拒絶の剣
『神兵』――ジョブの中で最も優れた怪力を誇ると云われている。自己強化の最終系にして極致。人間という器が耐えられる限界まで肉体を強化できるのがこのジョブの力である。
しかし、このジョブには一つ厄介な点がある。
それは……ジョブを持つ本人でさえ、力を制御しきれないことである。
アリーチェ・スフィア・ガルド。王国の第一王女にして王位継承権第一位。既に政の一部を王から任され、次代の王として国の頂点に立つことを求められた才女……そんな肩書ができあがったのはいつの頃だったか。
アリーチェは一度、王家を追放されていた。
彼女は、天から神兵のジョブを授かった……いや、授かってしまったのだ。
先に述べたように、神兵はその扱いが非常に難しく、日常生活を送ることさえままならない。
力を行使せずとも情事発揮される怪力は触れたモノを悉く破壊する。
意図しなくとも、彼女が手を伸ばせば物の形が崩れ、人間の脆い体などあっさりと壊れる。
彼女は成人した直後から死に物狂いでジョブの力を自分の制御下に置こうと努力した。
が、彼女が神兵の力に慣れようとすればするほど、人も物も壊れてしまう。
食事は特注で作らせた食器でなければ一瞬で変形し、どれだけ力を抜いても握手一つ満足にこなせない。
必然、彼女の立場は悪くなる一方であった。
かつてはその優秀な頭脳と存在感で以て多くの重臣たちから「将来の王」としてもてはやされていた。
しかし状況は一変、神兵などという制御できない力を授かったせいでアリーチェの評判は反転した。
焦りと苛立ちが余計にアリーチェを力ませ、その忌々しい力は遂に、国王へと向いてしまう。
それは、アリーチェが王の政務室に呼び出された時のこと……
『お待ちくださいっ、お父様!』
『アリーチェよ、既に決まったことなのだ』
アリーチェは、辺境に送られることとなった。
しかし、それは決して追放を意味する決定ではなく、王なりに娘を想えばこその決断だった。
今の王宮でアリーチェは周囲から厳しい視線を向けられている。
そのせいで彼女は焦燥感に苛まれ、一向に力の制御はできぬまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。
ならば、せめて王都から離れ、静かな場所で心を癒し、改めてその力と向き合えばいい。
優秀な娘のことだ。雑音に惑わされることなく、己の力にのみ意識を向け続ければ、いずれジョブをモノにできる。王は娘を信じていた。
しかし、
『お父様! どうか今一度、わたくしに機会をください! 必ずやジョブの力を制御してみせます! ですからどうか!』
アリーチェは周囲からの圧力に普段の冷静さを欠いていた。
王の意図するところを汲み取れず、父は自分を追放するつもりなのだと思い込んでしまった。
『アリーチェ、どうか話を聞いてほしい。ワタシは決して――』
王が娘の肩に触れた。
取り乱す彼女を落ち着けようとした、その行動の一環。
しかし、それが間違いだった。
アリーチェは、父の手を振り払ったのだ。しかも、なんの加減もなく。
それだけなら、何も問題など起きようのない出来事だったはず。
しかし、彼女がその身に宿した呪いは、そんな些細な出来事さえ参事へと変えてしまう。
異質な音が鼓膜に届いた。
何かがひしゃげるような、おぞましい音だ。
ハッと我に返った時には、遅かった。
『あ、ああ……いや……』
父の腕が、壊れて床に転がっていた。
うめき声をあげ、床に倒れる父を前に、アリーチェは膝から崩れ落ち、
『いやああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!』
悲鳴を聞きつけて駆け付ける衛兵。腕を失い倒れた王と、血塗れで半狂乱になるアリーチェ。
彼女を取り押さえようとする衛兵たちだったが、正気を失って身を暴れさせる彼女に近付くこともできない。結局、宮廷魔術師が彼女を鎮静化することでどうにか事態は収まった。
幸い、王の怪我は処置が早かったため大事には至らず、腕は元通り彼の体に繋がった。
しかし、アリーチェは王宮の地下へ幽閉されることとなり、王が眠っている間に、彼女の処遇が決定した。
本来であれば極刑……斬首に処されるところを、彼女が王の実子であることや、王家の醜聞が広く世間に拡散することを恐れた結果。
アリーチェは王家を秘密裏に追放されることとなった。
その際、娘を不憫に思った女王……アリーチェの母が彼女を王都郊外の教会へ資金援助を行い、そこに娘を預けることを決めた。そこなら、重臣たちの目からも逃れ、娘も比較的穏やかに過ごせると考えたからだ。
あるいは、娘の境遇がなにかの呪いによって汚染されているのなら、神の祝福によって浄化されることを望んだからかもしれない。
虚ろなまま牢から出されたアリーチェは、身支度もそのままに王宮から出され、例の教会に送られた。
アリーチェはもう、誰かと関わることを恐れ、疲れ果て、涙さえも枯れ果てた。
『今日から、お世話になりますわ……アリーチェと申します。どうぞ、よろしくお願いしますわ』
王家の性を名乗ることを禁じられ、ただのアリーチェとなって教会の門を潜った。教会と孤児院が併設された施設であることは事前に説明を受けていたアリーチェ。
出迎えてくれた修道女、そしてこの施設で最も年長だという少年……彼はアリーチェよりもいくつか年下で、来月に成人を迎えてジョブを授かることになっている、と話した。
それこそ、後に勇者のジョブを授かる、
『アレスだ。よろしく』
彼との出会いだった。
◆
「――わたくしが腐ることなく、今こうして王宮へ戻ることができたのは、あなたがいてくれたからですわ」
切ない表情でアレスを見下ろし、手を伸ばす。
かつては誰にも触れることができず、ささやかな接触でさえ他者を傷つけてしまうことを恐れた。
しかし今は、
「わたくしが再びひとと触れ合えるよう、力を尽くしてくれたのはあなたですわ」
教会へ追放されたアリーチェは、他者と距離を詰めることなく、常に孤独でいた。幼い子供たちが無邪気に近付いてくるのを追い返し、修道女にもアレスにも、誰にも心を開かない。
彼女は宛がわれた部屋に閉じこもり、食事も常に一人で済ませていた。
王宮とは全く違う質素な食生活。支援金のお陰で、これでも豪勢になった方だ、と聞かされた時は、自分がどれだけ恵まれた環境で育てられていたのかを実感した。
アリーチェの食器は王宮から唯一持ってきた特注のもの。剛性に優れ、神兵の力にも耐えることができる逸品。
しかし、逆に言えばそんな物がなければ満足に食事もできない自分を、アリーチェは心の底から嫌悪した。
そんなアリーチェに、修道女とアレスは常に声を掛け続けた。
邪険にしたり、ひどい言葉を浴びせたり、神兵に力を見せつけて脅かしても、彼らはアリーチェと接することを諦めようとはしなかった。
そんな彼女に転機が訪れる。
切っ掛けは、彼が勇者のジョブに目覚めたこと。
「あなたは、この忌まわしい力を継承してしまった」
勇者のジョブは見ただけで相手のジョブを自分の力とすることができるもの。
それ故に、勇者に目覚めたアレスは、近くにいたアリーチェのジョブ……神兵も自身の力として取り込んでしまい、彼女同様に力の制御に悩まされることになってしまったのだ。
当時の勇者のジョブは、力を得ることはできても捨てることができないという、唯一の欠陥を抱えていた。
「ですが、あなたはわたくしとは違いましたわ」
力に目覚め、初めて神兵のジョブを取り込み制御ができないと知るや、彼は教会を飛び出した。
始めは、彼も自分のように制御不能の力に絶望し、自棄になったと思い込んでいた。
だが、彼は戻って来た。一ヶ月という時間を掛けて。
「あの時、あなたが口にした言葉を、わたくしは今でもハッキリと覚えていますわ……『薪割がめちゃくちゃ楽になるぞお前ら!』なんて」
アレスは、たった一ヶ月で自分の中にある神兵の力を飼い慣らして見せたのだ。
何事と教会の裏庭に集まった孤児たちとアリーチェ。
アレスは得意げに胸を逸らし、その手に斧を持っていた。
柄は木製で、仮にアリーチェが握ったならほんの些細でも力を入れれば折れてしまう。
それを、アレスはなんと振りかぶり、薪割を始めたのだ。
しかし、木の太さが尋常ではなかった。
通常の成人男性でも抱えることすら困難なほどの丸太。ちょうどアレスの腰くらいの長さだろうか。
アレスが振り下ろした斧は、まるで薄い板でも割くかのように丸太を両断した。熟練した剣士は鋼鉄さえも断って見せるというが、アレスのそれは技術的な要素など全くない、単純な力業によって丸太を割ってみせた。その怪力は間違いなく、神兵の力だ。
アリーチェは驚愕した。
アレスが極太の丸太を割ったことにではない。
力を込めれば折れてしまうであろう斧の柄を握りながら、丸太を両断したことに驚きを隠せなかったのだ。
確かにアレスは剣士のような技術は持っていなかったかもしれない。
しかし、理解した。理解できてしまった。彼は神兵の力を、自分の制御下に置いていることを。
「わたくしがどれだけ鍛錬を積んでも、一向に加減を覚えることができなかった神兵の力を、あなたはたった一ヶ月で支配してしまった……あれほどの衝撃を、わたくしは生涯忘れることはないでしょう。そして……」
アレスは丸太を薪木にまで解体すると、アリーチェに駆け寄って満面の笑みでこう言った。
『今度からお前と俺で薪割担当な』
そして彼は、アリーチェの手を強引に握ってきた。
咄嗟のことで驚き、手に力を込めてしまった。
その瞬間、赤い果実が潰れるような想像を抱いて顔が青くなる。
しかし、恐れていた光景を迎えることはなく、アレスは嘘偽りのない笑みを浮かべたまま『ちょっといてぇな』と、アリーチェの手を握り返してきたのだ。
久方ぶりに触れた人肌に、アリーチェは人の目も憚ることなく泣いた。
「あれから、あなた共に研鑽を積み、わたくしはこの力を受け入れ、今では共生することができています」
そして、人づてに広まった剛腕の少女の噂は王宮にまで届き、それがアリーチェであると知った王は教会を直に訪れ、神兵の力を制御して見せた娘を、再び王宮へと連れ戻した。
当然、反発は大きかった。しかしアリーチェは元々、文官としての才に恵まれていたことに加え、神兵の力を制御できるようになったことで文武に優れた次代の王としての力を見せつけた。
重臣たちからの無理難題な魔獣の討伐依頼、飢饉や疫病に見舞われた属領の立て直しや復興事業の設立……アリーチェはこれらの問題の悉くを解決に導き、重臣たちを納得させ、あるいは黙らせ、王家に返り咲いたのだ。
「あなたがいなければ、わたくしは今、王女として国の政に関わることもなく……いいえ、それどころか自ら命さえ断っていたことでしょう」
アレスは、神兵の力をその身に宿しても、絶望することなく一人鍛錬を積み、受け入れた。
アリーチェは、ただただこの力を呪いと断じ、支配しようと躍起になっていた。
きっと、そこに違いがあったのだと今の彼女には理解できる。
だからこそ、物事に対して悲観するのではなく、前向きに捉えることができる彼に憧れ、慕い、いつしかその想いは大きく膨らんでいた。
「国には……いいえ、なによりわたくしには、あなたの存在が必要なのです」
いずれ国を背負って立つ王女して、ひとりの女として、アリーチェはアレスを求め続けた。
アリーチェは王宮へ戻るための魔獣討伐の際、必ずアレスに同行を頼んだ。
神兵としての力を持っていることはもちろん、彼の存在は常にアリーチェの心の支えになっていた。
しかし、常にアリーチェが気に掛けるアレスの存在は王の目にも留まる結果となり……それが故に、彼が魔神討伐を国から命じられることになってしまったのだ。
「悩みました……あなたを危険な旅へ送り出すことになってしまうことに。ですが、わたくしはあなたを見送りました」
今のままでは、アレスと自分が結ばれる未来はない。
しかし、アレスが魔神討伐の功績をあげれば、彼と自分の婚姻を納得させられるだけの免罪符になる。
なにより、国としてもアレスという規格外な力を野放しにはしたくないはず。ならば、王家に取り込んでアリーチェの制御下に置いた方が安心できる。加えて魔神を討伐したほどの戦力が国内にいるという情報は他国への牽制にも繋がる……そんな建前を並べ立て、アリーチェはアレスを待ち続けた。
しかし、アレスの生死不明という報せを受け、アリーチェは頭が真っ白になるのを自覚した。
信じられなかった、信じたくなかった……だから探した。5年もの間、ひたすらに。
そうしてようやく、見付けたのだ。
「アレス」
アリーチェは彼の手を取り、その表情はどこか懇願するようで。
「昔のように、わたくしを隣で、支えてくださいますよね?」
切実な想い。
しかしアレス……アレクセイの答えは、最初から決まっていた。
「すまない。俺は、お前の想いには……応えられない」
アレクセイの手を握るアリーチェの手に、力が入ったのが分かった。
それは、小さな痛みを伴った。
お久しぶりです
数日おきになるとは思いますが、連載を再開させていただきます
どうぞ、よろしくお願いしますm(_ _)m




