第4章 第113話 物語を残す仕事
商業ギルドの机へ戻ってきた童話集は、新品だった頃より少しだけくたびれていた。
木板を薄く加工した表紙の角には細かな擦れがあり、綴じ紐にも何度も開かれた跡が残っている。ページの端には、小さな指でめくったらしい薄い汚れまで付いていた。
ユウトはそれを見て、思わず頬を緩めた。
「ずいぶん読まれたみたいですね」
「ええ。神殿へ預けたものも、宿へ置いたものも同じような状態です」
以前からリバーシの商品化を手伝ってくれている商業ギルドの職員が、机の上に別の童話集も並べた。
木片芝居を見た子どもたちから「自分でも読みたい」という声が上がったことをきっかけに作った、最初の童話集だ。
内容は、ユウトが前世で知っていた物語をそのまま写したものではない。短い物語の組み立て方や、最後まで読みたくなる流れだけを参考にし、この世界で不自然にならないよう仲間たちと作り直している。
「欲しいという声もかなりありました。ただ……」
職員が一冊を持ち上げる。
「値段を聞いて、諦めた方もいました」
「やっぱりですか」
問題は単純に紙が高いことだけではなかった。
一冊を作るには文章を写す者が必要になる。挿絵を描き、ページを揃え、綴じ、表紙を付ける必要もある。傷めば修繕しなければならない。
一冊だけなら作れる。
十冊、百冊となれば、それだけ人手と時間が必要になる。
「無料で作り続けるのも難しいですね」
「試しに数冊配る程度ならともかく、ずっと続ければ補充も修繕も止まります」
職員の言葉に、ユウトは頷いた。
リバーシの時にも学んだことだった。
広げたいなら、作る側が続けられる仕組みが必要になる。
「だったら、全部を一人ずつに売らなくてもいいんじゃないかな」
「と、言いますと?」
「神殿や宿、冒険者ギルドみたいに、人が集まる場所へ置いてもらうんです。買える人は自分用を買う。でも、買えない人も読める場所を残す」
フィーナの耳がぴんと立った。
「みんなで読む本?」
「そう」
「それならフィーナも好き! 読めないところがあったら、誰かに聞けるし!」
そこまで言って、フィーナは少し考えた。
「……あ。でも今なら、フィーナも読めない人に教えられるところあるよ」
その言葉に、ユウトは少しだけ目を見開いた。
以前のフィーナなら、長い文章を前にすると迷わずエリシアへ助けを求めていた。
今でもすらすら本を読めるわけではない。
それでも、自分が分かる文字と分からない文字を区別し、分からない時には自分から尋ねられるようになっている。
「それ、すごく大事だと思う」
「えへへ!」
尻尾が大きく揺れた。
エリシアは戻ってきた童話集を一冊開き、静かにページをめくる。
「問題は、次の本ですね」
「新しい話か」
「はい。昔からある英雄譚や昔話を語れる人は多いのですが、まったく違う形の話を頼むと、なぜか似たところへ戻ってしまう方が多いです」
「そうなんだよな……」
ユウトも以前から、そこには妙な違和感を覚えていた。
遊びでも物語でも、昔からあるものを少し変えることはできる。
なのに、大きく違う形を考えようとすると、急に誰も先へ進めなくなる。
理由までは分からない。
今はただ、そういう傾向があると覚えておけばいい。
「物語の骨組みは、しばらく俺が出した方が良さそうだね」
「ユウトお兄ちゃんだけで全部作るの?」
「いや」
ユウトは首を振った。
「俺が考えるのは最初の形だけ。そこから先はみんなにも見てほしい」
「承知いたした」
アイリスが即座に答える。
「新人冒険者が危険な行動を取っておれば、拙者が指摘いたそう」
「薬や怪我が出るなら、私も確認しますね。間違った知識を覚えてしまったら大変ですから」
セレスが微笑む。
「道具や武器なら任せな。絵だけ格好良くて、持ち方が滅茶苦茶じゃ困るからな!」
レティシアも笑った。
フィーナは少し悩んだあと、自分の胸を指差した。
「フィーナは……難しいところを見つける!」
「難しいところ?」
「うん! フィーナが読んで分からなかったら、同じところで困る人もいるかもしれないでしょ?」
ユウトは、自然に笑っていた。
「それをお願いしよう」
「フィーナに任せて!」
誰か一人が全部を作る必要はない。
それぞれが分かるところを持ち寄ればいい。
その日の午後、商業ギルドの紹介で数人の職人と会うことになった。
長年、本を綴じてきた職人は、使い込まれた童話集を受け取ると、節くれだった指で綴じ目を確かめた。
「子どもが読むなら、ここはもっと強くした方がいいな」
隣では、指先をインクで染めた文字書きが文章量を確認している。
「この程度の長さなら写せる。ただ、急いで増やすなら何人か必要だ」
絵を描く職人は木片芝居の板絵をじっと眺め、空中で線を引くように指を動かした。
「同じ人物を何枚にも描くなら、服や髪の特徴を決めておいた方が分かりやすい」
「なるほど……」
ユウトには【道具制作上達】がある。
練習すれば製本も絵も、ある程度は身につけられるだろう。
けれど、自分でできることと、自分一人でやることは同じではない。
職人たちは、それぞれ自分が積み上げてきた経験から、ユウトが考えていなかった問題を次々に見つけていった。
夕方には、試しに作る次の数冊について役割まで決まっていた。
ユウトが物語の基本となる流れを考える。
エリシアが文章を整理する。
仲間たちが内容を確認する。
文字書きが清書し、絵師が挿絵を描き、製本職人が一冊へまとめる。
そして完成した本の一部は販売し、一部は人の集まる場所へ置く。
「なんか不思議だね」
帰り道、フィーナが言った。
「何が?」
「フィーナたちが作り始めた本なのに、フィーナたちだけで作らなくなるんだね」
ユウトは歩きながら、少しだけ考えた。
「うん。でも、たぶんその方がいいんだ」
「いいの?」
「俺たちがいなくても作られて、読まれて、直されていくようになったら……その方が、ちゃんと残ったってことだと思う」
「そっか!」
フィーナは嬉しそうに笑った。
自分たちが持っていたものが、誰かの手へ渡る。
その人が仕事として続け、さらに別の誰かへ渡していく。
知識も、遊びも、物語も。
広がるというのは、きっとそういうことなのだろう。
宿へ戻ろうとしたところで、背後から慌ただしい足音が響いた。
「《アカシックレコード》の皆さん!」
振り返ると、冒険者ギルドの職員が息を切らして走ってくる。
「急ぎの依頼です。近くの村から救援要請が入りました」
アイリスの表情が瞬時に引き締まった。
「魔物でござるか?」
「はい。ただ……討伐報告にある魔物と、様子が違うそうです」
ユウトたちは顔を見合わせる。
楽しげに揺れていたフィーナの尻尾も、ぴたりと止まった。
「詳しい話を聞かせてください」
物語の本を作る話は、そこでいったん終わった。
今度は、本の中ではない現実の危険が、彼らを待っていた。
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