さようなら…貴方を好きだった…
何が起きたのか分からなかった。
何時も時間を遡る時は一瞬だからである。
だが。
真里奈は目を開けると強く強く仁に抱き締められている自分に気が付いたのである。
守るように抱きしめる仁の腕の中で真里奈は早くなる鼓動に顔を赤らめながら
「やっぱりドキドキする」
と心で呟き、ハッとすると身体を起こした。
今…何時なのか?
真里奈はポケットから携帯を出して時間を見た。
『1957年11月10日』
彼女はハァと息を吐き出すと
「ちゃんと、遡れた」
と呟いた。
仁もフッと目を覚ますと真里奈を見て
「…何とか、無事だったみたいだな」
と身体を起こすと周囲を見回した。
1957年11月10日の荒川区の公園で2人は倒れていたのだが…周囲を見回しても車が何処にもなかったのである。
つまり、車は遡ることが出来なかったのだ。
1978年の5月25日に残ってしまったのか…それとも時間の狭間に落ちてしまったのか。
それはもう確かめようがない。
真里奈も仁の言葉に頷いたものの
「でも車が」
と呟いた。
仁は肩を竦めて
「仕方ないだろう」
俺達がそうならなくて良かったってことだ
と言い
「それに都内だから交通の便はいいし」
やることは一つだけだ
「山王寺夫妻の仲を取り持つことだけだ」
2人の捩じれた気持ちを真っ直ぐ繋ぎ合わせることが出来たらその後の悲劇は時ほぐれていく
と立ち上がった。
「ただ、その後の最大の問題は2023年に帰れるかどうかだな」
車が遡れなかったという事は時戻りの時計は確実に壊れ始めている。
問題を解決したとしても真里奈と仁が戻れる保証はないのだ。
真里奈は俯いたものの顔を上げて真っ直ぐ仁を見つめると
「もしそうなっても山王寺君の未来が続いたなら」
私は後悔しません
とにこっと笑みを浮かべた。
そう、そう言う覚悟は持たなければならなかったのだ。
時間を遡るというのは通常では考えられない事なのだ。
それをやっているのだ。
どこでどんな危険が待ち構えていてもおかしくはなかったのだ。
だから。
だから。
真里奈は笑顔で頷いた。
仁は真里奈を見つめた。
最初は突拍子もない女子高生だと思っていた。
だが、全然違っていた。
仁は混み上がる熱いものを胸の中に感じると腕を伸ばして真里奈を抱き締めた。
「君は本当に強くて素敵な女性だ」
だが君は帰らないとな
「君は未来で恋を始めるために遡ってきたんだからな」
真里奈は頷きながら
「でも、それを言ったら仁さんもです」
と告げた。
「上野公園の桜…見に来ましょ」
約束ですからね
仁は目を細めて微笑むと
「ああ、そうだな」
約束だ
と答えた。
そして視線を列車の線路の方に向けると
「よし、行こうか」
と足を踏み出した。
「JRの町屋駅から西日暮里へ出てそこから山手で新宿だな」
真里奈は頷くと
「はい」
と答えた。
2人は荒川区の家々が建ち並ぶ住宅街を町屋駅に向かって進んだ。
空では太陽が輝き少し肌寒い風が流れていた。
君に辿り着くための事件推理
JR町屋駅から西日暮里へ行くと山手線に乗りかえて新宿へと向かった。
電車に揺られながら仁は少し視線を下げている真里奈の肩に手をそっと乗せた。
「大丈夫だ」
真里奈は言葉に顔を上げて微笑んだ。
「はい」
時間を遡って電車に乗ってもかなり平気になったが…東京都内の特に新宿の近くは緊張するのだ。
しかし、事件を解決して元の時間に戻ったら事件はないことになっているのだ。
平気に列車に乗らないと駄目なのだ。
真里奈の記憶の中にはあの事件は残っている。
だが、きっと、きっと、事件はなく皆の記憶の中には無いことになっている。
そうあって欲しい。
そうなって欲しい。
だから、真里奈自身も無かったことのように振舞わなければならないのだ。
真里奈は息を吸い込んで吐き出すと
「大丈夫」
きっと戻ったらあの悪夢は無くなっているんだから
と心で呟いた。
列車が新宿に到着すると仁は真里奈に
「ここで先にホテルを探す」
と手を引いて降りた。
1957年…昭和32年でも新宿にはホテルがそれなりに建っていた。
ただやはり真里奈や仁がよく知っている新宿の姿とは違っていたのである。
仁は駅舎から出て
「やっぱり、違うものだな」
と心で呟いて、駅前に立っているホテルに足を進めた。
「ここにしようか」
ホテル新宿という名前のホテルであった。
そのホテルは令和には無い。
真里奈は仁と共にホテルのフロントに立ち周囲を見回した。
シャンデリアがあり高級感溢れる内装である。
彼女はほぉぉと息を吐き出して
「シックな雰囲気ですね」
と呟いた。
仁はそう言う感慨はないようでさっぱりと
「そうだな」
と答え、ポケットに入れていた財布からお金を出して支払った。
真里奈はそれを見て
「あ、お札使えるんだ」
と心で呟いた。
仁は鍵を受け取ると彼女を連れて9階の903号室へ向かうためにエレベーターに乗り込み
「紙幣の変更がなかったみたいだからな」
助かった
「万馬券で手に入れた金で賄えた」
と告げた。
真里奈は笑顔で
「良かったです」
と答えた。
昭和32年から昭和59年まで紙幣変更が行われなかったのは救いであった。
2人は部屋に入ると一息ついた。
真里奈はベッドに飛び込んで
「眠いですー」
と告げた。
仁も流石にベッドに身体を投げ出して
「確かに」
と答えた。
そう言って二人は顔を見合わせると
「「今日はゆっくりして明日行動」」
と告げた。
真里奈は身体を伸ばすと
「やったぁ」
と目を閉じた。
仁も仰向けになったまま目を閉じた。
静寂が広がり、ホテルの窓からは東京の街が広がり写り込んでいた。
太陽は南天を越えて、ゆっくりと西へと傾いた。
夏の日の入りは遅いが11月にもなると日の入りは早く夕方の5時ともなると闇が東京の街の上に広がった。
疲れ切っていた真里奈と仁が目を覚ましたのは午後6時。
すっかり夜になっていた。
仁は慌てて起き上がり
「やっば」
マジ寝入ってた
と呟いた。
真里奈はふにゅーと身体を起こして
「私も寝てましたー」
と答えた。
仁はふぅと息を吐き出し
「まあ、明日の朝に山王寺家に行くとして…取り敢えず夕飯は食べよう」
と告げた。
真里奈は笑顔で
「はい!」
と答えた。
2人は部屋を出るとホテルを出て近くのレストランに入って食事をした。
仁は食事をしながら
「明日、山王寺家に行って山王寺清一と美江の拗れた関係をどうするかだな」
と告げた。
真里奈はハンバーグを食べていた手を止めると
「あの、でも皆さんのお話では清一さんも美江さんも政略結婚でも愛し合っていたんですよね?」
清一さんに美江さんのこと家の事関係なく愛してると言って貰ったらいいんじゃないんですか?
とさっぱり告げた。
仁はカレイのムニエルを食べながら
「そこが…簡単に口で言って、はい、そうですか、で済めば問題にはならないんだ」
と告げた。
この辺りは子供だな、と仁は心の中で呟いた。
しかし、実際のところ言葉以外に確かめ合う術はないのだ。
真里奈は腕を組んで
「そうなんですけど、もう一つ…大きな障害だったのが家政婦さんの金子珠美さんですよね」
仁さんのおばあさんですよね
と告げた。
仁は息を吐き出すと
「それだな」
と告げた。
彼女が山王寺家の為に奮闘したことが裏目に出て山王寺清一に対する疑惑の最大の対象となってしまったのである。
それが包丁を持った揉み合いの原因ともなっている。
真里奈は仁を見て
「仁さんのお爺さんとお婆さんに少し早くくっついて貰ったらどうですか?」
と告げた。
「そうすれば美江さんの疑惑の一つは消えると思うんです」
仁は「デッ」と思わず声を零して
「た、確かに…それが良いかもしれないが…」
身内ってやりにくいな
と複雑な表情で告げた。
「先の時は事件の解明だったから…出来たが」
その…恋愛事情ってのが
真里奈は不思議そうに
「そうなんですか?」
と仁を見つめ
「反対にドラマとかでは良く身内が関わると私情が入るから捜査から外されるってやってますけど」
と告げた。
仁は冷静に
「いや、もうドラマはいいから」
とビシッと告げて
「事件に関しては刑事になった以上はそう言う時の心積もりをいつもしてきたからな」
と答えた。
「だが、確かに真里奈ちゃんの言う通り祖父母が早々に結婚すれば事件が起きるほど拗れなかったかもしれないな」
真里奈は頷いた。
仁は息を深く吸い込み吐き出すと
「わかった、話をしよう」
と告げた。
「かなり…緊張するが」
真里奈は仁を見て
「私、応援します」
と告げた。
そして、清一と美江の問題である。
夫婦の事は夫婦に任せるしかないとよく言われるのだが…正にそれである。
仁はそれでも
「取り敢えず山王寺清一と美江には言葉にして伝え合う事を勧めることにする」
と告げた。
「考えればそれしか方法はないからな」
だが見ず知らずの他人が行き成り言ったら余計拗れそうだ
真里奈は頷いて
「確かにそうですね」
と答えた。
う~んと悩みハッとすると
「あの、それこそ仁さんのお爺さんとお婆さんに言ってもらったらどうですか?」
お婆さんは特に山王寺家の人々と繋がりが深そうですし
と告げた。
仁は腕を組むと
「確かにだな」
と呟いた。
「よし、それも言ってみようか」
そう告げた。
真里奈も頷いた。
そして
「それで12日後に清一さんが亡くなる流行り病って何だったのかなぁって思うんですけど」
清一さんが亡くならなかったら美江さんも虐待まで発展しなかったんじゃないかなぁと思うんですよ
と告げた。
仁は悩みつつ
「そう言われればそうだな」
と呟いた。
ただ最大の問題は病が分かったとしても二人は医師でも無ければ医学に長けている訳でもない。
それこそ…見守るだけしかできないのだ。
何もかもが上手く行かないのは世の常である。
仁は息を吐き出して
「だが、俺達は今出来る事を精一杯するしかない」
と真里奈に告げた。
正に人事を尽くして天命を待つである。
真里奈は深く頷いた。
2人は食事を終えるとホテルの部屋に戻り、ゆっくりとそれぞれのベッドで眠りについた。
翌朝、仁と真里奈はホテルを出て最初に仁の祖父の家へと向かった。
そこについては仁が良く場所を知っている。
20年後にも訪れた実家である。
2人は列車に乗って初台駅で降りると参宮橋の方へと歩いた。
山王寺家と近い場所にあったのだ。
徒歩でも行けるくらいの距離である。
仁は歩きながら
「さて、どういうかだな」
と考えていた。
その時、真里奈が声を上げた。
「あ!仁さんそっくりさんです!」
でもわかーい
仁はぎょっとすると指の示す方を見て
「うっわ、血筋だ」
結婚プロポーズ
結婚プロポーズ
と直ぐに祖父だと気付き、少々混乱気味になった。
せめて心の準備時間が欲しかったのだ。
だが、姉の命を…そして、彼女の恋の未来を守るためである。
仁は意を決すると自分に似ている祖父である川原仁夫の元へと進んだ。
川原仁夫は仁を見つめて目を見開いた。
流石に己にそっくりな人物が正面に歩いて来たら驚くというモノだ。
仁は彼の前に立ち
「俺は、川原仁夫さん、あんたの孫だ」
と告げた。
仁夫は固唾を飲み込み
「え?」
と顔を顰めた。
仁は冷静に「デジャブだ」と思いながら
「貴方と金子珠美さんは結婚することになる」
と告げた。
「今からプロポーズをして結婚してほしい」
…。
…。
真里奈は遠くから聞き耳を立てながら
「ひゃー、何時もの仁さんらしくない!」
何時もの刑事らしい理路整然とした迫力が…ないですー
と心で叫んだ。
仁夫はじっと仁を見つめ
「確かに俺によく似ているが…金子さんと俺は家政婦とただの門番だ」
それ以上でもそれ以下でもない
と返した。
仁は視線を忙しく動かしながら
「しかし、してもらわないと…困る」
と半分思考が真っ白になっているのが真里奈ですら分かる状態であった。
真里奈はムンッと力を入れるとズカズカと歩み寄った。
「仁さんのお爺さん、本当に仁さんは貴方と珠美さんのお孫さんなんです」
珠美さんは今清一さんと美江さんが政略結婚ですけど
「愛し合っているのを知っているのでお二人の幸せのために奔走していると思うんです」
でもそれが誤解を生んで…珠美さんは取り返しのつかない罪を犯してしまう事になるんです
「いえ、美江さんもです」
だから仁夫さんと珠美さんが結婚すればその事態を回避できると思うんです
仁は驚いて真里奈を見た。
「一気に言った」
真里奈も同時に
「私、一気に言っちゃった」
と心で突っ込んだ。
だが。
だが。
言わなければ人は分からないのだ。
想いを。
考えを。
伝える手段として言葉を生まれたのだ。
ならば、使わなければ…である。
仁夫は2人を呆然と見つめ少し考えて
「そこが家だから…家に」
と誘った。
仁は真里奈を見て目を細めて笑み軽く肩を叩いた。
「悪いな、ありがとう」
そう告げた。
真里奈は笑顔で首を振った。
「いいえ、今まで仁さんが一杯頑張ってくれたので」
私も今頑張ってみました
そう笑顔で告げた。
仁夫は2人をそれとなく見て静かに笑みを浮かべた。
仁夫は普通の一軒家の平屋に2人を招き入れて居間の膳で向かい合うように座った。
「お二人が嘘や揶揄いでないことは分かりました」
しかし
仁は彼を見ると
「もしかして、そ…いえ、金子珠美さんは…清一さんを」
と呟いた。
仁夫は切ない表情で頷いた。
「まあ、身分が違うし金子さんも分かっていると思いますが」
だからと言って俺と一緒になんて
真里奈は仁を見た。
恐らく事件が皮肉にも2人を結び付けたのだろう。
だが。
だが。
仁は仁夫を見て
「貴方は…何故、結婚したんですか?」
と思わず呟いた。
考えれば、あの事件に仁夫は全く関係がない。
アリバイ作りに手伝わされただけの門番だった
仁夫も真里奈も仁を見た。
真里奈は仁夫を見ると
「あの、仁夫さんは珠美さんのことは」
と聞いた。
仁夫は目を細めて微笑むと
「彼女は…素敵な女性です」
本当に頑張り屋で優しくて強くて…でも…
と告げた。
真里奈は目を見開き、息を飲み込んだ。
分かったのだ。
何かが自分の中にストンと落ちたのである。
真里奈はそっと仁の横顔を見た。
仁はそれに気付くと不思議そうに真里奈を見た。
「どうしたんだ?真里奈ちゃん」
真里奈は頬を僅かに朱に染めて首を振った。
「いえ、何もないです」
仁は首を傾げながら仁夫を見ると
「しかし、その珠美さんを助けるためにも」
山王寺家を助けるためにも
「貴方が…珠美さんを思っているのなら…」
と告げた。
仁夫は視線を伏せた。
真里奈は微笑み
「仁夫さんは珠美さんを愛しているんですね」
と告げた。
仁夫も仁も驚いて真里奈を見た。
真里奈は笑みを深めて
「仁夫さんの気持ちをぶつけてください」
応えるかどうかは今の私にも仁さんにも分かりません
「けれど清一さんが12日後に亡くなってから美江さんは心を壊して清一さんに似た清一郎さんを折檻します」
それを止めようと一年後に…珠美さんは罪を犯してしまいます
「私たちはそれを止めて欲しいです」
仁夫さんがその後に唯の責任で結婚したというなら推し進めることはできません
「でも私の目から見た仁夫さんの気持ちは珠美さんを責任や同情で結婚したのではない」
愛しているから結婚したんだと今わかりました
「だから、その気持ちを」
と告げた。
「本当に本当に仁夫さんには失礼な話だし傷つける話しになるかもしれませんけど」
そう言って頭を下げた。
仁は小さく息を吐き出すと両手をついて頭を下げた。
「お願いします」
仁夫は2人を暫く見つめ
「彼女が…応えてくれる可能性は低いですが」
今の俺の思いを伝えてみます
と告げた。
「それが彼女を何かから救う事になるのなら」
それだけで俺にとって価値がある
仁夫は立ち上がると
「じゃあ、これから仕事なので」
と告げた。
「明日の同じ時間に家に来てください」
仁と真里奈は頷いて立ち上がった。
信じるしかない。
仁と真里奈は仁夫を見送った。
仁夫は何処か何かを吹っ切ったように青い空を見上げて山王寺家へと向かった。
山王寺家では金子珠美が咳をしながら出掛けようとしている清一を見て
「あの、旦那様」
お身体の様子が悪ければお休みなられたら
「お医者様を呼びいたします」
と心配げに告げていた。
清一は深く深呼吸をして首を振ると
「仕事を休んで家でいると資産家である山王寺だからという事で嫁いできた美江を不安にさせてしまう」
そう言う訳には行かない
と告げて、手を伸ばすと
「心配かけてすまないね」
と頭を撫でた。
まるで妹にするようなしぐさである。
珠美は僅かに頬に朱を乗せて俯いて
「いえ、私は…ただ…」
美江さまは別に旦那様が資産家だからと言うだけでご結婚されたとは思えないのです
と告げた。
清一は苦く笑んだ。
「華族のお嬢さんだ…そうでないと嫁いだりしないよ」
その時、扉が開いた。
清一は前に現れた川原仁夫を見た。
「?川原…どうした?」
仁夫はゴクリと固唾を飲み込みガッガッと金子珠美の前に進むと手を出した。
「お」
清一も珠美も同時に
「「お?」」
と呟いた。
仁夫は真っ赤になりながら
「俺と結婚してください!!」
金もないし
「門番の仕事だし…何もないけど…ずっと金子さんを見てきた」
好きだ!!
と汗を拭き出しながら叫んだ。
「俺、全部わかってる」
でも君が好きなんだ
珠美は仁夫の言葉に目を見開いた。
仁夫の目を見つめて自分が清一に抱く気持ちを分かっていっているのだと理解したのである。
清一は驚いて仁夫と珠美を交互に見た。
珠美は清一を見て、全てを理解すると涙を浮かべて微笑んだ。
仁夫は自分が抱く許されざる恋心も全部受け止めると言ってくれているのだと理解したのである。
そして、それに今応えなければならないのだと理解したのである。
珠美は仁夫の手を掴んだ。
「ありがとう、仁夫さんの気持ちが嬉しい」
二人で働けば良いし
「私の全部全部を受け止めてくれる仁夫さんが嬉しい」
そう言い前に出て両手をついて頭を下げると
「私を…私をお嫁さんにしてください」
と告げた。
仁夫は泣きながら
「金子さん…あ、ありがとう」
と抱きしめた。
清一は驚いてよろめくと座り込んだ。
珠美は清一を見ると
「旦那様…きっと美江さまも同じだと思います」
資産や金やそんなものじゃなくて
「旦那様のお気持ちを…」
と仁夫に身体を寄せた。
そこに清香と清一郎と美江が玄関口の騒ぎに姿を見せた。
清一は暫く呆然と仁夫と珠美と清香と清一郎と美江を見たが真っ赤になると立ち上がって美江の前に進んだ。
「お」
美江と清香と清一郎は同時に
「「「お?」」」
と首を傾げた。
清一郎は大きく深呼吸をして
「美江さん…貴女は…俺が資産家の山王寺家の長男だから…結婚したと…愛しておられないかもしれませんが…」
俺は貴女を愛しています
「ずっと…それを言いたかった」
と告げた。
美江は目を見開くとポロポロと涙を落して清一に抱きついた。
「違います!私こそ…ただ華族という肩書だけで私と結婚したから…きっと仕事だといい外で女性と会っていると思っておりました」
私を愛していないと…
「私だけが…私だけが…こんなにも…こんなにも貴方を愛してしまったと」
清一は驚いて
「な!そんな…外で女なんて!」
作っている訳ないではないですか!
と告げた。
美江は清一を見つめ
「でも、オモテになると…結婚前からお聞きして…家にも余りおれないし…話も」
と視線を伏せた。
清一は大きく息を吐き出して抱き締め
「それは…貴女のような方が結婚したのは山王寺の資産だけが理由だと思ったので…仕事をしなければと…資産を増やさなければと」
と告げた。
清香はクスクス笑って
「お兄さまもお義姉さまも…本当に好き合っておられるのですね」
と告げた。
清一郎も美江と清一に抱き付き
「とーしゅきーかーしゃまーしゅきー」
と笑った。
それに美江も清一も真っ赤になりながら清一郎を抱き上げた。
清一郎は仁夫を見ると
「川原…ありがとう」
お前のお陰で目が覚めた
「それから二人ともおめでとう」
と告げた。
珠美は微笑んで強く仁夫の手を握りしめた。
美江は清一を見ると
「清一さま、今日は身体を休めて下さい」
ご調子が悪いのでは心配しておりました
と告げた。
「それから、私のことは美江と」
妻ですから
清一は頷いた。
そして、医師を呼び見てもらったのである。
肺炎の一歩手前だったのである。
医師は息を吐き出すと
「放置していたら…命に関わりましたよ」
と告げたのである。
仁と真里奈は翌日、仁夫と約束したとおりに川原家を訪ねた。
そこに珠美もいて仁夫は2人を家の中へ招き入れると両手をついて頭を下げ
「珠美と結婚する」
と告げた。
それに仁と真里奈は目を見開き笑顔を浮かべた。
珠美は2人を見ると
「仁夫さんから聞きました」
ありがとうございます
「何処かで区切りを付けなければと思っていたんです」
全部全部
「私の恋心も全部受け止めてくれる仁夫さんと一緒になります」
と頭を下げた。
仁は少々複雑な表情を浮かべたものの、それは嫌だとかそういう類のモノではなく照れ隠しのものだと真里奈には分かった。
そして、清一の病気のことも聞き二人は清一の死について理解したのである。
風邪を押して仕事をして肺炎を起こして死んだのだと分かったのである。
だが、清一は身体を休めて肺炎になることなく12日経っても元気であった。
仁夫と珠美は間もなく結婚した。
珠美の願いもあり、真里奈と仁は一年ほど珠美が暮らしていたアパートで暮らすことになったのである。
その間に仁は仁夫に頼み、遠縁という事で山王寺家の護衛の仕事に付いた。
清一の妹の清香は仁を見ると
「聞きました、川原と珠美さんを取り持ってくださったのですね」
ありがとうございました
「お陰で兄夫婦も…幸せになりました」
と頭を下げた。
仁は笑むと
「いや、俺は何も…でも本当に良かったです」
と告げ、清香を見ると頭を下げて
「この度は俺の方こそ雇ってもらって助かります」
ありがとうございます
と答えた。
清香は笑んで
「よろしくお願いします」
と告げた。
真里奈は家に残り料理上手になるべく珠美から教わりながら仁と共に暮らし、山王寺家の行く末を見守ったのである。
1958年11月14日を無事に越え、元の時間に戻りあの忌まわしい事件が起きていないことを確認すれば良いのだ。
1年ほど経ち、事件が起きた1958年の11月14日が訪れても事件は起きることなく、山王寺美江は清一と仲睦まじく清一郎を大切に育て3人で庭に出て紅葉を見つめていたのである。
そう、あの清一郎に真里奈が言っていたように、美江は優しく清一郎を抱き締めていたのである。
全てがボタンの掛け違いの様に気持ちが行き違って起きたことなのだ。
仁もその光景を見つめて笑みを浮かべた。
「もう、大丈夫だな」
仁は一つの決意を固めていたのである。
そして、安心しながら見ていた真里奈の側に行くと
「これで…きっと事件は起きない」
と告げた。
真里奈は笑顔で頷いて
「はい」
と答えた。
「帰れますね」
仁は笑みを深めた。
「ああ、そうだな」
仕事が終わったら家の前の公園に直接行くから
「待っていてくれ」
真里奈は少し考えたものの
「はい」
と答えた。
夜になって夜勤の警備の人間と代わると山王寺家を出た。
空には星が瞬いている。
仁は息を吸い込むと
「同じ東京なのに…こっちの空は綺麗だ」
と呟いた。
そして、家の近くの公園で待っている真里奈を目に笑みを浮かべて歩み寄った。
真里奈は仁を見ると息を吸い込んで
「これで、もう事件は起きないですね」
と言い、事件の前日の2023年5月16日に時間を合わせながら
「戻ったら約束守ってくださいね」
上野公園で桜を見ましょう
「あ、それから携帯の動画と写真の連投も忘れないでくださいね」
私も送りますから
と告げ、針がピーンと音を立てて回らなくなったのを感じると
「きっとこれが最後だわ」
と呟いた。
それでも2人が戻れるか分からない。
先の時は車が駄目だったのだ。
仁は目を細めて微笑み真里奈をそっと抱き締めると
「一人なら確実に行けるだろう」
と告げた。
「君は帰るんだ」
2人なら失敗するかもしれない
真里奈はそれを聞いて目を見開くと
「仁さんは?」
いやです
「仁さんも一緒に」
仁さんとなら失敗して時空を彷徨ってもいいです
と抱きしめ返した。
「私、私…」
仁は真里奈にキスをすると
「君を愛してた」
だから幸せになるんだ
「真里奈ちゃん」
未来で君の愛を始めるんだ
と離れた。
「帰るんだ!!」
行け!!
真里奈は泣きながら
「私も…好き」
仁さんが好き
「本当に…本当に…大好き!」
と言うと、時計を抱き締めた。
「私待ってます」
未来で待ってます
「お祖母ちゃんのように年を取らないと思うので…私、待ってますから!」
桜の約束守ってくださいね
「上野公園の桜…一緒に見ましょう」
「時戻りの時計」
私を示した時間へ誘え
真里奈は潤む視界を睨むようにじっとじっと仁の姿を見続けた。
真里奈の姿は消え去り仁が1人残された。
仁は唇を噛みしめると込み上がってくる激情を抑えながら
「愛していたよ、真里奈ちゃん」
幸せになるんだ
「幸せに…」
と呟いた。
そこに帰り際の様子が変だった仁の後を追ってきていた山王寺清香がそっと近寄り
「仁さん…泣いて良いんですよ」
泣くのは心を守ることです
「泣いてください」
と驚く仁に声を掛けて手を差し伸べた。
仁は堪えきれずに嗚咽を漏らすと
「清香さん、すみません」
今だけ
「今だけ」
と顔を伏せた。
清香はそっと抱き締め
「泣いて泣いて…落ち着いたら…私と帰ってください」
一緒に
と告げた。
この時、夜空に星が優しく輝いていた。
真里奈は意識を取り戻すと公園に倒れていたのである。
携帯は2023年5月16日を示し、元の時間に戻ってきたのである。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。