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王女の願い

 王都の校外。

 植物が壁を這い、割れたステンドグラスが痛々しい、ひとも寄り付かなくなって久しい教会。

 日夜ここを巡回する衛兵たちがこぞって不気味と称するそこに、被り物(フード)を目深に被ったひとりの女が入っていく。


「ここも、随分と荒れてしまったわね……」


 はぁ、と顔を隠した女は脚が腐って傾いた椅子に触れた。

 かつてはここで、派遣されてきた神父から、女神信仰における教義を散々聞かされた。


「懐かしいわ」


 敬虔な信者とは言い難く、眠気を我慢した記憶を思い出して苦笑する。


「それでも、王宮と比べて心穏やかに過ごせたのは確かね」


 在りし日の記憶に想いを馳せ、背後で女は被り物を脱いで素顔を晒す。


 ピンクダイヤを彷彿とさせる瞳、青味がかったシルバーブロンドの髪が揺れる。

 廃墟となった教会にあって、彼女の姿はどこか神秘的とさえ思える不均衡な対比を演出していた。

 まるでそこだけ光輝いているかのような、独特の雰囲気を放つ彼女……アリーチェ・スフィア・ガルドは、祭壇の前に近付き、女神を象ったステンドグラスを見上げる。


 しかし、肝心の女神はそのほとんどが割れ砕け、破滅的な未来を暗示する不吉なモノのようにアリーチェの目には映った。


修道女シスター様が行方不明になって、もう10年近く経つのね……ご無事であればいいのだけれど」


 当時、孤児たちの世話をしていた彼女。皆から好かれ、生活は苦しかっただろうに、笑顔を絶やさず、慈愛と情愛に溢れた心で子供たちを見守っていた。

 当時、荒んでいたアリーチェの心に寄り添い、真摯に向き合ってくれた二人のうちの一人……


 王女としてまつりごとの一部を()から任されるようになってから、彼女の行方を探そうと手を尽くしたが、今もまだ行き先はおろか、その生死さえ掴めていない。


「ふぅ……」


 いけない。今日は大切な相手と会う予定だというのに。

 アリーチェは深い呼吸を数度繰り返した。

 ようやくだ。5年……5年間、探し続けた『彼』と、ようやく会える。


 アレス・ブレイブ。

 女神に寵愛された男。唯一無二の『勇者』のジョブを授かり、世界を魔神の脅威から解放した英傑。


 思わず頬が熱くなる。緩みそうになる顔を無理やり引き締めた。いくら旧知の仲とはいえ、今や自分も一国の王女。世界を救った英雄と会うのに、こんな()()()をしていてはきまりが悪い。


 もうすぐ約束の時間。

 教会の周囲を護衛の番犬が張っているため、一般人はおろか虫の一匹さえ通すことはない。


 ただ、一人を除いて。


 カツン――


 背後で足音がした。

 アリーチェは内心の緊張と歓喜を押さえつけながら、髪を翻して振り返る。


「……お久しぶりです、王女殿下」

「――――」


 瞬間、脳が思考を放棄し、世界の音が遮られ、彼の声だけをこの耳は拾い上げた。

 視界が一気に狭くなり、彼だけを見つめるための器官へと変わってしまう。


 恭しく、こうべを垂れるなんて、彼には似合わない所作だ。


 しかし、そんな些末事などどうでもいい。

 アリーチェは彼を『彼』と認識した瞬間から、その脚が動き、駆け出し、取り繕おうとしていた体裁も脱ぎ捨てて、


「――アレス!!」


 その身に宿る限りの衝動を全て解放し、再会した勇者を抱擁していた。

 どれだけこの日を待ち望んだことだろう。


 彼が行方知れずとなったという報せを聞いた時は、なにかの間違いだと取り乱し、アリアたちに当たり散らしてしまった。

 共に旅をしていたマルティーナやソフィアには殺意さえ覚えたほどだ。

 それでも、どうにか気持ちを強引に切り替え、気高き番犬(ノーブル・ケルベロス)たちにアレスの行方を捜索させたが……どれだけ探しても、彼の痕跡一つ見つけることはできなかった。


 勇者は魔神を討伐するも相打ちとなり、その命を落としたのだと。


 秘かにアレスの捜索を続けていることを知る者は、何度もアリーチェに『諦めろ』と口にした。

 彼女自身、5年という月日に披露し、半ば諦めかけていたのは間違いない。


 しかし今、目の前に彼がいる。

 こうして再開できる日が来ることを、どれだけ待ち望んだかわからない、彼が。


「よかった……アレス、本当に……生きていましたのね」

「ああ……生憎と、生き残ったみたいだ」

「そのような悲しい言い方をしないで……わたくしは、こうしてまたあなたと会えて、ほんとうに……ほんとう、に」


 アリーチェの声は徐々に濡れ始め、音は形をなさず嗚咽となっていく。


「うぅ……ひく…………あれ、す……あれす……」


 政でさえ泣き言など口にしたことのない彼女が、かつての友との再会に、声を上げて泣いた。

 まるで幼子のようにしがみついてくるアリーチェに、アレスはかつて幼き日にそうしたように、アリーチェの髪を、くしゃくしゃと撫でた。


『王女様と、会ってあげてください』


 ソフィアに言われ、最初は断った。

 自分という人間は、彼女にとって厄介ごとの種にしかならない、と。


『いいえ、アレスさんは会うべきです……会わないと、いけないのです』


 二人がこれから先の未来にどんな結論を出すにしろ、それは一人で決めていいことではないのだ、と。

 ソフィアにしては珍しく、他者を厳しくたしなめるような言葉だった。


『一つの答えだけで全てを決めてしまうのは、ただの独善です。もう、わたしたちの時のようなことは、しないでください。お願いします』


 それが決め手だった。

 アレクセイは『わかった』と頷き、彼女から気高き番犬を通じて王女と会う約束を取り付けた。

 

 アレクセイたちと共に転移してきたアリアからは、


『てっきり裏切られたのかと思っておりましたが、ご連絡をいただけたことを鑑み、別の場所にアレス様を転移させた件は不問にいたしましょう』


 などと、本格的に実働部隊を投入される直前だった雰囲気を放つアリアに、ソフィアは苦笑していた。

 とはいえ、仮に番犬たちが相手だろうと、ソフィアを下すのは相当難しい。

 仮にも賢者。その魔術の実力は折り紙つき。

 屋敷にも魔術的防衛機能が幾重にも張り巡らされているため、仮に実力行使でこれを突破するにしても相当な被害が出る。

 正直な話、番犬たちもソフィアとことを交えることがなくて内心はホッとしていた。


 そうして、アレクセイは一時的にアレスという身分を自らに許し、こうしてアリーチェの下に参じた。

 しかしまさか、開幕からこうして抱き着いてくるというのは、さすがに予想外だった。


 アレクセイは彼女が落ち着くのを黙って待ち続ける。

 不意に、脳裏をよぎったかつての思い出。

 今と同じように、泣きじゃくる彼女に寄り添い、ただ黙ってその頭を撫でた、遠い日の記憶を。


 ・・・


「――落ち着いたか?」

「はい……申し訳ありません、このような、みっともないところをお見せして」

「気にしなくていい。お前が泣き虫なのは、昔からよく知ってる」


 教会の椅子に二人は腰を落ち着け、アレクセイは砕けた口調でアリーチェに接する。

 久しぶりに会う彼女は王女になっても変わりなく、取り繕う意味もないとアレクセイは態度を改めた。


「あなたも変わりないようですわね。いじわるで、そのくせ、とても優しくて……傍にいると、安心する」

「王女にそう言ってもらえて光栄の極み」

「茶化さないで、ほんとにそういう所、変わってないですわ」

「人間、そう簡単に変われるかよ」

「そう、ですわね……でも、変わらざるを得なかった。わたくしも、あなたも……」

「そうかもな」


 お互いの本質は変わらない。

 変わったのはきっと、お互いの立場と境遇だ。


「俺は、本当はお前に会うつもりはなかった」

「ええ……アリアから、そう聞かされました……念のため尋ねますが、わたくしが嫌いになったから、避けたというわけではないのですよね?」


 まるで捨てられた子犬のように、不安そうに瞳を揺らす王女殿下。

 アレクセイは僅かに逡巡し、「ああ」と答えた。


 本当は「お前なんか嫌いだ」と、そう言って彼女を遠ざけてしまえばいい。

 かつて、マルティーナたちにそうしたように。


「それを聞けて安心しました。では、なぜ? 理由を窺っても?」

「聡明なお前のことだ。なんとなく察しくらいついてるだろ」

「あなたの口から聞きたいのです」

「…………俺は、火種になるかもしれない」


 魔獣の脅威が去りつつあるこの世界で、勇者という存在はただの危険因子でしかない。

 当然、これを排除しようと動く者、利用しようと暗躍する者たちが出てくるだろう。

 思惑は他者を巻き込み、拡大し、新たな戦いを引き起こす。


 魔神と互角以上に渡り合えた事実から見ても、仮に勇者が生きていると世界に伝えることは、あまりにも不安要素が大きすぎる。


「そうかもしれません。今、世界は魔神の脅威から解放されました。しかし、世界は安息に向かうどころか、今度は人間同士で争い合うような状況が増え始めました」

「……そうか」


 魔神、魔獣は一種の抑制装置の機能を果たしていた。

 デミアが表舞台で戦い続けていた時も、人間同士のいざこざがなかったわけではない。

 しかし大規模な衝突はほとんどなく、世界の向く先は魔神討伐という共通の目的だった。


 それが果たされた今、人間たちが再び戦火の拡大に身を乗り出す結果となったのは、ある意味必然だったのかもしれない。


「わたくしは、この現状をどうにか打開し、万民が心穏やかに過ごせるよう、手を尽くしたいと思っていますわ」


 高い理想。

 その道のりがどれだけ困難であるかは、王女である彼女自身が良く理解していた。


 アリーチェはアレクセイを見上げながら、彼の手を取り、言葉を紡ぐ。


「アレス、どうかわたくしに、力を貸してはいただけませんか?」

「……生憎と、今の俺は何者でもない、ただのしがない錬金術師だ」


 デミア同様、戦いで勇者の力は大きく削がれ、全盛期と比べてもその戦力は格段に落ちている。

 もし、武力として彼女が自分を必要としているなら、その容貌には応えられない。


 力の減衰もそうだが、なによりもう、争いごとからはできるだけ距離を取りたかった。


「今の俺はアレクセイと名乗ってる。勇者はもう、この世界には不要な存在でしかない」

「いいえ、そんなことはありません。あなたの肩書は間違いなく、この王国にとって大きな貢献をもたらすことでしょう」


 すると、アリーチェは椅子から立ち上がり、アレクセイの前に立つと、


「アレス、お願いします。この国のため、ここに生きる民たちのために……どうか、このわたくしと」


 ――婚姻を、結んでいただきたのです。


 耳まで赤く染めた王女殿下は、そんなことを口にした。

お久しぶりです

前回から少し間隔をいただき、遅くなってしまい申し訳ありませんでした

宣言通り、嫌われ勇者:リバイブ版の連載はしばらく休載とさせていただき、再開は3月の中旬以降とさせていただきます

何度も間隔を空けてしまい申し訳ありませんが、ご理解の上、本作を応援していただけますと幸いです

どうぞ『嫌われ勇者:リバイブ版』をこれからもよろしくお願い致します。

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