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勇者はもはや不要

 その記憶を遡ることはもうないと思っていた。


 二人の行くべきミライにはハッキリとした分岐が存在し、至ればもはや互いに交わることはないと理解していたからだ。


 ……アレス・ブレイブは孤児だった。


 幼き日の記憶は、彼が教会で修道女シスターが母として笑みを浮かべていたものが最も古い。

 両親を知らず、生みの親の愛情というモノは絵物語のセカイである。


 いつ、どのような経緯を経て自分がここで育ったのかは知らない。

 

 しかしそんなこと、この世界では些末事だ。親のいない子供など珍しくもない。

 悲しいなどと嘆くこともない、悲壮感に打ちひしがれて枕を濡らすこともなければ怒りに身を焦がすこともなく、それが自分に与えられた全てと受け入れた。


 魔獣が闊歩しひとを喰らうことなど日常茶飯事。

 いつもどこかで町が、集落が、村が、ひとが魔獣に喰われ殺され死んでいく。

 

 それでも生き延びた……生き延びてしまった子供たちが教会や孤児に引き取られ命を繋ぐ。

 

 アレスが育ったのは王都の城下町にひっそりと建つ寂れた教会。

 祈りを捧げる信者たちからもおらず、国からの援助も乏しく日々の糧を得ることさえままならない。


 そんな場所が彼の家であり、よりどころ。


 当時、教会では5人の子供が生活していた。

 彼らを世話する修道女がひとり。神父はいなかった。

 昔はいたそうだが後任もないまま病で亡くなったそうだ。


 教会の管理と子供たちの世話……その全てを担っていた修道女はアレスにとって母の代わりだった。


『ごめんね、アレス……もっと、お腹いっぱいに食べさせてあげたいのだけど……』


 笑みの中に疲労の色を浮かべる彼女。


『大丈夫だ。俺はべつにそこまで食べなくてもいい』


 などと、アレスは笑って見せた。強がりではない。今の食事に不満はない。硬いパンも味の薄いスープも庭園で育てた虫食いの野菜で作ったサラダも。王都の祝日には僅かながら肉も出る。たまの贅沢はむしろ生きている実感と生の喜びを与えてくれる。


『優しい子……』


 修道女はいつもそう言ってアレスを抱きしめてくれた。

 彼女の温もりは、顔も知らぬ母のソレよりなおも彼の心を満たした。


 貧しきは不幸ではない。

 持たぬ物を欲し、執着することこそ不幸である。


 アレスにとって教会の生活は既に必要な全てが満たされたものだった。


 それ故に――戸惑った。


『今日から、お世話になりますわ……』


 彼女という存在が、突如として自分たちの領域に足を踏み入れてきた。王宮からの、目も疑うような多額の援助資金と共に。


『アリーチェと申します。どうぞ、よろしくお願いしますわ』


 自分たちとは決して相容れない世界の住人。

 王国の第一王女……アリーチェ・スフィア・ガルドと、後の勇者、アレス・ブレイブの邂逅だった。



 ◆



「…………」


 夜。アレスはひとり、一階の食堂で木樽ジョッキに注がれたエールの水面に視線を落としていた。


「はぁ……」


 ため息に酒が揺れる。中身はほとんど減っておらず、たまに口を湿らせる程度に口に含む。


 思い出すのは昼間の一件。


 ――気高き番犬ノーブル・ケルベロスたちとの接触。


 ……いずれは、と思っていたが。想定より早かったな。


 王都の第一王女、アリーチェの私兵。

 近衛騎士とは違う、本来なら存在するはずのない存在たち。

 

 自分が生きている以上、いつかは連中に嗅ぎ付けられるとは思っていた。

 しかし、それはもっと後……少なくとも数年はゆっくりとデミアたちと共に旅ができると思っていたのだが。


「ままならないな」


 ――どうか、我らと共に王宮へ参上していただきたい。


 向こうの要求はひとつ。

 共に王都へ赴き、王女に会え、と……しかし、アレスはキッパリを彼女たちの要求を断った。


 今更、彼女に会ったところで昔話をする以上のことなどありはしない。

 

 なにより、既に自分はアレスという名を捨てた。


 自分が自分である以上、決して他人にはなりえない。

 しかしアレスがアレクセイとして生きることを選んだ以上、過去アレスの繋がりはもはや意味を持たないし、持ってはいけない。


『――仮にあなた様が如何様にお考えであろうとも、我らはあなた様を王宮へお連れする勤めがございます』


 だが、決別したはずの過去は彼の前に姿を現し、決して逃すまいと猟犬の瞳で以てアレクセイと対峙した。

 

 ……幸い、戦闘にはならなかったが。


 あの場はひとまず、


『とはいえ、いきなり頷くことができないものまた理解できます……いかがでしょうか? 日を改めて話をさせていただくというのは?』


 向こうにしても、かつて勇者とまで呼ばれた男と戦い無事で済むとは思っていない。

 かつ、王女の命令は『勇者を見つけ次第、丁重に王宮へと連れてくること』である。


 命が欲しいわけでも、ましてや戦いたいわけでもない。


 ただ、王女の命令が絶対である以上、彼女たちは勇者を王宮へ連れていくために『如何様な手段』も辞さないだろう。

 例えば、彼の周囲の人間関係を利用する、あるいは……人質にするなど……


 当然、向こうもこちらの心象を悪くしたいとは思っていないはず。

 それでも、アレクセイが強固に拒み続ければ、いずれは強硬策に出ないとも限らない。


 彼女たちのことを、アレクセイはそれなりに知っているつもりだ。


「……」


 アレクセイは酒を一気に煽る。

 席を立ち、彼は部屋へと戻った。


 扉を開けると、卓の上に照明を焚いて本に視線を落とすデミアがいた。

 彼女はおもむろに振り返ると、灯りの中で笑みを見せる。


「戻ったか。考え事は終わったかの?」

「……いや」

「そうか。なにかあれば言うがよい。我らが力になろう」

「ああ。その時が来たらな」


 曖昧にアレクセイははぐらかす。

 バツが悪い。彼は部屋に入り「場所を借りていいか?」と、デミアの腰掛けた机を借り、手紙をしたため始めた。


 ……もう俺の存在は王女に伝わったと思っていいだろう。


 それに、番犬に目をつけられた以上、この大陸で彼女たちの目を搔い潜り続けるのは容易ではない。


 ならば、


「なにを書いておるのじゃ?」

「……昔の友人への、別れの手紙、ってところか」


 手紙でこちらの考えを伝え、理解し納得してもらうしかない。


 ……勇者は……アレス・ブレイブは、あの国に災いしか呼び込まない。


 そうして、思う。


 自分は、この大陸にいるべきではないのかもしれない、と。


「納得、してくれるといいんだけどな……」


 望みが薄いことを理解しつつ、アレクセイは手紙に文字を走らせる。

 その顔には苦笑が浮かぶ。

 脳裏をよぎるは幼き日の、周りと打ち解けることができずに孤独となっていた、ひとりの少女の姿……


 ……立派な王女様の隣にふさわしいのは、俺じゃねぇよ。


 国の未来のために、勇者を切り捨てる選択をしてくれることを、アレクセイは切に願わずにはいられなかった。

投稿再開です!!

今日からしばらく連続投稿させていただきます!!

新しいストーリーも始まり、いよいよ彼の生存が多くの人物たちに知れ渡ることとなります!!

波乱の第三幕、開演です!!

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