第1話 偉大なるゴータマ=シッダルタ
仏の教えは偉大である。その教えをはじめに説いたお釈迦様もまた偉大である。この偉大とは觀念的な事由のみにとどまらず物理学的に於いてもまた偉大なのである。
仏の教えを説くは寺院にて行われるが、この寺院そのものがそのことを証明する。寺院には仏塔が存在し、そこには仏舎利というものが納められているのであるが、この仏舎利とはひと口で云うとお釈迦様の遺骨なのである。
ほとんどの寺、つまり仏塔を有する寺にはこの仏舎利が納められているのであるが、この数がまた尋常ではない。なにしろ本邦のみならず、支那、朝鮮、緬甸、泰國──そして仏教の本家本元たる天竺にも、寺院はそれぞれ星の数ほど存在するのであるから。
ひとつひとつの仏舎利はちいさいほんのひと欠片にすぎぬが、それら万國に存在する仏舎利すべてを集めて復元すると──そこから割り出されるお釈迦様の図体はたいへん巨大なものとなる。
その御姿の偉大さたるや、身長、五十七米! 体重は五百五十瓲にもなるのである。──つまり奈良や鎌倉の大仏様、泰國や緬甸の寝釈迦様などはほぼ実物大と云えよう。
このような偉大なお釈迦様の教えなのであるから、釈尊と比べると豆粒がごときでしかない我ら凡人にはその全容を摑むは容易なことに非ず。なかなかひと筋繩ではゆかぬ。──どれほど偉大なことであるかは数の単位からも明らかにある。
たとえば10の8乗は『億』であり、10の20乗は『垓』であるが、こんなのはほんの序ノ口。まだまだ先がある。たとえば10の52乗を『恒河沙』と云うが、これは聖河ガンジスの砂粒すべての数を表しており、それに続く10の56乗である阿僧祇、10の60乗たる那由多、10の68乗無量大数などは、すべて仏の教えに端を発するものなのである。
なお弥勒菩薩が衆生を救いにやってくる時は、お釈迦様入滅後より数えて56億7千万年後のことである。先に述べた数よりはすくないが、しかしそれでもデカい。何もかもがデカい。
尺度が違う。我々のようなせいぜい5尺6尺程度の身の丈ではなかなか到達できぬも、無理もないことと云えよう。
もっともこれについては修行に励む仏僧もまた同じであり、なかなか仏様の境地に達することはできずひとりひとりには限界があった。故に時代を経るにつれて仏の教えは細分化されて行ったという次第である。
誤解を招いてはならぬ故に断言するが、これは逃げに非ず。これも含め仏様の教えなのである。「すべては0か1か」との考えが大手を振るが世の常なれど、0ならず、かつ1よりちいさな数もまた無数に存在するが仏様の教えなのであるから。
たとえばほんのわずかなこの一瞬のまたたく瞬間のことを『刹那』と呼ぶが、これは10のマイナス18乗を表す単位であり、分数にて表記すれば75分の1秒にある。60分の1秒たる1フレームよりも、まだ細かくちいさい。これもまた、仏様の教えに起因するものにあるのだ。
さらにちいさな、10のマイナス24乗たる涅槃寂静までも存在するのであるから、これはもう、なんと偉大なものであるか。ちいささも、また偉大!
そのような偉大なるお釈迦様は、果たしてどのような御方にあらせられたのか──
紀元前6世紀のことである。お釈迦様が産まれたは、天竺にある。今現在で云うところの印度である──と思っていたのか? 違うのだ! その地の名は藍毘尼、今現在の尼婆羅にあるのだ。印度との国境地帯にある。
お釈迦様の産まれたる当時には、別なる教えが存在しており、そこにて、すでに輪廻転生が説かれていた。──簡単に説明すると、死んだ後はなにかしらに産まれ変わってまた生きるということがずっと続くということである。
ここで衆生から坊主から、つまり誰も彼もが最も気にしていたは、『次になにに産まれ変わるのか?』ということである。できることならば次もまた人間に産まれたいものであるが人の心というもの。禽獣の類にはなりたくない。なったとしても、せめて獅子だの虎だのといった、つよくてカッコいいものにしてもらいたいものである。──間違っても鼠みてぇに猫に喰われるような、病原体保菌体として駆除対象になるようなものは御免被りたいところ。
魚にもなりたくない。鳥についばまれるし、人には釣られて捌かれて喰われてしまう。とくにうなぎになぞなりたくないな! 眼ン玉に釘ィばブッ刺されて、腹かっ捌かれて臓腑を抜かれた挙句に車厘に放り込まれたり蒲焼にされてしまうようなクソッタレ生物には死んでも。──まあ死んだら産まれ変わるシステムの話をしておるのでは、あるが。
蟲なぞもっと嫌である。鳥にはついばまれ魚には喰われカエルやカメレオンの舌に捕らまえられて生きたまんま飲み込まれるようなヤツには。──せめて背丈60米にもなるような大怪獣と呼ばれるほどにデカければこんなことにはならぬやもしれぬが、そうなると今度は人間が黙っておらず、身長57米の巨体を誇る釈迦族の王様や王子様によって退治されてしまう。──真ッ平御免にあるな!
さて、人間は最上位にあるわけではなく、いわゆる上位存在が存在する。天界に暮らす天上人と呼ばれる存在にある。ほとんど神様みたいな存在にある。
これに産まれ変わるならいい──と思っていたのか? 神様も天上人もやがては死ぬ。その時、地獄の苦しみの8倍とも16倍とも32倍ともされるトンデモない苦痛を受けるという罠が待っているのだ! 何たる嫌がらせ! これが『断末魔』の語源である!──なおその後は最下層の存在である蟲に産まれ変わることがほぼ確定しているという、まさに嫌がらせの極み!──やはり天上人にも、なりたくない!
と、このような理由により、当時の人たちは死んだ後のことを非常に気に病んでおり、それがため、過剰に死を恐れるようになってしまっていたのである。
これは、『煩悩』のひとつである。──煩悩なぞと聞けば、エロじゃの何じゃのの快楽に身も心も支配されておるように考えてしまうが、それもまたひとつにすぎぬ。なにせ煩悩は全部で108個もあるのだ。
平静な心を乱してしまうようなもののことを、まとめて煩悩と呼ぶのである。
さてお釈迦様は、王子様である。王族たる者、民を救うことが仕事のうち。故に、皆を死の恐怖より救わんとしたのであるが──
王様とて、死ぬのは怖いのである! たとえ身長五十七米、体重五百五十瓲の巨体を有していようとも!
たとえ立派な政治を行って立派な葬式を挙げてもらって立派な墓に葬られたとて、次に産まれ変わったのが涅槃寂静レヴェル下等生物うなぎで、竹籠罠に引っかかって眼ン玉に釘ィばブッ刺されて腹ァかっ捌かれて臓物抜かれて蒲焼にされて重箱飯に乗せられて喰われるのは、真ッ平御免!
しかしお釈迦様は偉大なのである。この、王様さえもが恐れ慄く輪廻転生の輪より逃れる──すなわち『解脱』の方法を見つけるべく、自ら出家なさったのである!
天竺に暮らす皆を、死の恐怖──すなわち『煩悩』より救い出すために!
この時、未だ仏教は存在しておらぬ。当然のことである。お釈迦様が開いた教えなのであるから。この時、天竺に於ける主流の教えは瑪羅門教。故に当初のお釈迦様は瑪羅門僧。未だなりたてほやほやの新米坊主もよいところにあった。
新米坊主のやることは、先輩や先生に教えを受けることにある。優秀なお釈迦様はみるみる成長していった。──しかしながら先生や先輩の教えを受けることは、かなりはやい段階でやめてしまった。その教えの先には、煩悩より救い出すことがないとわかってしまったがために。
しかしながら、お釈迦様は決して、授業をフケて学舎を中途退学してしまったのではない。頭がパンチパーマだからと云って、不良学生ではないのである。──むしろ、優秀な生徒であったので後継者になってほしいと、先生や先輩らが必死に引き留めたほどなのである。
決して、「莫迦野郎この野郎畜生め」などと、裏地に蓮の花が刺繍された丈の長い学ランなぞなびかせて、『天上天下唯我独尊』と書かれた幟を立てた象にまたがり木刀片手にパラリラパラリラと金笛を吹き地煙上げて飛び出したのでは、ないのである。──お釈迦様の名誉にかけて!
と、云うわけでお釈迦様は、ひたすらに修行に励むことと、なったのである。
この時、さまざまなつらく厳しく苦しい修行を行うに至った次第にあるが、最も厳しいものであったとされているは、断食の修行にあった。
かつての巨体はどこへやら。カリッカリに痩せたのみならず、背丈もほかの人たちと変わらぬほどに縮んでしまったというのであるから、相当なものである。常人ならとっくに死んでいるはおろか、何回輪廻転生をくり返し、その度に餓死しているほどの厳しい断食にあったことは、云うまでもなかろう。
これには、さすがのお釈迦様も死にかけた。人間の限界を遙かに超えていたのであるから。お釈迦様でなければ死んでいた。──否、お釈迦様とて、そのままでは死んでしまうという状態になってしまったのである!
この危機を助けたはひとりの娘。名をスジャータと呼ぶ。彼女は己の乳にて粥をつくり、弱りきったお釈迦様に与えたという。今で云うヨーグルトのようなものか? 詳しくはわからぬが、ともかくも、乳製品は健康にいい。弱った身体にはよく効く。──ここにお釈迦様は、死の淵より逃れるに至り、もとの元気を取り戻すに至ったのである。
余談ではあるが、うさぎにも生命を救われている。火の前で休んでいたところ、自ら火の中へ飛び込み焼肉と化したうさぎに。──これも、断食の修行は度を越すと無意味であるという結論に至ったひとつの要因にあった。
体力を回復させるべく、菩提樹の木陰にて休んでいた時──お釈迦様は悟った。ひとつは、ただ修行だけに取り組むことに意味がないということにある。酒食や淫欲といった快楽にふけりまくることがよくないように、厳しすぎる修行のような苦痛を受けまくることもよくないことであると。
そしてもうひとつが──『宇宙の真理』にある。これこそが追い求めていた涅槃の境地! すなわち、仏門の教えの根幹にある! オー、仏陀! 仏教がここに誕生したのだ!
とは申せ、すぐに仏教がはじまったわけではない。──当初、お釈迦様はこれを皆に広めようとは、考えなかったのである。
自分だけでひとり占めしようとしたのではない。お釈迦様はそんなチンケでケチな涅槃寂静小人ではないのだ。宇宙の真理があまりにも常人の考えを遙かに超えすぎていたので、教えたところでどうにもならんだろうと考えたのだ。──衆生を救うどころか、むしろかえって害になってしまうのではないか? と。おお、なんと云う慈悲深さ!
しかしながらその考えを改めさせんとやって来たは、梵天! 吠達が最高神の1柱、『創造神』ブラフマー! 彼はこの教えを皆に広めよと、お釈迦様を説得しに現れたのである。
だがそう簡単にはゆかなかった。お釈迦様の決意は硬かったのだ。ひと筋繩ではゆかぬ。
「お前は衆生を救うために出家したのではないのか?」
と、問えば、
「皆に理解できぬ教えを説いたとて、逆に惑わすだけ。──それは本末転倒もよいところ」
と、くり返すのみ。最高神とて、お釈迦様の決意を揺るがすことはできなかった。
そこで、
「我、最高神なるぞ? 我、創造神なるぞ? 我、神ぞ?──汝は教えを広めるためにつくられたのであるぞ?」
と、神の威光をもってして半ば無理矢理の脅迫気味に云うことを聞かせようとした。
されどお釈迦様、
「尊公が創造神。ならばこの世界を造られたは尊公か。──輪廻転生の苦しみを造られたも尊公か? そして、尊公を造りたるは、何者か?」
と、問うた。──これに梵天は答えられず、絶対的創造神の根源、ここに否定さる。唯一にして絶対なる不変のものなぞ存在せぬと。諸行無常! かくして二度も、梵天はお釈迦様の前より引き退らざるを得ぬこととなった。
しかし梵天もへこたれぬ。最終的には相棒である帝釈天を連れてきて、三度くり返して頼まれた。天竺版三顧の礼!
神様にこうまでされては、無碍にはできぬ。この教えを皆に広めぬというわけにはゆかぬ!──かくして、お釈迦様は皆に教えを説きに、各地をまわるに至ったのである。
仏教の、はじまりである。仏陀の教えだから仏教と呼ぶ。仏陀の歩んだ道を辿るという視点から、仏道とも呼ばれる。──仏陀の教えをひと口に語ることはできぬが、『法』を説くことから、仏法とも呼ぶのである。
そう、仏教とは何か? という問いに対しひと口に語ることはできぬ。『常人の考えを遙かに超えてしまっているがため』、「これは他人に教えないほうがよいのではないか?」と、いち度はお釈迦様自身が考えになられたほどなのであるから。
しかし神様に頼まれたのだから仕方がない。教えぬわけにはゆかぬ。神様との約束を違えるわけにはゆかぬ。──とて、わかりもせぬ者に教えても仕方がない。なにをどう説いても「ハァン?」などという、まるで頭のわるいチンピラレベル1に話しかけた際のような反応ばかりが返ってくるのでは、さすがのお釈迦様も、身も心も到底保たぬのであるから。
教えられるほうも、よくわからんどころかビタイチわからんようなことを延々と語られても困る。無理矢理にでもなどとはもっての他。二度とふたたび、話を聞いてくれなくなってしまうことがお釈迦様には見えていた。
そこでお釈迦様は己を省みられた。己もかつては宇宙の真理を知らぬ、煩悩に満ちた衆生のひとりにあった。──それがどうしてここまで来ることができたのか?
修行を積んで、一人前の坊主となっていたからだ。
つまり一人前の坊主に教えを説き、そこから段階を追って、衆生へと伝えてゆこうと考えたのである。
そこでお釈迦様は、かつてともに修行し、教えを受けた先生や先輩たちに、教えを説きにいったのである。つまりは瑪羅門の坊主たる、沙門らに。
さてお釈迦様は、過剰な修行はかえって害になると悟られた。修行のみを神聖視することの無意味さを説かれたのだ。──しかし、当時の瑪羅門の教えは、苛烈な修行至上主義にある。そういう教えで今までやってきた沙門らからしてみれば、お釈迦様の教えはどう映ったか。
修行を途中で投げ出した怠け者、云わば中退不良学生も同然に他ならなかった!
「おのりゃあ、何云よんぞコラ、頭パンチパーマにしおってからに」
「修行も碌にしやぁせん野良介がぁ」
「帰れ! 帰れコラ」
「二度とわしらの寺の門をくぐるなタココラ」
「またぐなよ? またぐなよ寺の敷居を」
などと、初手は決して芳しいものでは、なかったのである。
──とて、同じく輪廻転生の輪より逃れ、つまり解脱への道を進んできた者ら。云うなれば目的地は同じ、悟りの境地。宇宙の真理。すなわち『涅槃』!
これは登山に喩えれば、目指すは同じ山頂。ただ、通った辿路が違うというのみ!
故に、最終的に沙門らはお釈迦様に帰依するを選んだ。これをパンチャー=ビクシャハ、漢字で書くと『五比丘』という。沙門はぜんぶで五人いたからだ。この五人もまた、お釈迦様と同じく宇宙の真理を理解した、つまり悟りの境地へと達するに至る。──ここに至るまでに充分な修行を積んでいたからだ。
これは余談ではあるが、このように宇宙の真理を理解し悟りの境地へ達した者のことを」『阿羅漢』と呼ぶ。支那読みでアラハン、天竺の言葉──つまりサンスクリット語にては、アラハットと読む。──P.L.O.のアラファト議長とは何らの関係もない。彼は回教徒にある。仏門の徒に非ず。そもそも教えが違う。宗派が違う。国が違う。だいいち時代が違う。
話が逸れた。本題に戻る。
五名の仲間を得たお釈迦様は、他の坊主たちにも声をかけた。「今までの教えを棄てるわけにはゆかぬ」と断られることも多かったが、五比丘のように帰依する者らも多かった。
その中で大きかったは、『三迦葉』の帰依にあろう。これは迦葉家の三兄弟のことで、彼らは皆すべて瑪羅門はアグニマーヤー派の和尚様。つまり大勢力の教団を率いていた。──その寺院、その信徒ごと、仏門に入ったのであるから、お釈迦様と愉快な仲間たちは、にわかに巨大勢力と化したのである。
こうなると影響力はものすごい。坊主のみならず、王様までもが仏門に帰依した。中でも大きかったは、天竺構成国がひとつ摩訶陀国にあろう。今現在で云うバングラデシュ、旧東パキスタンの辺りにあった国にて、最終的には天竺をまたいで西パキスタンまでも領土とする大国にある。
この摩訶陀国の王様、頻婆娑羅陛下がお釈迦様たちのために築いたが、最古の寺院である竹林精舎にある。──ここにお釈迦様は、自らの拠点を得るに至った。
そしてお釈迦様は己の血族に声をかけた。お釈迦様はもとは王子様。故に、己と立ち位置が近い王子様ならば、自分と同じように悟りの境地へと行けるだろうと考えたのである。事実、摩訶陀国の王様はそうなったのであるから。
ここで帰依したる王子様らが、阿那律のほか、後に教典を編纂するに多大な功績を残すこととなる阿難陀。そして彼の兄貴である、提婆達多、後に彼の弟子となる瞿伽梨らにある。
さて王子様たちはお釈迦様の血族にある。皆、個々の差はあれど身体がデカい。こんなデカい図体で手前勝手に歩き回られては、気づかずに衆生を踏み潰してしまいかねぬ。──いきなり不殺生の戒律違反かよ? 聖典の立場がない!
しかし竹林精舎は彼らの図体にはせますぎた。せまいところにデカブツがひしめき合うは、あまりにも不具合がすぎる。
そこでお釈迦様は新たな拠点を──このデカブツどもが一堂に会することのできる大伽藍を求められた。──こうしてできたが、祇園精舎にある。
この祇園精舎、とにかくデカかった。かの巨大寺院、アンコールワットに匹敵する。戦国期のサムライたちが勘違いしたも無理もないこと。──しかしながら、一説には全盛期にはそれすらもを凌駕したとも云われるのであるから、たいしたものだ。とにかく尺寸がデカかったのだ。
かくして、超巨大寺院勢力と化した仏教にあったが──デカくなればデカくなるほど、発生する問題も比例してデカくなる。
内乱のカーニバル、開幕だ!
とは申せ、巨大宗教内でありがちな、権力闘争とはすこしばかり毛色が違う。そうした内紛劇の戦略目標、つまり動機としては、乱暴に云うと金目当てだ。強権を振るうというも、それに付随する土地からのアガりや金銀財宝に眼が眩むと云い換えることができる。
しかしながら、この時の仏門には金というものはないに等しい。そもそも戒律にて、『不要な金銀財宝は保有するな』と定められているのであるから、そんなものあるハズもない。必要がないのだ。他の戒律にて、『豪華な飯を喰うな』だの、『酒を飲むな』だの、『不必要に飯を貪り喰うな』だのと、とにかく銭を喰いがちな飲食代というものが最小限にしかかからぬようになっていたのであるから。
このように、お釈迦様になり代わり教団トップに立ったとして、まるで意味がないのである。お釈迦様の権限はデカくもなく、極端な話、誰が取って代わろうとお釈迦様は気にもせぬであろう。──もともと、お釈迦様は教えを他の誰かに教える気も、教団トップに立つ気もなかったのであるから。
では、何故起きたのか?──ひと口で云うために簡潔かつ乱暴に説明すると、『教えの方向性の違い』によるものである。
細かな違いは幾つもあるが、大きなもので云えば、提婆達多の反乱にあろう。──書くのが面倒くさいので、以下、提婆達多のことを略して『ダイバ』としるす。
お釈迦様は己が悟りに至るまでの経緯から、過度な修行はすべきでないと考えていたが、しかしながらこの時代、どうしても修行至上主義はつよかった。ダイバはこの考えから抜けられきっておらぬところがあった。
とは申せ、何らの修行もせずに悟りの境地に達することができるほど、仏の道は甘くない。故にお釈迦様の愉快な仲間たちは日々修行に励んでいるのだ。
そうした仲間たち、或いは弟子の中には、なかなか悟りの境地に達せられぬ者もごろごろいた。──そうした者たちはやがて、「修行が足りん」と、自ら思うようになっていったも、無理もないことであろう。
彼らにとって、お釈迦様の背中はデカかった。──デカすぎたと云えるやもしれぬ。
『己は凡人であるが故に、お釈迦様に追いつくことができんのだ』
『お釈迦様に追いつく、同じ位置に並ぶ、或いは追い越すためには──』
『もっと修行を積むしかない!』
──と、云うことである。ダイバもそのひとりにあった。
そこでダイバは厳しい修行を積むことにした。戒律もさらに厳しいものとした。──屋根の下に入るな、着物は襤褸にすべし、などなど。最も厳しいは、『肉、魚、乳製品を喰ってはならぬ』である。
これを、お釈迦様は咎められた。無理もないことである。お釈迦様はスジャータよりヨーグルトを受け取って食しており、また、自らその身を火の中に差し出したうさぎの丸焼きを食している。──故に、ダイバの定めた戒律は、仏の道を逸脱した、まるで無意味なものと咎めたのである。
しかしダイバは聞き入れぬ。
「悉達多(お釈迦様の本名)よ。我らは尊公と違って凡人なり。このままではとても、数千年数万年の時を経たとて、尊公の位置に追いつくことはできぬのだ。──そのためには、厳しい修行しかないのだ」
──と。
ダイバはダイバなりに皆のことを考えている。そのことをお釈迦様は理解していた。しかし度を超した厳しい修行は害毒にしかならぬを理解していたもまた事実。
故に、両者は対立するに至ったのである。
──とて、どこぞの教えのように、派閥同士が血の抗争をくり広げるには至らぬ。「ダイバにはダイバの道があるのだ」と、お釈迦様は云うのみで、武力行使はしなかった。
ダイバはダイバで、仏門の教えに背いたわけではない。あくまでも己らの仏道を行くを選んだまでにある。
とて、結果としては両者の対立は派閥同士の対立へと波及する。どこぞの教えのような陣営同士の武力行使こそなかったも、しかし波風立ち騒ぐ内紛劇は起きていた。
その中でも大きなものは、ダイバ派についた瞿伽梨の讒言にあろう。
ある日、お釈迦様派である舎利子と目犍連が外へ教えを説きに出ていたときのこと。急な暴雨に見舞われ、そこらの小屋にて雨宿りをすることとなった。──そこには先客として、娘がいたのである。無論ふたりはその娘に要らぬことなぞせぬ。ただ皆でおとなしく雨止みを待っていたのみにあったが──
ここに、瞿伽梨は眼をつけた。対立派の幹部たるふたりを除こうというのである。──無論、実力行使は御法度。不殺生の禁を犯すようなことはせぬ。
彼は自慢の口舌を振るったのである。
お釈迦様に「御耳を拝借」と近づいて、
「舎利子と目犍連は女子と過ちを犯しましたぞ。これは不邪淫の禁にふれることでございます」
と、悪意マシマシ妄想モリモリ根も葉もない讒言を行ったのである。
まるで学校の先生に云いつける性格の悪い女学生のごとき所業。人類史上幾つも、この手にて陥れられた哀れな犠牲者を産んだ悪行手段! 数多の名君がこの手に引っかかり、功臣を自ら失うに追いやられ暗君と化した。
お釈迦様もこの手にまんまと引っかかる──と、思っていたのか?
お釈迦様はそんなチンケなつまらんカスのような手に引っかかるような者ではなかった!
「何を云うのですか瞿伽梨。寝言は寝てから云いなさい。舎利子も目犍連も立派な阿羅漢。あなたほどの者が、彼らを信じなくてどうするのです」
と、讒言を相手にもしなかった。
しかし瞿伽梨も引き退がれぬ。ことここに至っては。己の進退がかかっておるのだ。
「阿羅漢とは云えふたりの男ですぜ? 色香にあてられてよからぬことをしますわ」
と、讒言をくり返す。──もちろんお釈迦様は取り合わぬ。
「仲間を信じなさい。信じなくてどうするか」
と、同じ回答をするのみである。
しかし瞿伽梨は引き退がらぬ。
「女ひとり、密室、男ふたり、何も起きないハズもなく……」
三度、このようなことをくり返すに至った。
そしてついに、
「大の男ふたりがかりでかよわい娘に力づくで乱暴を行う! こんなことが許されるものか!」
四度目をくり返すに至り、
「コーカリヤ! ワレェ! おどりゃあ変な薬でもやっとるんけやこんクソダボがぁ! わりゃあ、さぁ〜〜っきからずぅ〜〜っと黙って聞いとりゃあ手前勝手に好き放題勝手放題に嘘八百八寺を云いおってから! おんどれの舌も心も腐り果てとるわのう! 一遍破門したろかクソボケェェ!」
雷鳴のごとき声が祇園精舎に轟くに至る。
『仏の顔も三度』! ついに限界を突破してしまい、お釈迦様の怒りが炸裂した。天は裂け、地は震え、海は揺らいで逆巻いた。割れた天より雷光閃き、ひと筋の巨大な稲妻が、地に向かって真っ逆様、一直線に降って落ちるに至る。
『南無・三陀』!
「ぬわーーっ!」
瞿伽梨はその身に強烈な雷撃を受けるに至る。他人をあらぬことで陥れようとしたことの、罰が当たったのだ。
この雷撃によって受けた傷が日に日に巨大化してゆき、ついには破裂し、そこより大量の血の噴き出すに至る。──かくして瞿伽梨は、出血多量にて死に至る。
お釈迦様はこう語る。
「人の口内には斧がある。口舌の刃は人を斬る。──なれど、その刃は己をも斬り裂き、やがては死に追いやる。愚か者は他人の悪口というかたちにて、己の身を斬るのである」
と。不悪口の戒である。──この逸話が後に英國に伝わり、FUCKの語源になったという説もある。
この罪にて、瞿伽梨が地獄にて課せられた刑期は、じつに五千兆年とさらに一千万の千二百倍の永きに渡る。
「──故に、人は常に言葉を慎まねばならない」と、お釈迦様は締めくくるのであった。
この件により、ダイバとお釈迦様の対立は決定的となる。愛弟子の仇討ち。ダイバはついに実力行使に出たのである。
とて、身長五十七米体重五百五十瓲もあるお釈迦様を倒すは、いかに同族ダイバとて容易ならぬ。体格では引けを取らぬも、パワー負けするのだ。スタミナもまた同様。──そもそも、真正面きっての勝負は、叛逆者の誹りを免れぬ。無手にての勝負とて、互いに剣を取っての決闘とても。
そこで、ダイバは『事故に見せかけて暗殺』する手を選んだのである。
事故と云えば、落石にある。天竺北部は山岳地帯。落石事故は頻繁に起きていた。そこでダイバ、巨大油槽船ほどもある大岩を、希馬拉雅の山頂より力一杯に、麓にある菩提樹の下で瞑想するお釈迦様めがけて投げ落としたのである!
大雪崩を起こしつつ地鳴りを上げて落下する大岩! まず雪崩れにて足止めし、動けぬところへ大岩が着弾する二段構えの戦法! これは見事に当たり、お釈迦様は岩の下敷きとなるに至る。
「アイ・ハブァ・ウイン(われ勝てり)!」
ダイバは歓喜の声を上げる。
しかしお釈迦様は只者ではない。
「おお……危ないですねえ」
お釈迦様は額を割られて流血するも、しかしほんの軽傷を負ったのみであった。
「ヌウゥゥ〜〜ッ!」
希馬拉雅の山頂にて齒嚙みするダイバ。──しかしただ一度の失敗であきらめるような柔ではない。
ダイバ次なる必殺の策。それは交通事故である。──とて、この時代、大型十八輪トラックもなければ、キャデラックも存在せぬ。もしあったところで、大岩の直撃が致命傷とならぬお釈迦様には効かぬ、通じぬ。
ダイバが用いたは、象である。エレファント! 巨大な肉体とそれに比例する大質量、そして突進力を有する、地上最強の生物!
無論、ただの象では話にならぬ。そこらの印度象はおろか、非洲象や猛獁象すら上まわる体格とパワーをお釈迦様は有しているのだから。
さて天竺にては、世界は巨大な亀の上に巨大な象が何頭も乗っており、それが大地を支えている。──そのうちの数頭を、ダイバは必死こいて連れてきたのだ。
無論、象はこんな企てに手を貸したがらぬ。だいいち、無理こ矢理こ連れて来られて非常に機嫌が悪い。「誰が手前の云うことなんて聞いてやるか莫〜迦! 尻!」とでも云わんばかりに、「パオーパオー」、「パゴーパゴー」と、威嚇の鳴き声を上げるのみにある。
そこはダイバも織り込み済。芋と麦芽を発酵させ、それを白樺の炭にて濾しつつ何度も蒸留をくり返して作った強烈なうまい酒を、象たちに与えたのである。──これには象もたまらず、へべれけに酔っ払った大虎と化したのである。
酩酊象は地鳴りとともに、針路にあるすべてのものを薙ぎ倒し、粉砕しつつお釈迦様めがけて突進した。迫り来る危機! これほどの勢いでこれほどの大質量が当たれば、ほんのかすっただけでも致命傷は免れぬ!
この危機にお釈迦様はどう立ち向かったか。
「はあっ」
後にお釈迦様の掌は、衆生をただのひとりも取りこぼさぬほど大きなものとなる。花果山産まれのサルが出られなかったほどに。──とて、それは涅槃へ旅立って後の話。この時はそこまでの巨大さは有しておらぬ。
だがそれでも、大きな掌。その掌同士を打ち合わせ、猛烈な炸裂音を響かせたのだ。相撲で云うところの『猫騙し』の秘術! これにはさすがの巨象も虚を突かれてほんのわずか一瞬、刹那のたじろぎをみせた。
それほどの時間があれば、充分!
「波羅蜜多ァ!」
お釈迦様は象の勢いに逆らわず、見事に受けて流された。象は己の勢いのままに地へと倒れ伏す。──しかし傷は負わぬ。受け身が取れるよう、お釈迦様は投げたのである。
「パゴォ……」
「パゴラァ……」
これに酔いの醒めたる象ら、ついにはお釈迦様の前にひざまづくがごとくに座り、芭蕉扇のごとき耳をはためかせ、おとなしく説話に耳を傾けるまでに至った。──宇宙の真理は象たちにも広まった次第。
これは余談ではあるが、仏教に於ける地獄には、『象に酒を飲ませて酔わせて人を襲わせた者』が落ちる専用の地獄がある。──この件が理由であるかは、定かではない。
確実に云えることは、ダイバ必殺の酔象作戦は失敗に終わったということである。
「おのォォれおのれ悉達多! 次はこうはゆかぬぞ!」
畜生なぞに頼ってはおられぬと悟ったか、それはわからぬが、いづれにせよダイバは己の手を用いると決めたは確かだ。──とて、剣も拳もましてや投げ技も通じぬお釈迦様が相手。生半可な方法では失敗は確実。
ダイバは、お釈迦様の弱点を突くを決めた。
それは、『毒』! お釈迦様は毒に対する耐性を持っておらぬを突き止めたのである。
とて、食事に混ぜるという手は使えぬ。祇園精舎に暮らす者は皆が皆同じ釜の飯を喰う仲間なのだ。お釈迦様ひとりのみを狙って毒を放つは不可能にて、また、ひとりだけというはあまりに不自然。天竺警察は間違いなく毒殺を疑う。
そこで、毒蜂に刺されたと偽装すべく、蜂毒を用いた毒矢にて、狙撃する作戦に出たのである。
「── 距離、3糎センチ。風、東より1米メートル。角度、よし。狙い、よし。すべて、よし。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ。──『狙撃』!」
天候、風速、その他の要素をしっかりと計算し、偏差をもって毒矢は放たれた。必中、つまり必ず命中するという自信の込もった渾身の射撃にあった。
「──ヌナッ!?」
しかしどうしたことか! 矢は狙いをはずれ、てんで明後日の方向へと飛んでいったではないか。
「『最高会心の射撃』!」
何たること! またしても狙いをはずす!
「『渾身会心の射撃』!」
ふたたびはずす! もう後がないぞダイバ!
「『最終最高の射撃』!」
最後の一矢もはずれた! 今度もまたダイバは仕損じたのだ!
「ヌウゥ〜〜ッ! か、かくなる上は!」
狙いをはずさぬ至近距離にて、確実に息の根を止める算段にある!
とは申せ、毒刃なぞは使えぬ。斬られた傷なぞ見つかれば、たちまち天竺警察は殺人事件として扱ってしまう。事故に見せかける目論見は大失敗となる。毒矢も無理だ。「ダイバが弓矢を持ち歩いていました」との証言が出ればそれまで。
そこでダイバは、己の身体に毒を仕込んだのである。
──十三種類の毒草、毒キノコの粉末、有毒性の薬品とを混ぜ合わせたるものを用意する。その製法は秘密にて不明であるが、王蛇の毒や病毒を入れたものまでもが開発されたと聞く。
こうしてつくられた毒液、或いはそれを溶いて混ぜた毒砂を壺や鍋に入れ、そこへ貫手にて突きを何度も放ち、手を毒に浸す。──無論そのままでは己の身体に毒がまわり死んでしまうため、正確に計量した治療薬にて洗浄す。すこしずつすこしずつ、毒を帯びさせてゆくのだ。
これを四十四日くり返すと、毒の拳が完成す。──支那発祥の拳法で云う、毒砂掌の秘術。後に日本へ伝わり、忍者が『毒手』として用いた必殺の暗殺術にある。
必殺の名は伊達ではない。これに打たれれば、肉は腐り、骨は骨髄まで冒され、印度象すら死に至る。必ず死ぬのだ。ただの一撃にて!
いかにお釈迦様とて、ダイバがこんなやばすぎるものを己の右手に仕込んでいるとはご存知あるまい!
しかし真正面より挑むは危険が大きい。気取られては事を仕損じる可能性が高い。──獲物を狙う虎のごとく、ダイバは密かに忍び寄る。
じわじわと距離を詰めつつ、ダイバの眼は狙いを定めてゆく。虎のごとく鋭き眼光が、目標たるお釈迦様を捉えた。──未だ、向こうは気づいておらぬ。
狙いは、今! 飛びかかる虎のごとくに、ダイバは身を躍らせた。
「トラ! トラ! トラ! 我、奇襲ニ成功セリ!」
そう叫んだ時にはすでにダイバは拳の間合いに入っていた。つまり打てば当たる距離。しかし相手はお釈迦様。なにも考えず不用意に拳を放っては、避けられて失敗する恐れがあった。
そこでまずダイバは、お釈迦様の動きを止めにかかった。毒をもたぬ左手にて、お釈迦様を摑んだのである。
「汝! 暗転入滅せい!」
摑んだお釈迦様をめがけて毒の拳が放たれる。この時ダイバの握った拳は、人差し指と小指とが立てられていた。支那の拳法が一派、鞏家にて用いられる独特の握りにあるが、これは弥勒菩薩の右手のかたちと酷似している。
「提婆、その拳は──尊公、菩薩の境地に!」
お釈迦様の言葉の終わりし頃、毒拳は命中した。
しかしそれはお釈迦様にではなく、摑んだ己の左腕にである!
「グワーーッ!」
その威力たるやすさまじい。立てた人差し指と小指とが、皮膚を貫き肉へ深々と突き刺さっていた。──そこに空いたふたつの孔より、みるみるうちに白煙が上がり、周囲が変色してゆく。『人を呪わば穴ふたつ』の語源にある。
それにしてもすさまじきは毒手の威力よ。左薬指の血管は心臓への直通航路。つまり左腕の動脈へつながっている。この直通路を毒手に貫かれたのであるから、たちまち血液は汚染され、心臓部へと至り、そして全身が内部より隅々まで冒される。──なんてことだ、もう助からないぞ!
「ヌウゥ〜〜ッ! 悉達多! わしはついに汝に勝てぬままであったか!」
身を内部より焼く苦痛と、己の肉の上げる腐臭とに顔を歪ませてダイバはうなる。
「わたしは尊公と敵対してはおらぬぞ! 何故そのようなことを云うのか」
お釈迦様の問いに、
「わしは汝に追いつきたかった。追い越したかった。弟子は師を超えてゆくもの。──しかしわしは汝に追いつくことすらできなかった。不甲斐ない弟子よ!」
と、ダイバは答える。
「死ぬまで、汝には勝てなんだか。──負けた。わしの負けだ悉達多」
しかしお釈迦様は、首を振って云う。
「わたしは尊公に勝ってなぞおらぬ。そもそもわたしは尊公と敵対してはおらぬのだからな。──尊公は、尊公自身に負けたのだ。勝ったのもまた尊公よ」
「ヌウッ!?」
その言葉に、ダイバの脳内が煌めき輝いた。──悟りの境地に達したのでもある。
それも、大きな悟り。すなわち、大悟!
「わ、我、大悟せり!──己の敵は、己なり!」
“己の敵は己”──水面に映る己の幻影! それこそが越えるべき敵! そこを見失い、本来は敵対関係にないお釈迦様を敵と思い込んでいた!
悟りの境地に至ったるダイバ、残る力を振り絞り合掌す。
「悉達多──いや、仏陀。改めて……我、汝に帰依し奉る。南無……」
かくして、提婆達多、ここに死する。師の殺害を目論んだ罪にて地獄行きは確定したが──刑期を終えた後は仏の一尊となったという。彼もまた悟りの境地に至ったのであるから。
この、教団内部の内乱は、お釈迦様の心身を極めて疲弊させるに至った。同時期に、祖国が滅亡するに至ったこともまた。
肉体に蓄積された打命傷、精神に受けた衝苦は、じわじわと毒のように蝕みを続けていたのだ。そしてそれは、表へと出はじめていた。
お釈迦様は己の寿命がもう残りすくないことに気づいたのである。
そこで、入滅──つまり現世にての生を終え、涅槃へと旅立つ準備をはじめたのである。
──すべてをしるすには、あまりにも時間が足りない!
お釈迦様は己の教えを自らしるして残すことはしなかった。それを行うにはもはや寿命が残っていなかったのだ。──故にそれらは、弟子たちに任せることにした。皆、それができるほど一人前に育っていたからである。
また、己の教えこそが絶対とは考えなかった。この世は常に変わり、移ろうもの。『諸行無常』の考えにある。故に、これからを生きてゆく弟子たちに、敢えて託したのだとも。
そのような時、お釈迦様は謎咖喱を食し、これに中られた。一説にはお供え物として差し出された謎キノコの毒に中られたとも云われる。いづれにせよ食中毒を起こされた。──毒に耐性をもたぬため、起き上がれぬほどに衰弱し、入滅の時はいよいよ近づいたのである。
「定めだ。わたしが死するは定めなのだ。──決して、謎咖喱をつくった者のせいでも謎キノコを贈った者のせいでもないのだ」
皆はそれを理解したも、しかし偉大なお釈迦様を失うは大きい。阿難陀をはじめ、皆はこれを嘆き悲しむに至る。
しかし、
「泣くでない。森羅万象のすべては変わり、滅び、うつろいゆくもの。諸行無常! それはわたしとて例外ではない!──尊公らはわたしを引き継ぎ、怠らず教えを完成させなさい」
との、お言葉を遺されるに至る。
かくして、満開の花を咲かせた沙羅双樹の下、弟子や動物たちやその他諸々の有象無象らに見守られながらお釈迦様は涅槃へと旅立った。──その後火葬され、遺骨たる仏舎利が世界中の寺院にすこしずつ配られたは、冒頭で述べた通りだ。
仏門の教えは、遺された言葉の通り、弟子たちによってついに経典として完成された。──その時に重要なはたらきをなしたが、阿難陀にある。
経典の冒頭にある定型句として、『如是我聞』、つまり「我は仏陀からこう聞いたのであるが」というものがある。この『我』とは、阿難陀のことである。彼の口伝を、他の者が筆写したというかたち。
もっとも、編纂は並々ならぬ苦労の果てになされたもので、その理由としては、肝心要の阿難陀自身が、そこまで細かな性格ではなかったがため、細部をお釈迦様より直には聞いておらず、「何しにもっと細かに突っ込んでお釈迦様に訊かなんだんぞワレコラ」と、迦葉兄弟ら編纂にあたった弟子たちは阿難陀に文句をたれたという。
ともかくも、残された弟子たちの手によって、お釈迦様の教え、すなわち仏教はここに完成をみた。──経典は天竺の各所に広がり、また、絹の道を通って西は波斯、北は露西亞のカルムイク、南は東南亞、そして東は支那、朝鮮は百済を経て、遙か日本にまで、聖徳太子の時代に伝わるに至ったのである。
かくして、偉大なるお釈迦様のお話はここで終わるのであるが──
仏教そのもののお話は、もうちょっとだけ続くんじゃ。




