27 最期の願い
命をもって恩返しする以外に、僕に許される道はない――。
絶望の底に突き落とされてなにも考えられなくなる。時が止まったかのように身体中の痛みすら遠くなっていく。
ファリエルが黙り込んでいると、コーデリアが瓶を差し出してきた。
死の宣告に、情けなく肩が跳ねる。
するとコーデリアが呆れた風にため息をついた。
「これは回復薬よ。弱ってるあんたを殺したところで面白くないから、さっさと回復なさい」
「……ああ」
魔女の薬で傷をいやす。彼女に殺されるために。
ぼんやりとしたまま、瓶に口をつける。
「――うっ」
回復薬はリリアナが飲ませてくれたような穏やかなものではなかった。
むせそうになるほどの甘い味。吐き出しては失礼だと思い、息を止めて無理やり飲み込む。
その瞬間、猛烈な眠気に襲われてファリエルはベッドに倒れ込んだ。
目を覚ますと、室内は夕日の色に染まっていた。
眠る前も、確か夕方だった。
すぐに目覚めたのだろうか? あんなにも眠くなったのに。
不思議に思いながら起き上がる。すると、身体中の痛みが引いていることに気づいた。
回復薬のすさまじい効能に驚きながら慎重に起き上がる。
ベッドから降り立ったところで、コーデリアが部屋に入ってきた。
ちらっとファリエルを見て、椅子に腰を下ろす。足を組み、膝に手を置く。
お互い向き合っているものの、コーデリアは敢えてファリエルから視線を外しているようだった。
ファリエルはコーデリアの目の前に歩み寄ると、片膝を突き、敬礼の姿勢を取った。少女の姿をした恩人を見上げて、心からの御礼を口にする。
「回復薬、本当にありがとう。すっかりよくなった」
「当然でしょう。私が作った薬ですもの。一日で目覚めたのは想定外だったけれど」
「一日? 僕は丸一日眠っていたのか? 同じ夕方だと思ったのだが……」
夕焼けに染まった窓の外を見る。その途端、長時間眠ったときに似たこわばりを感じた。
「本当は何日かは寝込む計算だったのに。あんた案外、身体は丈夫なのね。殺しがいがありそうだわ」
コーデリアが、ふんと鼻を鳴らす。顔は背けられたままだ。
ファリエルはその場に立ち上がり背筋を正すと、赤い瞳をまっすぐに見た。
「……貴女にお願いがある」
「なによ」
「約束通り、記憶を消す薬は必ず飲む。だがその前に……リリアナの元へ、これまでの御礼を伝えに行かせてはもらえないだろうか」
コーデリアは視線を逸らし続けている。無表情から変化せず心境が読めない。
もしかしたら即座に拒絶されるかもしれないと思っていたが、迷う程度には優しさが残っているのだろうか?
静寂が続く。互いの呼吸音だけが、わずかに空気を揺らす。
ファリエルが緊張感に息を詰めていると、コーデリアが溜め息をついた。
「そんな約束、信用できるとでも思っているの?」
「……」
彼女が僕を信用できない気持ちは理解できる。でもどうしても、リリアナに会えないまま死にたくない。
「どうすれば、貴女に信用してもらえるだろうか」
「笑わせないで。あの男の弟ってだけで無理よ」
「……」
僕は異母兄とは違う――口から出掛かった言葉を呑み込む。
かたくなになった相手を説得するのは難しい。ならばと力ずくで太刀打ちしようとしても、圧倒的な力の差があるのは以前見せつけられた魔法の強大さでもうわかっている。それでも諦めたくない。
「では……同行してもらえないだろうか。リリアナの元へ」
厚かましさを承知で問いかける。この無理筋な要望が断られたら次は――と思い巡らせていると、コーデリアが机に向き直った。
「待ってなさい」
思いもよらない反応に驚いたファリエルは、その場に立ち上がると固唾を呑んで成り行きを見守った。
まさか本当に、一緒にリリアナの元へと行ってくれるのか?
コーデリアは、液体の入った小瓶に手をかざしていた。
真剣な横顔。瓶の周りが光り出す。
しばらくしたのち、魔法の輝きが、ふっと消え去る。
一体なにをしたのだろう。
ファリエルが尋ねようとした矢先、コーデリアが今度は卓上の棚からガラスの球体を手に取り、両手で包み込んだ。
魔法の光がきらきらと弾けたかと思えば、ガラス玉の中に青い火が灯る。
「……綺麗なものだな……」
緊張していたことも忘れて、揺らめく青色の炎に思わず見入ってしまう。周囲を照らす涼しげな色は、氷を透かし見たかのように美しかった。
コーデリアが「呑気なものね」と不機嫌そうにつぶやく。
冷めた目をしてガラスの玉を机の上に置き、ファリエルに薬の瓶を差し出してきた。
「これ、遅効性にしたから」
「遅効性?」
「そうよ。飲んでもすぐには効果が発動しないってこと。だから今すぐ飲みなさい」
さっさと受け取れと言わんばかりに手の中に瓶を押し付けられる。
薬瓶を受け取った瞬間、どくんと心臓が跳ねた。
嫌だ。これを飲んだら、いずれ必ずリリアナを忘れてしまう。
そんなのは嫌だ――!
口から出かかった言葉をぐっと飲み込み、深呼吸して冷静さを装う。
しかし手の震えはどうしようもなかった。コルク栓をうまくつかめない。コーデリアが赤い視線を突き刺してくる。
無理やり指先に力を込めて、ようやく栓を外せた。
瓶の口を、唇に押し当てる。耳の中で、警鐘のように鼓動が鳴り響く。
そこから瓶を持ち上げられない。荒れた呼吸がかすかに瓶を鳴らす。
リリアナ。君を忘れてしまうことを、どうか許してくれ――!
胸の内で大切な人へと呼びかけてから、ファリエルは記憶を消す薬を一気に飲み干した。
鉛を飲み込んだかのように胃が重くなる。
視界が色褪せ、激しく脈打つ心臓の音まで遠くなった気がした。




