9 魔女と過ごす夜(4)
外から鳥の鳴き声が聞こえてくる。窓の外が明るくなりはじめている。
ファリエルは結局、一睡もできなかった。
「ん……」
小さな声が聞こえた瞬間、肩に感じていた重みと体温が離れていった。
「あれ、もしかして寄りかかっちゃってましたか……? すみません……」
姿勢を戻したリリアナは、まだ目覚めきっていないのか、ぼんやりとしていた。
眠そうな顔に、つい頬がゆるんでしまう。
「おはよう、リリアナ。目の調子はどうだ?」
「あ、はい、すっかり見えるようになりました! ありがとうございました!」
ぱっと目を開いたリリアナは、素早く立ち上がってくるりと振り返ると、ファリエルに向かってぺこりと頭を下げた。
部屋を出ていったリリアナの足音が遠ざかっていく。
その音を聞きながら、ファリエルは、ぱたりとベッドに倒れ込んだ。
夜じゅうずっと眺めていた無防備な表情が、頭から離れない。
「寝顔、かわいかったな……。って、なにを言ってるんだ僕は……!」
自分のつぶやきに驚いて、素早く口を抑える。
ここまで自分の心をコントロールできていない状態は初めてな気がする。
このままではまずい――。
ファリエルは、がばっとベッドから起き上がると部屋を飛び出した。
リリアナは、顔を洗ったあと、台所で朝食を作り始めた。
魔法を掛けた保存容器からキャベツを取り出して、ざくざくと切っていく。
(寝ているときに、誰かがそばにいてくれたのって本当に久しぶりだな。コーデリアさんは、今は会えなくなっちゃったし……)
魔女は長寿だから、もしも人間と暮らすことを選んだら、必ず自分が看取ることになる。
『別れの苦しみを受け止められないならば、孤独に生きるべし』と魔女の間では言い伝えられている。だからこそ、魔女はひとりで生きる選択をする人がほとんどだ。
でも、誰かがそばにいてくれるのって、安心する。
コーデリアさんが来てくれたときはいつも本当に嬉しかったし、今だって――。
家から飛び出したファリエルは、落ちていた大ぶりの木の枝を拾った。
ひゅっと音を立てて、力いっぱい振り始める。
これまで剣の鍛錬は、欠かさずおこなっていた。王子らしく勤勉であろうとするだけで、異母兄に眉をひそめられていたことが頭に浮かぶ。
思い出したくない顔を思い出してしまい、剣代わりの枝で空中を切り裂く。
何度もそれを繰り返すうちに、無心になれたかと思ったのに――またリリアナのことを思い出してしまった。
寄りかかって来たときに香った、ほんのり甘いハーブの匂い。
真っ赤になった照れ顔。
薬を調合しているときの、真剣なまなざし。
とくんとくんと心臓が騒ぎ出す。
王子として過ごしていたときは、ひとりの女性のことばかり考えてしまうなんて一度もなかった。
女遊びが激しかった異母兄は、もしかしたら女性への欲求がコントロールできなかったのかもしれない。以前は心の底から呆れていたが、今なら少しだけ、わかる気がする。
剣に見立てた枝を何度振っても、雑念は振り払えない。
「一体どうしてしまったんだ僕は……!」
もう一度、全力で枝を振り下ろした、その瞬間。
ぱきっ、と。
枝を踏む音が聞こえてきた。
自分の足元からではない。遠くで鳴った音。
今のは明らかに人間か、生き物の出す音だ。
――まさか、追っ手が来たのか?
でもなぜ僕がここにいるとわかった?
魔女の森へは、魔女からの許可がなければ入れないはずだ。
リリアナは、誰かを招いたとか、そんなことはひとことも言っていなかった。
僕の関係者だとしたら、絶対にリリアナを巻き込むわけには行かない。
武器は、手に持っている枝だけ。
素早く辺りを見回す。落ち葉や木の実、朽ちた木の皮や倒木の破片くらいしか見当たらない。
ただ、その場にあるもので戦う技術は身に着けてある。
誰が来ようとも、必ず撃退してみせる。リリアナは僕が守る。
ファリエルは息を詰め、身を低くして木の枝を構えると、音が聞こえてきた方向を睨みつけた――。




