第5章 第157話 精霊が消えた場所
北東の森へ踏み込んでしばらくして、ユウトは違和感の正体に気付いた。
静かなのではない。
足りないのだ。
普段ならエリシアが魔力を広げるだけで、興味を示した小さな精霊が近寄ってくる。葉の隙間を漂う淡い緑や、露のような青い光。それが、ここには一つも見えない。
エリシアも同じことに気付いていた。
「……いませんね」
杖を握る指へ、わずかに力が入る。
「精霊が?」
「ええ。少ないのではなく、この周囲にはほとんど感じません」
フィーナが耳を立て、鼻を鳴らした。
「動物も道の近くにいないよ。匂いは残ってるけど、途中で引き返してる」
「皆、この辺りを避けているのでござるか」
アイリスが周囲へ視線を走らせる。
「まだ断定はできません」
エリシアは地面へしゃがみ込んだ。
「まず魔力の流れを見ます」
ユウトも土へ【鑑定】を向ける。
【対象:森林土壌】
【状態:一部変質】
【含有魔力:低下】
【自然魔力循環:不安定】
【異物反応:微量】
【詳細:解析不能】
「魔力が少ない」
「やはり」
エリシアが土へ指を触れる。
目を閉じ、しばらく動かない。
「……流れ込んではいるんです」
「でも減ってる?」
「ええ。普通なら木々の根や地脈を通って巡るはずの自然魔力が、途中から戻ってきません」
「どこへ行ってるかは?」
「まだ分かりません」
ユウトも表示を追った。
不足していることは分かる。
循環が乱れていることも。
だが、その先が見えない。
エリシアは立ち上がった。
「地脈を追います」
「分かる?」
「この辺りなら」
彼女は短く答え、前へ出た。
杖先を地面すれすれへ向けながら、木々の間を縫うように進む。
真っ直ぐではない。
何度も立ち止まり、ときには大きく迂回する。
ユウトには、【鑑定】で見えるのは断片的な数値と状態だけだった。
だがエリシアは、その土地で魔力がどう流れるべきかを知っている。
「俺には数字にしか見えないな」
思わず呟くと、エリシアが振り返った。
「地脈は地図と似ています。形を覚えてしまえば、多少乱れていても癖が残るんです」
「じゃあ任せる」
一瞬だけ彼女の目が柔らかくなった。
「はい。少し調べてみましょう」
さらに奥へ進んだところで、今度はセレスが止まった。
「待ってください」
足元には、淡い紫色の葉を持つ薬草が生えている。
葉先だけが茶色く変色していた。
セレスは一枚を指で挟み、表と裏を確かめる。次に茎へ触れ、最後に土を少し掘って根を確認した。
「水分は足りています。虫も病気も見当たりませんね」
隣の株とも見比べる。
「でも、若い葉から弱ってる……」
ユウトが【鑑定】する。
【名称:月雫草】
【状態:衰弱】
【水分:正常】
【病害反応:なし】
【根部魔力吸収:低下】
「根から魔力を取り込めてない」
「それなら説明がつきます」
セレスは周囲も調べた。
薬草だけではない。
苔。
低木。
まだ細い若木。
どれも完全には枯れていないが、生育が鈍っている。
「この状態が続けば、植物だけの問題では済みません」
「動物も困る?」
フィーナが尋ねる。
「はい。食べるものが減れば、生き物は別の場所へ移ります。魔物も同じです」
フィーナの耳が少し下がる。
「じゃあ、もっと広がったら大変だね」
「そうですね。ただ、今は原因を決めつけないようにしましょう」
セレスは弱った月雫草を慎重に根ごと掘り出した。
「比較用に正常な株も一つ採ります」
レティシアが容器を差し出す。
「土も分けとけ。同じ草でも地面が違えば話が変わる」
「ありがとうございます」
異常地点の土と、少し離れた場所の土。
セレスは別々に封じた。
「戻ったら比較できます」
先へ進むにつれ、森の空気はさらに重くなった。
やがて木々の間に、小さな空白が現れる。
直径十数歩ほど。
そこだけ下草がほとんどない。
中央には一本の古木が立っていたが、葉の多くが落ちている。
「……嫌な場所だな」
レティシアが低く言った。
フィーナも足を止めた。
「匂いが変」
「腐ってる?」
「違う。燃えてもない。でも……空気が重い」
ユウトは空間へ【鑑定】を使う。
【対象:局所魔力環境】
【状態:異常】
【自然魔力濃度:著しく低下】
【循環:遮断】
【外部干渉:あり】
【干渉源:――】
最後の表示が揺らぎ、そのまま消えた。
「また見えない」
「干渉源が?」
「うん」
その時。
「待ってください!」
セレスが中央の古木へ駆け寄った。
根元に、小さな光が落ちている。
手のひらほどの淡い緑。
ほとんど消えかけていた。
「森精霊……」
エリシアの声から、いつもの余裕が消えた。
セレスはすぐに触れず、膝をつく。
「エリシアさん。近づいても大丈夫そうですか?」
「……はい。嫌がってはいません」
「では見ます」
セレスがそっと手を近づける。
「外傷は見当たりません。光の揺らぎが弱いですね」
ユウトも【鑑定】した。
【種族:森精霊】
【状態:衰弱】
【魔力:極低】
【外傷:なし】
【契約:なし】
【原因:周辺自然魔力の枯渇による活動維持困難】
「怪我じゃない。魔力が足りないんだ」
「なら普通の回復魔法では駄目です」
セレスは迷わなかった。
「必要なのは、この子が受け取れる魔力です」
エリシアが杖を下ろす。
「精霊へ直接魔力を渡す術があります。ただし、一方的には使えません」
「精霊が受け入れないと駄目なんだね」
「ええ」
エリシアは精霊の前へ座った。
「聞こえますか。少しだけ魔力を渡します。嫌なら拒んでください」
すぐには反応がない。
エリシアは待った。
やがて消えかけた光が、ほんの少しだけ彼女の杖へ寄った。
「……大丈夫です」
エリシアが既存の精霊魔法を発動する。
彼女の魔力が直接流れ込むのではなく、精霊が受け取れる自然魔力に近い形へ整えられていく。
ユウトはその構造へ【鑑定】を向けた。
【魔法系統:精霊魔法】
【効果:精霊への魔力供給】
【発動条件:対象精霊の受諾】
【必要条件:精霊との意思疎通】
【人族による再現:条件付き可能】
術式そのものは理解できる。
再現の仕組みも追える。
けれど、ユウトには今、精霊側から受け入れる意思が向けられていない。
構造が分かることと、使えることは別だった。
エリシアから少量の魔力が流れ込む。
消えかけていた光が、わずかに強くなる。
「そこまでです」
セレスが言った。
エリシアは即座に止める。
「もう少し入れられます」
「入れられることと、入れていいことは別です。弱っている時ほど急に満たすのは危険です」
「……なるほど」
エリシアが素直に頷いた。
精霊はまだ動けない。
だが光は安定した。
「ここから出しましょう」
「うん」
ユウトが答えた、その直後。
フィーナの耳が大きく跳ねた。
「……いっぱい来る!」
アイリスが剣へ手を掛ける。
「敵でござるか?」
「違う!」
森の奥から、枝を折る音が連続して響く。
「逃げてる!」
次の瞬間、木々の間から小動物たちが飛び出してきた。
兎。
鹿。
小型の魔物。
本来なら互いを警戒するはずの生き物たちが、周囲を見る余裕もなく同じ方向へ走り抜けていく。
六人は誰も追わなかった。
その異様な光景だけで十分だった。
エリシアが、動物たちの来た方向を見つめる。
「……向こうです」
精霊の光が途切れた森の奥。
そこだけ、木々の根元が不自然なほど暗く見えた。
ユウトが目を凝らした時には、もう何もなかった。
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