優しい嘘では守れない
嫌われ者を演じた……いや、あるいは『あれこそ』自分の本質だったのかもしれない。
魔神の脅威は話に聞くばかりで正確な情報は一切、世に出回っていない。
あまたの戦士、武人、英傑が魔神に挑み、そして敗れた。
彼らが残した僅かな情報も、魔神を討つ決定打にはならず、ただ無常に骸が積み上がり、血河が大地を染めるだけ。
それ故に、かつてアレスが魔神の情報を得るために、行きずりの妖しいオンナから情報を得ようと取引に乗ったのは当然と言えた。
眉唾であろうが虚偽であろうが、魔神は無策のまま挑んで勝てるような甘い相手ではないのだから。
しかし、カノジョがもたらした情報は正しかった。
実際に魔神と対峙したからこそ判る。
あのオンナが持っていた情報は、たとえその命を捧げても価値のある物。
もしもなんの情報もないまま、魔神に挑んでいたのなら、今はきっと変わっていただろう。
いずれ、カノジョと再び見える機会があったなら、その時はカノジョが望んだものを差し出さねばならないだろう。
が、同時にアレスは、情報を得たことで理解してしまった。
勇者一行は……自分たちは、まず間違いなくその多くが命を落とすことになる、と。
それは、あのオンナも言っていた。
『仮に今の皆様でアレに挑んだとしても、無事に戻ってこられる確率は極めて低い……いいえ、それ以前に、犠牲失くして神を討とうなどとは考えないことです』
犠牲……誰かが死ぬ。旅立った直前はそんな可能性を考えもせず、危険に身を置くようになってから少しづつ脳裏をよぎるようになり、大怪我を負って仲間が死に掛けたことでことで現実味を帯びてきた。
前線で体を張って皆を守っていたマルティーナが、とある地下遺跡で重傷を負ったことがある。遺跡の罠に嵌まり、逃げ道を塞がれながら魔獣の群れと戦い、その牙と爪が彼女の体を抉り、引き千切った。
幸い、魔獣を退け退避すること成功し、賢者のジョブを持つソフィアと、勇者の力を持つアレスの治癒魔術のお陰でどうにか一命をとりとめた。
あの時の、全身を血に染めた彼女の姿は今も忘れられない。
あの時は、まだ遺跡の罠に対する備えが十分ではなく、戦闘能力に胡坐を搔いていたのだ。同時に、少しでも早く魔神を討伐せねばと、焦る感情もあった。
遺跡に眠る遺物は、魔神の討伐に役立つと考えたら、勇み足のまま遺跡に挑んでいた。
結果、手痛い教訓を受けることになってしまったわけだ。
あれが切っ掛けで、アレスは『斥候』、『鍵師』などの、罠に対応できるジョブの必要性を強制的に認識させられることになった。
しかし、どれだけ備えても万全とはいかない……むしろ、新たな危険に遭遇する頻度が増えていく。
大きな怪我を経験したのはマルティーナだけではない……トウカもソフィアも、そして勇者自身も、生死を彷徨うような目に遭い……それは一度や二度ではなかった。
アレスは、仲間が傷を負うたびに、なんど旅をやめてしまおうと思ったか分からない。
自分の傷はいい……耐えればいずれは動けるようになる。
しかし、他人の痛みはどれだけ経験しようが慣れることはなかった。
もしかしたら、このまま彼女たちを失ってしまうのではないか……
何度、そんな想像をしただろう。
不安に眠れない夜を過ごしたのは、はたしてどれだけあっただろう。
『仮に今の皆様でアレに挑んだとしても、無事に戻ってこられる確率は極めて低い……いいえ、それ以前に、犠牲失くして神を討とうなどとは考えないことです』
あのオンナの言葉を思い出す。
魔神と戦えば、今度こそ誰かが死ぬ。
今までは幸運に恵まれ、負傷こそしても死に至る様な事態にはならなかった。
だが、もし……
魔神と戦えば? その時、自分は? 戦いの最中、仲間の一人が命を落としたら? 平静でいられるか? 仲間の死を踏み台にして、魔神を討伐することができるのか?
――否だ。
アレスという人間は他者の……仲間の死に鈍感でなどいられない。きっと取り乱し、魔神との戦いに敗北する。
最悪な、全滅という結末で。
魔神との戦いが、犠牲を避けられないなら、代償を支払うのは、
……どうせ、死ぬなら。
独りよがりだろうと、裏切りだろうと、嫌われようと――
誰かが死ぬくらいなら。
……俺が死ぬ。
だから、
お前たちは、帰れ。
死の臭いが充満する戦場から、彼女たちを遠ざける。
そのためには、
嫌われてしまえ。
それも、徹底的に。
『嫌われ勇者』の、始まりである。
急激な変化では疑われる。少しずつ、態度を悪く、横柄に、横暴に、他者を顧みず、傲慢に、欲に、力に溺れた愚者となれ。
失わないために傷つける……矛盾の果てに迎える破滅は自己満足という毒の美酒。
アレスの行いは決して正当化されはしない、たとえ魔神を倒そうと、決して……
◆
「俺はお前たちをただ戦場で失うことを恐れた臆病な卑怯者だ。お前の判断は正しい。俺は王女に会うべきじゃない。いや、お前たちにさえ、会うべきじゃなかったんだ」
「…………」
話を聞き終えて、ソフィアは黙したまま俯いた。
彼女は今、何を思っているのだろう。話を聞いて、彼女の中に勇者に対する『結論』は出ただろうか……
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
服の裾を握ったソフィアが、顔を上げる。
アレクセイは頷き、彼女を促した。
「わたしたちは、信用できませんでしたか?」
「……そうだな」
偽ったところでどうしようもない。
「俺は、お前たちの力を、信じなかった」
最後の戦いで、全員が生きて帰る未来など、想像できなかった。あるいは、奇跡が起きて生還の道が開けるかもしれないと、夢想したこともないわけではない。
だが、脳裏をよぎるのはいつだって最悪の結末だった。
仲間が傷を負い、血に塗れ、地に伏し、物言わぬ肉になる未来……ひととしての尊厳もなく、千々に飛散する仲間の骸。魔神の繰り出す魔獣によって貪り食われる彼女たちの姿……旅の最中にも、そうなる可能性はいつだって存在した。
どうして耐えられよう。
共に苦楽を味わい、いつか来るだろう争いのない理想郷を夢見た少女たちの末路が、魔獣の餌などと。
叶えたい願いがある、と未来を疑わない……あるいは、未来が閉ざされる可能性を思っても、気丈に前を向き続ける彼女たちの明日が閉ざされることを、なぜ許容できる。
アレスにはなかった。
生きるために生き、ただ自分にできることがあると知れたからこそ旅に出た。
明日に想像することと言えば、また飯が食えるだろうか、程度のもの。
そんな自分と彼女たちの命を天秤に乗せた。
「わたしたちのために、アレスさんはああいう態度を取ってきたんですか?」
「違う。全部、自分のためだ」
他者を失う恐怖に耐えられず、なくすくらいなら遠ざける。
「……アレスさんは、魔神と、戦ったんですか?」
「ああ」
「無事、だったんですか?」
「今、こうしてお前の目の前にいるだろ」
「……そうですね。でも、なにか、違う」
「……」
「わたしの目には、あなたが少しだけ、別のものに、視える気がします……これは、気のせい、ですか?」
「…………」
アレクセイは目を伏せ、沈黙した。
アレスという男は魔神との戦いで確実に命を落とし、仇敵であったはずのカノジョの手によって蘇生した。
ひとの魂と、魔神の魂を融合させて、その存在を現世に繋ぎ止めたのだ。
アレクセイは目を開き、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「お前には、俺が何に視える?」
「……生物学的な点で言うなら、正直、わかりません。こんな魔力の波長は、初めてです……でも、魔術としてではなく、わたしという個人からは、あなたはやはり、アレスさんです。わたしが良く知る、お人好しな頃の、優しすぎるあなた……」
「随分と買いかぶってくれているな」
「わたしは、臆病で、卑屈で、ずっと誰かの後ろに隠れてきました。外の世界はとても怖くて、目を閉ざして、耳を塞いできました……そんなわたしを外へ連れ出してくれたのは、あなたです」
「戦力が欲しかったからな」
「最初は、まともに戦えませんでした……魔獣を前にして、その……も、漏らしちゃったことも、ありましたし……」
カ~っと顔を赤くするソフィア。恥ずかしいなら言わなければいいものを。
「思い出は、尽きません。いいことも、悪いことも……でも、あなたが一人で行ってしまったことは、今でも、悲しいです」
「……一回、ボコボコにでもしておくか?」
「マルティーナさんなら、そうするかもしれませんね」
苦笑するソフィア。確かに、彼女ならこの話を聞いた時点で、問答無用にタコ殴りにしてくるだろう。
アレスが変わり、最も精神的に負担を強いたのは、きっと彼女だろうから。
「正直、気持ちの整理がつきません。信じてもらえなかった悲しみと、今こうして無事でいられることに対する感謝……わたしは、あなたにどんな感情を向けるべきなのか」
「さぁな」
アレクセイは視線を逸らした。
忘れてくれたらいい……それが正直な気持ち。
しかし、それを口にする資格は、彼にはない。
すると、ソフィアはアレスの隣に近付き、その頭に手を添えて、そっと抱きかかえる。
「でも、これだけは言えます。わたしは、あなたがこうして生きていてくれたことを、嬉しく思ってます」
「……やっぱりお前は、変わらないな」
恨まれていてもおかしくない。
それでも、彼女は純粋に、勇者の生存を喜んだ。
「アレスさんも、やっぱりアレスさんでしたね。今のあなたは、わたしが大好きだったころの、あなたの雰囲気……」
頭を抱く力が少し強くなり、触れるかつての仲間の体温は、ほんのりと温かった。
……お前は、優しすぎる。
アレクセイは何の抵抗もしないまま、しばらくの間に、ソフィアの好きなように、その身を任せた。
次回の投稿を最後にしばらく休載します。
再開時期は3月の初旬から中旬くらいを予定しおります。
ご迷惑をお掛けしますが、どうかご容赦頂ければ幸いです。




