第5章 第121話 魔法王国ルーンベルク
国境門を越えた瞬間、ユウトは思わず足を止めた。
街道沿いに並ぶ魔法灯。荷車の横を音もなく進む浮遊式の運搬具。屋台では保温用の魔道具が湯気の立つ鍋の温度を一定に保ち、少し離れた広場では学生らしい若者たちが地面へ魔法陣を書きながら議論している。
「すごいな……」
「王国より、魔法が生活へ深く入り込んでいますね」
エリシアの声は普段通り穏やかだったが、眠たげな目だけはいつもより開いている。
ここは魔法王国ルーンベルク。
魔法理論と魔道具研究において世界最高峰と呼ばれる国だった。
「ユウトお兄ちゃん、あれ!」
フィーナが指差した先には露店があり、古びた魔導書が何十冊も積まれていた。その隣では二人の学生が、本の値段より中身の術式について熱心に言い争っている。
「魔導書まで普通に売ってるんだね」
「内容によりますが、基礎理論書なら珍しくありません。むしろルーンベルクでは、魔法を学ばない方が少数派でしょう」
エリシアはそう答えながら、明らかに露店の魔導書へ視線を奪われていた。
「後で見に行きましょうね」
セレスが微笑む。
「……ぜひ」
即答だった。
国境で冒険者カードを確認した兵士も、《アカシックレコード》の名を知っていた。
王国内で複数の救助や討伐を成功させたBランクパーティー。そして、見たことのない盤上遊戯や木札を広めている一行。
そんな認識らしい。
「妙な遊びを作る冒険者だと聞いております」
「妙じゃないよ! 面白いんだよ!」
頬を膨らませたフィーナだったが、兵士が「この国でもリバーシを置く宿が増えております」と続けると、耳がぴんと立った。
「ユウトお兄ちゃんが来てないのに?」
「商人が運んできたそうです」
フィーナはしばらく目を丸くしていた。
「……ちゃんと、先に歩いてるんだね」
その言葉に、ユウトも胸の奥が少し温かくなる。
自分たちが直接作らなくても、誰かが作り、誰かが運び、別の土地で誰かが遊ぶ。
王国で望んだ形が、すでに国境を越え始めていた。
もっとも、今回ルーンベルクを訪れた理由は娯楽だけではない。
王国内で発見された黒く濁った魔石と、古代の石柱。そして、【鑑定】すら遮る不可解な情報干渉。
大神殿と冒険者ギルドは各地へ照会を出しているが、類似記録を集めるには時間が必要だった。
その回答を待つ間、《アカシックレコード》にはルーンベルク側から別件の協力依頼が届いていたのである。
「まずは魔法研究院ですね」
エリシアが言った。
「依頼書には、術式理論の検証補助とありました」
「黒い魔石の調査結果が届けば、すぐそちらを優先する。それまでは、この依頼を進めよう」
ユウトの言葉に五人がうなずく。
研究院へ到着すると、案内された部屋の外まで言い争う声が聞こえてきた。
「既存術式は百年以上、安全性が証明されている!」
「だからといって、改良を禁じる理由にはならないでしょう!」
室内では、年長の魔導師たちと若い研究者たちが一枚の巨大な術式図を挟んで向かい合っていた。
保守派と革新派。
話には聞いていたが、想像以上だった。
「古い術式には、使われ続けた理由があります」
アイリスが小声で言う。
「実績ある技を軽んじれば、思わぬ事故へつながることもござろう」
「ですが、変えてはいけない理由まで考えなくなると、研究ではなくなります」
エリシアも静かに返す。
二人の言葉を聞いて、ユウトは以前修理した古い道具を思い出した。
非効率に見える部品が、実は衝撃を逃がすために必要だったことがある。古いから間違いなのではない。同時に、古いから正しいとも限らない。
研究者の一人が、ユウトたちへ術式図を示した。
「問題はこちらです。新型の魔力安定術式なのですが、長時間稼働させると出力が乱れる」
ユウトは図面へ【鑑定】を使う。
【名称:複合魔力安定術式】
【状態:試験段階】
【基本構造:正常】
【長時間稼働時:魔力循環の不安定化を確認】
【問題箇所:第六接続部周辺】
【詳細原因:解析可能】
答えそのものが示されたわけではない。
ユウトは第六接続部を目で追い、周囲の術式と流れる魔力を確認する。
「エリシア」
「はい。私もそこが気になります」
二人は図面へ近づいた。
「ここで流入量が増えるのに、出口側の経路数が変わっていません」
「ただし、単純に出口を増やすだけでは隣の制御術式と干渉しますね」
エリシアが指で術式の外周をなぞる。
ユウトの頭の中で【解析上達】が、見えている情報とこれまで学んだ魔法理論をつないでいく。
「だったら直接増やすんじゃなくて、一度ここで魔力を分ける」
「その後、位相を揃えてから戻す……なるほど」
エリシアの目が輝いた。
「興味深いですね。これなら元の安全機構を残したまま負荷だけ分散できます」
年長の研究者が眉を寄せる。
「理論上は、だ。実際に安定する保証はない」
「はい」
ユウトは素直にうなずいた。
「だから試します。古い術式が積み重ねてきた安全性を残したまま、新しい部分だけ検証しましょう」
反論を予想していたらしい研究者が、一瞬言葉を失った。
若い研究者も黙る。
どちらかを否定する必要はない。
残すべきものを理解して残し、変えるべき場所だけを確かめながら変える。
それも知識の使い方なのだと、ユウトは思った。
エリシアと二人で簡易試験用の術式を書き始める。
やがて最初の魔力を流そうとしたところで、研究院の責任者が重い声を出した。
「一つ、先に伝えておくことがあります」
「何でしょう?」
「今あなた方が修正しようとしている術式は、研究室だけで使うものではありません」
責任者は机の上に別の設計図を広げた。
そこには巨大な施設の断面図が描かれている。
「完成すれば、この国でも最大級となる新型魔力炉。その中核制御にも、同じ術式を採用する予定です」
エリシアの表情から、わずかな眠気さえ消えた。
ユウトも設計図を見る。
試験室で起こる小さな不安定化。
もし、それが巨大な魔力炉で起きれば――。
「……これは、きちんと確かめないと駄目ですね」
ユウトが呟くと、エリシアは静かにうなずいた。
「ええ。少し調べる、では済まなくなりましたね」
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