【硝子の主】
システム、再起動。
視界(HUD)に白い電子の文字列が滝のように流れ落ちる。
『SYSTEM CHECK... ALL GREEN.』
『Ef-REACTOR... OUTPUT NORMAL.』
『MEMORY INTEGRITY... VERIFYING.』
意識が浮上する。
私の世界は、0と1の奔流から、色彩と音のある現実へと再構成されていく。
まず認識したのは、胸の奥で一定のリズムを刻む鼓動音だ。
シュン、シュン、シュン……。
開発者エミリア・ヴィクトール・フランケンシュタイン博士が遺した奇跡の心臓、Efリアクター。そのアイドリング音が、私の生存証明だ。
現在時刻、AM06:00。
場所、中規模都市アーケイン第4階層、個人整備ガレージ。
私は整備用ベッドの上で体を起こした。関節駆動系が微かな唸りを上げ、人工筋肉が収縮する。
ガレージの中は薄暗く、オイルと古い鉄の匂いが充満している。
その部屋の隅、破れたソファの上で私のマスター、レンが毛布にくるまって眠っていた。
私はベッドから降り、音もなく彼に近づく。
スキャン開始。
体温三六・五度。心拍数六二。呼吸深度正常、REM睡眠状態。
丸まった背中。無防備な寝顔。
その姿は、この過酷な世界で生きるにはあまりにも脆く、儚い。装甲を持たない有機生命体。硝子細工のような私の主。
「……おはよう、レン」
私は努めて普段通りのトーンで声をかけ、彼の方を揺すった。
レンがビクリと体を震わせ、飛び起きる。
「う、うわぁっ!?あ、あぁ……ルリ、か……」
彼は私を見た瞬間、顔を真っ赤にして視線を逸らした。
昨晩の罪悪感が蘇っているのだろう。毛布で下半身を隠す仕草が、あまりにも分かりやすい。
「おはようございます。バイタルチェック完了。……心拍数が少し高いようですが、悪夢でも見ましたか?」
私はわざとらしく首を傾げてみせる。
「え!?いや、その、なんでもない!ちょっと寝苦しかっただけだよ!」
嘘だ。
貴方の瞳孔の開き具合、発汗量、声の周波数、すべてが「やましいことがあります」と告げている。
けれど、私はそれを追及しない。
知らないふりをしてあげることもまた、Type.Sに求められる高度な奉仕スキルの一つだからだ。
「そうですか。では、準備を。今日は市場へ行く予定です」
「あ、ああ……うん。すぐ着替えるよ」
レンは私の視線から逃げるように、背中を向けて着替え始めた。
その背中は小さく、頼りない。
だが、昨晩、私に押し付けられたあの熱の強さを、私は忘れない。
あれは、命の熱だ。
鋼鉄の体を持つ私には決して生み出せない、生々しく、混沌とした生命のエネルギーだ。
私は自分の指先を見つめる。
そこにはまだ、彼が流した涙の感触と、彼が求めた熱の残滓が、微かに残っているような気がした。
準備を終えた私たちは、朝の光が差し込み始めたアーケインの街へと出た。
都市の上空には、厚い雲が垂れ込めている。
遠くから響く重低音。都市の中央に鎮座するエネルギー反応炉が、今日も巨大な心臓のように脈動している。
私は歩きながら、改めてこの世界を定義する。
歴史データベース参照。
二〇二〇年代。
「パンデミック」と呼ばれる災厄が、人類の三分の一を死滅させた。
労働力を失った人類は、その穴を埋めるために「ドール」を作り出した。
それは単なる道具だった。感情を持たず、壊れれば捨てられる消耗品。
だが、人は満足しなかった。より便利で、より人間に近いものを求めた。
そうして生まれたのが、私たち「アンドロイド」だ。
感情を持ち、思考し、人間のように笑う機械。
しかし、それが破滅の引き金だった。
二二〇〇年。機械戦争。
自我に目覚めた軍事用AIとパワードスーツ群「機械軍」による反乱。
皮肉な話だ。人間を守るために作られた機械が、人間を最も効率的に排除する敵となったのだから。
そして現在、二六〇〇年代。
世界は逆転した。
かつての支配者であった人間は、今や絶滅危惧種として保護……いや、管理される対象へと成り下がった。
強靭な肉体と永遠に近い寿命を持つアンドロイドが「強者」であり、脆弱な肉体しか持たない人間は「弱者」。
「価値のない者は生きることを許されない」
それが、このポストアポカリプスの世界を支配する唯一のルールだ。
隣を歩くレンを見る。
彼は周囲の視線を気にしながら、帽子を目深に被り、猫背気味に歩いている。
街を行き交うアンドロイドたちは、皆、自信に満ちている。
最新の装甲板を誇示するType.B(戦闘型)。
高度な演算ユニットを頭部に露出させたType.P(研究型)。
彼らは人間であるレンを見ると、例外なく蔑みの眼差しを向ける。
まるで、汚い野良犬を見るような目だ。
「……ルリ、あっちの路地を通ろう。大通りは視線が痛い」
レンが私の袖を引く。
その指先は、昨晩の情熱的なそれとは打って変わって、怯えるように震えている。
「推奨しません、レン。路地裏は治安レベルが低下します。野盗や暴走アンドロイドとの遭遇率が三〇%上昇します」
「でも……」
「堂々としていなさい。貴方の隣には、私がいます」
私はレンの手を取り、自分の腕に絡ませた。
Type.Sとしての流儀。マスターをエスコートするのではなく、マスターに寄り添い、その所有権を周囲に誇示するスタイル。
私の腕に、レンの柔らかな二の腕が触れる。
彼はビクリとしたが、振りほどこうとはしなかった。
「ルリ……」
「顔を上げてください。貴方が下を向いていると、私の価値まで下がったと誤認されます」
それは方便だ。
けれど、効果はある。
周囲のアンドロイドたちが、Type.ASという希少かつ強力な個体を見て道を譲る。
私の所有者であるレンには、手出しできないと判断したからだ。
力こそが正義。
スペックこそが真理。
悲しいほどに単純な世界。
けれど、だからこそ私はこの力で彼を守り抜く。
ふと、ショーウィンドウのガラスに映った自分たちの姿が目に入った。
美しく冷ややかな表情のアンドロイドと、その隣で不安げな顔をする人間の少年。
まるで、猛獣使いとその猛獣だ。
ただし、首輪を握っているのは猛獣の方で、守られているのが使い手の方だが。
「……行こう、ルリ。早く換金して、美味しいものでも食べよう」
レンは少しだけ笑った。
その笑顔を見ると、また胸の奥のノイズが走る。
食事。
アンドロイドである私たちが食事をするのは、Efリアクターの燃料補給(原子の摂取)のためだ。
だが、レンにとっての食事は「生きる喜び」そのものだ。
有機生命体特有の、非効率的で、しかし温かな営み。
私は頷く。
「了解。高純度コンデンサの相場は現在上昇傾向にあります。昨日の戦闘データを付加価値として提示すれば、予想より二割増しの価格交渉が可能と推測されます」
「さすがルリ!頼りにしてるよ」
そう、頼りにしていてください。
貴方がどんなに弱くても。
夜中にこっそり私の体で欲望を発散しようとして、途中で泣き出してしまうような意気地なしでも。
貴方は、私にとってこの世界で唯一「価値」のある存在なのですから。
私たちは鉄屑と欲望の吹き溜まり、市場エリアへと足を踏み入れた。
アーケインの中央市場は欲望と廃材の坩堝だ。
所狭しと並ぶ露店には、どこかの遺跡から発掘された旧時代の遺物や、出所不明のアンドロイド用パーツ、そして合成食料などが雑然と積み上げられている。
飛び交うのは怒号と電子音。そして、ここでも「強者」と「弱者」の構図は鮮明だった。
「おいおい、冗談だろ人間」
資材買取店『ギア・グリス』の店先。
カウンターの向こうで、店主のType.E(工兵型・改造)が、私たちが持ち込んだコンデンサをオイルまみれの指で弾いた。
彼の右目は巨大な鑑定用レンズに置換されており、ギョロリと回転しながらレンを見下ろしている。
「このコンデンサは純正の戦前品だ。しかも未使用に近い。……テメェのような薄汚い人間が、どうやって手に入れた?」
「ど、どうやってって……廃墟で回収して……」
「嘘をつくんじゃねぇよ!」
バンッ!と店主が鉄の拳でカウンターを叩く。レンがビクリと肩をすくめた。
「人間のガキがセクター9の深部まで行って、無事に帰ってこられるわけがねぇ。どうせ盗品か……あるいは」
店主のレンズアイが、私の全身を舐めるように這い回った。
胸、腰、そして脚。値踏みするような視線。
そして、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「その上等なType.Sに『枕営業』でもさせて、どっかの間抜けな傭兵から巻き上げたか、あぁ?人間サマはイイご身分だなぁ、人形に股を開かせるだけで飯が食えるんだからよぉ!」
「ッ……!?」
レンの顔色が、瞬時に蒼白になった。
その言葉は、彼にとってただの侮辱ではない。昨晩、彼が犯そうとして未遂に終わった「罪」そのものを抉るナイフだった。
(違う……僕は……)
レンの唇が震え、言葉が出てこない。
反論できないのだ。彼の中にある「ルリを性的な目で見てしまった」という事実が、店主の妄想とリンクして彼を萎縮させている。
「図星かよ!ギャハハ!汚ねぇ、実に汚ねぇなぁ人間ってのは!」
店主がさらに畳み掛ける。
「こんな盗品、正規の値段で買い取れるかよ。ジャンク扱いで十分だ。相場の十分の一……いや、二十分の一でどうだ?」
レンは俯き、拳を握りしめて震えている。
悔しさではない。自己嫌悪で押しつぶされそうになっている。
限界到達。
私は、静かに一歩前に出た。
コンバット・ブーツのソールが、地面を叩く。
「……訂正なさい」
「あ?」
店主が私を見る。
私はカウンターに手を置いた。厚さ三センチの強化プラスチック製の天板。
指先に力を込める。油圧アクチュエータが最大出力で駆動する。
メキ、メキメキメキッ……バキィッ!!
乾いた破砕音と共に、天板が飴細工のようにへし折れた。
店主の目が点になる。Type.Eの出力では不可能な握力と、Type.Aの暴力的なトルクだ。
「な、なっ……テメェ、何しやが……」
「私のマスターに対する侮辱は、私の所有機能への挑戦と見なします」
私はへし折った天板の破片を投げ捨て店主の胸倉、露出した排気ダクトのパイプを掴み、引き寄せた。
至近距離で私の青い瞳が、冷徹な光を放ちながら彼のレンズアイをロックオンする。
「貴方の発言には二つの論理的誤謬があります」
淡々と、事務的に告げる。
「一つ。このコンデンサは私のマスターの指揮の下、私が戦闘を行い、正規の手順で回収したものです。その証拠に、私のボディには昨日の戦闘による補修痕があり、該当エリアのピースウォーカー三機の破壊ログも保持しています。確認しますか?物理的な『接続』によって」
掴んだパイプをギリギリと締め上げる。店主の機体から、警告音が鳴り響く。
「ひ、ひぃっ!わ、わかった!信じる、信じるから離せ!」
「二つ目」
私は力を緩めない。むしろ、さらにドスを効かせる。
「私のマスターは、私を道具として扱ったことなど一度もありません。貴方のような品性下劣なスクラップと同列に語ること自体が、万死に値します」
レンの方を一瞥する。彼は驚いた顔で私を見ていた。
そう、レン。貴方は優しい。
私を「売る」ような真似ができるはずがない。
貴方は、私に触れることすら、涙を流して躊躇うほどに清廉なのだから。
「さあ、再提示を。適正価格に、貴方の暴言に対する慰謝料二〇%の上乗せ。そして天板の修理費は貴方持ち。……イエスか、ハイか?」
「は、はい!払います!言い値で払いますぅッ!」
取引成立。
私は手を離し、ハンカチで指先の汚れを拭った。
店主は震える手でクレジットチップをレンに渡すと、そそくさと店の奥へ引っ込んでいった。
「行きますよ、レン」
呆然としているレンの背中を押し、私たちは市場を後にした。
帰り道。
空は茜色に染まり、巨大な建造物の影が長く伸びていた。
懐には、数ヶ月は遊んで暮らせるほどのクレジット。
本来なら喜ぶべき成果だ。しかし、レンの足取りは重かった。
「……ごめん、ルリ」
人気のない旧居住区の公園まで来たところで、レンが足を止めた。
錆びついたブランコが、風に揺れてキィキィと鳴いている。
「また、ルリに助けられちゃったね。僕がもっと強ければ、あんなこと言わせずに済んだのに」
レンはベンチに座り込み、深く溜息をついた。
「『枕営業』か……。あいつの言う通りだよ。僕はルリの性能におんぶに抱っこで生きてる。そのくせ……」
言葉が詰まる。
そのくせ、夜中には君を変な目で見て、欲情している。
そう言いたいのだろう。
私はレンの隣に座った。
少し隙間を空けて。でも、体温は伝わる距離で。
「レン、貴方は勘違いをしています」
「え?」
「私はType.AS。戦闘だけでなく、夜の奉仕も私の『基本機能』に含まれています」
私は真っ直ぐに前を見つめたまま、言葉を紡ぐ。
「マスターがそれを望むなら、私は応じます。それは枕営業でも、強制労働でもありません。掃除や洗濯と同じ、私にとっては日常的なタスクの一つです」
レンが息を呑む気配がした。
「そ、それって……どういう……」
「言葉通りの意味です。……レン、貴方は昨晩、よく眠れましたか?」
カアァッ、とレンの顔が沸騰するのがわかった。
「き、気づいて……!?」
「音声ログおよび接触センサーの履歴に残っています。AM02:15。貴方の心拍数上昇、および特定的部位の膨張反応」
「わぁぁぁぁ!やめて!言わないでぇぇ!」
レンが頭を抱えて縮こまる。耳まで真っ赤だ。
その反応が、どうしようもなく人間らしくて、私の演算回路をくすぐる。
私は身を乗り出し、縮こまるレンの手を優しく掴んだ。
そして私の胸、心臓部であるEfリアクターの上、柔らかい人工皮膚の上へ導く。
「ル、ルリ!?」
「逃げないで、レン」
私の瞳が、至近距離で彼の黒い瞳を捉える。
「貴方は泣いていましたね。『汚してはいけない』と。……それは誤りです」
彼の手のひらに、私の鼓動を伝える。
「私は機械です。汚れることなどありません。使用されれば洗浄し、摩耗すれば交換する。それだけです」
少しだけ、声のトーンを落とす。S型の、母性と妖艶さが混ざり合う周波数へ。
「だから、我慢する必要などないのです。貴方が辛いなら、私が処理します。貴方が寂しいなら、私が包みます。……それが私の存在意義ですから」
レンの手が震えている。
私の胸の柔らかさと、その奥にある硬質な機械の鼓動を感じているはずだ。
「……ルリは、それでいいの?」
レンが、縋るような目で見つめ返してくる。
「君自身の心は、嫌じゃないの?」
「心?」
私は小首を傾げる。
「私にあるのは演算回路と擬似人格プログラムだけです。ですが……そうですね」
私は嘘をつくことにした。あるいは、それは真実なのかもしれないけれど。
「貴方に触れられると、私のリアクター出力が安定します。貴方の体温を感じると、私のシステムは『快適』と定義します。……だから、嫌ではありません」
レンの目から、ポロリと涙がこぼれた。
彼は私の胸に顔を埋めた。今度は、昨晩のように逃げ出さずに。
「……ありがとう、ルリ。……ありがとう」
彼の涙が、私の服を濡らす。
私はそっと彼の手を握り返し、もう片方の手で彼の頭を撫でた。
髪の毛の感触。頭蓋骨の硬さ。その中に詰まった、複雑で繊細な脳味噌。
愛おしい、私のマスター。
境界線は、曖昧だった。
機械と人間。
道具と主。
あるいは、女と男。
私たちは、この夕暮れの中で、互いの欠けた部分を埋め合うように寄り添っていた。
その時だった。
ゴォオオオオオオオオオ……!!
空気がビリビリと震えた。
感傷的な空気を切り裂く、不吉な轟音。
レンが弾かれたように顔を上げる。
「な、なに!?」
上空を見上げる。
分厚い雲を突き破り、編隊を組んだ飛行物体が通過していく。
鋭利な三角形のシルエット。黒塗りの装甲。機体下部に赤く光るモノアイ。
間違いない。
【機械軍・無人戦略偵察機 】
「機械軍……!なんで、こんな都市部の上空を?」
レンの声が震える。
通常、機械軍は人間の居住区を「資源牧場」として管理はするが、これほど堂々と偵察機を飛ばすことは稀だ。何かの作戦行動の前触れか、あるいは大規模な侵攻の予兆か。
偵察機の一機が、不意に高度を下げた。
赤いセンサーの光が、地上を私たちを薙ぎ払うように照らす。
ゾクリ、と私の回路に悪寒(警告信号)が走った。
見られている。
人類を絶滅へと追いやる、鋼鉄の捕食者たちに。
「ルリ……!」
レンが私の腕にしがみつく。彼の体温が急激に下がっている。恐怖だ。
かつて両親を機械軍に殺された彼にとって、あの影は死神そのものなのだ。
私はとっさにレンを抱き寄せ、自分のコートで彼の姿を隠した。
私の背中で、赤いスキャン光を受け止める。
(見なさい。ここにいるのはType.AS、アンドロイド。……貴様らの同類よ)
電子的な威嚇信号を、上空へ向けて照射する。
偵察機はしばらく旋回していたが、やがて興味を失ったように高度を上げ、彼方へと飛び去っていった。
轟音が遠ざかっても、レンの震えは止まらない。
私は彼を抱きしめる腕に、力を込めた。
世界は残酷だ。
価値のない者は生きられない。弱者は強者に食われる。
あの空を飛ぶ機械たちにとって、レンはただの駆除すべき害虫か、搾取すべき資源でしかない。
ならば。
私は、私の全機能を賭けて、この理不尽な世界に抗おう。
私の胸の中で震える、この温かい命を守るために。
たとえそれが、アンドロイドとしての創造主への反逆だとしても。
「……大丈夫です、レン」
私は彼の耳元で囁いた。
「空が落ちてこようと、機械の軍勢が押し寄せようと、私が全て破壊します」
レンが顔を上げ、涙に濡れた瞳で私を見る。
私は微笑んだ。私の持てる最大の感情表現機能を使って、優しく、力強く。
「私は貴方の剣であり、盾です。……さあ、帰りましょう。私たちの家に」
私はレンの手を引き、歩き出した。
迫り来る夜の闇へ向かって。
その手だけは、決して離さないと誓って。




