30 本当に伝えたかった気持ち
ファリエルはリリアナの手を握りしめたまま、横目で宙に浮いたガラス玉を見た。
中に燃える青い炎は、今にも消えそうなほどに小さくなっていた。
泣きぬれたリリアナを前に、凄まじい後悔が胸に込み上げてくる。
どうして僕は、「生きる理由を失くした」などと口走ってしまったんだ。
こんなにも大切な理由があるのに――!
自ら選んでしまった現実に打ちひしがれる。
叫び出したくなるほどの悔しさ。繋いだ手に力を込める。
すると、ファリエルが握る以上に強い力でリリアナが手を握り返してきた。
手のひらに爪が食い込む。鋭いその痛みからリリアナの想いが伝わってくる。
「ファリエルさん、ファリエルさん……!」
真っ赤な顔をくしゃくしゃにしたリリアナが、ぼろぼろと涙をこぼす。
ファリエルの手を自分の胸に導き、祈るように握り込む。
「うう、ううう……、ファリエルさん……!」
肩で息をしながら何度も名を呼ぶ。浅い呼吸を繰り返す。
歯を食いしばり、うなり声を洩らす。
君はそれほどまでに、僕を想ってくれているのか。
僕も君を――。
ガラス玉の中の炎は、ほとんど消えかかっている。
リリアナをひとり残して死ぬなんて嫌だ。
絶対に、リリアナを忘れたくない――!
「リリアナ!」
ファリエルはリリアナを強く引き寄せて抱き締め――唇を重ねた。
腕の中のリリアナが、びくっと震え上がる。
唇の柔らかさ、そしてぬくもり。激しく脈打つ心臓が全身を揺さぶる。
時が止まったかのように、リリアナの熱だけが心を満たしていく。
どれだけそのままでいたかはおぼろげだった。
苦しげな声が聞こえてきて初めてファリエルはリリアナをきつく抱きすくめたままだったことに気づくと、腕の力を弱めた。
そっと唇を放して、見開かれたアクアブルーの瞳を覗き込む。
「リリアナ、君を愛している。君を忘れてもずっと」
「っ……!」
腕に抱いた身体から、たちまち力が抜けていく。糸の切れた操り人形のようにリリアナはその場にへたり込んだ。
両手で顔を覆い、手の中で叫びだす。
「ファリエルさん、ファリエルさん……! うわああん……!」
「リリアナ……!」
ファリエルも続けてしゃがみ込み、縮こまった身を抱き寄せると、すぐにリリアナがぎゅっとしがみついてきた。
それ以上の強さで抱き締め返し、ミルクティー色の髪をなでる。
「リリアナ。悲しませてしまって、本当にすまない」
途端にリリアナが必死に首を振る。柔らかな髪が指に絡みついた。
どれくらいそうしていただろうか。
落ち着いてきたリリアナが、そっとファリエルの胸を押した。
無言の合図に腕の力をゆるめる。
リリアナの肩を支えて胸から起こしてあげた途端、待ち構えていたかのように顔のそばにガラス玉がふわふわと近づいてきた。その動きはずいぶんと弱々しい。
中の炎は、色がわからないくらいに小さくなっている。
リリアナは、うつむいたまま涙を拭っている。
ああ、リリアナ。
せめて君の名前だけでも憶えていられたら――。
そう願った瞬間、炎が消え去った。
空になったガラス玉が地面に転がる。
そこから視線を持ち上げて、目の前に座り込むリリアナを見る。
リリアナもまた、顔を拭う動きを止めて視線を返してきた。
「リリアナ。僕は……、……?」
じっと見上げてきている――リリアナが、僕のことを。
なにも忘れていない。
これまでに何度か起きた、頭の混乱や幻聴もない。
――どういうことだ? 炎が消えたら薬の効果が発動するのではなかったのか? 炎が消えた直後ではなかったのか?
これからずっと、いつ記憶が消えるかもしれない恐怖と戦いながら過ごせということなのか?
予想外の状況に困惑していると、風に掻き消えそうなほどの小声が聞こえてきた。
「……ファリエルさん」
アクアブルーの瞳を見る。リリアナの顔はどきっとするほどに赤く染まっていた。さっきまでの悲愴な表情は消え、どことなく恥じらいをにじませているようにも見える。
リリアナが、数回小さく口を開いたり閉じたりしたあと――ぽつりと言った。
「記憶、消えてない……ですよね」
「あ、ああ。そのようだが。これは一体……?」
「さっき私、ファリエルさんの手を握ったときに感知したんです、コーデリアさんの薬の効能を」
「効能? 記憶が消える効果ではないのか?」
リリアナがやんわりと首を振る。乱れ髪が赤い頬に掛かる。
「確かにそれが、主な効果でした。でも、記憶消去ともうひとつ……寿命が延びる効果も付与してあったんです」
「寿命が延びる効果!?」
行商人ジャーヴィスの話を思い出す。
彼も、魔女から寿命を延ばしてもらったと話していた。
「コーデリアさんの薬には、発動条件が仕掛けてありました。ファリエルさんがもしも自分で条件を満たせなかったら記憶が消えて。でも……条件を満たせたから、長寿化の方が発動したんです」
力なくうつむいたリリアナが、両手で顔を覆う。
手の中にこもる声は、涙声になっていた。
「私がそれを伝えたら無効化するってなってて……。だから言えなかった……!」
それでリリアナは、あんなにも切実な顔をして見つめて来ていたのか――。
ファリエルは、深く思いを寄せてくれるリリアナに愛おしさを感じながら、乱れ髪をそっと撫でつけた。
「不安にさせてしまったな。本当にすまない」
「いえ、本当に、よかったです……」
顔を上げたリリアナが涙を拭う。その頭に手を滑らせるたびに、くすぐったそうに目を細める。
徐々に冷静さを取り戻すにつれ、直前の自分の行動の必死さが脳裏によみがえる。今さら恥ずかしさが込み上げてきた。
「えっと、その……条件というのは、君に口づけることだった……?」
「うう……あのですね……」
途端に気まずげな表情に変わったリリアナが両手を頬に押し当てる。
眉根を寄せて、目を泳がせる。
しばらくためらう様子を見せたあと、胸の前で手を組み合わせて、上目遣いでこちらを見た。
「コーデリアさんの仕掛けた条件は……『自ら愛を示すべし』ってなってました。ファリエルさん、キス……してくださって、ありがとうございました……!」
ファリエルは目を見開いた。
そうか、僕が想いを伝えたくてたまらずリリアナの唇を奪ったから――!
心を晒した恥ずかしさが霞むほどに、愛おしさが心に溢れ出す。
困った風な照れ顔をするリリアナを抱き寄せて、頬を撫でた。
「何度だってするさ。リリアナ、これからもたくさん、キスしよう」
「えっ! あっ、はっはいぃ……」
リリアナが弱々しい声を洩らしながらふらふらと揺れだす。そのまま後ろに倒れそうになった。とっさに背中を支えて姿勢を戻してやる。
小さな顎に手を添えて、もう一度キスしようとしたその瞬間。
「はあ……。人間ってのは本当に、世話が焼けるわね」
「――!」
空から声が降ってきた。素早く立ち上がり剣の柄を握る。
見上げた先には――ほうきに腰かけたコーデリアが、足を組んで頬杖を突いていた。




