婚約者が「私を叱ってもらうため」に女友達を連れてきたが、私を叱ろうとは無礼だな。
ヴェローニカは今年成人なので、住まいを王都に移すことになった。
慣れ親しんだ土地から飛び出してしばしの間人脈を作ることに専念する。跡取りになるためには必要な期間だ。
入念な準備を終えて、馬車に乗って王都へと向かう。ヴェローニカは、久方ぶりにやってきた王都を見て、相変わらず狭苦しくて窮屈だと思った。
王都のタウンハウスで生活を始めてしばらくすると、婚約者のハルトムートに呼び出され、ブライトナー伯爵家へと赴いた。
ハルトムートの隣には、なんだか覇気の無い女がおり、ニコニコふわふわと笑みを浮かべてハルトムートに寄り添っていた。
「よく来たな、そこにかけてくれ」
言われてヴェローニカはハルトムートの向かいに腰掛け、足を組んで腿の上に手を置いて首をかしげた。
「……俺は、常々君に言わなくてはならないと思っていたことがあるんだ。ヴェローニカ」
「言わなくてはいけないこと、ですの?」
「ああそうだ。ただ、男の俺から言われても説得力が無いだろ?」
ハルトムートは言いながら隣に座っている女に目線をやって、彼女はにこりと笑って少し前のめりになった。
「だから、俺たちの仲間内で一番、評判のいいクリスタを連れてきたんだ。彼女にお前のその、横柄でかわいげのない態度を叱ってもらおうと思ってな」
そう言ってハルトムートは腕を組んで、ヴェローニカのことを睨みつけた。
「わたくしを、叱る?」
「ああ、そうだ。そもそも今日だけでも、言いたいことは山ほどある」
「……」
「俺とせっかく久しぶりに会ったというのに、君は嬉しいとも、久しぶりとも言わない」
「……」
「それどころか偉そうに足を組み、俺の言葉を聞いてやる側みたいな態度で待ってるだけ。せめて自分からなにをしてしまったのかと考えて問い掛けてくるべきだろ?」
「あら、知らない作法ですわ」
「作法じゃなくて、人として女として、どうなんだって話! はぁ、そんなこともわからないのか。今まで君は実家で甘やかされてきたんだろうが、王都に来ればそうはいかない」
ハルトムートはヴェローニカを若干馬鹿にするみたいに薄ら笑って言葉を紡ぐ。
「今までは愛嬌のある容姿でなんとかなってきたかもしれないが、王都はそれ以上に人の言動をきっちり見るんだ」
ヴェローニカのことを愛嬌のある容姿と褒めながらもその言葉はどこか憎々しげだった。
そしてたしかにヴェローニカは少々特徴的な容姿をしていた。
ふわふわとカールのかかった桃色の髪に、宝石のようなきらめきを孕んだ夜の星空みたいな大きな瞳。
顔つきは童顔で、おっとりした垂れ目。
その人形じみた作り物みたいに美しい容姿で、様々な男を手玉に取っているとよく言われるのである。
だから、ハルトムートの先入観についても、いつものやつだなと判断した。
「だから、君は絶対に、これから大恥を掻くことになる。その前に俺がきちんと指導してやろうと思ったんだ。婚約者なんだからそのぐらいして当然だろう?」
「さぁ、どうかしら」
「……はぁ、ダメよ。ヴェローニカさん。そうやって強がってばかりじゃ、顔ばかりかわいいからって、なにをしても許されるわけじゃないのよ?」
そうしてクリスタと言う女がハルトムートとヴェローニカの会話に参戦した。
彼女が参戦すると、ハルトムートは「そうだ、もっと言ってやってくれ」と彼女に対して砕けた笑みを見せる。
「私、あなたのことをハルトムートから聞いたとき思ったわ。ああかわいそうだなって、きっと勘違いしているのだなって」
「ほう、かわいそう?」
「ええ、だっていくら、侯爵家の跡取りだっていってもそんな態度じゃあ、王都では通用しない。同じ女性にも、もちろん王都で目の肥えている男性にも馬鹿にされる」
「……」
「それがわからないぐらい、甘やかされてわがままに育てられて可哀想だなって思ったのよ」
「……」
「だから、しっかり自分の立場を理解して、ハルトムートを尊重する態度が取れるまで、私がお説教してあげるから」
クリスタはピンと背筋を伸ばして、小さく口角を上げる。
ハルトムートは隣でうんうんと頷いている。
「ちゃんとしたいい子なら私たちの仲間内も大歓迎だもの。社交の場でも一緒にいてあげる。私たちの仲間内には、あのルーベンス公爵家の跡取りダニエル様もいるのよ」
「……ルーベンス公爵家ねぇ」
「そう。領地も王都のすぐ隣、王族とも親交が深くて間違いなく王都一の同世代の派閥よ」
「……」
「そんなルーベンス公爵家と友人の私たちにはもっとふさわしい態度があるでしょ? 今のままじゃダメよ」
「……」
「孤立して、流行から置いていかれてすごく恥ずかしい目に遭うわよ?」
「……」
「わかったら――」
そこまで言われて、ヴェローニカはふわふわでピンクの髪を耳にかけて、静かにソファーから立ち上がった。
「! ……ちょ、ちょっとどこに行くっていうの」
「そうだぞ、せっかくこれから話を」
それから侍女を伴って出入り口へと向かう。
彼らは、子供相手に注意するみたいに語気を強くして引き留めようとしたが、ヴェローニカは仕方なく振り返って適当に笑って返した。
「今度、お聞きしますわ。時間の無駄ですから」
それだけ言って、ヴェローニカは歩き出した。
背後から彼らがなにかを言っていたが、無視して屋敷を出て、馬車に乗りこんでから思った。
(やはり、下手に出ても良いことなど一つも無いな。説教とは見当違いも甚だしいわ)
今日、ヴェローニカはわざわざこちらの屋敷に足を運んでやった。
それだけでも十二分な譲歩。
なんせヴェローニカは侯爵家跡取り、ハルトムートは伯爵家子息、呼び出す道理が無いのである。
しかし、彼らの中では田舎から出てきた娘のヴェローニカより、王都に暮らす自分たちの方が立場が上だと思い込んでいる。
王都で権利を奪い合い、政治的な争いをする人間がこの国の主権を握っていると信じている。
だから説教するなどと言う考えが出てくる。
それが王都全体の価値観なのか、彼らだけの歪んだ結論なのか、ヴェローニカはわからない。
しかし、ともかく、そうして端からおとしめようとするならば、こちらも応戦するだけである。
せせこましく毎日見張りあって、小さな都市で諍いをすることなど好まないが、それを嫌って泣き寝入りしろとは教わっていない。
むしろ盛大に仕返すようにと父に教えられてきた。
そして教え以上にヴェローニカ自身が執念深いタチなのだった。
「で、君が責任を取ると言うんだな」
「は、はい。まさか、ヴェローニカ様がこちらに来てすぐにこんなことになるなんて思いもよらず、兄も頭を悩ませています」
ヴェローニカは早速とある令息を呼び出した。
彼は、傲慢な兄の代わりにいつも謝罪ばかりしているかわいそうな男であり、名はクラウスという。
「と言っても、わたくしの前に君の兄は大概顔を出さないだろ」
「も、申し訳ありません」
その理由をわかっていつつもヴェローニカはわざとそのことを指摘した。
クラウスは、深々と頭を下げてまた謝罪をする。
これはまぁ大概いつもの、クラウスとヴェローニカのやりとりであり、ヴェローニカは、彼にだけは素で接していた。
ヴェローニカの家族は父親しかおらず、二人きりの家族だ。
父の素晴らしい手腕と領地経営の才能によって、我がノイエンドルフ侯爵家は大いに栄えた。
なんの取り柄もない地方の大領地から唯一の特色を持つ、尊重される貴族として成り上がった。
そして、そんな父に大切に大切に育てられた結果、その手腕を継ぐだけではなく口調もヴェローニカは継いでしまった。
なので、気を許せる相手と接するときには壮年の男性みたいな口調になるのだった。
かわいらしい外見とのギャップが激しすぎてなにかの冗談だと思われることが多いので、よそでは控えていると言うわけである。
「……君はいつも、謝罪をしてばかりだな。クラウス」
「……情けないことですが、私のお役目のようなものですし、全うしたいと思っています」
「けなげなことだ。それで、明日のパーティーの段取りは、頭に入ったか?」
「ええ、しっかりと」
「では、当日。……よろしく頼むわね」
ヴェローニカはそうして最後だけ、かわいらしい令嬢みたいに微笑んだ。
なんとなく気まぐれにそうした。
するとクラウスは、少し驚いて、それから少し視線をそらしてヴェローニカに「あの……」とおずおずと声をかけた。
「まだなにか?」
「あ、いえ、ただ、疑問に思ったのですが」
「言ってみろ。今日は君に会って少し気分がいい」
「……ヴェローニカ様はどうして私にだけは、固い口調なのでしょうか」
クラウスは長いことヴェローニカと交流があるくせに今更そんなことを疑問に思ったらしい。
(なぜって、そんなことは……)
当たり前だろうと思って、ええとと頭をひねる。
しかしそのあるはずの理由が思い出せない。
ああそうだ、なんとなくそうだった。
なんだか、謝ってばかりの彼にいつしかそうなっていた気がする。
彼にならなんだか良いような気がして、端的に言うと気を許したからそうなったのだと思う。
しかし、当のクラウスはそんな風に思ってない。それがなんだか、少し不服で、ヴェローニカは意地悪を言うことにした。
「実は……わたくしは、隠しているが女ではないんだ」
「えっ、ええ!? そ、そうだったんですかっ!」
「嘘ですわ」
「えっ」
「ハハハッ」
そうして適当にはぐらかして、ヴェローニカはさらに楽しく笑った。
どうして自分がクラウスにだけは気を許しているのかは気にしないことにした。
ヴェローニカは、ノイエンドルフ侯爵家のタウンハウスにて、パーティーを開いた。
もちろん婚約者のハルトムートもその友人のクリスタも呼ぶ。
他には、まぁ、ノイエンドルフ領地の近くの貴族達も呼んだが、声をかければ王都在住で王都付近に領地を持つ貴族もやってくる。
なにより、王家の家臣貴族も数多く出席してくれた。
さらに言うとやってきているのは、爵位を持った貴族の子息ではなく、爵位を持っている本人達だ。
自ずと、パーティーの主要な年齢層は四十代から五十代となる。
そんな経験豊富な大人に囲まれて、ヴェローニカはたった一人ノイエンドルフ侯爵家の跡取りとして気後れせずに対等に接している。
そして誰一人としてうら若い、お人形さんのような令嬢に失礼を働くことはない。
うかつなことは口にせず、誠意を持って接する。
それは、まねかれたハルトムート達にとって非常に異様な光景だった。
王都では、いかに高位の貴族の派閥に属し、いかに流行を早く追い、どんな情報を仕入れているかで扱いが変わる。
どんなにかわいらしくとも、どんなに頭が切れたとしても、それらの当たり前の振る舞いが出来ない同世代は、出世できない。
皆からのけ者にされて恥ずかしい思いをする。
そのはずなのに、どうしてこれほど人が集まるのか。
王都での派閥同士の小規模な争いにばかり身を投じてきた二人にはまったくわからない。
侯爵家の田舎娘など、適当に言いくるめて、ブライトナー伯爵家の養分になるように躾けてやるつもりだったのに。
どうやらそんなどころではなさそうだここは、おとなしくしておこう。そうクリスタと視線を交わす。
つつがなくパーティーは始まり、若い二人は浮いていたけれどなんとか失態を犯さずに済んでいる。
そこへと、ヴェローニカは壇上に立って彼らを見つめた。
ヴェローニカの手に握られているのは拡声の魔法具。
音を大きくする効果がある。
それを片手に、軽やかな声で言った。
『それでは、ブライトナー伯爵子息、ハルトムート、ロングベルク伯爵令嬢、クリスタ、こちらへ』
名指しで、二人を壇上へと呼び出す。
ハルトムートとクリスタはびくりとして、驚いた顔をしてヴェローニカを見つめた。
『お客様をお待たせしないでくださる?』
ヴェローニカは固まった彼らのことなど考えずに、客人達を理由に急かした。
ハルトムートとクリスタは爵位を持った貴族たちの目線に追い立てられるようにそそくさとヴェローニカがいる壇上へと上がってきた。
ヴェローニカの下には座り心地の良いソファーが運ばれてきて、ヴェローニカはそのソファーに腰掛けて、ゆっくりと彼らを見上げた。
二人は状況がつかめていないらしく「な、なんの余興だこれは」とハルトムートが小さな声で問い掛けてきた。
しかし、彼ら二人にも、ヴェローニカが持っている拡声の魔法具が渡されて自動的に拡声される。準備が整った。
『なにかと問われれば、単にあのときの続きだわ。ハルトムート、クリスタ』
ヴェローニカは魔法具を通しながら彼らに話をした。
小さく唇だけで微笑んで、じっと彼らを大きな紺碧の瞳で見つめる。
『ただそのために、パーティーを開いたんですの。たくさんの人が参加してくれて嬉しいわ。おもてなしは存分にいたします、でも代わりに些末な喧嘩の結末を見届けて頂きたい。無粋な余興でごめんなさいね』
そう言うと貴族たちは、少し笑ったり小さく首を振る程度で済ませる。それもそのはず、きちんと趣旨は説明済みである。
『さぁ、あのときの続きを話してくださる?』
『つ、続きだと?』
『なによ、こんなところで言うことなんて……そんなたいしたことじゃ』
二人は、お互いに視線を交わして前回に会った時のことを話し出さない。
せっかくこれほど素晴らしい場を設けたと言うのに、なんてつまらないのだろう。
ヴェローニカは促すように言った。
『だから、わたくしのことを叱るのでしょう? わたくしの態度や言動をあげつらって批判して、気持ちよくなりたいのでしょう?』
『っ……』
『そ、それは……』
『わたくしに説教して、上下関係をわからせたら自分たちの傘下に入れてやろうとそういう話だったでしょう? さっさと続きを言いなさいな。せっかくこんな素晴らしい場を用意したのだから』
ヴェローニカは言ったはずだ。今度聞くと。
ただしそれは、ヴェローニカの信じる父からの教えを証明できる人が多くいる状況でだ。
『さぁ、続きを。それとも、大勢にさらされたら何も言えないのかしら。か弱いわね』
そして煽るように問い掛けた。
萎縮していた二人だったが、さすがにカチンときたのか、ハルトムートが口を開いた。
『っ、だ、だから、君は女としての慎ましさが足りないし、態度も傲慢でこんなことでは王都の貴族社会で恥を見るって言ってるんだ!』
『そ、そうよ! 私たちはただ善意で言ってあげてるのに! 当てつけみたいなことをして、性格悪いんじゃない? 私たちは王都で一番権力があるあのルーベンス公爵子息のダニエル様の友人なのよっ』
二人はやっと、あのときの言葉をそのまま口にした。
大衆に見守られる中で、自分たちの小さな社会の常識を披露した。
権力を持った貴族の名前を借りて。
それはなんとも子供らしくて浅ましい。
『ハッ』
ヴェローニカは彼らの言葉を鼻で笑う。すると観衆も、つられるようにクスクスと声を漏らす。
『お、おかしいことなんてないでしょう? それが王都の常識でっ』
『では、あなた方の主張はルーベンス公爵家のダニエル様の意向そのものということかまわないな?』
『そうに決まってるだろ! ダニエル様だって、お前のことは態度がでかいとか、鼻につくって言って――』
そうしてまんまと二人は、ヴェローニカの言葉に同意した。
「友達だ」と「それが彼の意向だ」は明らかに重さが違う。
『ではここで、今日、ルーベンス公爵家跡取りダニエル様の代理でいらっしゃっているクラウスに話を伺うことにしましょう』
『え、く、クラウス様?』
『なんで、公爵子息の彼がこんなところに……』
二人は信じられないと言った様子で、そうつぶやいたが、現実は変わらない。
クラウスはここにいる。なぜなら、ルーベンス公爵家はノイエンドルフ侯爵家からの恩恵を受けている貴族の筆頭と言って良い。
具体的に言うと、この国は魔力的な資源が乏しい。
いつも魔石が高騰しており、魔石を使う魔法具は気軽に使えるものではない。
そこを根本から解決……もとい商機を見いだしたのが現ノイエンドルフ侯爵だ。
領地が擁する港で外国から魔石を仕入れることによって、この国の魔法的な資源は安定して供給されている。
王都で内々に今ある権力を奪い合ってちまちま稼ぐよりも、外に目を向けて領地の得意な分野で稼ぐこと、それが何より勝算を高めるのである。
ホールの扉が開かれて、クラウスが入室する。
彼を避けるように、貴族達は道を空けて、彼は真ん中を歩いてきた。
しかしながらその恩恵を受けながらも不満を持つ人間もいる。
大きな権力をさほど苦労せずに手に入れたことが妬ましいのか、ルーベンス公爵家のダニエルはそこかしこで食ってかかってくる。
そこで、毎度派遣されるのが、ダニエルの弟で調停役のクラウスだ。
ルーベンス公爵家全体の意向は変わらず、ノイエンドルフ侯爵家との取引を続けたい。
それは今回もきちんと確認している。
そんな事情も知らずに、虎の威を借る狐のごとく、他人の権力を笠に着て都合良く扱おうなどとはなんとも愚かだ。
クラウスが壇上へと到着すると、従者から拡声の魔法具を受け取って、ソファーに腰掛けるヴェローニカの前に跪いた。
『恐れながら申し上げます。ヴェローニカ様、私たちルーベンス公爵家はこの者達が言ったような不遜な要望など持っておりません』
『……』
『兄、ダニエルが何を彼らに言ったとしても、それはルーベンス公爵家がノイエンドルフ侯爵家に対する意思表示ではないのです』
『だろうな』
『だからこそ兄の言葉尻をとり、勝手に両家の関係を破綻させようとした彼らは、我ら侯爵家に害をなそうとした罪人と言えます』
『え?』
『は?』
打ち合わせ通りにクラウスは言葉を紡いで、ハキハキと続ける。
ハルトムートとクリスタの表情は次第に険しくなっていき、二人はお互いを見つめて、またヴェローニカを見つめた。
『罪を償わせるため、王家に対し訴えを起こすことをここに誓います。このたびは大変申し訳ございませんでした。これからもどうか、末永くよろしくお願いします。これがルーベンス公爵家の意思です』
いいながらクラウスは深く頭を下げる。
成人した男がかしずいて大勢の前で頭を下げて小さくなって居る。
それは酷く惨めなことであったが、これが彼の仕事だ。
今回もきっちり遂げてくれた。
ヴェローニカは、いつもこれだけはまねできないなと思うのだ。
それから視線を上げて、ヴェローニカは二人を見やった。
『さて、あなた方わたくしに言うことがあるでしょう?』
『……』
『……』
二人は、ゴクリと息を呑んで黙り込む。
しかし、観衆から刺さる視線、静かな張り詰めた空気、自分たちの失態で惨めをさらしている上位の人間。
そこで逆ギレ出来るほど二人は、強くなどない。
自分たちの小さな世界がすべてだと思い込んでしまうただの子供だから。
『も、申し訳、ありませんでした』
『申し訳ありません、でした』
震える声で謝って頭を下げる二人に、ヴェローニカは、ソファーに座ったまま静かに微笑んでたっぷりと間を置いた。
それから『仕方ないな。わたくしは、許してあげることにしましょう』と軽やかな声で言ってやったのだった。
後日、父に話を聞くと『親に決められた婚約者なんぞ、打ち負かしてこそだ』と褒められた。
どうやら父にとって娘の結婚相手など、ただの娘に与える課題に過ぎなかったらしい。
豪胆が行きすぎると誰も理解できなくなる可能性をヴェローニカは感じ取った。
その後のハルトムートとクリスタだが、ルーベンス公爵家に無事訴えられた。
その上で、ヴェローニカは許すと言ったが、結局のところ、貴族社会での体裁はどうしようもない。
ブライトナー伯爵家は、きちんと常識のある家系だと示すために婚約解消を申し込み和解金をたっぷりと支払ったのだった。
そして、その後のハルトムートとクリスタがどうなったのかを、クラウスは隅々まで調べ上げて、ヴェローニカの下へとやってきてペラペラと語った。
内容はどうでもいいので聞いていなかったが、彼の声は低いけれど聞き心地の良い軽い声をしていて、結局最後まで口を挟まなかった。
「ということで、改めて、今回の件、大変申し訳ありませんでした。ヴェローニカ様。ヴェローニカ様の寛大な采配によって、我がルーベンス公爵家領地は今まで通りの平穏な生活を送ることができます」
「……」
「心より感謝しています。またお礼の品を贈らせて頂きたく存じますが……」
「好きにしたら良い」
窺うように言われて、ヴェローニカは適当に答えた。
クラウスはこれまた丁寧にその言葉に返答して、話すべきことは終わる。
後はもう、別れの挨拶をするぐらい。
この後はまたしばらく会う機会が無いだろう。
あるとしたらまたダニエルがやらかしてクラウスが謝罪に来るときぐらいだ。
そう思うと、ふとヴェローニカは口にしていた。
「……君は、そうしてまた今日も、ルーベンス公爵家に戻るんだな」
「は、はい。それはもちろん……他に帰る場所はありません」
「君自身はそれなりに有能だというのに。それを謝罪ばかりに使わせて……わたくしなら、君をもっとうまく使えるんだがな」
なんだかその自分の言葉は、負け惜しみみたいでかっこ悪い言葉だったが、彼のことを歯がゆく思っていたのは事実だ。
それに有能さだってそれなりじゃない、大分有能だ。
公爵家の人間らしい品も教養もあるのに、自分が惨めな目に遭うことも受け入れ、誰も恨まず、粛々と自分のやるべきことをやる。
そんな姿を、度々見かけてきた。
彼が来ると、くだらない侮辱ぐらいではヴェローニカは許してしまうようになって居たし、いつの間にか素で話をしていた。
彼にはもっとふさわしい場所があるのに。
そう思わずにはいられない。
しかし今まで一度もそれを提案したことは無かった。
今回口にしたのは、ちょうど、彼にふさわしいポストが空席だったからだ。
「か、買いかぶりすぎです。私は、兄の付属品みたいなものですから」
「わたくしなら、君に今ほど惨めな思いはさせない。丁度君がつくのにもってこいな席も空いている」
「…………」
「望めば手に入るわ」
ヴェローニカは、少しだけ女らしくそう言った。
一応女性として彼を口説いているので、という配慮だった。
しかし、クラウスはきょとんとするばかりで、口を開いたと思ったら「で、でも。ノイエンドルフ侯爵が、認めないかもしれません」と早口で言った。
「そ、それに、惨めな私はあなたのそばにふさわしいかどうか考えるとっ」
「いやならいい」
続けて言ったクラウスの言葉に、ヴェローニカは振られたと判断し、まぁそういうこともあるかと納得して早めに切り上げた。
しかし、クラウスはヴェローニカの言葉にとっさに返した。
「っち、違います」
「なにが?」
「ちが、違うんです。申し訳ありません。た、ただ、状況がうまく呑み込めていなくて、うれ、嬉しいけど、飛びついたらさすがに卑しい」
「……」
「飛びつきたいけど、っ、飛びつきたいです。でも、飛びついた途端に、冗談だとあなたが笑うかも知れなくてっ」
「……」
クラウスは珍しく狼狽していた。
話は要領を得ないし、つまりどういうことなのかわからない。
しかし、とにかく飛びつきたいことではあるらしい。
「っせ、せめて貴族として、大人として正しいステップを踏んでから、じゃあお受けしますと言う形にっするべきでっ」
「っ、はははっ」
「や、やっぱり冗談だったんですか!?」
「いいや?」
「じゃあなんで笑うんですか、ヴェローニカ様」
しどろもどろになって顔を赤くして言う彼は、今までの冷静で、不憫な男という印象とは違う。
なんともかわいくて、これもまた悪くない。
それにヴェローニカの気持ちをこれほど嬉しく思ってくれるということが、当たり前のことだがヴェローニカにとっても嬉しい。
「いつか、言うさ」
けれども今は言わない。今度彼を口説くときがあったらとびきり女性らしく甘ったるく言おう。
それがきっと一番楽しそうだ。だから言わなかった。
それからクラウスは、ヴェローニカを少し恨めしそうに見た。
しかし、言及せずに、しばらく沈黙して考えてから、話題を元へと戻す。
「っ、……っ…………お話、お受けしたいです。か、かまいませんか?」
「もちろん」
そうしてヴェローニカは新しい婚約者を自分の手で選び取った。
どんな未来が待っているかは知らないがこれからも、望む状況は自分の手で用意するヴェローニカだったのだった。
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