第5章 第133話 鍛冶王国グランバルド
ルーンベルクを離れて六日目の昼過ぎ、《アカシックレコード》は山々の間に築かれた巨大な城塞都市を見下ろしていた。
黒灰色の城壁。その上には、後から何度も交換できるよう分割された金属製の補強板が並んでいる。城門へ続く街道の脇には鉱石を運ぶための細い軌道が敷かれ、荷車ほどの鉱石箱が次々と都市へ吸い込まれていた。
街の奥から立ち上る無数の煙突。
そして、風に乗って届く炭と熱した鉄の匂い。
カァン、カァン、と。
遠く離れていても、金属を叩く槌音が絶えず聞こえてくる。
「……帰ってきたな」
レティシアが呟いた。
その指先が、聞こえてくる槌音に合わせるようにわずかに動いていた。
身体が昔の仕事のリズムを覚えているのだろう。
「レティシア、本当にここで育ったんだね」
フィーナが白い耳を立てる。
「ああ。生まれも育ちもここだ」
「じゃあ、お家もある?」
「実家はな。まあ、そこは後だ。まずは冒険者ギルドに顔を出す」
アイリスが横顔を見る。
「故郷へ戻るとなれば、やはり心が騒ぐものでござろう」
「別に騒いじゃいねぇよ」
「でも、歩くの速くなってますよ」
セレスが笑う。
「……気のせいだ!」
さらに歩幅が広がった。
城門を抜けると、ユウトはすぐに、この国がルーンベルクとはまるで違う方向へ発展してきたことを理解した。
街そのものが巨大な工房だった。
通りの両側には鍛冶場、金属加工所、工具店、鉱石商、魔道具部品店が並んでいる。
剣や鎧だけではない。
鍋、農具、釘、扉金具、歯車、針、車輪の軸。
中央通りには冷却用の水路まで引かれ、いくつもの工房が枝分かれした水を焼き入れや設備冷却に使っていた。
「武器だけじゃないんだな」
「当たり前だ」
レティシアが胸を張る。
「鍛冶ってのは戦う奴のためだけにあるんじゃねぇ。農具も鍋も橋の金具も、暮らしに必要なら何でも作る」
その声には、明らかな誇りがあった。
歩いている途中、向かいから来た年配の職人がレティシアを二度見した。
「おい……レティシアじゃねぇか?」
「あ?」
「やっぱりそうだ! いつ戻った!」
「今だよ。相変わらず声でけぇな」
「そりゃこっちの台詞だ!」
別の工房からも顔が覗く。
「帰ってきたのか!」
「腕は鈍ってねぇだろうな!」
「誰に言ってやがる!」
レティシアは次々と飛んでくる声へ悪態を返していたが、その口元は隠しきれないほど緩んでいた。
ここでは、冒険者レティシアではない。
街を出る前から彼女を知る者たちがいる。
それだけで、ユウトには少し新鮮だった。
途中の資材店で、ユウトは棚に積まれていた銀灰色の地金へ目を向けた。
【対象:低魔力伝導鋼】
【品質:良】
【魔力伝導性:低】
【加工適性:良】
「わざと魔力を通しにくくしてる?」
「そこが売りだ」
レティシアがすぐ答える。
「魔道具だって、全部の部品に魔力を流しゃいいわけじゃねぇ。外殻や隔壁まで通ったら、漏れたり暴走したりする。流したくねぇ場所には、流れにくい材を使う」
「なるほど……」
エリシアも興味深そうに覗き込む。
「ルーンベルクでは魔力伝導性の高さが価値になる場合が多いですが、こちらでは逆の性質も技術として使い分けるのですね」
「いい物ってのは、一番強い材料のことじゃねぇ。使う場所に合ってる材料のことだ」
その言葉を聞きながら、ユウトはますます街を見回した。
「ユウトお兄ちゃん、また顔が楽しそう!」
「分かる?」
「すごく!」
「健全ですね」
エリシアだけは真顔で頷いた。
一方、セレスは通りの端に置かれた救急箱と水桶へ目を向けていた。
「工房ごとに火傷用の冷却水と包帯を置いているんですね」
「ああ。火と刃物と重量物だらけだからな。腕のいい奴ほど、安全を軽く見ねぇ」
やがて一行は冒険者ギルドへ到着した。
カードを確認した受付職員が、すぐに奥へ連絡を走らせる。
「《アカシックレコード》の皆様ですね。お待ちしておりました」
「もう話が?」
「ルーンベルクから活動報告が届いております。それと、王立工房組合から面談希望が」
「王立工房組合?」
「国の工房と鉱山をまとめてる連中だ」
レティシアが答えた。
「職人の認定も、大仕事の割り振りも、重要な技術調査もあそこを通る」
受付職員が一枚の依頼書を差し出す。
【依頼種別:技術協力】
【依頼内容:古代鍛造資料および再現合金の調査】
【対象:未再現合金】
【試作状況:失敗継続】
【危険性:中】
【機密指定:あり】
「古代合金か……」
ユウトより先に、レティシアの顔が引き締まった。
「どこの工房だ?」
「中央王立工房です。なお、面談にはレティシアさんが以前修行されていた工房からも職人が参加します」
一瞬だけ、レティシアが黙った。
「……師匠も来るのか?」
「参加者までは伺っておりません」
「そうか」
答えは短かった。
だが、腕を組んだ指に少しだけ力が入っている。
「会いたくないの?」
フィーナが素直に聞く。
「違ぇよ」
レティシアはしばらく考えたあと、息を吐いた。
「昔、師匠の言う通りに打てば、確かにいい武器はできた」
その声から、さっきまでの軽さが消える。
「だが、『なんでここで火を落とす』『なんでこの回数叩く』って聞いても、“代々そうしてるからだ”で終わることがあった」
「それが嫌だった?」
「ああ。理由があるなら知りたかった。理由がねぇなら、もっといいやり方があるかもしれねぇ」
レティシアは自分の掌を見る。
「それで外へ出た。実戦で自分の武器を使って、知らねぇ鉱石を触って、他国の技術も見たかった」
「もっと強く鍛えるため?」
ユウトが聞くと、レティシアは笑った。
「当たり前だ!」
その夜。
宿へ、王立工房から研究用の試作品が一本届けられた。
短い黒銀色の金属棒。
表面には細かな亀裂が走っている。
ユウトが手を伸ばそうとすると、その前にレティシアが拾い上げた。
「……変だな」
「何が?」
彼女は棒を灯りへかざし、爪で表面を軽く弾く。
澄んだ音ではなく、微妙に濁った響きが返った。
「表面の割れ方は冷やしすぎた時に近い。だが、この音は芯に粘りが残りすぎてる時の音だ」
「両方?」
「普通ならなかなか一緒には出ねぇ」
そこで初めて、ユウトも【鑑定】した。
【対象:古代合金再現試作品】
【品質:失敗作】
【組成:一部解析可能】
【内部状態:不均一】
【破損要因:複数】
【魔力反応性:高】
【製法条件:現物のみでは特定不能】
「……本当だ」
「何が見えた?」
「材料の一部と、中が均一じゃないこと。でも、どう作れば正しくなるかまでは出ない」
「だろうな」
レティシアが楽しそうに笑った。
「完成品ってのは、材料の名前だけじゃ作れねぇ」
ユウトは棒を受け取り、改めて亀裂を見る。
「材料が合ってても割れるんだな」
「火の入れ方、混ぜる順番、叩く速さ、冷ます時機、全部で変わる」
「じゃあ、明日はそこから調べる?」
「いや」
レティシアが首を振った。
「まず失敗する」
「え?」
「連中が何年も再現できてねぇ物を、初見で一発成功させる気か?」
「……それは確かに」
「一度同じ条件で打って、どこで狂うか見る。それから変える」
レティシアは失敗作を机へ戻した。
「武器は嘘をつかない。失敗作だって同じだ。割れたなら、割れた理由がどっかに残ってる」
そして、にやりと笑う。
「明日はまず、ちゃんと失敗しに行くぞ」
古代合金を完成させるための第一歩は、正解を当てることではなかった。
自分たちの手で失敗し、その失敗が何を教えているのかを確かめることだった。
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