1-2-1.モーターサイクル
開いてくれてありがとうございます!
僕は結局、ファイブに言われるがまま、ぐっすり寝ている陽月をおぶって、ファイブの活動拠点であるアジトとやらに行くことにした。
「あともうちょっとで着くからね。頑張れ!秋くん」
「…………」
一働き、と言われてある程度察しはついていたが、想像以上の労働だった。痛み止めを飲んだとはいえ、万全に体が機能しているとは言えないし、今日は特に予期しないイベントのせいで疲れが溜まっている。意識の無い人間をおぶって歩くのがこんなにも辛いものだとは思ってもみなかった。
ファイブは余裕の表情であっけらかんと歩いているが、さっき言っていた《結界》とやらを張るので忙しいのだろう。そうでなきゃ僕に陽月を運ばせる説明がつかない。
「しっあわっせは~!あっるいってこっない!だ~かっら……」
割と余裕そう。殴りたいな?
まあ、そんなことを言っても両手が塞がっているので、一旦置いておく。
黙って重荷を背負って歩くのもしんどくなってきたところで、気を紛らわすためにファイブに質問をしてみた。
「こいつ、いつまで寝てるんだ?本当に起きるんだろうな」
「大丈夫大丈夫。薬を盛っただけだから」
「……。僕が飲んだのと同じのか?」
「ううん、違う。陽月ちゃんに飲ませたのはただの強力な睡眠薬さ。安心してね、強力って言っても永遠に起きなくなるようなものじゃない。……まあ、なんでそんなのを盛ったのかっていう疑問の回答は後で話すよ。起きられると非常に拙いことになってたからね」
こいつ、こんな状況になってしまった原因が分かってて話さないのか。本当に信用して大丈夫だろうか。
……まあ、信用なんてしてないか。ただの、都合の問題だ。今は。
「ほんと心配しなくても大丈夫だって~!俺は君達を助けに来たんだから。……あ、ひょっとして陽月ちゃんは秋くんの……コレ?だからそんなに心配してるの?」
ファイブが右手小指を立て、ニヤニヤする。
ああ、なんとなく分かった。
怪しいだの胡散臭いだのとこの男を表現するのに色々な言葉を使ったけれど、ただ単純に僕はこの手の鬱陶しい人間が苦手なのだと思う。一応、恩人ではあるんだろうけど、人には合う合わないがあるということだ。
「……同じ高校の同級生だよ。帰り道にこいつの自転車が転がってて……って、あ」
「ん?どうした」
そんなことで、ふと思い出した。
「自転車そのままにしてきた……」
「自転車?あー、あれね。どうせ君達のものだと思って、ウチの人間に回収頼んだから安心してよ」
「よかった……あんなの放置してたらそれこそドミノ倒しだ」
「ドミノ?」
「ああ、こっちの話」
三次四次被害が出る可能性もあったので助かった。たかだか自転車で転んだ、なんて言っても、打ちどころによっては死にかねない。……バッチリ学校のシール貼ってあるし。
それにしても、今は何時くらいだろうか。随分歩いた気がする。大男に襲われた時刻は19時前。救急車を呼ぼうと携帯を開いた時に確認をした。そして、アジトへ向かう際の時刻をファイブに聞いたところ、19時30分だった。
僕達は30分以上あの路地に居座っていたが、近隣住民が駆け付けに来るどころか車一つ通っていない……はず。通ってたら轢かれちゃってるし。さっきファイブが言っていた《結界》というのは、そういったものを排除する何らか手段のことだろう。
「お、見えてきた」
「…………」
ここは、僕の通学路から1本北側に入った道から、途中で西に曲がった先。
所謂区画道路。この辺りは5年程前、大規模な区画整理で田園を住宅街にしたと母さんから聞いた覚えがある。同じような風体の家が並んでいるが、恐らく住宅メーカーが街区ごと買い占めて建てたんだろう。
そのまま真っすぐ歩いていくと、外壁が焦げ茶色の家の前でファイブの足が止まった。
「ついたよ。ここが俺達のアジトの入り口」
「……入り口?」
「そ。両隣の家も実はアジトの一部で、入り口……というかメインで使ってる玄関がここにあるんだ。中は広いぞ~!」
「…………」
やけにテンション高いな……正直ついていけないんだけど。
「さ、入って入って」
ファイブは玄関のドアを開き、僕を手招きする。
「お邪魔しま……す」
中も外見と同じく普通の家と変わらない感じ。
「アジトって言っても、居抜きの一般住宅3棟を買い取って改造しただけだから、ほとんど普通の家と変わらないんだよね。期待しちゃった?」
「いや、遊びに来たわけじゃないし……。それより、こんな区画整理地内の3棟並んでる家、普通買えないだろ。金の問題もあるけど、居抜きって……地上げでもしたのかよ」
「地上げ?そんなの犯罪じゃん!そんなことするわけないだろ?」
ファイブは靴を乱暴に脱ぎ捨て、一段上がったところで僕を見下ろしながら、言う。
「この3棟、なにやら曰く付き物件だったらしくて驚くほど安く買えたんだ。3棟共、4年間で家主が7、8人変わってるんだって」
「……か、帰ってもいいか」
なんだそういうことか……ってなるか。曰く付きも曰く付きだろここ。普段なら一秒足りとも入らないけど、今はそう我儘も言ってられないか。
周りのほかの家は大丈夫なんだろうか。
「日本に来てから3か月ほど住んでるけど、幽霊なんてものは出てないから大丈夫大丈夫!そんな話は置いといて、陽月ちゃんを下ろして大事な話をしようか。廊下の突き当たりを左に行くと寝室があるから」
まあ、この状況で我儘も言っていられないのは分かっている。
玄関で陽月を下ろし、陽月の靴を適当に引っ張って脱がせた後、自分の靴を脱ぐ。陽月を抱っこするように抱えながらファイブの後を付いていく。玄関から廊下を左へ。突き当りの手前で右に進み、左手にある部屋の前に立つ。
「ここ、空いてる部屋なんだ。入ろっか」
ファイブが開けたドアから入ると、ベッドが1つある気持ち広めの寝室だった。
ベッドに陽月を寝かせて、そばにあった椅子に腰掛ける。ファイブは部屋に入って早々、窓際の壁にもたれかかって煙草に火をつけ、一吸いしてから煙を外へと吐き出して僕の方を向いた。
「ここまでご苦労様。とりあえず安心してくれていいよ」
ファイブの言葉で、若干肩の荷が下りたかのように力が抜ける。いや、この表現は正しくない。本当に肩の荷を下ろしてベッドに寝かせたのだから。
「先に用事だけ済ませちゃおうか」
「用事?」
「すっかり忘れてるようだけど、君も陽月ちゃんも家に帰ってる途中だったんだろ?親御さんが心配するから先に連絡を入れておいた方がいい。……今日は家に帰るのを諦めてくれ。君達だけじゃなく家族まで危険が及ぶ」
「…………」
おおよその見当はついていたが、やはりか。
ファイブが何を目的として僕達を助けたのかは置いておいても、とりあえずの危機が去ったのなら別にここに身を寄せる必要はない。僕も陽月も殺されかけたとはいえ、現在は五体満足だ。
ファイブがここに僕達を連れてきたのは、その危機がまだ去っていないからだろう。
「分かった。……けど、どうしようか。僕、携帯壊しちゃったし、陽月の携帯もパス分かんないから使えない。固定電話とかあるか?」
「あー、固定電話はないけど、俺が使ってるスマホ擬きならあるよ。これでいいかい?」
「通話出来るならなんでもいいよ。さんきゅ」
ファイブから、やたらボタンの多いスマホを受け取り、自分の家の固定電話ダイヤルに電話をかける。数秒の後に受話器が上がる音がした。
『もしもし、瑠璃川です』
「あ、母さん」
『え?もしかして、秋?帰ってこないと思ったら今何してるの。電話番号も知らない番号だし……』
「ああ、ごめん。今日ちょっと友達の家に泊まることになってさ。実は携帯壊しちゃって、友達の携帯借りてる」
『え……貴方、友達居たの?』
「…………」
まさか母親にも友達がいない奴認定されていたなんて思わなかった。
……じゃなくて、携帯壊した方はいいのか。
『まあいいわ。今日はご飯いらないのね。明日のご飯はどうするの?』
「ちょっとまだ分かんないから保留で。あとさ、陽月の母さんの電話番号って知ってる?」
『陽月ちゃん?陽月ちゃんも一緒に居るのね。今日、貴方のお弁当渡してくれたと思うけど、ちゃんとお礼言っときなさいよ。連絡しても全然返事がないからもう大変だったんだから……あ、それで思い出したけど担任の先生にも迷惑かけたみたいね。あんなに慌てて出て行ったのにどこに行って――』
「母さん、ストップ。脱線してる」
『あら、そうね。……何の話だったか分かんなくなっちゃったわ』
「陽月の母さんの連絡先だよ……」
『ああ、そうだった。チサちゃんチサちゃん……前にスマホに変えた時にちゃんと電話帳移してあったはずだけど……ちょっと待ちなさい』
保留の音が鳴り始め、少し携帯から耳を外す。溜息が零れた。
「いい親御さんじゃないか、ちゃんと心配してくれて」
音が漏れていたか。あまり身の回りの情報をこんな奴に知られたくないのだが、既に大方知られてしまっているのが現状である。特に学生証は誤魔化しの効きようがない。
そんなことを思っていたら、保留の音楽が止み、再び携帯を耳に当てる。
『えっと、xxx-xxxx-xxxx。復唱するわよ』
机に置いてあった紙とボールペンでメモをとる。
「OK。ありがと」
『何に使うの?』
「陽月が寝ちゃってるから、代わりに連絡する」
『分かったわ。あまりおうちの人に迷惑をかけないようにね。あと、今日の話明日ちゃんと聞くからね。おやすみなさい』
「…………」
早めに切った。どう説明しようと怒られるのは確定的だけど、今日のところは忘れよう。向き合うべきは今そこじゃない。
「許可は貰えたかい?」
「ああ、うん。陽月の母親にも連絡する」
僕はそのまま陽月の母親に連絡をした。陽月の母親は、今日も家には帰っていないようだった。通話中、何やら妙な勘繰りをされたものの、無事に聞き入れてもらうことは出来た。
スマホ擬きをファイブにポンと投げ渡す。
「終わったよ」
「了解。じゃあ、話を始めるとしようか」
ファイブが窓際に置いた灰皿に、タバコを押し付けた。
「まず話しておきたい……というか、君が最も知りたいであろう今回の事件について、端的に整理しておこう」
「事件……か」
まあ、そうだろう。大男は陽月を殺そうとした理由を『害虫駆除』だと言っていた。だとすれば、偶然の出会いだったわけではなく、陽月を殺そうとしてあそこにいたということ。
原因は、陽月にある。
「始めに、今回の事件について。俺が秋くんから聞いた話を基に整理していくから、真実とは乖離する部分もあるだろうけど、まあ聞いてみて」
「うん」
ファイブは顎に手を当て、足を組む。
「陽月ちゃんは下校中、謎の大男に襲われ、重体。その後、程なくして通りがかった秋くんは陽月ちゃんが襲われたときに放置された自転車に躓き、転倒。直後、瀕死の陽月ちゃんを発見。そして、陽月ちゃんを襲った大男が現場に戻り、今度は秋くんが襲われた。概ね、こんな感じだろう」
あの陽月の状態は重体や瀕死というか、本当に死んでいたと確信できる。けれど、それを話すのは時期尚早か。
信用は、出来ない。
「まあ、これだけなら言ってしまえばただの通り魔殺人事件だ。だが、そうはならない。何故なら、大男は素手で君の腹を貫いたと言ったからだ。――それだけで、今回の事件に通り魔という真っ当な事件の可能性は否定される」
「真っ当……か」
自分の中で解決できるものはしてきた。例えどんな手段を使っても、それが正しい形であると信じて。
けれど。
あんなものは、自分が解決できる範疇の問題ではない。
そう思ったから――素直にここに来た。
餅は餅屋。蛇の道は蛇。例えそれが自分に不都合なものだとしても――利用できるものは利用する。
「以上の事実に基づいて簡単に答え合わせをしよう。――これはただの通り魔殺人じゃない。その大男が言った害虫駆除という言葉の通り、陽月ちゃんという害虫を大男が駆除しに来たんだ」
「…………」
分かっている。
そう言えば顔色を悟られずに済むのに……何をしているんだ、僕は。
目を逸らすな。
不安も動揺も悟られてはならない。
利用されるな。
「そして君はその巻き添えを食らった訳だ。……まあ、それにも気になるところはあるだろうけれど、それは順に説明していこう」
ファイブはまるで用は済んだと言わんばかりに開き直った態度で、新しいタバコに火をつけ、一吸いした後に紫煙を窓の方へ吐き出した。
「次にこの事件の登場人物の紹介といこう。――御劔陽月。ただの女子高生……だった子」
「だった子って……」
「言い方を変えようか?」
「…………」
「話を戻そう。実は俺も別の用事で疲れててね。ぐっすりとはいかなくても、君が安心して寝れさえすれば今日の仕事はとりあえず完遂される。……憤りも何もかも分かるけどね」
僕は、ファイブの言ったことに無言で返す。
「続けるよ。――大男。陽月ちゃんを襲った《根底の世界》の人間。彼がしたのは慈善事業。この世界で再び惨劇が繰り返されないように陽月ちゃん――《へーレティカー》と呼ばれる特異体質を持った彼女を始末しようとした」
「……なんなんだ、そのヘーレティカーって」
「ま、とりあえず聞き流してくれていい。次は――瑠璃川秋くん。君は、ただその現場に出くわしただけの男子高校生……だった子。そして、この事件の唯一の被害者だ」
「陽月も被害者だ」
「違う。言っただろう?彼女はこの事件の発端であり、事件の原因そのものだ。それが意図したものにせよ、偶然にせよ、事実は変わらない」
落ち着け。
次が重要だ。そして、それ以外はこの場において重要ではない。
この男が敵か、味方か。
「そして最後は、君の考える通り――俺。《へ―レティカー》のエモを探知し、大男同様陽月ちゃんを始末しようとした《根底》の殺し――」
ファイブがその言葉を言い切る前に、僕は座っていた椅子の背もたれを左手で持ち、右手を座面に添えて、ファイブの顔面目掛けて突き出す――が、手ごたえがない。
金属に当たったような音がした後、それ以上奥へと動かなくなった。
「へえ。咄嗟に手が出たところが陽月ちゃんを庇うものではなく自分の座っていた椅子か。――面白い。俺が銃を構えるよりも反応が早かったね」
銃か。やはり堅気ではないな。
僕は、この距離でファイブが銃を撃った場合、椅子を貫く可能性があるかどうかをなんとなく考えた後、撃鉄が起きた音が聞こえなかったのを思い出し、少し右手の力を緩める。
「油断するなよ?撃鉄が起きた音が聞こえなかったからといって、撃鉄が起きてない理由にはならない。相手が未知の武器を使用している可能性、あの男と同様に非常識な能力を使う可能性――それら全てを考慮した上で最善ではなく最良をとれ」
「…………」
「癇癪でそこにいる陽月ちゃんを殺すのか?死に体で陽月ちゃんのために強大な敵と対峙し、あまつさえ生き残っておきながら」
違う。あれは陽月のためなんかじゃない。
僕のための、復讐だった。
「その回答を聞きたかったらまず銃を仕舞え。でなけりゃこのまま押さえつける」
「はいはい。……冗談のつもりだったけどこんなに信用されてないなんてね」
椅子に押しつけられていた力が無くなったのを感じたが、椅子を下さずにファイブの方へ少し押し出した。
「どうせ視界が遮られて、椅子を下ろそうにも下ろせないんだろ?人を殺るつもりならそこまで考えなきゃダメだよ。椅子の足が俺の顔面を直撃していたとして、それは致命になるか?そんな武器にもならないようなものを使って殺し屋を殺すのなら、目を狙え。そして、例え俺を殺せたとしても、それでクリアじゃない。君は陽月ちゃんを抱えて敵地から無傷で帰還しなきゃならないだろ?――こっちに先に武器を下げさせたのはよかったけどね」
「…………」
「あーもう!分かったから!……君だって俺が最初から二人とも殺すつもりならこんなところに連れてくる訳がないって分かってるだろ?そこの疑問が拭えないから動揺したんだろう?」
見透かしたように、ファイブは言う。
その通りだ。気が立っていたし、余裕もなかった。
「早いとこ話を終わらせよう。俺も君も、きっと疲れているんだ。だから、ね」
僕が椅子を掴んでいる両手にファイブが触れる。
それでようやく、僕は手を下ろした。
「……こっちも悪かったよ。あまりに君が俺に敵意しか向けてこないから、少し試してみたくなっちゃったんだ」
ファイブは、陽月を殺そうとしていたことを否定しない。けれど、僕達を助けてくれたその事実が覆るわけでもない。
状況が変わったと、そう思うことにしよう。
「得体の知れない人間が命を助けてくれたばかりか、匿ってくれるなんて何か裏があるに違いない……そうやって疑うこと自体は自己防衛の考え方としてとてもいいことだから否定はしないよ。でもね、俺達みたいなのは、君達の住んでいる日常っていうヤツにとても憧れて……夢を見てるのさ。だから、君の様に誰かを疑うことを臆さない生き方をしている子を目の当たりにするのはとても悲しい。夢が一つ、壊れるようなもんだからさ」
「……言ってろ」
椅子を再びに地に着け腰掛ける。力が抜け、足の震えも治った。
「陽月ちゃん――《ヘーレティカー》というものが一体何なのか。それを説明するには、まず君達の知らない世界について語っておく必要がある」
ファイブは、僕が警戒を緩めたからなのか、新しいタバコに火をつけ、背もたれに体重を預けた。
「君達一般人が済むこの世界。俺達は、この世界を《普通の世界》って呼んでる」
「態々、普通なんてつけるってことは――」
「そう。裏があるのさ」
ファイブは、勉強机に置かれた灰皿にタバコの灰を落とす。
「《普通の世界》は一般人の世界。国があって、会社があって、民があって、政治があって、戦争がある世界。これには、君達が堅気とは呼ばない人間達も属している。マフィア、カルテル……日本だとヤクザ。平和に見えて危険、危険に見えて意外と平和。そんな世界だ」
「犯罪組織は、普通なのか」
「うん。まあギリギリってとこかな」
まるで授業でも受けている気分になる。1日に2度も勉強する羽目になるなんて。
内容は、自分の中の小さな世界を広げるようなもの。一字一句聞き逃せず、理解できないものは理解できるまで聞く。
ファイブも疲れていると言っているが、僕の方ももう長くは持ちそうになかった。
「裏……ってのはどんな人間達なんだ」
「簡単に言えば、《普通》になれなかった人間達さ。――戸籍がない。民として扱われない。殺し、殺され、《普通の世界》に人間として扱われない路傍のゴミと同じ者達。そして、人間という種に備わった特異能力、《エモ》、《エス》を扱う者――《能力者》達。それが裏の世界――《根底の世界》の住人達だ」
《エモ》、《エス》、そして――《能力者》。
僕達は、どこで道を踏み外した?
いや、そんなものはとっくに通り過ぎていたかもしれない。
僕が知らなくてはいけないのは、出来るだけ安全な地獄巡りだ。
「もう分かったかい?君達は一般人でありながら、《エス》を発現し、《根底の世界》に片足を突っ込んでしまった――哀れな《能力者》なのさ」
あの路地裏で起こった出来事を、僕は現実だとは思えなかった。今だって、何故ここにいて、こうしているのか――夢でも、見ているのかと思っている。
趣味の悪い夢だ。
早く醒めてほしい。
…………。
結局、また不幸を引き込んだんだな僕は。何もかも放棄して、死んでしまった方が良かったんだろうか。
「…………」
「少々、応えたかい?」
「いや。……僕の人生はやっぱりままならない物なんだと、呆れ返ってしまっただけだ」
呑気に生きていることのツケか。
人を殺した人間が、まともに生きられる理などあってはならないんだから。
「続けようか。……えっと、ホワイトボードホワイトボード……」
ファイブは、窓際に置いてあったホワイトボードを引っ張ってきて、つらつらと書き始めた。
そして、マジックを机に放る。
「エモというのは、人間が感情によって生み出す万能のエネルギーのことだ。《普通の世界》の住人である君達には秘匿されているものであるが、実はどんな人間にもエモを生み出す機能がある。だから、エモは全ての人間が持っているものなんだ」
「あの力を……すべての人間が?」
「君が対峙した大男のことかな?エモをそのまま使ったのか、今から説明するエスのことかは分からないが、まあそのどちらかだろうね」
「……ふうん。そんなもの、今まで見たことも感じたこともなかったけどな」
「全ての人間がエモを持つ。それは本当のことだけど、エモを扱ったり、感じ取れるのは能力者だけだ。可視化できるほどの濃度のエモを持つのも能力者に限られる。能力者と一般人のエモの量はまるで違う。――次に、エスの説明をしようか」
内心、話についていく気力がないと言ってしまいたいところであるが、食らいついていくしかない。
陽月は――まだ、寝ている。
陽月が起きた時、どんな風に説明をしたらいいか。それを考えなくては。
不幸がこれ以上、顔を出さないように。
「エスとは、エモを燃料としてあらゆる現象を引き起こす能力のことだ――と、言葉にすれば本当にそれだけではあるが、それだけ多種多様なものがある。――例えば俺のエス。『自分と自分の触れているものの音を周りの人間に聞こえなくする』エス。それを君に見せるためにこれを用意した」
「……緩衝材?」
「プチプチだ。これを潰すと、音が出る」
ファイブは一つずつ丁寧にプチプチを潰していく。
「今からエスを発動するね。3・2・1……」
プチプチが潰れる音が消える。1つ2つなら不発ということもありえるだろうが、ファイブの手はプチプチを潰すことをやめない。
「これで分かったかい?これがエスだ」
「なんか地味だな」
「酷いな!結構使えるエスなんだぜ?俺の得物は銃だから」
サイレンサーが付いてると思えば、まあすごいのか。
……というか、撃鉄が起きた音がしなかったのはファイブのエスか。先ほどのやりとりは、本当に危なかったんだ。
「もっとも、このエスは音という現象を消しているわけじゃない。その音が聞こえなくなる、というエスだ。――まあ、そんなところで、分かってはもらえたという理解でいいかい?」
「まあ、うん」
「よし。――で、エスを獲得し、エモを扱う者のことを《根底》では能力者と呼んでいる」
なるほど。そこに行き着く訳か。
「で、ヘーレティカーってのはなんなんだ?まだ説明なかったと思うけど」
「ヘーレティカー。それは能力者……というより突然変異した人間のようなものだ。ヘーレティカーが特別な由縁は、変質したエモにあるのさ」
「変質したエモ……」
「ああ。――通常のエモは人間の感情から生み出された、ただのエネルギーだ。それを使って飛んだり、圧縮して放つことで壁に穴をあけたり、エスの燃料としたり……そういう使い方は出来るが、ただのエネルギーの範疇を出ない。だが、ヘーレティカーのエモは違う。そのエモは、ヘーレティカーの感情によって他者のエモを侵蝕する」
「……侵蝕って、具体的には何が起こるんだ」
「ヘーレティカーのエモにより侵蝕を受けたエモは暴走する。エモで飛ぼうとすれば、出力が思うように出なかったり、出過ぎたりする。圧縮して放とうとすれば霧散し、エスの燃料にしようとすれば、上手く変換出来なかったり、最悪エスが暴走する。――昔の話をしよう。俺が赴いた戦地で、現地人がヘーレティカーとなった。そしてその瞬間、その現地人の居た半径2km以内の能力者の首から上が――吹っ飛んだ」
「…………」
「それは、その現地人が意図したものではない。ただ存在して、エモを放ってしまっただけでこれなんだ。これが侵蝕されたエモの暴走。……不幸な現地人は、その後すぐに殺されたよ」
害虫。
その言葉を、僕も一度使ったことがある。
その意味も、理解しているつもりだった。
「エスに目覚めた君が今無事でいられるのは、陽月ちゃんが瀕死だったからか、はたまた偶然か。――ヘーレティカーは希少な存在で、まだよく分かっていないことも多い。《根底》で確認された記録の中で、よく知られている話も2つ3つほどだ。それに、君が対峙した大男が陽月ちゃんの土手っ腹に穴を開けた手段も気になる。決して自身のエモやエスを使用したわけではないだろうからね」
害を成す者を排除するのは世の中の理。多くの幸福のためならば、少数の不幸には目を瞑れ。――そんな考えには、納得できない。
自分が少数側だからって訳じゃない。ただ、不幸の上に成り立つ幸福を許容できないだけで。
「《根底》には能力者が多く存在する。そいつらにとって、ヘーレティカーという存在は、癌細胞のようなものだ。……君は、どう向き合う?」
「……なんでもいい。治す方法はないのか」
「分からない。でも、ここに連れてきた意味を分かってほしい。治す手段はなくても、制御する手段があるかもしれないんだ」
「制御?」
「ヘーレティカー――つまり、彼女は能力者なんだ。秋くんと陽月ちゃんは、どちらも瀕死の状態から生還している。それが、君達が持っているエスの、効果の裏付けだ」
そうか、僕も……。
「俺が現場に着いて、君達を見ていた時に起こった現象を説明する。――まずは秋くん。君の体は、段々と時間が巻き戻るように治っていった。じゃあ時間を巻き戻すエスなのか?それは違うと思う。恐らくは、事象の崩壊」
「事象の崩壊?」
「傷が治る君の様子だけを見ていれば、時間に関するものだと思ったかもしれない。だが、君のエスを受けたのは君だけじゃない。――大男だ」
「あの、白い……」
「大男の体――まあ俺が見たのは人骨だけだったけど、時間が経つにつれてゆっくりと形が崩れていった。そして君が見た塵となった。これは時間を巻き戻すことじゃ説明がつかない。――君のエスは暫定で《崩壊》とする方が良さそうだ、と俺は思う。君がそれでしっくりくるのなら、きっとそうだ」
「……崩壊、か」
崩壊……その言葉は、確かに僕にふさわしいのかもしれない。
関係する人間を悉く壊してきた僕には。
「次に陽月ちゃん。陽月ちゃんの体は君とは違う治り方だった。塞がれるというよりは、再生。現に、陽月ちゃんのものと思われる血痕や内臓の破片は、そのままだったろう?……まあ、俺が着いた頃には、陽月ちゃんの傷は殆ど治っていて、すやすやと気持ちよく寝ていたんだけどね」
「……そっか」
「陽月ちゃんのエスは、仮だけど何かを生み出すものと思ってよさそうだ。だから《想造》。――君達はまるで、鏡写しのようだね」
そう言ってファイブは短くなったタバコを灰皿に押し付け、立ち上がる。
「今日のところはこのくらいにしよう。あまり詰め込み過ぎるのもよくないしな」
「まだ、その制御の方法とやらを聞いてないけど」
「それは明日にしよう。同じことを陽月ちゃんにも説明しなきゃいけないし」
「……まあ、そうなるよな」
自分が普通でないことも、命を狙われることも、知らなければいけない。
僕はいい。でも――陽月が何をしたというんだ。
あれだけの目に遭わせておいて……まだ足りないのか。
「それと、伝えておくことが1つ。陽月ちゃんの右手首を見て」
寝ている陽月の右手首には、腕輪のようなものが巻かれている。
……確か、こんなものは付けてなかったな。
「これは体外に漏れ出るエモを体内に押しとどめておくものでね。ヘーレティカーに使用したことはないが、まあ大丈夫だろう」
「……なるほど」
「よし、終わり。今日は君も隣の部屋で休むといい。……あ、それともここに布団を敷いて寝ても――」
「だから、違うっつってんだろ。……あのさ、ファイブ」
「なんだい?」
最後に1つ、質問をする。
「なんで、陽月を殺さなかったんだ」
ファイブは軽薄にニヤけた表情を、柔らかい笑顔に変える。
「俺はハッピーエンドの方が好きなんだ」
ここまで読んでいただきありがとうございました!
1-2.モーターサイクルは何話か続く予定です。
近日中に更新予定ですのでよろしくお願いします。




