第5章 第143話 持ち帰るもの
グランバルドを発つ前日、《アカシックレコード》は王立工房組合から届いた最後の調査依頼を受け、都から半日ほど離れた旧採掘坑へ向かっていた。
娯楽商品の量産規格は、すでに複数の工房へ試験運用が引き継がれている。庶民向け、一般向け、富裕層向けの三つに分けても、安全性と遊びやすさだけは落とさない。盤や札の最低限の寸法、壊れやすい金具の基準、職人が手元で確認できる見本も用意された。
六人の装備も、それぞれの戦い方へ合わせた強化を終えている。
本来なら、あとは旅立つだけだった。
しかし、古い鉱山記録の整理中、王立工房組合が気になる報告を見つけた。
何十年も前に封鎖された坑道で、採掘された鉱石の一部が黒く変色し、作業に入った鉱夫たちが頭痛や倦怠感を訴えたという記録である。
「この辺りだな」
先頭を歩いていたレティシアが足を止める。
坑口は山肌へ半ば埋まり、太い木材と鉄板で塞がれていた。
フィーナが鼻をひくつかせる。
「鉄と土の匂いがすごいね。でも……奥に、ちょっと変なのが混ざってる」
「前に見つけた黒い魔石と同じ?」
ユウトが尋ねると、フィーナはすぐ首を振った。
「分かんない。似た感じは少しするけど、あれそのものって言えるほどじゃないよ。金属の匂いの奥に、鼻がぴりっとする感じがあるだけ」
「それで十分だよ。ありがとう」
断定しない。
それは、これまでの調査で何度も学んだことだった。
レティシアが封鎖板を確認し、鉄金具を叩く。
「腐食はあるが、外から崩れた形じゃねぇな。昔の封鎖がまだ残ってる。入るなら補強してからだ」
ユウトは封鎖材へ【鑑定】を使う。
【対象:旧坑道封鎖設備】
【状態:経年劣化】
【主要破損:木材腐朽・固定金具腐食】
【再使用:不可】
【周辺岩盤:一部不安定】
「右上の岩盤が弱ってる」
「見りゃ分かる。だから先に支えるぞ」
レティシアは即座に支柱の位置を決めた。
ユウトが情報を見つけても、安全に坑道へ入れる形へ変えるのは、現場を知る者の仕事だ。
仮設支柱を組み、入口周辺だけを開く。
内部へ踏み込むと、湿った岩と古い金属の匂いが濃くなった。
坑道の奥までは進まない。今回許可されているのは、封鎖地点付近の確認だけである。
「ここです」
セレスが壁際を指した。
崩れた木箱の下に、黒ずんだ鉱石片がいくつか残っている。
ユウトは一つへ視線を向けた。
【対象:鉄系鉱石】
【状態:異常変質あり】
【表層:黒化】
【内部構造:一部変質】
【異物反応:検出】
【詳細:解析困難】
【発生原因:特定不能】
「魔石じゃない」
ユウトが呟く。
それが今回、一番重要な違いだった。
これまで黒く濁った異常が確認されたのは、主に魔物の体内から得られた魔石だった。
だが、目の前にあるのは自然の鉱脈から掘り出された鉱石だ。
レティシアが手袋越しに別の欠片を持ち上げ、断面を睨む。
「焼けじゃねぇな。酸化とも違う。鉱毒が染みたなら表面からもっと均一に変わる」
小さな槌で端を軽く叩く。
乾いた音とともに、黒い部分だけが細かな粉になって崩れた。
「こっちも妙だ。普通なら割れ目に沿って落ちる。だが黒い所だけ脆くなってやがる」
ユウトが断面を【鑑定】する。
【黒化部分:局所的脆化】
【周辺部:通常範囲】
【変質境界:不規則】
【原因:特定不能】
「レティシアの言う通りだ」
「だったら記録しとけ。『黒いから全部同じ』じゃなくて、『自然鉱石にも異常変質があった』ってな」
エリシアが頷く。
「重要ですね。魔物を経由しなくても異常が残る可能性が出ました。ただし、同じ原因とはまだ証明できません」
「昔の鉱夫の症状も確認しましょう」
セレスが古い記録の写しを開いた。
「頭痛、倦怠感、食欲低下。ですが、坑道では換気不良や鉱毒でも似た症状が出ます。この鉱石が原因とは断定できません」
「でも、共通点として残しておく?」
ユウトが聞く。
「はい。病名も原因も決めません。ただ、同じ場所で同じ時期に起きた事実として記録します」
それが医療者としてのセレスの答えだった。
さらに奥は古い崩落で塞がれている。
隙間の向こうは光も通らない。
ユウトは足元へ落ちていた金属札へ目を向けた。
【対象:旧坑道管理札】
【材質:鉄合金】
【状態:重度腐食】
【刻印:一部判読可能】
【内容:第三区画・採掘停止・奥部封鎖】
「奥にも区画があったみたいだ」
「今日は行かねぇぞ」
レティシアが即答した。
「崩落の向こうを調べるなら、採掘組合と救助班を入れてからだ。好奇心で坑道を掘り返す場所じゃねぇ」
「うん。そのつもり」
持ち帰るべきものは、答えではない。
自然鉱石にも黒い異常が残っていたこと。
鉱夫たちに体調不良の記録があること。
そして、それらを結びつける証拠はまだないこと。
分からない部分を、分からないまま正確に残す。それもまた知識だった。
坑道を再封鎖し、調査結果を王立工房組合へ渡す。
夕方、六人はレティシアがかつて修行していた工房へ立ち寄った。
年老いた師は、提出された再現合金の製法記録と量産規格の見本を最後まで黙って読んでいた。
「終わったか」
「終わったっていうより……次に持ってける形にはした」
レティシアが答える。
「合金も、一人だけ作れても意味がねぇ。玩具の規格も同じだ。誰かが使って、直して、次へ渡せる形じゃねぇとな」
師は返事をせず、レティシアの右手を見た。
鍛冶だけをしていた頃とは違う槌だこ。
剣を握り、盾を支え、旅を続けた手。
やがて視線を、壁へ立て掛けられた彼女の槌へ移す。
「次に帰ってくる時は、弟子面するな」
「は?」
「自分の答えを持って帰ってこい。職人としてな」
レティシアは一瞬だけ目を見開いた。
そして、口の端を上げる。
「言われなくてもそのつもりだ」
師も、それ以上は何も言わなかった。
工房を出ると、ユウトは隣を歩くレティシアへ声を掛けた。
「また帰ってきたい?」
「当たり前だろ。まだ試してぇ素材もあるし、師匠に見せつけてぇ物もある」
「可愛い小物も?」
「それは別だ!」
反射的に怒鳴ったあと、レティシアはユウトを一瞬だけ見上げた。
目が合う。
すぐに顔を逸らし、歩幅だけが少し速くなった。
「……ったく。余計なこと覚えてやがる」
声は怒っているわりに、どこか弱かった。
翌朝。
《アカシックレコード》はグランバルドの大門を出た。
背後では煙突から煙が上がり、遠くても槌音が聞こえる。
失われた合金の再現方法。
六人それぞれへ合わせた装備。
職人が受け継げる記録。
娯楽商品を広げるための規格。
そして、まだ答えの出ていない黒い鉱石。
得たものは一つではなかった。
「次は獣王国ガルディアだね!」
フィーナが先頭へ駆け出し、途中で振り返る。
いつもの笑顔だった。
けれど、国境へ近づくにつれて街道ですれ違う獣人の姿が増えると、その白い耳が何度も動いた。
狼系の獣人。
猫系の獣人。
大きな角を持つ者。
尾を揺らしながら荷車を引く者。
これまでの旅でも獣人と出会ってきた。
それでも、獣人が当たり前のように道を行き交う光景は違って見えるらしい。
「フィーナ?」
「ううん。なんでもない!」
そう答えながらも、フィーナはもう一度、前を歩く獣人たちを見た。
その表情には不安よりも、確かめたいという色があった。
グランバルドでレティシアが自分の故郷と向き合ったように。
次の国では、フィーナ自身が、自分の歩いてきた道を見つめることになる。
六人を乗せた馬車は、獣王国ガルディアへ続く街道を進んでいった。
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