第6章 第189話 ダンジョンそのものの異変
魔法王国ルーンベルクの地下に広がるダンジョンは、明らかにおかしくなっていた。
魔物の数が多いだけではない。
普段なら深層からほとんど動かない魔物まで、上へ、上へと押し上げられている。
「ユウトお兄ちゃん、また来る!」
フィーナの白い耳が鋭く立った。
俺より早い。
まだ姿も見えないうちから、フィーナは通路の奥へ顔を向けている。
「五……ううん、七体。重い足音が三つ。残りは軽いよ。でも変なの。みんな、こっちを追ってきてる感じじゃない」
「どういうことですか?」
エリシアが尋ねる。
「逃げてるみたい。後ろを気にしながら上へ走ってる」
数秒後、暗い通路から魔物が飛び出した。
前を走るのは四体のコボルト。
その後ろには、分厚い皮膚へ粗末な金属片をまとった巨体が三体。
俺は視界に入った一体へ【鑑定】を使う。
【種族:アーマードオーガ】
【危険度:B】
【状態:興奮・軽度魔力循環異常】
【特徴:高筋力・高耐久】
【外皮:高硬度】
【魔力循環:一部に乱れあり】
【一部情報:解析不能】
「B級が三体です」
俺が告げるより早く、アイリスが刀を抜いた。
「硬い外皮でござるか」
先頭のアーマードオーガが棍棒を振り上げる。
アイリスは正面から受けない。
半歩だけ踏み込み、振り下ろされた棍棒を紙一重でかわした。
巨体の膝が沈む。
その瞬間。
「動く以上、継ぎ目まで硬くはできぬ!」
刀が右膝の内側を正確に斬り裂いた。
巨体が崩れる。
俺が【鑑定】で確認すると、関節周辺の防御は確かに外皮より薄い。
でも、それを見つけたのは俺じゃない。
「さすがです、アイリス」
「実戦であれば、相手が教えてくれることも多いでござる!」
二体目がアイリスへ向かう。
俺は横から飛び込み、その腕を剣で逸らした。
「エリシア!」
「分かっています」
短い返事と同時に風が弾けた。
狭い通路いっぱいへ広げるのではない。
三体目の足元だけを横から払う。
体勢を崩した巨体へ、レティシアが盾ごと突っ込んだ。
「でかけりゃ強いってわけじゃねえ!」
轟音。
壁へ叩きつけられたオーガの頭部へ、アイリスの柄が落ちる。
俺も残った一体の膝を斬り、倒れたところへ剣を突き立てた。
数分もかからなかった。
だが、問題は倒した魔物ではない。
フィーナが通路の奥を見つめたまま、尻尾を低くしていた。
「やっぱり変だよ」
「まだ何か聞こえる?」
「いっぱい。でも……上に行ってる」
「上へ?」
「うん。下から来て、みんな上へ向かってる。フィーナたちを探してる音じゃないよ」
俺は倒れたアーマードオーガを見る。
こいつらも、俺たちを見つけたから襲ってきたというより、逃走経路に俺たちがいたから戦闘になったように見えた。
「下に、こいつらが逃げる理由がある……?」
「可能性はありますね」
エリシアが壁へ手を当てる。
すぐに眉を寄せた。
「ここでも魔力濃度が上がっています。ですが……単純に濃くなっているだけではありません」
「分かりますか?」
「もう少し下で確認したいです。魔力の流れそのものがおかしい気がします」
その時だった。
「た、助けてくれ……!」
脇道から掠れた声がした。
フィーナが真っ先に反応する。
「人!」
俺たちはすぐに駆け込んだ。
そこには三人の冒険者が倒れていた。
一人は意識がある。
残る二人も呼吸はしているが、全身に傷を負っていた。
セレスはいない。
ダンジョン入口で増え続ける負傷者の治療を続けている。
だから、今ここでできることを俺がやる。
「動かないでください」
まず見る。
呼吸、出血、意識、骨折の可能性。
それから必要な部分だけ【鑑定】する。
【種族:人族】
【状態:負傷・強度疲労】
【外傷:右大腿部裂傷・複数打撲】
【出血:中度】
【骨折:なし】
【毒:検出なし】
【魔力循環:局所的な乱れ】
【未解析の魔力反応:微量】
傷は深いが、今すぐ命を失う状態ではない。
俺は止血を優先した。
原因不明の魔力反応には触れない。
分からないものを、分かったつもりで治そうとしない。
それはセレスが何度も実践してきたことだ。
「止血します。魔力の乱れには手を出しません。入口まで戻ればセレスが診てくれます」
「助かる……」
「三人とも運べるか?」
レティシアが周囲を見る。
通路の奥から足音。
だが、それは俺たちへ近づいてこない。
「簡易担架を作る。ユウト、そこの折れた柄を寄越せ」
レティシアは倒れた冒険者の壊れた槍と予備の外套を使い、手早く二つの簡易担架を組み上げた。
「さすがですね」
「鍛冶師にとっちゃ、物を直すだけが仕事じゃねえ。使えるもんを使える形にするのも仕事だ」
そこへ、上層側から複数人の足音が近づいた。
「誰かいるか!」
ルーンベルクの救助隊だ。
フィーナがすぐ返事をする。
「こっち! 負傷者三人!」
合流した冒険者たちへ、俺は負傷状況だけを伝えた。
「右大腿部に深い裂傷。止血済みです。三人とも毒は確認されていません。ただし魔力循環に乱れがあります。入口の治療所へ」
「分かった!」
担架を引き継いだ彼らが上層へ戻っていく。
レティシアはその背中を見送ると、盾を担ぎ直した。
「よし。これでアタシも残れるな」
「その方が心強いです」
「最初から置いてく気はねえよ」
俺たちはさらに下へ進んだ。
第四層。
第五層。
降りるほど、異常ははっきりした。
壁に埋め込まれた魔石の光が安定していない。
青白い光が弱まり、数秒後には急激に強くなる。
一定ではない。
「止まって」
フィーナが片手を上げた。
全員が足を止める。
「どうした?」
「臭いも違う」
「臭い?」
「上の魔物より、下から来る魔物の方が変な臭いが強いの。血でも腐った臭いでもないよ」
白狼族でない俺には分からない。
だからこそ価値がある。
「エリシア」
「私も確認します」
エリシアが壁際へしゃがみ込む。
指先を近づけた瞬間、その表情が変わった。
「……ユウト」
「はい」
「見てください」
壁内部の魔力光が膨らみ、細くなり、また膨らむ。
鼓動のように見えるが、生き物の動きじゃない。
魔力脈そのものが、周期的に膨張と収縮を繰り返していた。
俺は壁の一部へ【鑑定】を使う。
【対象:ダンジョン壁内部魔力脈】
【状態:魔力循環異常】
【魔力濃度:基準値を大幅に超過】
【循環経路:複数箇所で不規則な変動】
【魔力構成:非同質反応を含む】
【非同質反応:解析不能】
【一部情報:解析不能】
「やっぱり……」
エリシアが目を細める。
「何が分かりました?」
「魔力が増えているだけではありません」
彼女は壁を走る光を指で追った。
「ダンジョン本来の魔力循環へ、別の性質を持った流れが割り込んでいます。結果として循環そのものが乱され、魔力が正常に流れず、一部へ偏っている」
「それで魔力濃度が上がってる?」
「少なくとも、それなら今見えている現象は説明できます。ただし、何が割り込んでいるのかまでは分かりません」
「黒い濁りと関係あるかな?」
フィーナが聞く。
俺はすぐには頷かなかった。
「似た違和感はあります。でも、同じものだとはまだ言えません」
ゴブリンロード。
オークキング。
そして今度はダンジョン。
共通している可能性は高くなっている。
それでも、可能性と事実を一緒にはできない。
突然、フィーナの耳が伏せられた。
「来る!」
直後。
下層から響いた咆哮が、通路全体を揺らした。
風圧が階段を駆け上がってくる。
「この声……」
アイリスが刀へ手を掛ける。
巨大な影が、階段下からゆっくり姿を現した。
翼。
長い尾。
岩のように厚い鱗。
だが、その身体は明らかに普通のワイバーンより大きい。
俺は【鑑定】する。
【種族:エルダーワイバーン】
【危険度:A】
【状態:興奮】
【推定生存年数:約8年】
【進化要因:長期生存・高密度魔力の継続吸収・多数の戦闘経験】
【魔力蓄積量:進化段階に対して不均衡】
【魔力循環:異常活性】
【未解析の魔力混濁:あり】
【一部情報:解析不能】
「八年……?」
エリシアの声が低くなる。
「エルダーワイバーンへの成長は、通常なら数十年単位の蓄積が必要です」
まただ。
必要な年月と、実際の生存期間が合っていない。
ワイバーンが首を持ち上げた。
喉の奥に魔力が集まり始める。
俺たちの後ろには上層へ続く一本道。
その先には、負傷者が集められた入口がある。
エリシアが魔力の収束を見て息を呑んだ。
「ユウト。あれをこの通路で撃たせてはいけません」
「はい」
狭い一本道なら、ブレスの威力は逃げない。
上へ向かって一直線に抜ける。
俺は剣を構えた。
ゴブリンロードだけじゃない。
オークキングだけでもない。
異常な進化をしている魔物が増えた――それだけなら、まだ魔物を倒せばよかった。
けれど今、目の前にある異変は違う。
魔物だけではない。
ダンジョンそのものまで、何かに侵され始めている。
そして、その異常な魔力を吸った魔物が、本来なら届かないはずの姿へ進化している。
エルダーワイバーンの喉がまばゆく輝いた。
「――ここで止めます」
次の瞬間、膨大な魔力が解き放たれようとしていた。
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