第7章 第194話 安らぎを与える人々
ルーンベルクを発つ準備を進めていた俺たちのもとへ、アルテシア王国から一件の調査依頼が届いた。
「不安が消える祈り……ですか?」
俺は冒険者ギルドから渡された報告書を読み返した。
魔物の異常進化で大きな被害を受けた王国西部の町。
そこへ避難している人々の間で、最近になって見慣れない一団が活動しているらしい。
食料を配り、怪我人の世話をし、家を失った者の相談に乗る。
それだけなら、むしろありがたい救援活動だ。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。
『祈りを受けた者の多くが、強い不安や恐怖を訴えなくなった』
「治療魔法なのでしょうか?」
セレスが報告書を覗き込む。
「現地の神官が確認したそうですが、既知の回復魔法や精神安定魔法とは違うみたいです」
「なら、調べる価値はありますね」
エリシアが眠たげだった目をわずかに細める。
「魔力の異常が各地で起きている時期です。無関係とは限りません」
「でも、悪い人たちって決まったわけじゃないんだよね?」
フィーナの言葉に、俺は頷いた。
「うん」
不安を和らげること自体は悪いことじゃない。
苦しんでいる人を助けるのも同じだ。
セレスも静かに言った。
「心が限界まで疲れている時は、休むための助けが必要です。不安を軽くすることそのものを、危険だと決めつけるべきではありません」
「拙者も同意でござる」
アイリスが頷く。
「ただし、己の生き方まで誰かへ預けることになれば話は別でござるが」
「まず現物を見ねえとな」
レティシアが腕を組んだ。
「妙な術なら、仕組みの方にも何か残ってるかもしれねえ」
善意に見えるから正しいとも限らない。
怪しく見えるから敵だとも限らない。
実際に見て、話を聞いて、確かめる。
【鑑定】で分かることも、その中の一つだ。
俺たちは王国西部へ向かうことにした。
*
町へ着いたのは翌日の午後だった。
城壁の外には、今も避難民用の天幕が並んでいる。
けれど、以前のような混乱はない。
配給所には列ができ、治療所には案内板が立ち、子どもたちの一角からはカルタを取る声まで聞こえてきた。
「取った!」
「早いよ!」
思わず足を止める。
俺がここへ来る前から、もう遊びは届いていた。
「ユウトお兄ちゃん、あっち」
フィーナに袖を引かれた。
広場の端で、白い布を肩へ掛けた男女が炊き出しをしている。
「温かいうちにどうぞ」
「無理に話さなくても大丈夫ですよ」
「今は休んでください」
声は穏やかだった。
子どもへ食事を渡し、年寄りの荷物を運び、泣いている女性のそばに座る。
「……普通に親切ですね」
セレスが言う。
「ええ。少なくとも、今見えている範囲では」
エリシアも警戒を解かないまま答えた。
俺たちはまず、祈りを受けたという避難民へ話を聞くことにした。
一人目は年配の男性だった。
「楽になったよ」
そう言って笑う。
「夜になるたび魔物が来る夢を見てな。あの人たちに祈ってもらってから、ぐっすり眠れる」
「これからどうされるんですか?」
俺が尋ねると、男性は少し首を傾げた。
「それも相談してるところだよ」
「故郷へ戻るとか、別の町へ行くとか?」
「俺が決めるより、あの人たちに聞いた方が間違いないだろう」
違和感が残った。
二人目の若い男性も似ていた。
「仕事ですか? それも導いてもらいます」
「自分では?」
「考えると、また苦しくなるので」
三人目。
四人目。
全員ではない。
祈りを受けても、自分で今後を考えている人もいる。
けれど一部には、明らかに選ぶことそのものを避け始めている人がいた。
「……ユウトお兄ちゃん」
フィーナの耳が伏せられていた。
「うん」
「この人たち、楽になってるのは本当だと思う。でも……自分で決めようとしてない人がいる」
その言葉を、俺は否定できなかった。
セレスはしばらく考えた後、口を開く。
「不安が強すぎれば、判断できなくなることはあります。休めば自分で考えられるようになる場合もあります」
「じゃあ、まだ祈りのせいとは限らない?」
「はい。だから、祈りの前後で変化を見たいです」
決めつけない。
それでも調べる。
俺たちは、広場で行われる祈りを見ることにした。
*
祭壇と呼ぶには簡素な台の前へ、一人の女性が座った。
幼い子どもを連れている。
「夫が亡くなって……家は東の村に残っています。でも戻れば、また魔物が来るかもしれません」
女性は膝の上で手を握り締めていた。
「王都へ行くことも考えました。でも仕事が見つかるか分からなくて……子どもを連れて、何を選べばいいのか……」
白布の男が、静かに頷いた。
「今すぐ決めなくてもいいのです」
女性が顔を上げる。
「あなたは十分に苦しみました。少しだけ、その重さを下ろしてみませんか?」
「……できますか?」
「ええ」
男が両手を重ねる。
淡い光が灯った。
エリシアが小声で言う。
「神聖魔法に似ています。でも魔力の流れが違う……術者自身の魔力だけではありません」
「精霊の気配もねえな」
レティシアも目を細めた。
俺は光へ【鑑定】を使った。
【対象:名称不明の祈祷術式】
【分類:精神系干渉術式】
【作用:不安反応の低下】
【情動反応:幸福感の上昇】
【思考活動:一部低下】
【術式中核:解析不能】
【神格由来情報:遮蔽されています】
「……神格」
思わず声が漏れた。
セレスが女性を見つめる。
さっきまで強張っていた肩から力が抜けていく。
「楽……」
女性が息を吐いた。
泣きそうだった表情が、穏やかな笑顔へ変わる。
「ずっと、考え続けていたんです」
「今は休んでいいのですよ」
男はそう言った。
それだけなら、俺にも否定できなかった。
けれど女性は続けた。
「東へ戻るか、王都へ行くかも……また相談していいですか?」
「もちろんです」
「私、自分で決めるのが怖くて……」
「急ぐ必要はありません。あなたが苦しまない道を、一緒に探しましょう」
優しい言葉だった。
だからこそ、引っかかった。
思考活動の低下。
神格によって隠された術式中核。
そして、祈りを受けた一部の人々が、自分の選択を他人へ預け始めている。
それでも。
「ヴォイドと関係があるとは、まだ言えません」
俺は五人へ小声で告げた。
「ええ」
エリシアが頷く。
「共通点はあります。しかし、証拠ではありません」
「まずは受けた人をもう少し診たいです」
セレスが言う。
「不安が軽くなることと、考える力まで弱くなることは別ですから」
フィーナは女性を見たまま、小さく呟いた。
「……楽になるのは、悪くないよね」
「うん」
「でも、また自分で決められるようになるなら、その方がいいと思う」
俺もそう思った。
その時だった。
「旅のお方」
声を掛けられた。
振り向く。
先ほど祈りを行っていた男が、俺たち六人へ穏やかな笑顔を向けていた。
その視線が、一瞬だけ俺のところで止まる。
「遠くから来られたのですね」
「分かるんですか?」
「装備を見れば、少しは」
男は笑った。
「あなた方も、お疲れなのでしょう」
否定できない。
「ここでは、誰も無理をする必要はありません」
男は祭壇のそばを示した。
「苦しみを抱え続ける必要もありません」
そして、どこまでも善良そうな声で告げた。
「よろしければ――あなた方も、少し休んでいかれませんか?」
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