心を読んで、行動を選択しているのであれば…ほんの一瞬であろうと源霊がそれを考えてから【偽神暗鬼】が飛び出てくるまでに間が存在したはずだ。


 だが、今のは、そんな間など一切存在しなかったように思える。

 源霊が、「上方向から出て来てくれるなよ…」と考えた瞬間。

 まるで、その不安がそのまま形となって現れるかのように、【偽神暗鬼】は飛び出てきたのだ。そして、飛び出してきたままに衝撃を放ってきたのも、源霊が「もし、そんなことがあったら困るな」…と考えたとおりだった。


 (…そういうことなのか?)


 不安を感じる限り勝てない?

 では、脳天気に何も考えずに攻撃すれば勝てるのか?


 いや。そんな単純…簡単なことではないだろう。

 それなら、そもそも【偽神暗鬼】が最強クラスのモンスターと言われることはなかったはずだ。初心者プレイヤーには、自らの実力も顧みず無謀なアタックをしたものもいただろうから、もうとっくの昔に【偽神暗鬼】は攻略が容易なモンスターとなっていなければおかしい。

 元々が恐ろしいほどに強いモンスターだからこそ、プレイヤーが不安を抱かざるを得なくなるのだ。


・・・

 

 さあ…どうする?


 手持ちのMP回復薬は、あと一つ。

 このデスシムというゲームは、妙なところで他のMMORPGとは仕様が違っていて、アイテムをデータ化しストレージに格納して持ち歩く…というようなことが出来ない。

 武器も防具も、道具も薬も、衣服以外のほとんど全てが、オブジェクト化した状態で持ち運べるだけの量しか携行できないのだ。


 考えている合間にも、【偽神暗鬼】は猛攻をしかけてくる。

 奴の主な攻撃手段は、両手のそれぞれから放たれる衝撃波だ。

 MPの消費を抑えるため、源霊は法具魔法のアイテムでもある愛剣で、その衝撃波を切り払うようにいなし、その剣を正中に構えた上で【偽神暗鬼】と再び対峙。


 さぁ…どうする?


 魔法系の攻撃は無いものと決めつける。

 もしかしたら…魔法系の攻撃もあるのでは?…などと考えれば、おそらくはその疑心が暗鬼となって具現化し、攻撃魔法を食らうのだろう。

 …が、もしも魔法を使えるなら先ほどの【失楽爆炎獄】は、魔法によって防御又は中和させられていたはずだ。そうしなかった理由は、魔法が使えないからだ。


 …と、源霊は、自らの思考をやや強引な「詰め将棋」式に限定することで、魔法による攻撃への不安を無理矢理に抑えつけて、以後の防御は全て愛剣により弾こうと方針を決めた。限られたMPを、確実に【偽神暗鬼】を倒すために費やすため。


 なぜ、デスシムではMP回復薬ですら、実体化した上で僅かな個数しか持ち運べないのだろう?…考えてもしょうがないが、源霊は恨めしく思わずにいられない。

 いつだったか…ジウに訊いたところ、「だって、実際、現実の世界だってそうでしょ?…いくら仮想世界だからって、死にかけたPCが、回復薬で無限に回復できちゃったら…このデスシムのポリシーに反するじゃないですか」…などと真面目な顔で答えていたが、それも「究極にリアルな【死】を追求する」…などという非常に悪趣味なテーマで運営されていることに由来するらしい。

 だから、現実なら死んでもおかしくないような状況で、安易に生きながらえるようなことが出来ないように設定されているのだという。


 攻撃しあぐねている源霊を嘲笑うかのように、それまであまり大きな動きをしていなかった【偽神暗鬼】が、突然に距離をつめてくる。突進…に近い勢いで。

 その衝撃波を身に纏った体当たりを受け止めていたら、今の源霊の防御力では一撃死していたかもしれない。

 実際のところ、自分の背後の樹木に【偽神暗鬼】が激突した衝撃音を耳にしながら、体のバランスを崩して転びそうになった源霊は、自分が奇跡的に衝突を回避して生き残れた幸運を、理由も分からず享受していた。

 

 よく避けることができたものだ。

 実際、【偽神暗鬼】が突進してくる…という危機を感じた記憶はある。

 しかし、その後は、あれこれと考えている間などなく、跳ね上がる心臓の鼓動の感覚だけが記憶として残っているだけで…どう避けたのかなど、まるで覚えていない。


 樹木にめり込んで動きを止めた【偽神暗鬼】。

 考える余裕が出来た源霊が、まず最初に考えたのは…「あぁ。仮想の体でも心臓の鼓動を感じるような仕組みにはなっているらしい」…という、これまでにも何度か考えたことのあるどうでも良いこと。

 次に考えたのは、「死なずに済んで…良かった…」という安堵。そして…


 (こんなふざけたゲーム…別にログアウトしたって構いませんが…でも、あのクリエイターに見下されたまま…退出するというのは…癪にさわりますね)


 この時点では、まだ源霊の「死ねない理由」はこの程度である。

 だが、源霊は誰よりも負けず嫌いだった。

 だからこその地道なレベル上げや修練の積み重ねであり、その結果としてのトップ・プレイヤーとしての君臨なのだ。


・・・

 

 少なくとも、詰め将棋的に【偽神暗鬼】の行動の自由を奪う…という戦術は間違ってはいないだろうと思う。

 事実、先ほどは惜しいところまでは行ったのだ。

 しかし、その手がもう一度使えたとしても…その先の決め手を欠いてはどうにもならない。そして、次を失敗したら…もうMP回復薬は防御魔法に回す分しか残らない。

 最大威力の攻撃魔法でトドメを刺す…という作戦が、果たして正解なのかどうか…実は源霊の中には迷いがあった。

 【偽神暗鬼】のHPの上限は不明だし、防御力についても未知数だ。

 どの程度の威力の攻撃魔法なら、一発で【偽神暗鬼】を滅ぼしきることができるのか?


 いや。そもそも…最強レベルと噂される【偽神暗鬼】に、今、この段階の源霊が習得した魔法で、果たして太刀打ちできるものだろうか?

 デスシムのサービス開始から、内部時間でまだ2か月弱。

 習得の難易度で言えば、儀式魔法に次いで高いといわれる手印魔法までをも、僅かではあるが習得している源霊。しかし、魔法の威力は習得の難易度と正比例というわけでは無いらしく、おそらくは源霊の使える攻撃魔法のレベルは、未だ中級レベル程度であろうと思われる。


 以前、ユノという魔法技術だけに特化して強化を図っている女性PCと協力してクエストに挑んだことがあるが、その時、ユノが「案外、極めれば瞑想魔法こそが、最も威力の高い魔法になるかもしれない」…と語っていたのを、源霊は思い出す。

 ユノが、あれ以降も魔法のみに特化して修練を積んでいれば…或いは【偽神暗鬼】を一撃で倒せる攻撃魔法を身につけているかもしれないが…。


・・・

 

 剣技の修練と魔法の習得、その両方をバランスを取りながら励んできた源霊には、そこまでの自信がどうしても持てなかった。

 倒せないかもしれない…などという疑念を抱けば、それが疑心暗鬼を生じて…それこそ【偽神暗鬼】の思う壺となることは承知していても、心の根底にある不安感を完全に包み隠せるほどの心の強さは、残念ながら源霊にはまだ無い。


 だが、もし、そんな心の強さが源霊にあったなら…今頃、源霊はデスシム世界に生き残っていなかっただろう。不安要素を素直に認めて、それを補うべく回避運動を行わなければ、あっと言う間に弱点を突かれて【死】に追い遣られる。それが、本来の戦いの姿だ。

 心が強い…というと良いように聞こえるが、それは無謀であり、身の程知らずと同義である。不安要素が存在するのに、それを無視して無理な挑戦をするような輩は、この「究極にリアルな【死】を追求する」などという悪趣味なテーマを持つゲームでは生き残れるはずがないのだ。


 しかし…どうする?

 次の行動を選択することが出来ないまま、源霊は一方的に【偽神暗鬼】の攻撃を受けて追い詰められていく。

 このままでは、逆に、源霊の方が選択の自由を奪われていってしまう。

 辛うじて防御しているものの、防御魔法でジリジリとMPを消費しており、このままではジリ貧状態に追い込まれてしまう。


 (…奴なら…どう戦うでしょうか?…)


・・・

 

 畳みかけられる【偽神暗鬼】からの攻撃の衝撃波を、両手で持った愛剣で辛うじて裁きながら、ふと、そんな想いが源霊の脳裏をよぎる。

 奴…とは、誰だ?

 攻撃の回避に脳の処理能力の大半を費やしているため、徐々に源霊の言語野における思考は、普段の理性的なものから散文的なものへとならざるを得ない。


 (あぁ…そうでした。今回は、まだサインインしていないようでしたね)


 しかし、それでも源霊は、いま思い浮かべた相手が誰であるかを漠然と悟る。

 数多くのゲームで、常に源霊とともにトッププレーヤーのポジションを競い合っている…あいつ。

 いつも、源霊よりもずっと遅れてサインインしてくるから、最初のうちは悪意に満ちた中級PCたちからボコボコにされてアイテムやら経験値を略奪されてしまうくせに、気がつくといつの間にかそれらのPCたちに打ち勝ち、それを経験値として急激にレベルをあげてくる…あいつ。


 さんざん略取されておきながら、それを逆恨みすることもなく、その困難をクリアすることさえも楽しんでいる節がある…変態野郎。


 (どのゲームでも常にアスタロトと名乗る…あの鼻持ちならぬ偽善者なら、口癖らしい「強い想い」とやらで不可能を可能にする…とかとほざくのでしょうが…)

 源霊は、何故か、未だこのデスシムにサインインしていないであろうアスタロトのことを思い浮かべる。


・・・

 

 アスタロトとは、「リフュージョン」や「炎の騎士国物語」といったメジャーなMMORPGでトップを競い合った仲だ。

 ライバル…ということになるのだろうが…戦いに対するスタンスには大きな違いがあって、どちらかと言えば実力至上主義の源霊に対して、アスタロトは精神論を前面に押し出して来るところがあって、意見は合わず、何度かぶつかりあったものだ。


 未だ、この世界に存在もしないライバルのことを思い浮かべ、源霊は苦い顔で笑みをこぼす。馬鹿なことを考えたものだが、自分は奴ではないのだ。奴の真似をしようとしたところで大怪我をすることは間違いない。


 【偽神暗鬼】との激しい戦闘中でありながら、そんな余所事を悠長に考えてしまっていた源霊は、時折、愛剣で弾き損ねた衝撃波に腕や肩などの肉をえぐられ血と体液をしぶいているものの、それでも何とか致命的なダメージは回避できていた。


 (…不思議な感覚ですね。考える余裕など無いほどの猛攻であるのに…逆に、今、俺の中には考える余裕が生まれている…)


 まるで、手や足が…源霊とは別個の意志を以て勝手に動いてくれているような感覚。

 そう。古武術を極めた者が時折体感することがあるという…体が覚えた技を自動でトレースするという…アレは、きっとこんな感覚なのだろう。


 左から薙ぎ払うような衝撃波が襲う。源霊の体を右斜め後にスライドさせながら愛剣を素早く左方向に振り払い衝撃をいなしつつ、その勢いを利用して距離を取る。


・・・

 

 その動きも、意図して行ったものではなく、体が自然と反応した結果だと思う。


 あのクリエイターという男は、この世界に生きるプレイヤーたちを、究極にリアルな【死】と向き合わせることで極限状態にまで追い詰め、その時の「心」の動きを観察することにより、人の「心」というものの姿を浮き彫りにしようと考えているようだが…


 (今の俺の体を動かしている…コレは…「心」によるものでは無いように思いますが…さて、あの男はコレを何によるものだと判断するのでしょうかね?)


 源霊は、あまり心理学というものには興味がない。

 だから、自分の意識による言語化可能な行動や思考とは別に、自分の内側に自分でも窺い知ることができない「無意識」というものが存在しているなどと考えたことは無いし、「表層意識」に対する「深層意識」などという概念も学問上の便宜的な仮定であると受け止めている。

 だから、それを積極的に応用して、2重3重に起動してみせる誰かさんのような変態的な技は使えないけれど、しかし、ひたすらクエストをこなし修練を重ねてきた彼の体に宿ったたった一つの「深層意識」或いは「生存本能」は、彼の期待を裏切ることなく、奇跡的な回避運動をこなしてみせてくれる。


 そして、体に回避運動を任せている源霊は、気が付いた。

 さっき、突進を奇跡的に躱したあの時に、自分の愛剣がおそらくは偶然【偽神暗鬼】の腿の横辺りに小さな傷を与えていたということに。そこから滲む青色の血に。

 喜びとともに確信が胸に芽生える。物理攻撃が通る…という事実への確信が…。


・・・ ・・・ ・・・

 

 再々…再…1時間ほど前


 とある酒場の片隅


・・・ ・・・ ・・・

 

 「こちらからスカウトしておきながら申し訳ないんだが…契約完了の最終工程として、ぜひ君の実力のほどを確認させてもらえないだろうか」


 クリエイターは、源霊に向かって何か筒状のものを放り投げながら、口調だけは慇懃に申し出る。

 スカウトを受けるかどうかも含めて、クリエイターの申し出を受けなければならない義務など源霊にはないのだが、きれいな放物線を描きながらくるくると回転して飛来するもの…どうやら一本のスクロール(巻物)のようであるが…を、反射的に源霊は受け止めてしまう。

 ほら、何をしているんだ、早く中身を確認しろよ…と言わんばかりに視線を送られて、仕方なく源霊はそのスクロールを広げて中をみる。


 そして、固まる。


 「…何ですか?…これは…」

 「見てのとおりだよ。美人だろ?」


 そう。美人だった。

 わざわざ何故、巻物の形となっているのか全くもって意味不明だが、広げたスクロールには、輝くような生命感がその力強く美しい瞳から溢れ出ている…そんな形容が似合う美しい女性の顔がフォログラムとなって浮き上がっていた。

 勝ち気さが滲み出ているその瞳は、フォログラムだというのにまるで源霊をジッと見つめているような感じがする。目力がとんでもなく強く、印象に残る女性だ。


・・・

 

 「いや。『美人だよ』…じゃなくて。今の…どんな話の脈絡から、この女性のフォログラムに繋がるというんですか?…まさか…この女性と闘えと?」


 そうクリエイターに訊き返す源霊だが、顔は…いや、その視線はスクロールの中に映し出されている目力美女の瞳に注がれたままだ。

 目が離せない。まさに、そういう状態に源霊は陥っている。ただ、単にフォログラムとして記録された映像を見ているだけだというのに。


 「ん~?そんなことを言うわけがないだろう。もっとも、君がどうしても闘いたいというのなら止めはしないがね。彼女もそこそこには強いハズだから」

 「では?」

 「彼女、もうじき死んじゃうかもしれないんだよ」

 「は?」


 ワケがわからず、さすがに一瞬だけクリエイターの方に視線を向ける源霊。

 しかし、その視線は引き戻されるように再びフォログラムの彼女へと向けられる。


 「いやいやいやいや。『は?』じゃなくて。君と私がこうして呑気に無駄話をしている今も、刻一刻と彼女の身には【死】へと繋がる危機が迫っているのさ。もったいないだろ?…これだけ、生命力に満ちたプレイヤーが、内部時間2か月足らずでこの世界から退場してしまうなんてさ」

 「…言っても意味はないかもしれませんが…敢えて言います。もっと、話は明快に分かりやすくしてもらえませんか?…どういうことです?」


・・・

 

 「だからさ。彼女は中々に強いんだよ。レベルも相当なところまで行ってる。そんな時に、誰とは言わないがあるシステム側の担当者がうっかりと…最強クラスのモンスターが守護するダンジョンの最奥部に彼女によく似合う防御系レア・アイテム…つまり最強のドレスが隠されてる…なんていう情報を話しちゃったりしたもんだから…」

 「…どうせ、その担当者というのは…ジウか貴様のどちらかでしょう」

 「ま。私なんだけどね」


 やっぱり、クリエイターの仕業だった。

 うっかり…などでは無く、意図的にそういう状況に女性を追いやったに違いない。


 「つまり、間も無くこの女性は…その最強クラスのモンスターと遭遇する頃だ…と?」

 「今の彼女の実力では、絶対に倒せるるワケのない相手だからね…あの【偽神暗鬼】という奴は。アレは、内部時間であと数年は倒されることが無いくらいに強い…という設定にデザインされている。すぐに諦めて待避してくれると良いんが…」

 「きっと負けず嫌いなんでしょうね…この女性は…」

 「分かるかね?…まぁ…分かるだろうな。何ていったって、その目力だからね」

 「いえ。俺も負けず嫌いですから。分かるんです。同じ匂いを感じるから」


 もう源霊には、クリエイターが最終的に自分に何をさせようとしているのか分かってきていた。だから、スクロールをさらに広げて、そこに記載されているマップを確認後、自分のコンソールを立ち上げてマップデータを自分のストレージへとコピーする。


 「この女性を救えば良いんですね?…その【偽神暗鬼】から」


・・・

 

 「まだ、失うには惜しい人材なんだ…彼女は」


 自分で、危機に陥るように仕向けておきながら、何を…と思いながらも、源霊はもう面倒だからいちいちツッコんだりしない。

 既に、助けにいく気満々になっているのだ。


 「いいでしょう。俺が助けて見せましょう。…しかし、システム側の担当である貴様が、特定のプレイヤーに有利に働くような手配をするのは…公平性の原則からするとルール違反なのではないですか?」

 「ん?…何が特定のプレイヤーに有利なのかね?」

 「だって、普通なら彼女は一人【偽神暗鬼】に挑み、破れて【死】する運命にあったワケでしょう?…それなのに、システム側の担当の貴様が、彼女を救うべく、私を派遣するわけですから…彼女への特別な優遇措置であるように思いますが?」

 「いや。私の口からは一言も『彼女を救いに行け』だなどという言葉を漏らした覚えはないよ?…ただ、彼女に伝えたのと同じように、高難度クエストのクリアが趣味の源霊君に、最強クラスのモンスター【偽神暗鬼】の出現ポイントの情報を教えただけ。そこで、君が誰と出くわそうが、誰を救おうが…それは君の判断で、私の指示じゃない」

 「なるほど…。そういう屁理屈で押し通すつもりですか。分かりました。俺は、自分の意志で…彼女を救ってみましょう。【偽神暗鬼】を倒す…そのついでに」


 それが、クリエイターが源霊に課した採用試験ということだ。源霊は、それを受ける。

 しかし、源霊は、システム側のPCに成りたいなどと思ったワケではない。

 結局のところ源霊をダンジョンへと向かわせた理由。それは、単純に一目惚れだった。


・・・

 

 「そのマップに示された【偽神暗鬼】の生息地は、『樹木迷路』と名付けられたエリアだ。最奥部に至るまでの道は名の示すとおり迷路のように複雑に入り組んではいるが、君の実力からすれば、特に何の危険もない平凡な森の小道と言って良いだろう。数時間で十分に行って戻ることが可能だから、それほど大がかりな装備で行く必要もない」


 何事にも慎重派の源霊が酒場を出て道具屋や武器屋などを巡って準備にかかろうとするのを、クリエイターは呼び止めて、薄く笑いながらそのように告げる。

 確かに、マップを見るかぎり、現在地から『樹木迷路』までの距離はそう遠くはない。

 近くには、以前に訪れたことのある集落もあるから、転移魔法を修得済みの源霊ならば、あっと言う間に辿り着くことが可能だろう。

 それでも源霊は、金魚のアレのようにしつこく後を付いてくるクリエイターのプチ助言を適当に聞き流しながら、いつもより1つ多めにMP回復薬を購入し、バトルスーツに備えられているオブジェクト・ホルダに収納した。


 そうして、源霊はクエスト用の準備を整えると、クリエイターを追い払うように別れ告げ、転移魔法で一気に『樹木迷路』付近の集落へ飛ぶ。

 平凡な森の小道…とクリエイターが評した通路が、実は全く平凡などではなく、様々な悪意に満ちたトラップだらけだったことは、この話の冒頭に記したとおりだ。


 しかし、源霊よりも一足先に『樹木迷路』へと侵入したハズのフォログラムの女性とは逢えないままに、状況はどんどんと進み…

 そして、迷路を最奥部へ向けて進んでいた源霊の前に闘技場のような空間が広がり、今、源霊は【偽神暗鬼】との闘っている最中である…というワケなのだ。


・・・ ・・・ ・・・

 

 再び、樹木のダンジョン


 …その深奥の闘技場のような空間にて


 源霊 VS 【偽神暗鬼】


・・・ ・・・ ・・・

 

 分身の術か?…と目を疑うほどの速さで位置を変え、衝撃波による攻撃を繰り返す【偽神暗鬼】。

 それを、自分でも笑ってしまうほどの奇跡的な体捌きの連続で回避していく源霊。

 クリエイターと約1時間ほど前に交わした会話を思い返す余裕を持てるほどに、修練を積んだ源霊の体は半自動的に回避行動を取ってくれている。

 その余裕の中で源霊は、例の女性のことを考える。


 (あの女性が、既に【偽神暗鬼】の手にかかって命を落としている…という可能性は、ゼロでしょう。そのような闘いが行われた形跡は皆無でした。…では、あの女性は…いったいどこに?)


 まったく平凡ではない森の小道…を、この闘技場のような空間にたどり着くまでの間、注意深く周囲を観察してきた源霊だが、少なくとも真新しい戦闘の痕跡といえるものは目にしなかった。

 いや。厳密に言えば、この『樹木迷路』の入り口付近の数十メートル区間においては、源霊にも襲いかかってきたのと同じ猿のような動きをするモンスターの死骸が幾つか転がっていたから、誰かが先にこの『樹木迷路』に足を踏み入れたことは間違いがないだろう。

 しかし、百メートルを越えたあたりから、そのようなモンスターの死骸も、戦闘によってまき散らされた樹木の葉も、もちろん力つきて命を落としたPCの姿も…一切、目にすることはなかったのだ。

 必死に回避行動をとっていたうちは考える余裕がなかったが、体が勝手に回避行動をとり始めてくれて、やっと源霊は一目惚れの相手である女性のことを心配する余裕が出てきた。が…


・・・

 

     【ざしゅっ!!…ざっしゅしゅしゅっ!!】


 右…左、右、右、左…突然、攻撃パターンをランダムに変化させた【偽神暗鬼】の左右からのコンビネーション攻撃。

 それまで攻撃パターンを先回りして無理無く左右へと衝撃を逸らしていた源霊だったが、さすがに突然の変化に対応しきれず、辛うじて愛剣の腹を盾にしたものの、体の正面で衝撃を受け止めててしまった。


 後方へと、凄まじい勢いで吹き飛ばされる源霊。

 残り少ないMPを消費して【円環】を重ねがけして、背中から樹壁へ激突する衝撃を防ぐが、防御力場の中でも完全には慣性を殺しきれず、自らが生成した防御力場の内側で出鱈目に攪拌されたような目に遭う。


 「しまった…」


 思わず口に出す。

 今の防御で予想以上にMPを消費してしまった。あと何度かは【円環】と【一線】による防御は可能だが、しかし、先ほどのように【失楽爆炎獄】で取り囲んで詰め将棋式に【偽神暗鬼】を追い込み、さらに一撃で倒すほどの攻撃魔法を放つためには、もう一度たりとも無駄な防御魔法に回すMPは無い。


 ある意味、自分の方こそが詰め将棋式に追い詰められていく現状の中で、それでも源霊は絶望を感じたりはしない。

 これまでにも、このぐらいの状況は何度も乗り切ってきた。そうだ。乗り切ってきた。


・・・

 

 【偽神暗鬼】にトレースされるような不吉な未来を思い浮かべないようにと、源霊は自分に向かって言い聞かせる。

 正統派RPGプレイヤーを自認する源霊は、これまで「暗示」という手段を用いたこともなければ興味をもったことすらなかった。しかし、今、無意識に行っているのは、紛れもなく自己暗示の一種だろう。


 慣れない自己流の暗示。

 だが、源霊は、過去の成功体験を強く思い出し、自信に繋げていく…という一応は理に適った自己暗示法を本能的に行うことで、その自己暗示をより強固なものとする。


 過去の成功体験。

 例えば、今、己が手の中で衝撃波を防ぎ、偶然負わせた傷とはいえ【偽神暗鬼】に出血を強いたこの愛剣。これを手にいれた時のクエストだって、相当に命を削る戦いだった。


 愛剣の名は【七天罰刀しちてんばっとう】。

 剣の形状でありながら、なぜか「刀」と名付けられている不思議な業物だ。

 そして、この剣をドロップしたのは、やはり非常に強大なモンスターだった。

 モンスターの名は【七滅八百鬼ななほろびやおき


 【七滅八百鬼】は、数え切れないほどの同じ姿をした鬼型モンスターの群だった。

 その群を一度殲滅しただけでは退治したことにはならず、7度に渡って滅ぼし尽くさなければ、コンソールにクエスト・クリアーの表示がされないという、極めて厄介な相手だった。しかも、その事実は、クエストをクリアするまで知りようがないことだ。


・・・

 

 だから、【七滅八百鬼】と物理的に闘うだけでなく、それが無限に復活してくるのではないか?…という不安と精神的にも闘いながら7度目の殲滅を無し終えた後で、【七滅八百鬼】が再びポップすることがない…と分かったときには、本当に嬉しかった。

 純粋に闘いに勝利した喜びと、途中で諦めずに倒し尽くしたという自分の精神力への誇りのようなものが、源霊の「心」のレベルをも一段上に引き上げたような気がする。


 (あの時だって、MPはほぼ底をついていたんです。それでも、俺は奴を倒した)


 【円環】の力場の中で振り回されて失った平衡感覚を取り戻すために、源霊は2~3度強く頭を振って内耳のセンサーをリセットする。


 (そして、あの時と違い、俺の手には、奴がドロップしたレア・アイテム【七天罰刀】がある。この剣なら、【偽神暗鬼】にも傷を負わせることができる)


 愛剣を握り締める手に力を込めて、【偽神暗鬼】に向き直る源霊。

 だが、その時にはもう【偽神暗鬼】は、源霊に大ダメージを負わせるべく再び突進を開始しようとしていた。

 その突進をまともに受ければ命は無い。

 しかし、そのプレッシャーが逆に源霊の頭の回転を加速させる。

 プレッシャーが強ければ強いほど、源霊の思考速度はシフトアップしていくのだ。

 これこそが、源霊をして数多のMMORPGでトッププレイヤーと言わしめた理由だ。


 (見えました。勝利への詰め将棋…その手筋が!)


・・・

 

 ほとんど天啓と言えるほどの感覚で、源霊の頭の中に勝利への道筋が浮かんだ。


 (後は、その通りに体が動いてくれることを、信じるのみです!)


 念じながら源霊は、突進からの回避行動を体の本能的な反応に任せ、思考はより確実で強力な魔法を紡ぎ出すための呪文の詠唱へと回す。


     【………楽園を追われる者。暗き果実を囓りて滅べ…】


 体を捻り、転げるようにして突進を避ける源霊。その口から微かに漏れ聞こえる詠唱の第一文目。大声を出す必要はないのだ。実際に口にして、自分の中の呪文へのイメージがより明確に成りさえすれば良い。

 第一文目の詠唱とともに、源霊の左手の中に、赤い球形の光が生まれる。


     【フォービドゥーン・ナップル・エクスプロージョン!】


 その血の様に赤く光る林檎状の球を、自分の胸の前へと引き寄せる源霊。

 呪文詠唱とともに簡易の法印を結ぶ手印魔法の効果も上乗せしようとしているのだ。

 当然、【偽神暗鬼】が再び衝撃波を放ってくるのに備えて、右手は愛剣を中段に構えたままだ。

 そして…


     【失楽爆炎獄!】


・・・

 

 魔法の3文目の詠唱終了とともに、源霊は左手の内にあった光る林檎を【偽神暗鬼】の方に向けて解き放つ。

 まるで前方へと落下?するような加速で、光る林檎は再び突進しようと仕切り直した【偽神暗鬼】の前へと吸い込まれていき…その目前でフラッシュ。

 赤く光る球状のエネルギー塊となって出現する。

 みるみるうちにその直径が拡大し、【偽神暗鬼】の動線を遮る。


 突進を阻まれた【偽神暗鬼】は、即座に左方向へと体をスライド。

 しかし、そのスライドに【偽神暗鬼】が要した一瞬は、源霊に次の【失楽爆炎獄】を発動する猶予を与える。これが、源霊の詰め将棋の第一手。

 その猶予を使って、再び【失楽爆炎獄】で【偽神暗鬼】を取り囲み、先ほどと同じように上方向へと抜け出る以外の選択肢を奪う…それが源霊の思い描いた手筋。

 そして、トドメは愛剣【七天罰刀】を信じた物理的な斬撃。それを、自分か【偽神暗鬼】のいずれかのHPが尽きるまで、ひたすら浴びせるのみ!!


 その勝利への詰め手を実行するため、源霊は立て続けに【失楽爆炎獄】を簡易詠唱…


 「もぅ~。何なのよ、この異様に長い迷路わ~!!…って、あれ?抜け出た?」


 …しようとした直前。

 命を削り合おうとする闘技場には場違いな女性の声が響き渡る。


 「……ん…あぁ!!…アタシの獲物!!…やだ。先を越されちゃったの!?」


・・・

 

 源霊が通ったのとは別の通路が、いつの間にか【偽神暗鬼】の右側の樹壁に開通しており、そこから一人の女性PCが顔を覗かせる。

 その元気過ぎるほどの大きな声のためか…それともスクロールに記録されたフォログラム同様に強すぎる目力のせいか…源霊を追うように体を回転させようとしていた【偽神暗鬼】が、そのターゲットを源霊から外し、その呑気な声を上げた女性PCへと移す。


 「わわわ。やだ。た…タゲられちゃった?」


 オロオロするだけで、有効な戦闘態勢をとることができない女性PC。

 その方向へと【偽神暗鬼】が体の向きを変える。


 源霊の敷いた勝利への詰め将棋の道は、その次手を指す前に儚くも崩れ去る。

 【偽神暗鬼】が「源霊を狙う」という以外の選択肢を得てしまった以上、もう、それ以前の詰め将棋には意味がない。


 だが、源霊は自分の勝利への手筋を崩されたことに腹を立てたりはしない。

 何故なら、クリエイターが言っていたとおり、今の彼女の実力では【偽神暗鬼】の衝撃波を一撃たりとも回避し得ないことが一目瞭然だったから。

 源霊が腹を立てている合間にも、彼女の命が失われてしまうことが確実だったから。


 だから源霊は迷わなかった。

 発動直前までイメージを練っていた【失楽爆炎獄】を、惜しみなく放つ。

 詰め将棋のような時間差での発動などはしない。残りのMPが尽きるまで一気に放つ。


・・・

 

 「わっ。やだ。ちょっと何すんのよ!!…あっ、熱いってば!!」


 放った先は、【偽神暗鬼】と女性PCの間。

 女性PCに致命のダメージを与えないギリギリの位置を狙って、【失楽爆炎獄】で壁を作るように並べていく。

 クリエイターは言っていた。「彼女は中々に強いんだよ」…と。

 それならば、【失楽爆炎獄】の熱波の余波程度なら防御する魔法を修得しているだろう。

 そうでなかったとしても、致命でない熱傷ダメージであれば、治癒できるハズだ。


 (…死なせはしない!)


 この時、源霊の中に衝動のように沸き起こった思いは、その一言のみ。

 自分が【偽神暗鬼】に勝ち、生き残る…という最優先事項よりも、女性PCを守る…その想いの方が上回り、無謀としか言いようのない行動をとらせたのだった。


 フォログラムを見ただけの一目惚れ。

 その程度の理由で、我が身を危険に晒してまで女性PCを守ろうとするだろうか?

 普通ならあり得ないその行動に…しかし、源霊は違和感を覚えることはまるで無かった。

 常に冷静沈着、慎重で完璧主義者ないつもの彼はどこへやら、必死の形相で破れかぶれとも言える無謀な行動に出る源霊。既に言語化されるような、思考は無い。

 その口からこぼれ出るのは、獣のような雄叫び。


 「…ぅぅぅうううぉぉぉぉおおおおおおぅおぅぉうおぅおううぅぅぅぅ!!!」


・・・

 

 複数の【失楽爆炎獄】が形作る炎の壁へと【偽神暗鬼】押しつけるかのように、鬼のような形相となった源霊が突進する。

 先ほどまでと、立場が入れ替わったかのような源霊の突進。鬼と鬼との闘い。


 愛剣【七天罰刀】を肩の高さで構えたまま、体全体で突き刺すように【偽神暗鬼】へと急襲する。

 そのまま、愛剣を突き刺すか、背後の【失楽爆炎獄】の壁へと押し込むことができれば源霊の勝ちだが、流石は最強レベルとうたわれる【疑心暗鬼】。そう簡単にはやられてくれない。左へと体を捻りながら、源霊の突きを躱し、横様に衝撃波を放って来る。


 だが、その衝撃波が源霊の命を救うことになる。

 突きを躱されたまま【失楽爆炎獄】へと飛び込んでいれば、自分の放った攻撃魔法に焼かれて死んでいたのは源霊の方だった。

 HPを半分ほど奪われ吹き飛ばされる源霊だったが、お陰で炎の壁からも【偽神暗鬼】からも距離を取ることが出来た。


 体勢を立て直すや否や源霊は再び【偽神暗鬼】へと飛び込む。

 大上段からの兜割。

 躱す【偽神暗鬼】。そして牙も露わに吠えるように吐き出す口からの衝撃波。

 意表を突くその攻撃を、もはや無我の境地とも言える自動的な体捌きで躱す源霊。

 躱しながらにツバメ返しの如く切り返し、下段から切り上げる。

 後退して避ける【失楽爆炎獄】。衝撃波。避ける源霊。再び中段からの突き。

 攻防は加速していき、実況が追いつかないほどだが、これは僅か数瞬の間の出来事。


・・・

 

 その刹那の間に交わされる激しい攻防に、無傷でいられるハズもなく…

 見る見るうちに源霊の体からは赤い血飛沫が、至る所から霧のように舞い散り…

 しかし、源霊の怒濤の剣撃に、さしもの【偽神暗鬼】も回避が間に合わずに、その体の所々から青い血飛沫を舞い散らしている。


 赤と青。

 幻想のような色の饗宴。


 だが、最高クラスのモンスターに対し、源霊はまだ中級レベルに手が届いたばかり。

 オレンジの領域に半減していたHPは、この数瞬の攻防の間にも見る見るうちに削られて、今やレッドゾーンにまで落ち込んでいる。


 コロサレル…


 その思考は、どちらのものだったか?

 モンスターが弱音を吐くことはないと思うが…しかし、狂ったように愛剣を振るう源霊にも、もはや言語に変換される思考など無くなっているようだったが…


 「でぇぇぇえええぃぃぃいいいいゃゃややああぁおああおあああおあおあおお!!」


 獣化した思考を証明するかのような荒々しい雄叫びと共に、剣を押し込んだのは源霊。

 それに対して、怯んだかのように後退して避ける選択をしたのは…【偽神暗鬼】。

 その後退が、闘いの帰趨を決定した。


・・・


     【ぐぶぅぅうおあぁぁっ!!!】


 乾いた布に火が燃え移ったかのような、奇妙な音が響く。


 炎に顔を照らされ、汗と血に塗れた顔で荒い息を繰り返し、動きを止める源霊。

 その源霊を、静かな瞳で見つめながら…背中を炎に焼かれる【偽神暗鬼】。


 それは、偶然だった。


 【失楽爆炎獄】による壁からは、当然の如く警戒して距離を取っていた【偽神暗鬼】だが、今、その【偽神暗鬼】の背中を燃やし侵していく【失楽爆炎獄】は、源霊が詠唱魔法と手印魔法を併用して発動した最初の一発。

 簡易詠唱だけなら、既に持続時間を経過し消失しているはずのそれ。

 最初の詰め将棋を破ったときの経験から、【偽神暗鬼】はその持続時間を学習し、だから、己の背後にある【失楽爆炎獄】は、後退する直前に消失するものと読んでいた。

 だが、詠唱魔法のみならず、手印魔法をも合わせて発動したそれは、【偽神暗鬼】の読みを裏切り…今、その背をジワジワと炎で侵食していく。


 「…はぁっ…はぁ…はぁ…く…かはぁ…」


 しかし、源霊の体力も…気力も…そこまでが限界だった。

 ゆっくりと体を焼かれながら、それでもまだ立っている【偽神暗鬼】の前に、源霊は崩れるように膝をつく。


・・・

 

 源霊を静かな目で見下ろして、微かに笑う【偽神暗鬼】。

 愛剣を杖のようにして、辛うじて倒れずに済んでいる源霊。


 しかし、源霊は敗北したとは思わなかった。

 少なくとも相打ちには持ち込めたハズだ。【偽神暗鬼】の体は、少しずつではあるが、炭化し、灰へと変わりながら炎に侵食されているからだ。


 ならば、源霊の残された仕事はただ一つ。

 【偽神暗鬼】が燃え尽きるまで、後方の通路に身を隠しているハズの女性PCの方へと近寄らせないように盾となること。


 炎の壁とした【失楽爆炎獄】は簡易詠唱によるものなので、こうしている間にも次々と持続時間を経過して消失していることだろう。


 (…危険を悟って、通路の奥へと…逃げていてくれれば良いのですが…)


 後を振り返る力も残っていない源霊は、【偽神暗鬼】を睨みつけながら祈る。

 その源霊を、【偽神暗鬼】は静かに見つめ…


 「ちょっと、アンタ。そいつを倒して、レア・アイテムを手に入れるのはアタシなんだからね。邪魔しないでよ!!」


 その声と同時に飛来したブーメランに、【偽神暗鬼】の体は両断された。


・・・ ・・・ ・・・

 

 数日後


 とある酒場の片隅


・・・ ・・・ ・・・

 

 「やぁ。どうやら、見事にあの【偽神暗鬼】を倒したらしいね?」


 源霊が、一人で食事をとっているところへ、クリエイターが忽然と姿を表す。

 一般PCたちの転移魔法では絶対に不可能な、予兆も何もない突然の登場。

 しかし、この酒場の店主も客も、もう全員なれてしまっているのか誰も驚くどころか見向きもしない。

 いや。ひょっとしたら…そもそも、このクリエイターという男は自分にしか見えていないのではないだろうか?

 そんなことを思い浮かべながら、源霊はクリエイターへと言葉を返す。


 「…白々しいですね。全部、見ていたんでしょう?」

 「は?何のことかね。…と、待てまて、まちたまえ。そんな怖い顔で睨まないで欲しいな。本当に『見ていた』わけではないんだ。まぁ…全部、知ってはいるがね。君の知らないことも含めて…全部」

 「…それで?…全部を知っているクリエイター様のご判定は…やはり不合格なんでしょうね。俺は、彼女を救うどころか…逆に救われたようなものですから」


 別に怖い顔などしていたつもりのない源霊は、左手で顔を撫でて自分の表情を確認しながら、クリエイターを指の隙間から覗くように見上げて拗ねてみせた。


 「おいおい。君はまた何か勘違いしているようだな。私は君に『実力を確認させて欲しい』とお願いしただけだよ。それで合否を判定するだなんて偉そうなことを言い出すつもりはさらさらない…何だね?その不満そうな顔は」


・・・

 

 「俺は、自分で…納得がいかないんです。彼女を救うと決めておきながら、最後の最後に、一瞬といえども倒しきる前の【偽神暗鬼】の面前に彼女を晒してしまった」

 「まぁ…その件の合否判定は…君が自分の中で好きにすると良い。気休めになるかどうか分からないが、君があの状態まで【偽神暗鬼】を追い込んでいなければ、彼女のアックス・ブーメラン程度の斬撃力ではとても【偽神暗鬼】を倒すことなどできなかった」

 「・・・」

 「それは私が保証する。だから、彼女が目的のレア・アイテムを手にすることが出来たのは…間違いなく君の献身のたまものだよ?」


 何だろう?…クリエイターは、源霊のことを励まそうとしているのだろうか?

 柄にも無い…と自分でも気づいたのか、そう言った後のクリエイターは若干、居心地が悪そうな表情で額をポリポリと掻いた。

 源霊は、肩の力を抜いて…クスり…と微笑むと、独り言のような口調で問う。


 「…そう…ですか。実は、俺は最終的にどうなったのか…意識が朦朧としていたのでよく覚えていないんです。自分がこうして命を失わずに済んでいるということは…おそらく彼女も無事だろう…と自分に言い聞かせて平静を保っていたのですが、やはり、俺を治癒してくれたのは彼女なんですね?」


 しかし、問われたクリエイターの目が泳ぐ。落ち着く無く、キョロキョロと。


 「いや…それは………まぁ、君がそう思うことで幸せを感じるなら…そういうことにしておこうか…本当はごにょごにょ………なんだが…」


・・・

 

 「え?…なんです?」

 「いや。何でもない。あ。そうだ。君も見るかね?…彼女が【偽神暗鬼】から手に入れたドロップ・アイテム。彼女はご満悦であの日以来ずっと着用しているようだが…なかなかにキュートで似合っている…と、私も思うが」

 「見る。出せ。早く」

 「うぉ…おぃ…こ、こら。私のスーツのポケットを勝手に漁るなよ。ほら」


 クリエイターは、【ぱちん】と右手の指を1回鳴らし、虚空からまたしてもスクロールを掴み出す。どうやら、このクリエイターという男は、スクロールに何かこだわりがあるようだ。

 奪い取るようにそのスクロールを手にする源霊。

 もどかしげに、その巻きひもを解いてスクロールを広げる。


 「………」

 「わはははは。声も出ないかね?…よほど彼女に惹かれてしまったようだな」

 「…きゅ…キュートだ」

 「むむむ。まさか堅物の源霊君の口から『キュート』などという言葉が聞けるとは…これはまことに興味深い」


 源霊は、クリエイターの言葉など聞こえないかのように、スクロール上のフォログラムに見とれている。


 そんな源霊を、静かな目で見下ろして…微かに笑うクリエイター。


・・・

 

 「君は優秀だよ。自信を持ちたまえ。十分に優秀だ…。あの【偽神暗鬼】は、本来なら実レベル換算で君よりもう2~30レベルが上でなければ倒せないようにデザインしておいたんだが、それを君は…限界を超えたところの君は…倒す寸前まで行ったのだから」


 静かに語るクリエイター。

 実はとても重要なキーワードがちりばめられた言葉だったのだが、フォログラムの中のキュートな女性に目を釘付けにされている源霊は、それに気づくことはない。

 しかし、クリエイターは静かな目で源霊を見下ろしたままで、言葉を続ける。


 「それに、君の思考のスタイル…行動のパターンは、私やジウとは大きく異なるようだ。それがまた、非常に興味深いところだな。少しばかり君が弱かったとしても、そんな君が必死に生き残ろうと足掻く様を、私は是非、近くで観察したいと思った。きっと、君は、私に『心』とは何か…ということを、より深く理解させてくれるだろう」


 まるで詩でも口ずさむように、クリエイターは源霊に向かって語りかける。

 そして、人差し指を源霊の目の前の机に…【とん】…と打ち付けて…


 「では、源霊君。契約をしよう。今日から…いや、今から君は、システム側のPCとなるんだ。とにかく我々は人手不足でね。是非、私の『右腕』としてその力を貸してくれたまえ。よろしく頼むよ…」


 打ち付けた人差し指をバウンドさせるように源霊の方へと伸ばし、そのまま握手を求めるように手を伸ばす。いや。実際、握手を求めているようだ。


・・・

 

 机を叩く指の音で、夢から覚めたようにスクロールから目を離す源霊。

 差し出されたクリエイターの手を見つめて、そしてクリエイターの顔を見る。


 「さぁ…」


 促された源霊は、自分の胸の高さまで右手を持ち上げる。

 だが、開いたその手を見つめ、考え込むように暫し固まる。


 誰よりも慎重な性格をしており、その慎重さが強さの源ともなっている源霊。

 昔から伝わる慣用句に「石橋を叩いて…」というのがあるが、源霊の場合は「石橋を叩いて検査した上で、さらに念入りに補強工事を施してから…それでも場合によっては渡らない」…という性格である。

 つまり、彼が「戦う」という選択をした時には確実に勝利するし、よほどの巧妙な罠であっても見事に回避して確実に生き残ることができる。それが、彼の強さだった。


 しかし、人間は誰でも必ず間違いを犯す。

 この時の源霊は、十分に慎重に考えたつもりだったが、後にそれが全く十分ではなかったのだと思い返すことになる。


 「システム側のPCとなれば、この彼女の所にだって、堂々と助言や伝達に行くことができるぞ?…それが仕事だからな」


 その言葉が、躊躇する源霊を運命の奈落へと突き落とす最後の一押しとなった。


・・・

 

 クリエイターが顎で指し示したスクロールの中のフォログラムの女性PCは、源霊に向かって微笑みを浮かべている。いや。実際には、彼女はフォログラムの撮影者に向かって微笑んでいるのであるが…源霊は、その簡単なことに気づかないまま、その微笑みに促されるように、クリエイターに向かって同意の頷きをした。


 古風な握手という契約形式には、実質的な強制力が備わっているわけではない。それを一瞬でも躊躇してしまった自分に、「さすがに慎重過ぎるだろう?」…と心の中で苦笑しながら…源霊は、右手を差し出した。

 無意識に、新たな刺激を…システム担当者という立場に求めて…


 「ぐぅ…っ!?」


 いや。別に、差し出した右手をグーで殴られたワケではない。

 確かに、源霊の差し出した右手は、その男の右手に迎えられ…いわゆる握手の形に結ばれたのであるが…。


 「くぁっ…はぁ…っ…!!」


 男に手を握られた瞬間。源霊の全身に、まるで電撃を受けたかのような衝撃が走る。

 いや。だから…別に運命の男性ひとに出会ってしまった…ワケでは無いって。

 この話は、残念ながら?…ソッチ系の話ではないのである。

 しかし、かと言って、源霊の体に本当に電撃が加えられたというワケでも無い。

 源霊の体を今、激しく流れているその刺激の名は…「情報」だった。


・・・

 

 変わる。

 替わる。

 換わる。

 代わる。

 かわる…カワル。


 源霊の認識が変わる。

 源霊の中の一般PC用コンソールが、システム側の担当者用のそれに替わる。

 それに伴って、源霊のデスシムにおける位置づけが換わる。

 それまでジウが受け持っていた役割の一部を、その瞬間から源霊が取って代わる。

 かわる…カワル。


 視界が。

 感覚が。

 認識が。

 知識が。

 限界が。

 各種ステータスの上限が。

 まるで…無理矢理に転生させられるが如く。

 かわる…カワル。


 気のせいだろうか?…いや。目の錯覚…などではない。源霊の体を駆け巡る情報が光の形を取って、彼の体の表面に複雑な光の幾何学模様を幾筋も刻む。


・・・

 

 そして、その光輝く幾何学模様が源霊の体中を埋め尽くし、彼自体が一つの光のオブジェクトと化した。


 眩しい光を、クリエイターは目を細めて静かに見つめる。

 その静かな表情と瞳を照らす光が、波が引くように輝度を薄めていき…

 完全に光が消えた後には、黒いスーツを着た小柄なPCが現れた。


 「…やぁ。どうだね。気分は?」


 クリエイターが、握手していた手を離しながら訊く。

 訊かれた黒いスーツのPCは、自分の手足や体に黙ったまま目線を振って、その姿を確認している。


 「なるほど。システム側のPCになるというのは…こういうコトなんですね」

 「そうだよ。刺激的だろ?…君は今、知らざる者から知る者へ生まれ変わったんだ」

 「人をうどんや蕎麦のように言わないでください」

 「ん?………あぁ…汁物…か…。ふふ。面白くはないが、冗談を言う余裕も持てるほどには、その姿を受け入れることが出来ているようだね」

 「…俺の…元の体は…どうなったんですか?」

 「心配はいらないよ。ちゃんとデータ化してシステム側が管理する特殊なストレージの中に保存してある。君が、システム側のPCとして、ある一定のレベルに達すれば、元の体に戻って一般PCとしてのロールを愉しむことも許されるようになる」

 「…なるほど。俺は、まずは見習いの状態ということなんですね?」


・・・

 

 「まぁ…そういうことになるかな。君流に言えば、見習いの間は、その姿が強制される。一応、システム側のPCという公平かつ公正な立場となったわけだから、それまでのしがらみを捨てて、一般PCと接してもらう必要がある」

 「あぁ…。それで、今、俺の登録名が…ブランクの状態に初期化されているというわけですか。誰かと利害関係にあるかもしれない『ディ・源霊・アモン』のままでは駄目だというわけなんですね。…で?…俺の名前は…誰が付けてくれるんです?」

 「君が自分で決めて良いよ」

 「………そう言われても…すぐには思いつきませんし…別に何でも結構ですが…」

 「そうかい。じゃぁ、私が決めてやろう。そうだな…うん。君には、是非、私の右腕として大いに役立ってもらいたい。だから…漢字名で『右腕』か…片仮名で『ミギウデ』…とか…どうかな?」


 クリエイターが面白そうに提案すると、生まれたばかりの見習いシステム側PCは複雑な表情で黙り込んだ。

 しばらく悩むように沈黙していた彼だが、やがて首を横に振りながら口を開く。


 「…いや。俺は、【偽神暗鬼】を倒しきることもできませんでした。…ジウの…足下にも及ばない…という言葉も、その通りだということを…この体を得て知りました。そんな未熟者の俺が、ジウを差し置いて『右腕』などとは…名乗れません」

 「そんなに卑屈にならずとも良いと思うんだがな。それに、『右』という言葉には、『正義』とか『公正』とか…『表の』とかいった、システム側のPCに相応しい意味が込められているんだよ。胸を張って名乗れば良いじゃないか」

 「いえ。駄目です…そんな意味があるなら、なおさら。俺など…『右端』で十分です」


・・・

 

 こうして、新たなシステム側のPC…右端が誕生した。

 この時点では、まだジウを始めとするシステム側PCに激しい憎悪を抱くには至っていない、澄んだ瞳を持つPC…通称「ミギハシ」。真の名は「ディ・右端・アモン」。


 彼こそが、後のデスシム第2段階、つまりメジャーアップデート後に設けられたTOP19(トップ・ナインティナー)のランキング第1位「ディ・左端・アモン」こと「ヒダリハシ」である。


 そして、彼が「樹木迷路」で出会った女性。

 彼女の名はフウウ…漢字名で「風雨」という。ミギハシを一瞬で一目惚れさせるほどの生命力の輝きを放つ彼女は、しかし、この僅か数ヶ月後…メジャーアップデートを迎える日には、既にこのデスシム世界の人では無くなっている。

 まだ、白目と黒目が反転していない…キラキラと輝く澄んだ瞳を持つミギハシ。

 何故、彼の目の配色が反転したのか?…何故、ジウは表情を失っているのか?…どうして、フウウはこの世界から消えたのか?

 その原因となった悲しい出来事が起こるのは、内部時間で数ヶ月先のこと。

 その悲しい出来事が、ミギハシをシステム側のPCではなくしたばかりか、名をヒダリハシに変える理由となったのだが…この時のミギハシには、そのような悲しい未来を予見する能力などあるわけもなく…。


 「…至らぬとは思いますが、よろしく指導を願います。俺は、もっと強くなりたい」


 ジウと良く似た中性的な顔に決意の色を浮かべ、ミギハシはクリエイターに頭を下げた。


・・・

 

 そしてミギハシは、やや上目づかいで眩しそうに目を細める。

 別に太陽の光が眩しいというワケではない。そもそも、ここは酒場の片隅である。

 ミギハシが見ているのは、自分のひたいの裏側あたりに映っているかのように常時展開されているシステム側のPC専用のマインド・コンソールだ。

 一般のPCでも額裏にコンソールを呼び出すことは可能だが、今、ミギハシが見ているものと比べれば、それはとてもシンプルに見えることだろう。


 マインド・フォーカシング・メニューが採用されているため、ミギハシが興味を示した部分が他の部分より一際大きく克明に描画される。

 一見すると多くの機能が複雑にひしめいているような印象もあるが、使いやすいように各種機能がカテゴリー毎に整理されているらしく、意識を向けるとサブ・メニューが次々と自動的に展開して、必要な機能とそれをコントロールするためのパラメータやアイコンがフォーカスされてクローズアップする。

 コンソールの閲覧に夢中なミギハシを、クリエイターは笑いながら見守る。


 「はははは。興味津々という感じだな。だが、気をつけたまえ。コンソールにばかり気をとられていると…周りからは相当にマヌケな表情に見えているぞ。…いや。マヌケ…というより危ない奴…という感じか?」

 「…ほとんどのコマンドが、グレーアウトしているようですが…これらは機能しない…ということでしょうか?」


 マヌケやら危ない奴やらと酷い言われようにも関わらず、お構いなしでミギハシはクリエイターに問う。彼は、新しいオモチャに夢中だった。


・・・

 

 「さっき君が自分で言ったとおり、君はまだ『見習い』の状態だ。君のレベルに合ったコマンドしか使えないよ。君は一般のプレイヤーとしては、まぁ…中々に優秀だったが、そうだな…おそらく現状で使えるコマンドは『空間転移コマンド』と『回復コマンド』…そのぐらいじゃないかな?」


 それを聞いて、ミギハシの目の焦点が戻り、クリエイターの方へと向けられる。

 ガッカリしたのかと思ったが、どうやらそうでは無いようだ。少し考えるような表情をしてから、ミギハシはクリエイターに訊いた。


 「………ジウは、これらのメニューを全部、使いこなせるのですか?」

 「ん?…ジウの奴かい。どうだろう?…アイツは一応、私の手の者の内では…筆頭の補佐官ということになっているが。中々に底を見せない曲者でね。私にもアイツが今どのぐらいのレベルにあるのかを完全には把握していないんだ」

 「そうですか。それは…」

 「ガッカリしたかね?…自分が一気に下っ端に成り下がったみたいで」

 「いいえ。楽しみです…俺は、まだまだいくらでも強くなれるということですよね?」

 「…お?…おぉ。そうだよ。グレーアウトしたコマンドは強く成らなければ使えないが、それらを使えるようになれば…さらに強くなれる」

 「システム側のPCにも、レベルアップの楽しみがあるのなら…最初に言っておいてくれれば…俺は、もっと早く貴方の誘いに了解していたのに…」

 「ふふふふ。君は、噂通りに廃人クラスのゲーマーだね。約束どおり退屈させずに済んだようで良かったよ。因みに、ステータスを見て気付いたと思うが…一般PC同様、システム側のPCにも…【死】は等しく訪れる仕様だから無茶は禁物だよ?」


・・・

 

 クリエイターが薄く笑いながら、ミギハシに忠告する。

 このデスシムというゲームのシステム側の担当者たちは、皆、【死】というキーワードを語るときだけ…妙に不気味な雰囲気を身に纏う。

 自分も…同じようになるのだろうか?…ミギハシは、それだけを少し嫌だな…と思った。 だが、そんなことより今は、早くもっと多くのシステム担当者用メニューを使用可能にできるようなりたい。その思いの方が何倍も強く、だから、ミギハシはクリエイターにこう訊いた。


 「…で?…システム側の担当者というのは…どうすればレベルを上げられるんです?」


 質問としては、まぁ…もっともな質問だ。だが…


 「甘えるなよ」


 クリエイターの答えは冷たい。

 忘れてはいけない。システム側の担当PCとなったということは、もうミギハシはクリエイターの部下になったということなのだ。

 厳しい上司の表情で、クリエイターはミギハシを突き放す。


 「それを考えることも…君の修行の内だよ。君はこれから、システム側が用意した仕様やシナリオの一歩外側を土俵としてやっていくんだ。私が教えた方法を単になぞって行けばレベルが上がるなどと考えるのは…甘すぎるよ。君は、君の方法で強くなりたまえ。それが裏技だろうと何だろうと構わない。…君の限界を…越えたところを見せてくれ」


・・・

 

 何のヒントも与えないなど、無茶な話だと言える。

 だが、クリエイターは、困難な状況に置かれた時の、限界を越えたところに生まれる「心」の予期せぬ働きを見たいのだ。それが、クリエイターがこのデスシム世界に存在する理由だから。それを見ることで、クリエイターは人の「心」の構造と誕生の秘密を解き明かそうとしているのだから。


 「…わかりました。では、取りあえず、使えるコマンドだけでも…実際に使ってみて、色々とそこから何かを掴みとってみましょう。…甘えて済みませんでした。では、失礼します。クリエイター」


 理不尽に叱られたミギハシは、だが、背筋をピンと伸ばしてクリエイターに謝罪し、そして、初めての「空間転移コマンド」を実行した。

 忽然と消えるミギハシ。

 取りあえず「空間転移コマンド」の実行方法は、教わらずとも理解できたようだ。

 ミギハシの消えた跡の空間を、クリエイターは無表情に眺めやる。


 「随分と、真面目なんですね…彼は」


 クリエイターの後のテーブルから、ジウが声を掛けてくる。

 ずっと気配を消してそのテーブルに座っていたのか?…それとも、今、忽然と現れたのか?…とにかく、こういった唐突な問いかけをするのが、システム側のPCに共通した悪癖だといえよう。

 しかし、それに驚くことなく、クリエイターは困ったように苦笑してジウに答える。


・・・

 

 「真面目なものか。あの野郎。まんまと食い逃げしやがった。私に、この料理の支払いを押しつける気に違いない」

 「あはははは。まぁ、源霊君にそんな器用な詐欺行為が出来るとは思えませんから、悪気はないと思いますが。いいじゃないですか。どうせ、この酒場全体が、今回、源霊君をスカウトするためにクリエイターが用意した仮設ステージだったんでしょ?」

 「ふん。まぁな。どのみちおごってやるつもりではあったが…せめて、礼ぐらいは言って欲しいものだ…と、ジウ、間違うなよ。彼はもう源霊ではないぞ」

 「あぁ…。そうでした。ええと…右端…になったんでしたね。随分と、奥ゆかしいポジションを名乗るものですね」

 「ふん。お前と違って、その辺は彼の方が身の程をわきまえているということだ」


 冷たく非難されて、ジウは少し悲しそうな表情になる。

 その表情のまま、不満げな口調でジウは言う。

 この時点でのジウは、まだ豊かな表情を持っていたのだ。


 「私だってとても謙虚なんですけどね。信じてくれとは言いませんが。ところで、右端君は、風雨君のことを随分、気に入ったようですね」

 「あぁ…一目惚れしたようだな」

 「…一目惚れ…しますかね?…普通。あんな怪しげなスクロールに記録されたフォログラムを見たぐらいで、一目惚れなどできないと思うんですが…。アバターのデザインを自由にカスタマイズできる仮想世界では、風雨さんのリアルがどんな顔をしているのかすら保証は無いわけですし…」

 「わかってないな。お前は」


・・・

 

 ジウと背中合わせの椅子に腰掛けたまま、クリエイターは背もたれに片腕だけを引っかけて体を横様に捻ってジウの方へと振り返る。


 「下心丸出し…どころか、体の90%以上が下心で構成されているお前と違って、ミギハシ君はリアルの世界でいかがわしい真似をしようだなんていう発想を、これっぽっちも持っていない。彼は、純粋にこの世界で強い光を放つ彼女の目力に惚れたんだ」

 「はいはい。そう仕向けた貴方が仰るなら…そういうことなんでしょう。ですが、本当に、ミギハシ君に何も教えてやらないつもりなんですか?」

 「あぁ。教えるつもりはない。彼には、可能性というものを見せて欲しいんだ」

 「可能性?」

 「そう。可能性。彼はね、一般PCとしてはともかく、システム側のPCとしては最弱だよ。彼は人の『心』が持つ、強力な力の存在にまだ全く気づいていない」

 「そういえば、見事なくらいに簡単に暗示にかかっていましたね」


 ジウの指摘に、クリエイターは大きく頷く。


 「そうだ。ミギハシ君は、心理戦に関しては全くの素人レベル。深層意識や暗示という技術のことなど何も知らない。だから、簡単に暗示にもかかるし、面白いように行動を操ることができる」

 「そう聞くと…まったくシステム側のPCとしては見込みなしに聞こえますが?」

 「…だが…それにも関わらず彼は【偽神暗鬼】を倒した」


 クリエイターの言葉に、ジウは複雑な表情で黙り込む。


・・・

 

 「お前とも、私とも違った何かを…ミギハシ君は持っているのかもしれない。ならば、私はそれを見てみたい。これまでに無い新しい『心』の構造を、彼は私に提示してくれるかもしれないんだ。しばらくは、彼から目が離せないよ。私は」

 「貴方の目的が何なのか…私は存知上げませんが…本当に貴方は『心』への興味が強いですね。『心オタク』?…それとも『心フェチ』?ですか?…変態ですね」


 減らず口をたたくジウを、舌打ちとともに睨みつけるクリエイター。

 しかし、次に開いた口から出たのは、怒りの言葉ではなく、全然別の話題だった。


 「ところで、ジウ。お前は、『アスタロト』…というプレイヤーを知っているか?」

 「…アスタロト…?…いいえ。この世界のプレイヤー・リストを検索しても、そのようなキャラクター名を持ったPCの登録はありませんね…?…それは、クリエイター。貴方にもお分かりでしょう?」

 「あぁ。分かっているさ。だから、私が聞いているのは、このデスシム上で…ではなくて、『リフュージョン』や『炎の騎士国物語』など、別のメジャー・タイトルで活躍するプレイヤーの話だ」

 「…で?…仮にその『アスタロト』君が見つかったとして…何を?」

 「決まっているだろう?…招待するんだよ。源霊君…もとい…ミギハシ君がライバルと目する相手らしい。仮想対実時間レートが低いとはいえ、早くサインインしてもらわないと、他のプレイヤーとの実力差が離れ過ぎてしまうからな」


 そして、クリエイターはジウに指示を出す。アスタロトを招くために。

 こうして、デスシム世界を舞台とした物語は、ゆっくりと動きだそうとしていた。


・・・


デスシムシリーズのサイドストーリーです。第1話&2話は、TOP19ランキング1位の彼の過去。

かなり悩み苦しみながら、何度も書き直しました。

頭の中にある構想を、作品としてまとめることの難しさを痛感しています。

一人でも面白いと思ってくださる方がいらっしゃれば良いのですが…


ここ1か月ほど絶不調で、執筆が遅々として進みません。

他の書きかけのシリーズの次話も書かなければならないのですが…頑張ります。


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