最終話 愛情の証と新たなる日々
まさかコーデリア嬢が僕を追ってくるなんて――!
ファリエルは、空中から見下ろしてくるコーデリアを見上げて息を呑んだ。
薬に仕込まれていた効果は、まるで自分たちを後押しするかのようだった。
とはいえ意図がわからなければ、警戒せずにはいられない。
コーデリアから目を離さず体勢を低くして臨戦態勢を取る。
その瞬間、リリアナが背後からそっとシャツを引っ張ってきた。
無言の合図に力を抜く。
リリアナが隣に並び立つ。ファリエルはすぐさまその手を取り上げるとぎゅっと握り締めた。手を繋ぎ、互いに目を見合わせる。
改めてコーデリアを見上げると、鋭い眼差しが少しだけ和らいだ。
長い黒髪を払いながら溜め息をつく。
「言っとくけど私、人間なんて大嫌いだし、ボナマハト王国の奴らはもっと許せないわ。でもそんなことよりその子が悲しむのが一番嫌なの」
唐突な切り出しに面食らう。ファリエルはとっさになにも言い返せなかった。
赤い目が、今度はリリアナを見る。
「リリアナ。薬の効能、気づいたでしょ?」
「は、はいコーデリアさん。すごいです、あんなに複雑な効能を付与できるなんて……!」
だから精霊の力を借りていたんだ――とファリエルが薬の調合風景を思い出していると、コーデリアが再びファリエルを見た。顎を上げ、見下す目つきをする。
「記憶、何度か消えかけたでしょ?」
「あ、ああ」
「だったらちゃんと効いてるから安心なさい」
言葉とは裏腹に、その表情は冷ややかだった。
ため息を吐き捨て、すぐに視線を戻す。
「あんたはせいぜい長生きするといいわ。リリアナを泣かせたら、本気で殺しに来るから覚えておきなさい」
「ああ。決して悲しませるような真似はしないと誓う」
「誓う相手は私じゃないでしょ。邪魔者は消えるわ、じゃあね」
コーデリアはぷいっと顔を背けると、ほうきにまたがり宙を滑るように去っていった。
魔女の森に、そよ風が吹き抜けていく。
木々のざわめきさえ、信じられないことが起きたあとではまるで歓声のようにも聞こえた。
僕は彼女の薬で――コーデリア嬢の計らいで――魔女並みの寿命を得た。
リリアナと、これからずっと一緒に居られるんだ……!
目の奥が熱くなる。
ファリエルはまばたきで涙を抑え込むと、リリアナの前にひざまずいた。
左手を胸に置き、右手を差し伸べる。
「リリアナ。僕と……」
「――待ってください」
すかさず言葉を被せられる。
ファリエルが驚きに固まった瞬間、リリアナが切なげに眉をひそめた。
「先に、謝らせてください」
「……!」
切実さのにじむ声。浮かれかけた心が瞬時に引き締まる。無言で立ち上がり、揺れる瞳を覗き込む。
するとリリアナが髪を振り乱しながら勢いよく頭を下げた。
「ファリエルさん、あなたのことを追い出してしまって本当にごめんなさい!」
顔を上げたリリアナの目には涙が浮かんでいた。
「あなたの処刑の原因を作った私に、一緒にいる資格なんてないと思ったから……」
「君のせいじゃない。いずれにせよ僕は、なにかしらの策略に嵌められたと思う。なにせ近しい人間の悪意さえ見抜けなかったのだから」
「でも……」
まだなにか言いたげなリリアナの手を強引に拾い上げる。
その手首に巻かれた、ユリ柄の編み込まれたお守り。
指先でそっとなぞりながら、微笑んでみせる。
「それよりも……君と巡り会えた奇跡と、君と共に生きていける奇跡を喜びたい」
リリアナが真剣な顔をしてうなずく。
ファリエルは改めてリリアナの前に片膝を突くと、顔を綻ばせながら手を差し伸べた。
「リリアナ。心から君を愛している。生涯を共にしてくれないか」
「はい、ファリエルさん……!」
涙目のリリアナが手を乗せてくる。ファリエルはすぐに立ち上がると愛しの人を強く抱きしめた。力の加減ができなくて、地面から浮かせてしまう。
その場でくるりと一回転すれば、「わわっ」と驚きの声に続けて「あはは」と楽しげな声を出す。
弾ける笑顔の眩しさに、抱き締める腕に自然と力がこもる。
今度はリリアナの方からぎゅっと抱き付いてきて、胸に頬ずりしてきた。
「ファリエルさん、ファリエルさん……! 夢みたい……! 私、これからずっとずっと、あなたと一緒にいられるんですね……!」
「ああ。幸せになろう、ふたりで一緒に」
「はい……!」
腕の中でうなずいたリリアナが、世界一愛らしい笑みを浮かべる。
赤く染まった頬に、雫が伝っていく。
濡れた頬を手のひらでそっと包み込めば、まぶたを下ろしていく。
涙交じりの誓いのキスは、一度きりでは終えられなかった。
***
次の日。
朝日の差し込む室内は、まるで天国にでもいるかのように光り輝いて見えた。
ベッドからゆっくりと起き上がる。途端にふわりといい匂いがした。
台所を覗き込む。リリアナは料理をしていた。
熱気が漂う中、コトコトと鍋の煮える音が聞こえてくる。
「おはよう、リリアナ」
呼びかけた瞬間、リリアナが小さく飛び上がった。
肩を竦めておずおずと振り向く。その顔は、熟れた果実のように真っ赤になっていた。
「お、おはよう、ございます……」
小声でそう言って、ぎくしゃくと頭を下げる。
ぎこちない様子を見ていたら照れが移ってしまい、頬が熱くなった。
正直な気持ちを伝え合ったことを思い出すと、つい照れくさくなる。
気まずいというほど気まずくもない、不思議な沈黙。
頭に手をやる。するとまったく同時にリリアナも自分の髪をいじりだした。
互いに気づいてぱっと手を下ろす。
煮える鍋のふたが、ふしゅっと音を鳴らす。
はっとしたリリアナが蓋を開けて中の様子を見る。杓子でひと混ぜして、再び蓋を閉める。
ファリエルはその姿を見ただけで目の奥が熱くなった。新しい日常が始まった喜びが胸に込み上げてくる。
でもさすがに料理中に抱きついたら邪魔だろうな……と思っていると、リリアナの方から話しかけてきた。
「あ、あのっ、今日はとても天気がいいですから、お外で食べましょうか!」
***
小さなテーブルを外へと運び出す。続けて二脚の椅子を運んでいると、リリアナは可愛らしい小花柄のテーブルクロスを広げていた。
ふたりで一緒に台所へと戻り、鍋と食器を運び出す。キャベツ煮込みの芳ばしい香りが食欲を刺激する。
互いに席に着き、目を見合わせて微笑み合う。
「ありがとうリリアナ。朝からこんなに美味しそうな料理を作ってくれて」
「お口に合うといいんですけど」
「君の料理はなんだっておいしいさ。それに……こうして君と一緒に食べられることが、なによりもうれしい」
「はい! 私もとってもうれしいです!」
黒パンをちぎってキャベツスープに浸し、口に放り込む。
よく煮込まれた野菜やハーブの味が心に染み渡る。
料理のおいしさを堪能する中、ふと裏の畑の光景を思い出した。
「そういえば……あのキャベツはなかなか減らないものだな」
「そうですね。葉っぱ一枚だけでもたくさんお料理作れちゃいますし」
「僕があんなに大きくしてしまったのだから、責任をもって食べきらないとな」
「痛まないように魔法を掛けておいたので、ゆっくり食べていきましょう」
「ああ」
そう、ゆっくりと。なぜなら僕らには、人とは比べものにならないくらいの長い時間があるから。
なんて幸せなんだろう――!
涼やかな朝の風が頬を撫でていく。その心地よさすら自分たちを祝福してくれているかのようだった。
空を仰ぎ、魔女の家を取り囲む森の木々を眺める。これからも、どうか僕らを見守っておくれ。
と胸の内で呼びかけながら、茶に口を付ける。次の瞬間。
はらりと一枚、空から花びらが降ってきた。
「これは……?」
小さな羽を思わせる一片を手のひらですくう。
リリアナも、テーブルに落ちてきたひとひらをつまみ上げてまじまじと観察しはじめた。
「バラですね。でも空から降って来るものじゃないような……?」
ふたりで天を仰ぐ。なにもない空から次々と花びらが舞い落ちてくる。
まるでフラワーシャワーのような――。
幻想的な光景に見とれていると、リリアナがつぶやいた。
「この魔力……コーデリアさんだ!」
と叫んだ瞬間。
どさーっと一気に大量の花びらが降ってきた。
様々な色の花びらが滝のように降りそそぎ、ふたりとも花びらまみれになる。爽やかな甘い香りに包まれる。
バラは赤だけでなく、白、ピンク色、黄色、見たことのない青い花びらや虹色のものまで混じっていた。
ファリエルは髪に着いた花びらを払いながら苦笑した。
「これは……さすがに多すぎるな」
「そうですね! でもそれくらい、コーデリアさんのお祝いの気持ちが強いのかも?」
「そういうことか。ありがたいな」
向かいの席に手を伸ばし、ミルクティー色の髪を飾る花びらを一枚一枚取ってやる。
途端にぽっと頬を赤らめたリリアナが、笑顔を輝かせた。
「きっと昨日いらしたときに、仕掛けていったのかもしれませんね」
「魔法でこんなこともできるのだな」
「あの人くらいですよ、こんなに長い時間差を付けて魔法を発動させられるの。本当にすごいんです、コーデリアさんって」
張りきった顔をして熱弁する。
その表情がたまらなく可愛くて、ファリエルは思わずリリアナの頭を撫でてしまった。
たちまちリリアナがくすぐったそうに肩をすくめ、照れくさそうに笑う。その顔は、きらめく朝日とバラに飾られて、ひときわ輝いて見えた。
スープにもティーカップにも花びらの山ができてしまい、とても食事を続けるどころではなくなってしまった。それでも心は今までに味わったことのない温かさに満ちていた。
「リリアナ。近いうちに、二人でコーデリア嬢に会いに行かないか? 昨日はお礼を伝えそびれてしまったから」
「そうですね。一緒に行きましょう」
「ああ。これからは、どこへ行くのにも二人一緒だ」
「はい!」
色とりどりのバラに飾られたリリアナが、大きくうなずいた。
――処刑台から思いがけず未来に連れ出してもらえた僕が、さらに未来へと歩いて行ける。誰よりも大切な人と共に。
魔女の森の空気を胸いっぱいに吸い込む。
ファリエルは、受け止めきれない幸せに浸りながら、そっと目を閉じた。
〈了〉
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