落せる城
「福留右馬丞、知行没収のうえ、岡豊より追放申しつける」
広間に、声だけが落ちた。
右馬丞は黙って頭を垂れていた。誰も異を唱えない。誰も庇わない。
廊下の端で、誰かが普請の手抜かりだと囁いた。
別の者は、扶持米のことらしいと言った。
ただ殿の勘気に触れただけよ、と笑う声もあった。
だが、誰も右馬丞本人には尋ねなかった。
「何か申し開きはあるか」
長宗我部国親が、初めて口を開いた。
右馬丞は、膝の前に置かれた知行目録を見た。端には、見慣れた村の名があった。井戸の浅い村。春先に土手の崩れる村。右馬丞が、何度も縄を引いた土地であった。
昨日までの居場所が、紙の上でよそよそしく乾いていた。
「ございませぬ」
その一言で、福留右馬丞は岡豊を追われた。
山の尾根を見れば、兵の上がる道が分かった。堀を見れば、水の死ぬ場所が分かった。門を見れば、そこを破ろうとする敵の息づかいまで思い描けた。
だが己の身の置き所だけは、読めなかった。
右馬丞が岡豊を出たという噂は、春の火のように広がった。
長宗我部に捨てられた男がいる。
岡豊の普請を知る男がいる。
しかも、恨みを抱いて流れてきた。
その噂を拾ったのが、本山茂辰に仕える大窪美作守重綱であった。
本山の名は、岡豊では低く言われた。国親の父、兼序を滅ぼした者たちの中に、その名があったからである。
それでも国親は本山と和睦し、縁も結んだ。仇と盃を交わすことも、土佐では戦のうちであった。盃の底には、沈むものもある。
その本山へ、岡豊を追われた右馬丞が流れてきた。
重綱が興味を示さぬはずがなかった。
朝倉で右馬丞を見る目は、どれも刃の背のように冷たかった。
岡豊者。
その一語だけで、飯に砂が混じる。
重綱は右馬丞の刀を預からせた。飯は出したが、酒は出さなかった。寝所の外には、槍持ちが二人立った。
「岡豊を恨んでおる者は使える。だが、噛まれてはかなわぬ」
右馬丞は頭を下げた。
「噛む歯は、岡豊に置いて参りました」
重綱はしばらく右馬丞を見ていた。
「ならば、長浜を見よ」
右馬丞は長浜へ入った。
古砦は、海を向いて眠っていた。
浦戸湾から吹く潮風は湿り、柵は痩せ、土塁は低かった。物見は海ばかりを睨み、背後の山道には目が薄い。
海。山。道。種崎。浦戸。潮江。ここはただ守る場所ではない。
右馬丞は三日、古砦を歩いた。朝に潮を見、昼に土を踏み、夕に風を読んだ。
四日目、重綱が問うた。
「どうじゃ」
「砦にございます」
「見れば分かる」
「城ではございませぬ」
重綱は片眉を上げた。
「言うではないか」
「城は、人を一夜生かすものにございます。ここはまだ、人が逃げ込むだけの場所です」
重綱は怒らなかった。それどころか、少し笑った。
「では、城にしてみせよ」
それから半年、土が動いた。
痩せた柵は退けられ、低い土塁は盛り直され、曲がるべき道は曲げられた。門は正面を少し外され、見張りの立つ場所には潮風を避ける板囲いが置かれた。
北の木戸にも手を入れた。
普段は薪や水を運ぶ者だけが使う、目立たぬ木戸である。雨水が溜まらぬよう、足が滑らぬよう、外からは見えぬようにした。
門は人が見る。
木戸は人が忘れる。
だから、忘れぬ者がいなければならなかった。
砦は、少しずつ城になった。
重綱は毎日のように来た。口は出した。だが、右馬丞の縄張りを曲げることはなかった。
「好きに築け」
「よろしいので」
「わしには分からぬ。分からぬことは、分かる者に任せる」
その言葉だけは、右馬丞の胸に残った。
右馬丞は手を抜かなかった。
手を抜けば、城は黙って人を殺す。
人足の中には、右馬丞をよく思わぬ者もいた。
「岡豊者が、よう本山の城に縄を張る」
ある日、材木場で若い侍がそう吐いた。
右馬丞は聞こえぬふりをした。聞こえぬふりには慣れていた。
だが、重綱は聞き流さなかった。
「今、この城を築いておる間は、わしの者じゃ」
声は荒くなかった。荒くないぶん、よく通った。
「文句があるなら、わしに言え」
若い侍は口を閉じた。
右馬丞は礼を言わなかった。
礼を言えば、胸のどこかに罅が入る気がした。
長浜の城が形を得たころ、浦戸湾を渡る風も変わった。
海から見れば小さく、近づけば道が迷う。門へ走れば足が鈍り、退こうとすれば木戸が見えぬ。
重綱は土塁の上から城を見回し、満足げに言った。
「よい城になった」
「まだ、戦を見ておりませぬ」
「戦を見れば、なお分かる」
重綱は笑った。
「この城は、人を一晩生かす」
右馬丞は頭を下げた。
「そのために築きました」
その年のうちに、右馬丞は城中へ自由に出入りするようになった。
番の者も、もう刀を預かれとは言わない。重綱もまた、普請の細事を右馬丞に任せるようになった。
岡豊の名を聞くたび、右馬丞は黙った。
重綱は、その沈黙を恨みだと思ったらしい。
「忘れぬか」
「忘れませぬ」
「ならばよい」
重綱は酒を飲み、杯を置いた。
「人は、忘れたところから腐る」
右馬丞は答えなかった。
忘れぬものが、あまりに多すぎた。
◆
永禄三年の五月、潮江で騒ぎが起きた。
「孕の沖で、岡豊の船がやられたそうな」
「種崎へ兵糧を運ぶ船だとか」
「潮江の者が奪ったというぞ」
「船乗りも斬られたらしい」
そんな声が、長浜の城にも届いた。
本山茂辰は、知らぬことだと言った。狼藉者の首を差し出し、岡豊へ詫びたという。
だが、国親は許さなかった。
「潮江の者がしたことは、本山の腹より出たこと」
そう言ったと噂された。
城中の者は、いよいよ戦かと色めき立った。
重綱は笑わなかった。
「右馬丞」
「は」
「お前が築いた城で、岡豊を迎える日が来たようじゃ」
右馬丞は答えなかった。
ただ、城の裏手を見に行った。
木戸は静かだった。
潮風を受けぬように置いた板囲いも、雨に足を取られぬように敷いた石も、いつも通りそこにあった。
人が忘れる場所は、忘れられている時がいちばん穏やかに見える。
五月二十六日、夕刻より風が荒れた。
雨は横に走り、浦戸湾は墨をこぼしたように黒かった。
重綱は城の者たちに酒を出させた。
「兵を濡らしてまで渡る阿呆はおるまい。今宵ばかりは、風の方が味方じゃ」
城中に笑いが起きた。
右馬丞も笑った。
その笑いが、自分の口から出たものとは思えなかった。
◆
夜が深まるころ、右馬丞は北の木戸へ向かった。番の者は右馬丞を見ると、何も言わずに道を空けた。
「木戸か」
「雨を見て参ります」
「よう働くのう」
番の者は笑った。
右馬丞は笑わなかった。
木戸の外は、風と闇であった。
雨の向こうで、濡れた鎧が低く鳴った。
種崎から渡ってきた長宗我部の兵たちであった。
右馬丞は閂に手をかけた。
城は人を守るものだ。
そう思って、木戸を開けた。
闇が、城へ流れ込んだ。
火の手が上がるまで、早かった。
倉の脇で赤いものがはぜ、風に煽られて火は走った。鬨の声が雨を裂いた。酔っていた者は刀を探し、眠っていた者は履物を探した。
長浜城は、よく働いた。
右へ逃げた者は土塁に阻まれ、門へ走った者は火に追われた。雨でぬかるむはずの道だけが、右馬丞の敷いた石の上で兵を走らせた。
守るために曲げた道が、人を迷わせた。
人を生かすために整えた木戸が、敵を入れた。
右馬丞は、そのすべてを知っていた。
重綱は奥の間から飛び出してきた。
「右馬丞!」
その声に、責める響きはなかった。
ただ、分かってしまった者の声だった。
右馬丞は頭を下げた。
「こちらへ」
「お前か」
「こちらへ」
右馬丞は、それだけを繰り返した。
北の木戸まで、重綱を押すように連れていく。雨は火の粉を叩き、風は叫びを遠くへ流した。
木戸の外には、山影へ落ちる細い道があった。
「この道は」
「美作守様の命を、次の朝へ運びます」
重綱は、雨に濡れた顔で右馬丞を見た。
「お前は、誰の手の者じゃ」
右馬丞は答えなかった。
答えられなかった。
ただ一礼した。
重綱は歯を食いしばり、闇の中へ消えた。
その夜、長浜城は落ちた。
大窪美作守重綱は、不思議にも命が助かったという。
不思議であったかどうかは、北の木戸だけが知っていた。
◆
岡豊へ戻ると、国親は勝ちを喜ばなかった。
「久しいな、右馬丞」
「は」
「よくぞ、務めを果たした」
褒められたのだとは、思えなかった。
右馬丞は、岡豊を追われた日の畳の冷たさを思い出した。
「本山の落せる城を築け、と申しつけた」
「……はい」
「長浜は、よい城であったか」
右馬丞は、焼けた土塁と、北の木戸を思った。
「よい城にございました」
「ならば、よく落ちたであろう」
右馬丞は答えなかった。
城は人を裏切らない。
裏切るのは、いつも人であった。
国親は、それ以上何も言わなかった。
長浜の戦は、後の記録に残った。
大窪美作守が不思議にも命を拾ったことも、そこには記された。
だが、福留右馬丞の名は、それ以降、記されることはなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
創作の励みになりますので、評価・感想をいただけると嬉しいです。
本作は、永禄三年(1560)に起きた長浜城夜討ちを題材にした歴史短編です。
史料では、福留右馬丞はもともと岡豊の者であり、何らかの理由で家や知行を失って本山方へ移り、大窪美作守の扶持を受けていた人物として現れます。また、長浜城の築城に関わった「上手な大工」とされ、のちに長宗我部国親へ内通し、長浜城夜討ちの手引きをしたと伝わります。
作中で描いた潮江の兵糧船襲撃、本山茂辰の謝罪、国親がそれを許さなかったこと、暴風雨の夜に種崎方面から兵が渡り、酒宴中の長浜城を襲ったこと、そして大窪美作守が「不思議にも」命を拾って朝倉へ逃れたことは、長浜合戦へつながる流れとして伝えられているものを下敷きにしています。
一方で、右馬丞の追放そのものが国親の密命であったこと、「本山の落せる城を築け」と命じられていたこと、大窪美作守を右馬丞が逃がしたこと、大窪美作守の名「重綱」は、本作独自の創作です。
史料における右馬丞は、長浜城夜討ちの場面では強烈な役割を果たすにもかかわらず、その後の姿がほとんど見えません。
城は人を守るために築かれる。けれど戦国の城は、時に人を縛り、誘い、焼き、歴史の中へ沈めていく。右馬丞という名のわずかな痕跡から、そんな一夜を覗く短編になっていれば幸いです。
参考文献:『元親記』『土佐物語』、『南海通記』巻十二




