1 魔女との出会い
処刑台の中央に投げ出される。後ろ手に手かせをはめられていては、抵抗もできない。
ボナマハト王国第二王子ファリエル・ボナマハトは、身をよじって起き上がった。膝を突いた途端、両側に立った兵士が「正面を向け」と蹴りつけてくる。拷問の傷が疼く。痛みと熱に、意識が霞む。
目の前は群衆で埋め尽くされている。怒号がとどろく。
式典で人々に手を振ったときは、みな眩しいものを見る目で見上げてきていた。今は憎しみにみなぎっている。――僕が直接、彼らに何かをしたわけでもないのに。
雄たけびを上げる群衆の向こうに貴賓席が見える。
異母兄のグンナールが満足げな笑顔でこちらを見ている。
その隣には、ファリエルの元婚約者が座っている。扇子で口元を隠し、その上には三日月型に細められた目。
あの目付きだけは、最後までなじめなかった。
どこで間違ったのか――。
きっかけは、自分で作ってしまった。
でも後ろめたいことは何もない。
グンナールが合図を出す。
ファリエルの横に立つ兵士が剣を振り上げる。
固く目を閉じて、祈る。
せめて、あの子が無事でいてくれたら――。
剣が振り下ろされる気配。風切り音が迫る。
死を覚悟した、その瞬間。
「――はっ」
びくっと身体を震わせて目を開く。ファリエルはいつの間にか仰向けになっていた。
処刑台の上にいたはずなのに――そこは、見覚えのない部屋だった。
手かせは外されている。
今、僕は処刑されたのではなかったのか?
いつの間にか別の場所に移された? なぜ?
ここは天国、いや地獄なのか?
今までのは夢だったのか? それとも今、夢を見ているのか?
「くっ……!」
すぐに現実だと気付く。身体中に拷問の痛みがよみがえったからだ。
歯を食いしばって痛みをやり過ごす。
必死に呼吸を繰り返すうちに、誰かが顔を覗き込んでいることに気付いた。
若い女性だった。見覚えはない。ミルクティー色の髪、アクアブルーの瞳。
真っ黒なローブを着ている。
「あ、おはようございます! よかったあ、目覚めてくれて……!」
「君は……?」
「私、魔女のリリアナって言います!」
「――魔女!?」
一番気がかりだった、でも一番聞きたくない単語。無意識のうちに身体がすくむ。
すると、リリアナと名乗った女性がしおしおとうつむいた。
胸の下あたりまで伸びた髪をいじり出す。
「すみません……。嫌、ですよね。魔女なんて」
「嫌なものか! 失礼な態度を取ってしまってすまない」
謝りたくても、痛みで起き上がれない。
動かしづらい手をどうにか持ち上げて、胸に当てる。
「お初にお目に掛かる。僕は……」
名乗ろうとして、ためらう。
僕は、罪人扱いだ。事情を知らないであろう彼女をいざこざに巻き込むわけには行かない。国名は伏せるべきだろう。
「僕は……ファリエルだ」
「ファリエルさん……。素敵なお名前ですね!」
「……ありがとう」
笑顔が可愛らしくて思わずどきっとしてしまう。
目を逸らした途端、床が光っていることに気付いた。自分を中心にして、複雑な模様の円が描かれている。なんて綺麗なんだろう――。
痛みをこらえながら身体を起こす。
するとすぐそばにリリアナが正座した。背筋を伸ばし、神妙な顔つきをする。
「ファリエルさん。まずは、あなたにお詫びしなければならないことがあるんです」
「お詫び?」
「はい。私、間違えてあなたのことを召喚しちゃったみたいなんです」
「召喚? 僕を?」
突拍子もないことを言われて唖然とする。
とても信じられない――でもリリアナの表情は、真剣そのものだった。
「本当は私、精霊を召喚しようと思ってたんですよ。でもどこを間違っちゃったのか、人間であるあなたを召喚しちゃいまして。これまで魔女が人間を召喚した例ってないはずなんですよね……。よければ召喚前までどこでなにをしてたか教えてもらってもいいですか?」
「――! それは……」
びくりと肩が跳ねる。ここへ来る前――死を覚悟した瞬間の絶望感が心臓を締め付ける。一気に鼓動が速くなり、呼吸が乱れる。ファリエルは目を見開いたまま固まってしまった。
途端にリリアナがあたふたとし始める。
「あっ、言いづらいことですか? でしたら教えていただかなくて大丈夫です! あなたのプライベートに踏み込むつもりはないですし」
「……。お気遣い、感謝する。……――っ」
また傷が疼き出した。とっさに押さえたら、ますます痛みがひどくなった。
顔をしかめてやり過ごす。僕は、確かに生きている――。
ファリエルが痛みをこらえていると、リリアナが切なげに眉をひそめた。
「ひどい傷……。痛いですよね。お薬を飲んでもらいたいんですけど……。私が作った薬でもいいですか?」
「……ああ」
軽くうなずいてみせる。その動きだけで全身の傷が脈打ち始める。ぎゅっと目を閉じて痛みをこらえる。
まぶたを開き、改めて自分の全身を見る。
ぼろぼろになったシャツとズボン。高級な生地で出来た服も、ここまで汚れていれば王族とは気付かれないだろう。
血とほこりで汚れた服を眺めているうちに、牢屋での光景が浮かんできた。
狂った笑顔で鞭を振るってくる兵士。
鉄格子の向こうで口の端を吊り上げる、異母兄と婚約者――。
「っ……!」
たちまち心臓が加速し、呼吸が乱れる。
腹をひくひくとさせながら、息の乱れを抑える。
すると目の前に小瓶を差し出された。中には青い液体が入っている。
「こちらをお飲みください」
「これは?」
「回復薬です。私が調合したものです」
初めて飲む魔女の薬に、おそるおそる口を付ける。
酒とも果汁とも違う、濃厚な甘さ。でも喉につかえたりせず、すんなり飲み込めた。
最後のひと口を飲み干した途端――痛みが嘘のように和らいでいった。
まだ脈打つ感覚は続いている。痛みも完全になくなったわけではない。耐えきれないほどではなくなった程度だ。
それだけでもありがたい――。ほっと息を吐き出し、差し出された手に小瓶を返す。
するとリリアナが少しうつむき、心配そうに顔を覗き込んできた。
「痛み、引きましたか?」
「ああ……とても楽になった。ありがとう」
「ホントですか? 良かったです!」
ぱっと笑顔に変わり、声を弾ませる。
うれしそうなその顔は光り輝いていて、見ているだけで癒される気がした。
にこにことしたリリアナが、早口で説明を始める。
「……でも実は、今のお薬はかなり効果を抑えたものでして。一気に傷がふさがるくらい強いものだと多分反動で寝込んじゃうと思うんです。なので、まずは一番弱いものを飲んでもらいました。経過を見て、少しずつ強くしていきましょう」
「そこまで考えてくれたのか。気遣いに感謝する」
夢中でしゃべる様子にますます癒されながら、口元を微笑ませてみせる。笑ったのは久しぶりで、うまく顔を動かせなかった。
ほんの数日で急激に衰えた自分に、すぐに暗い気持ちになってしまう。
ため息をつき、そっとうつむく。
痛みで力んでいた身体から力を抜いた途端、猛烈な眠気が込み上げてきた。
尋ねたいことはまだたくさんあるのに。
国は今どうなっているか。病床の御父上はご快復なさっただろうか。
政治の才のない兄が、果たして革命派を御せるのか――。
「眠くなっちゃいましたか? ベッドで休んだ方が……」
リリアナの声が遠ざかっていく。
温かな声を聞きながら、ファリエルは眠りに落ちた。