25 記憶を消す薬(前編)
記憶を消された上で、理由もわからず殺される――。
ファリエルは、そんな扱いを受ける自分を想像してみた。
拷問のときのように、どれだけ痛めつけられても屈辱的な言葉を浴びせられても、僕はひたすら耐え忍ぶのだろうか。
それともリリアナという心の支えをなくし、王子であることも忘れたとしたら、みっともなく逃げ惑うだろうか。ひれ伏して許しを乞うだろうか。
目も当てられないほどの無様な最期。
それは、自ら死を選び取れなかった罰のように思えた。
「……。……わかった。あなたの望むようにしてくれ」
コーデリアは「ふん」と鼻を鳴らすと、ひょいと椅子から飛び降りた。
魔女の黒いローブをなびかせる姿は、幼い頃のリリアナを思い起こさせる。
心のざわめきが耐え切れず、ファリエルはそっと顔を背けた。
――リリアナに救ってもらった命を、リリアナの慕う相手のために使う。
きっと、間接的に恩返ししたことになるはず。そうであってほしい。
ファリエルが自分にそう言い聞かせる一方で、椅子を片付けたコーデリアが床にしゃがみこんだ。
手には虹色に輝くチョークを持っていた。慣れた手つきで魔法陣を描き出す。
「……!」
その光景は、リリアナの家で目覚めた瞬間を思い出させた。
魔法の輝きの中、恩人との出会い。
もう二度と戻れない、目映い日々が胸を切りつける。
立ち上がったコーデリアが手をかざす。
複雑な紋様の線一本一本に光が走り、魔法陣全体が光り出す。
「精霊王よ。我が声に応え、汝が眷属を我が元に遣わせたまえ――!」
コーデリアが朗々と口上を述べた瞬間。
魔法陣から光が溢れ出した。
僕は、こんな風にしてリリアナに呼び出されたんだな……。
当時のことを懐かしく思いながら、召喚の様子を見守る。
立ちのぼった光が弧を描き、中央に収束していく。光の塊が作られていく。
楕円形の輝きが、次第にはっきりとした輪郭を描いていき――。
ウサギによく似た生物が現れた。
長い両耳が垂れ下がり、目は白く輝いている。
あれが、精霊――。
ファリエルが初めて見る精霊の姿をじっと見つめていると、ウサギのような精霊はその場で大きく跳ねて空中で一回転した。
そのまま小さなジャンプを繰り返し、最後は大きく跳躍して机の上に降り立った。
「久しぶりね」
コーデリアが精霊に微笑みかけると、精霊は長い耳をひょこっと持ち上げた。
いかにも小動物らしい仕草にファリエルが少しだけ癒されていると、コーデリアが精霊をなでながら説明を聞かせてきた。
「精霊に力を借りると、作るのが難しい薬も作れるようになるの」
(リリアナも、そう話していたな……)
耳の中に、リリアナの声が聞こえてきた気がした。
もう二度と聞くことのできない声に胸を締めつけられる中、薬を作る様子を見守る。
コーデリアが器に手をかざす。精霊がそこを覗き込む。魔法の輝きが強くなる。
ひとつの工程を終える度に、『ありがとう』と精霊に微笑みかけている。
優しげな笑顔は、初めて会ったときの怒りの形相からは想像も付かないほどに穏やかだった。
(彼女も兄とのいざこざがなければきっと、リリアナのように優しい人なんだろうな……)
ガラス瓶を満たす液体が、ひときわ強く輝き出した。
部屋全体を照らす光のまぶしさに思わず目を閉じる。
薄目を開けて様子を窺うと、魔法の光は少しずつ弱まっていき、瓶の中に収束していった。
コーデリアが、顔の前に掲げた瓶を軽く揺らす。
口元を綻ばせて、小さくうなずく。
「うまくできたわ、ありがとう」と精霊の頭をなでる。ウサギ型の精霊は、気持ちよさそうに目を細めた。
彼女が作っている薬が記憶を消す薬でなければ、心温まる光景に見えただろうに――。
コーデリアが薬の入ったガラス瓶にコルク栓で蓋をしながら精霊に問いかける。
「そういえばあなた、この人間のこと知ってる?」
と、顎でファリエルを指した。
精霊が机の上で小さく跳ねて振り返る。白く輝く目でファリエルをじっと見つめてくる。吸い込まれるような眼差しに緊張感が走る。
ファリエルが固唾を呑んで精霊の反応を待っていると、コーデリアが説明を付け足した。
「リリアナが精霊召喚をしようとしたら、こいつを召喚してしまったんですって。どうしてリリアナがこの人間を召喚できたかわかる?」
精霊が、もう一度ファリエルを見る。
何度かまばたきを繰り返したあと――はっきりとうなずいた。




