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旅立の幕間

 港町を見下ろす崖の上。

 吹き込む海風を引き裂くように、一陣の颶風ぐふうが草花を散らし、天穹てんきゅうより一羽の巨鳥が大地に舞い降りる。


 灰褐色の羽毛に覆われた躰。烈風を巻き起こす巨大な翼は、羽ばたくたびに金属同士が擦れる様な硬質な音を辺りに響かせる。羽根は陽光を浴びて鈍く輝き、猛禽類を彷彿とさせる鋭い金の瞳は、眼下の港町へと向けられていた。


 さながら、鋼の大鷲。


 それは大地を抉りながら地表へと降り立ち、直後……凄まじい魔力波を辺りへ放った。

 すると、大鷲の姿は一瞬の後に掻き消え、代わりにそこにはひとりのオンナが立っていた。


「……鼻が曲がりそうだ」


 オンナ……ヴェルは灰色の髪を風に靡かせ、切れ長の瞳を更に細めて剣吞な雰囲気を放っていた。


 ……いる。


 勇者の気配を追ってここまで飛んできたが、同時にカノジョは、醜悪な魔力の臭いを感じ取って敵意を剥き出しにする。

 ヴェルは大鷲と同じ金色の瞳で眼下の港町を睥睨へいげいし、奥歯をギリと噛み締めた。


「ひとの世に仇なす悪獣が……人間の町に紛れ込んで何を企んでいる……」


 その眼は感覚を研ぎ澄ませることで数里(すうり)先の景色も鮮明に映すことができる。

 ヴェルは視界の先……被り物(フード)を目深に被った褐色肌のオンナを睨み据える。

 建物の屋上に胡坐あぐらをかき、頬杖をついて欠伸をしている。


「……魔力はダダ漏れ……隠れる気もないというわけか……しかし、アレ一匹ではないだろう」


 他にも、微弱だが褐色肌のオンナが放つのと同じ魔力を複数感じる。

 

 ……殲滅するか……いや。


 それではあの町は滅びることになるだろう。

 悪獣……原初の神がこの世界に生み出した眷属。認めたくはないが、その力は本物だ。

 むろん、奴らと戦って自分が負けるなどとは微塵も思わない。


 しかし、その余波に巻き込まれた町の人間はひとたまりもないだろう。

 我らはひとの守護者……如何に仇敵を討つためとはいえ、無辜むこの民に犠牲を強いることなどできるはずもない。

 

 ……ニアやアウルあたりは、そのあたり見境なく戦うだろうがな。


 特に、仇敵を前にして手を込まなく自分を見たら、ニアからどれだけ嫌味が飛んでくることか。

 ネチネチとしつこく、絡みつくように……じわじわと相手をいたぶるのが好きな陰険なオンナだ。アレが自分と同じ守護者だと考えただけで嫌気がさす。

 

 ……歯がゆいですね。


 いっそ挑発しておびき寄せようか……いや、下手に刺激して町が破壊されない保証もない。

 連中にとって、ひとの命など塵芥ちりあくたにも劣る代物だ。目的のためなら手段を選ばず、何を顧みることもない。

 

 ……『しゅ』のお言葉が正しければ、我らの導き手は悪神の手に落ち、魂を汚された状態とか。


 ならば、あの町の中から感じる悪獣たちの気配の中に……勇者が紛れている可能性は十分ある。もし、そうだとすれば……


「もうしばらくお待ちください、勇者様……必ずや、お助けいたします」


 ヴェルは崖から飛び降り、港町へと落ちていった。


 ・・・



 ティアは不意に感じた強い魔力の気配に顔を上げた。

 何をするでもなく、暇を持て余して建物の屋根から町を見下ろしていた時だ。


 ……なんだ?


 気配はほんの一瞬。視線の先には切り立つ岸壁。

 しかしそこには誰の姿もなく、ティアは瞳を鋭く細めて崖を睨み据えた。


「……気のせいか?」


 町に滞在する同胞たちが放つ魔力が濃すぎる影響か、うまく先ほどの気配を探れない。

 だが、そんな中にあって、僅かな瞬間とはいえ自分たちと同等……あるいはそれ以上に強い魔力は放たれた気がした。


 この手のことに敏感なフェリアやリュインあたりなら、正確に魔力の出所を探れたかもしれないが。


「……ふん」


 ティアは鼻を鳴らして屋根から飛び降りた。

 いきなり頭上から現れたティアに通りを歩いていた住民が驚きの表情を浮かべる。

 彼らに構わず、ティアは再びブラブラと町の散策を続けようと歩を進めた。


「ティア、ここにいたのですね。探しましたよ」

「あ?」


 背後から声を掛けられ振り替える。

 そこにいたのは群青色の髪に琥珀色の瞳を持ったひとりのオンナの姿があった。


「よぉ、いじける時間は終わったか、龍神」

「今はその名を軽々しく口になさらないでください。誰に聞かれないとも限りません」

「人間どもに聞かれた程度でどうなるってわけでもねぇだろ」

「お母さまは無用な騒ぎを望んではいません。今後、わたくしのことはリュインと呼んでください」

「へいへい」



 ティアは手をヒラヒラと振ってリュインを一瞥、先日までの不貞腐れた雰囲気は感じられない。

 強者としての矜持か、人間と共に行動することに不満を抱いていたリュイン。


 しかし自分の意見を心の奥に押し込め、本音を隠した。


 にも拘わらず、カノジョは如何にも「不満がある」と静かに訴えていた。

 その中途半端な態度がティアは気に食わなかったが、今は随分とスッキリした印象だ。

 カノジョの中で、わだかまりは多少なりとも解消されたとみていいだろう。

 この分なら、これ以上カノジョの無様を拝まなくて済みそうだ。


「ちょっとはマシな面構えになったじゃねぇかよ」

「……そうですね。先日は、情けない所をお見せしました」

「はっ……随分と素直になったもんだ」

「あまりいじめないでください。それより、お母さまがお呼びです。支度ができ次第、船に乗ってここを離れると」

「船? わざわざ人間と同じ手段で海を渡んのか?」


 こちらには空を飛べるフェリアとリュインがいる。船に乗って移動するなど手間でしかない。


「先ほどもご説明したように。お母さまは無用な騒ぎを望んではいません。わたくしたちが本来の姿に戻れば確実にいらぬ関心を集めてしまうでしょう」

「チッ……窮屈でしょうがねえ」


 以前の商業都市でも感じていた。人間に化け、紛れ、生活するにはカノジョたちは存在が大きすぎる。

 ティアではないが、リュインもデミアからの指示がなければ誰に遠慮することなく本来の姿に戻っていただろう。

 しかし、今のデミアは人間の営みに関心を寄せ、ろうとしている。


 カノジョに生み出された眷属である以上、その意思には従わねばならない。

 が、それはそれとして、


「フェリアは喜んでいましたね」


 眷属の中には、純粋な好奇心で以て人間社会に興味を示す者もいる。

 フェリアはあの見た目に擬態しているせいか、同年代の幼子と同じように何にでも関心を寄せる感性を持っている。


 一昔前なら諫めるところだが、デミアが方針を変えた今、リュインにはその偏見のない純粋さが羨ましく思えた。

 おそらくこれから先、自分は母と慕うカノジョと同じ目線には立てない。そんな気がした。

 いや……それは言い訳か。


「せっかくです。わたくしたちも、浅ましい人間の叡智がどの程度のモノか、見定めてみてもいいのではないですか?」

「ふんっ……どうせ退屈なだけだろうが。オレは寝てる。陸に着いたら起こせ」


 ティアのぶれない態度にリュインは苦笑しつつ、自分を曲げないその姿勢に憧憬の念を抱いた。


 ……長らく会っていなかったとはいえ、以外とお互いのことを知らぬものですね。


 眷属として生まれ、これまで独自に活動していたカノジョたち。それでなにか困ることもなかったし、むしろ互いの縄張りに干渉しないことは暗黙の了解だった。

 それが、よもやこうして一堂に会することになろうとは、想像すらしていなかった。


 カノジョたち状況は、確実に変化の兆しを見せている。

 それが良いモノか、悪いモノなのかは、いまだ知りようもないことだが。


「すぐに町から出るのか?」

「アレクセイさまが連れいていた人間が準備を進めているそうです。それが完了次第、ここを発つとおっしゃっていました」

「行き先は?」

「ここから北の大陸だそうです」

「ってことは、もしかしたらアイツと会うかもしれねぇな」


 ティアはここにはいない、最後の眷属の姿を思い出した。


「ベヒーモス……あの方は、いろいろな意味でつかみ所がありませんでしたね」

「今頃なにしてんだか」

「縁があれば、まみえることもあるでしょう。そろそろ行きますよ。宿でお母さまが待ってます」

「ああ」


 と、カノジョたちが通りを宿に向かって踵を返した瞬間――


「そこの二人。すまないが、少しばかり尋ねたいことがあるのだが」


 女性の声が聞こえ、リュインは振り返った。


「なにか?」

「失礼。私は王国騎士団所属のレイアと申します」


 そこに立っていたのは、鳶色の髪に同じ色の瞳を持った、人間の女だった。

 彼女はこちらに一枚の紙を見せながら尋ねてくる。


「この似顔絵の人物について、なにか知っていることはないだろうか?」


 彼女の手には、リュインたちもよく知る男の顔が描かれていた。

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