21 忘れられない人(後編)
ファリエルの目の前で、リリアナは凛と立ち尽くしたまま微動だにしなかった。
魔法の作り出す球が、徐々に小さくなっていく。
魔女は構えていた腕を下ろすと、深くうつむいた。
長い黒髪で顔が隠れて、表情はうかがえない。
長い沈黙。風が吹き抜ける。遠くで瓦礫が崩れる音が鳴る。
リリアナの背中を見ると、肩が上下していた。
全身で呼吸するほどに緊張しているのだろう。
ファリエルもまた、リリアナの後ろで身構えたまま相手の出方を待った。
すると、風に掻き消えそうなほどの小声が聞こえてきた。
「……勝手にしなさい」
魔女はその赤い目をリリアナに向けることなく、ほうきにまたがって飛び去って行った。
***
帰り道。リリアナは、なにも言えずにいた。
後ろからついてくるファリエルも、ずっと無言だった。
そもそもボナマハト王国をあとにして、魔女の森へと戻ってからもずっと、一度も目を見合わせていない。
胸を締めつける感覚が続いている。顔を上げられない。
小枝や枯葉に覆われた地面を見つめながら、リリアナは子供の頃の記憶を思い出していた。
『あなたの薬を買いたがっている人がいるの。私の恋人の弟だから、なにも心配はいらないわ』
『わかりました、コーデリアさん!』
見知らぬ人間を自分の森へと入れるのは、そのときが初めてだった。
コーデリアさんに教えてもらいながら、ふたりで一緒に森へと人間を迎える手続きをした。
一度目は失敗した。それでもコーデリアさんは優しく笑いながら手を握ってくれて、張り巡らされた結界への魔力の流し方を丁寧に教えてくれた。
やっと手続きが終わって、そのことを恋人に伝えに行ったコーデリアさんを見送ったあと、どきどきしながら扉の前に立ってお客様を待った。
コンコン、と控えめなノックの音は、今でもはっきりと思い出せる。
扉を開けた瞬間。
夢みたいな光景に、時間が止まった気がした。
きらきらと輝く銀色の髪。花びらを光に透かし見たときのような、淡い紫色の瞳。
ボナマハト王国の第二王子だという、ファリエル・ボナマハト王子。
私がなにも言えずに固まっていると、困ったように微笑んだ王子様は、目の前に膝を突いて、目の高さを合わせて微笑んでくれた。
『はじめまして。僕はファリエル・ボナマハト。今日は、君の森へと招いてくれて本当にありがとう』
温かな声。それまで聞いたことのある音の中で一番きれいだと思った。
優しい笑顔にどきどきが止まらなかった。
私がぎくしゃくと歩きながら家の中に招き入れると、王子様は物珍しそうに部屋を見回してから、また私の目の前に膝を突いた。
『美貌が手に入るという秘薬を買わせて欲しい。僕にも売ってもらえるだろうか』
『えっ……あなたはそれ以上、うつくしくなりたいのですか!?』
びっくりして声がひっくり返った。
王子様が苦笑いを浮かべる。
困った顔まで綺麗なんだなと思った。
『ああいや、僕ではなく……。僕の婚約者が欲しがっているんだ。『美しくなるための秘薬が欲しい』、『それを飲まないと、僕とはとても並び立てない』と心を病んでしまっていてね』
『あ、そうなのですね……』
王子様には、婚約者がいる。
こんなにも素敵な人にお相手がいるのは当然なのに。
胸がぎゅっと苦しくなった。涙がにじんだ。理由はわからなかった。
でも私、この人の役に立ちたい。そう強く思いながら薬を調合した。
絶対に失敗したくない、頼りない魔女だと思われたくない。
集中しすぎて、一回で成功したか何度も失敗したかはよく憶えていない。でも慌てた覚えがないからきっと成功したんだと思う。
できあがった薬の瓶をおそるおそる差し出したら、王子様はほっとしながら受け取ってくれた。
これでもう、王子様は帰ってしまう――。
それに気づいた瞬間、どうしてもまた会いたいって気持ちでいっぱいになった。
『もう一度会えますように』って祈りながら、お守りを渡してしまった。婚約者がいる人なのに。
とてもいけないことをしている気がして、王子様の手首にお守りを着けたとき、ずっと手が震えっぱなしだった。何度も失敗して泣きそうになっていたら、『大丈夫、ゆっくりでいい』と言ってくれた。優しい微笑みを浮かべながら――。
あのときは幼くて、魔女のお守りを人に着けさせたらその人がどんな目に遭うかなんて、想像できなかった。
私のせいで、あんなにも素敵なあの人は処刑されて。
しかも百年以上も未来に連れてきてしまった。
私はもう、ファリエルさんと一緒にいる資格なんてない――!




