4 魔女の野菜の育て方(前編)
リリアナに召喚されてから数日後。
ファリエルは、歩けるほどに回復していた。
寝ている間に預けた衣服は綺麗に洗われていた。
『魔女の秘薬はどんな汚れでも落とせるんですよ』――。
そう教えてくれたときの笑顔を思い出す。
借りていた古着を脱ぎ、洗い上がった自分の服に袖を通す。
ところどころ破けていても、 血と汗の跡はどこにも残っていない。
ハーブの香りに包まれる。その優しい香りは、虐げられた記憶を和らげてくれる気がした。
それまで着ていた古着を返しながら問いかける。
「リリアナ。僕になにか手伝えることはあるだろうか」
「お気遣いなく! あ、でももしよかったら、テーブルの移動を手伝ってもらえませんか? 魔法陣を描くのに場所を開けてたんですよ」
「なるほど……」
これまでずっと、家具の配置が不自然だなとは思っていた。
わざわざ家具をどけてまで魔法陣を描き、精霊召喚をしていた理由はなんだろう――。
魔法陣が消え去った場所に、テーブルを置く。
この部屋に移ってきた瞬間を思えば、その直前の光景まで引き出されそうになる。
別のことを考えたくて仕方がない。ファリエルは、少し早口でリリアナに質問を投げかけた。
「もう精霊召喚というものはしないのか? 普段から召喚をしているわけではないのか?」
「あ、はい。たくさん魔力が必要なので、滅多にできないんです」
「それは……。貴重な機会を奪ってしまって申し訳ない」
「いえ! 私が間違えちゃっただけなので気にしないでください!」
アクアブルーの目を見開いたリリアナが、開いた両手を小さく左右に振る。
幼げな仕草に、胸の真ん中がきゅっとなる。
今のは一体――? 息苦しいような感覚に、ひとつ咳払いしてから話を続ける。
「精霊を呼び出したかったのは、なにか理由があったんだろう?」
「はい。魔女って精霊に薬作りを手伝ってもらうことがありまして。精霊に力を貸してもらうと、自分だけでは作れない薬を作れるようになるんです」
「そうか……。本当にすまないことをした」
「ファリエルさんはなにも悪くないですよ! 実は私、精霊召喚しようとしたの初めてだったんです。最初から成功させられる人はそんなにいないって言われてますし、気にしないでくださいね!」
「……ありがとう」
テーブルクロスを掛けるのも手伝って、椅子を置いて。
改めて室内を見回す。テーブルもベッドも、薬作りをする机も、今いる一室にまとめられていた。
どこか見覚えがあるような気がする――。
それ以上思い出すことを、心が拒絶する。
ファリエルはそっと深呼吸すると、心の中で自分に言い聞かせた。
きっと魔女は、誰でも似たような家に住むものなのだろう。そうに違いない――。
ふと、足音が聞こえてきて我に返る。
リリアナが、心ここにあらずといった表情をして歩きだしていた。
その先には本や調剤道具が散乱した机。薬作りを始めようとしているのだろうか。
引き止めることを申し訳なく思いながらも再び問いかける。
「リリアナ。他に手伝えることはあるだろうか」
ぴたりと足を止めたリリアナが、ミルクティー色の髪をなびかせながら振り返った。
「そうですね……。そしたら、裏の畑にお水を撒いてもらえますか? ご案内しますね」
台所に入ったリリアナが、じょうろに水を入れる。続けてそばに置いてあった小瓶の中身を垂らす。
ファリエルはじょうろを受け取ると、黒いローブをなびかせる後ろ姿を見ながら家を出た。
久しぶりの屋外。木漏れ日の眩しさに目を細める。
辺り一面、森に囲まれていた。緑と土の匂いをそっと吸い込む。
振り向いて、家を見上げる。古びた建物の外観もまた、室内と同様に見覚えがあるような気がした。
首を振ってその考えを打ち消す。内装が似ているのだから、建物の形が似てしまうのも当然だ――。
家の裏には小さな畑があった。形の違う芽だけがぽつぽつと並んでいる。
くるりと振り返ったリリアナが、畑を指しながら説明を始めた。
「そのじょうろの水には成長促進剤を加えてあります。それを掛けるとあっという間に育つんです。魔女はそうやって、今日食べる分だけ育てて収穫してます」
「なるほど。それはすごいな」
「今日は、キャベツの煮込み料理にしましょうか。こちらの芽に水を掛けておいてください」
「わかった」
リリアナにうなずいてみせてから、指定された双葉の前に移動する。
水やりをしようとした矢先、ふと城の庭園の光景が目に浮かんだ。
亡き母との思い出がよみがえる。幼い頃、母に連れられて、水撒きされたばかりの庭園を散策した。輝く水滴のまぶしさ、優しい母の笑顔。
ファリエルがぼんやりしていると、背後でリリアナが「あっ」と短い声を出した。
「ナイフ持ってくるの忘れちゃった! 取りに行ってきますね」
「あ、ああ。ではその間に水やりをしておこう」
「はい、お願いします!」
リリアナが大きくうなずき、家の中に戻っていく。
ひとりになったファリエルは、改めて小さな双葉を見下ろした。
うーんと唸りながら首をひねる。
「ここから本当に、収穫できるまで育つのか……?」
まるで想像がつかない。おそるおそる、水を掛けてみる。
水を与えた芽を中心にして、魔法の光がきらきらと弾けた。
「綺麗なものだな……」
リリアナの顔が頭に浮かぶ。
『きれいですよね!』と、魔法の光よりもまぶしい笑顔を勝手に妄想してしまう。
「…………あ」
気づけば芽の周りが水浸しになっていた。
「しまった。かけすぎたか?」
とはいえ双葉にはなんの変化もない。
魔法の光の粒はきらめき続けている。
育つまで、もう少し水を掛けた方がいいのだろうか?
顎に手を添えた、その瞬間。
ぼんっ!
と突然、目の前に巨大なキャベツが出現した。
異様な大きさのそれに押しのけられて尻もちをつく。
「こ、これは一体……!?」
畑全体を覆うほどのサイズになったキャベツをぽかんと見上げる。
その直後、リリアナが戻ってきた。
「あら、お水、掛けすぎちゃいました?」
「すまない。そのようだ」
王子として過ごしていたときは、あからさまな失敗というものをしたことがなかった。
簡単な頼みごとすら遂行できない情けなさに落ち込んでしまう。
立ち上がって土ぼこりを払い、もう一度謝ろうとした矢先。
リリアナがにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ! 私も小さい頃、よく水や薬の分量を間違えて育てすぎちゃってましたから! 子供の頃は、このサイズだと収穫するのが大変だったなあ……。懐かしいな」
巨大キャベツをぽんぽんと叩きながら、目を細める。
過去に思いを馳せる横顔に、つい見とれてしまう。ファリエルは、幼いリリアナが大きなキャベツを見上げる姿を思い浮かべた。
その途端、なぜか心臓がどくどくと騒ぎ始めた。
「……?」
不可解な自分の反応を不思議がりながら、隣に立つリリアナに意識を向ける。
どうしてこんなにも、胸がざわめくんだろう――。




