第5章 第123話 遊びながら覚える魔法
魔法王国ルーンベルクへ入ってから、ユウトが最も驚いたのは、魔法そのものではなかった。
通りを照らす魔道具、荷物を運ぶ魔法具、店先に並ぶ魔導書。アルテシア王国より魔法が生活へ深く入り込んでいることも確かに珍しい。
だが、それ以上に目につくものがあった。
「また議論してるね」
王立魔法学院の中庭を歩きながら、ユウトは足を止めた。
木陰では学生たちが魔導書を広げ、黒板代わりの石板へ術式を書いている。少し離れた場所では別の学生たちが、教師を囲んで詠唱について議論していた。
「ここでは珍しくありません」
エリシアがいつもの眠そうな目を少しだけ細める。
「魔法を使うだけでなく、なぜ発動するのかを考える者が多い国ですから。もっとも、考え方は学派ごとにかなり違いますけれど」
「同じ魔法でも?」
「ええ。例えば魔力を一点へ集める操作一つでも、どの段階を重視するかで説明が変わります」
エリシアは宙へ指を滑らせた。
「火球を作る場合、先に術式の外殻を安定させ、その内側へ魔力を圧縮する考え方があります。逆に、先に魔力密度を高め、それから形状を固定する考え方もあります」
「結果が同じでも、作り方が違うんだ」
「そういうことです。だから面白いんですよ」
最後の一言だけ、声が少し弾んだ。
ユウトは思わず笑う。
魔法の話になると、エリシアは本当に分かりやすい。
「ユウトお兄ちゃん、あれ!」
先を歩いていたフィーナが尻尾を大きく振った。
中庭の一角で、数人の学生が木札を囲んでいる。
「あれ、カルタじゃない?」
近づいてみると、やはり見覚えのある形式だった。
読み札を一人が読み上げ、ほかの学生が対応する札へ手を伸ばす。
ただし、描かれているのは肉や宿屋、薬草ではない。
炎、水滴、渦巻く風、術式の一部。
横には「火」「流路」「圧縮」「収束」など、魔法に関係する言葉が記されていた。
「王都から持ち込まれた札を見た学生が、教師へ頼んで魔法用語を書いた札を作ってもらったそうです」
案内役の学院職員が説明した。
学生たち自身が新しい遊びを生み出したわけではない。
ユウトが広めたカルタという既存の形式へ、教師が授業内容を当てはめているだけだ。
「興味深いですね」
エリシアがしゃがみ込む。
一枚の札を取った。
そこには炎の絵とともに「詠唱」と書かれている。
読み札には、
『魔法を発動するために必要な言葉』
とあった。
その瞬間、一人の学生が首を傾げた。
「先生。この前、上級生が訓練場で詠唱せずに魔法を使っていました。それなら、これっておかしくないですか?」
教師が言葉に詰まる。
エリシアは札を裏返し、静かに頷いた。
「間違いではありませんが、正確でもありませんね」
「どういう意味ですか?」
「詠唱は魔法の発動そのものに絶対必要なのではなく、術式構築や魔力操作を補助する手段です。熟練者なら省略できる場合もあります」
教師が難しい顔になる。
「ですが、それを最初から説明すると初学者には……」
「だから、簡単にする場所を選ぶ必要があるんです」
エリシアは読み札を指した。
「『魔法を発動するために必要な言葉』ではなく、『魔法の発動を助けるために唱える言葉』ならどうでしょう」
学生がもう一度読み、納得したように頷く。
「それなら、詠唱しない人がいても変じゃないですね」
「ええ」
ユウトはそのやり取りを見ながら、王都でカルタを作った時のことを思い出していた。
簡単にしすぎれば間違いになる。
正確にしすぎれば覚えにくくなる。
薬草カルタでも同じ問題があった。
「魔法用も、ちゃんと作れば役に立ちそうだね」
ユウトが言うと、エリシアがこちらを見る。
「ちゃんと、という部分が重要です」
「うん。作ったから正しいとは限らない」
「魔法は特にそうです。一文字、一工程の誤解が事故につながります」
ユウトは少し考えた。
「だったら、元のカルタと同じように読み札と取り札を使って、学院で確認した内容だけ載せるのはどうかな」
「それだけでは足りません」
すぐに返事が来た。
エリシアは数枚の札を並べる。
「魔法用語をただ暗記するだけでは、意味がありません。最初は属性別ではなく、どの魔法にも関係する基本操作を分けた方がいいでしょう」
「基本操作?」
「魔力を流す。止める。集める。広げる。形を保つ。そういったものです」
そこから先は、完全に研究者の顔だった。
「例えば『収束』という言葉だけ覚えても駄目です。何を、どこへ、どの程度集めるのかまで理解しなければ実際の術式では使えません。逆に、初心者へ細かな学派差まで教える必要もありません」
「じゃあ、最初は共通部分だけ?」
「はい。その後で属性別、術式別へ分けるのが自然です」
「なるほど……」
「それと、用語の呼び方が異なる学派もあります。同じ現象なのに別の名称を使う場合がありますから、そこも統一ではなく併記した方がいいでしょう」
ユウトは思わず感心した。
カルタという形を思いつくことはできる。
だが、それを魔法教育の道具へ変えるには、自分だけでは足りない。
エリシアだから見える問題がある。
「難しい話になってきたー」
フィーナが札を覗き込み、耳をへにゃりと倒した。
「でも、全部簡単にしたら駄目なんだよね?」
「そうですね」
「じゃあさ、フィーナでも分かる言葉と、聞いても全然分かんない言葉を分けたら?」
エリシアが瞬きをする。
「……いいですね」
「えへへ!」
「初学者がどこで止まるのかを確認できます。理解度ごとに段階を分ける材料になります」
フィーナの尻尾が誇らしげに揺れた。
「前だったら、分かんなかったらそのままやめてたけどね。今は聞けばいいって分かったもん!」
ユウトは小さく笑った。
「じゃあ、フィーナにも試してもらおう」
「任せて!」
午前中いっぱいを使い、教師や学生にも協力してもらいながら、二十問分の試作用札を整えた。
取り札には単語と簡単な図。
読み札には短い説明。
エリシアが魔法理論を確認し、学院の教師が授業内容との食い違いを指摘する。フィーナは難しすぎる表現を見つけ、セレスは誤解した場合に危険がないかを見る。
アイリスは札を取りながら真剣な顔をしていた。
「これは油断すると難しいでござるな」
「遊びなのに真剣すぎない?」
「勝負である以上、手は抜けぬ」
「そういうところだよ、アイリス」
レティシアが豪快に笑った。
昼を過ぎる頃には、最初よりずっと分かりやすい札になっていた。
だが、完成ではない。
むしろ問題点が見え始めたところだった。
それでもユウトは、それでいいと思った。
試して、間違いを見つけ、直していく。
知識は最初から完成しているものではない。
「ずいぶん楽しそうな授業だな」
背後から低い声がした。
振り返ると、長い杖を持った老魔導師が立っていた。
その視線は、机の上の木札へ向けられている。
「魔法とは、長い修練と厳格な理論によって身につけるものだ」
声に嘲笑はなかった。
むしろ、真剣だった。
「不正確な理解は、時に本人だけでなく周囲まで傷つける。過去にも、簡略化された術式解説を鵜呑みにした学生が事故を起こしている」
エリシアの表情から、わずかに眠たげな色が消える。
老人は木札を一枚持ち上げた。
「その危険を知った上で問おう」
鋭い眼差しが、ユウトとエリシアへ向けられる。
「遊びながら覚えるという方法が、本当に魔法教育にふさわしいと証明できるのかね?」
ユウトは答える前に、隣のエリシアを見た。
彼女は木札を一枚手に取り、静かに笑った。
「ええ。ですから――まずは確かめてみましょう」
ルーンベルクで最初の、本当の魔法研究が始まろうとしていた。
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