君と新たに
ここから本格的に以前と話の内容が異なってきます
……これで、最後か。
砕け散った魔力障壁の破片。勇者と名乗った男は、最後には己の全魔力でもって、神の護りを突破した。
「見事……だが、ここまじゃ」
勇者の体は千々に飛散……それでも、まだ男は生きていた。内包した魔力量の影響か。
規格外な生命力だ。
下半身は消失し、左腕が千切れかけている……右手に携えていた剣も失われ、ついに、彼の命は燃え尽きようとしていた。
デミウルゴスは相手が人間であることを今は忘れ、この勇ましき戦士を称えた。
しかし――
「っ!?」
デミウルゴスは目を見開く。虚空に落ちていくばかりだと思っていた男は、残された右手でデミウルゴスの腕を掴んできたのだ。
「まだ、だっ……」
わずかだが瞳に生気が残れされている。
……この男、どこまでっ!
「やめよ! これ以上なにを苦しむ必要がある!」
もう終わったのだ。勇者は手札を出し尽くし、それでも神へは届かなかった。
戦うすべもなく、その身はすでに戦える状態にはない。
それでも、なぜこの男は諦めない?
「なぁ……邪神の魔具って知ってるか?」
「なに?」
「その中に……なかなかに面白いモノがあってな……」
と、アレスは握りしめていた左手を開く。そこには、一見するとなんの変哲もない木偶があった。
「復讐者の狂心……」
「っ!?」
「さすがは神様……物知りだ……」
「そうか……そういうことか、勇者!」
「一緒に、地獄へ堕ちろ」
アレスは、最後に残した力で、デミウルゴスの胸元に、木偶を押し当てた。
木偶は禍々しい赤黒い魔力を吐き出し、デミウルゴスが最後に放った魔術と同じ術式を構築、展開する。
「これが、狙いだったか」
すでに、勇者はこと切れている。
起動した魔術はもはや止まることなく、
「ああ……」
デミウルゴスは虚空に浮かんだ魔法陣を見上げ、瞳を閉じる。
……まったくもって、度し難い。
魔神と呼ばれた神は、極彩色の光に飲み込まれた。
◆
……ここは?
命つき、最後の瞬間を見届けることが叶わなかったアレス。
しかし、彼の視界は、どことも知れぬひび割れた白と黒のセカイに立っていた。
見れば、視線の先に誰かいる。
ゆっくりとを歩を進め、それが少女の姿をしていることを知覚した。
硝子のような床に腰を下ろし、白金の髪が広がっている。
「デミウルゴス」
「む? 来たのか……我より先に逝っておきながら、なぜ我より後からココに来る」
「ここは?」
「我と、そなたの魂が混線してできた仮初じゃ……まぁ、完全に消滅する前の、泡沫の夢とでも思っておけばよい」
カノジョはトンと自身の隣を叩き、「座れ」と促してくる。
アレスは何も疑うことなく、座り込む。
「警戒心がない奴じゃ」
「もう終わった身で、なにを警戒するってんだよ」
「ふふ……それもそうじゃな」
まるで憑き物が落ちたかのように、柔らかく笑むカノジョ。
「よもや、ひとの手で下されるとは……我も、随分と衰えたのう」
世界創成から幾年月……ひとと争い数千年。
「じゃが、言い訳はすまい。そなたの勝ちじゃ。我はもう、ここから戻ってもかつてのような力は振るえんじゃろう」
「待て……お前、死んでないのか?」
「これでも神……己が魔術を『反された』くらいで死ぬわけがなかろう」
「……はぁ」
アレスはため息をつく。あれだけ尽くして、殺しきれなかった。
いや、それだけ神という存在は、遠かったというだけの話か。
「そう落胆するでない。我にはもう、星を焼けるほどの力はない。まぁ、せいぜい今世に名を遺す魔術師程度が関の山じゃろうな」
「……」
それでも十分な気がする……いや、神という枠組みで考えれば、確かに大きく力が削がれたと言えなくもないのか。
「ひとつ訊きたい。なぜ世界と敵対する?」
「はっ……我は世界を相手になどしておらん。我が戦ってきたのは、ずっとそなたたち人間のみ。あえてそなた風に言うなら、我は文明に敵対してきたのじゃよ」
「文明?」
「ひとは、魔術を発展させ過ぎた。その代償を、この世界そのものが肩代わりせねばならぬほどに」
「どういう意味だ?」
「……我が手を下さずとも、いずれ人間は自滅する……この世界を巻き込んで」
デミウルゴスは諦観したように白と黒のセカイを見上げる。まるで、全てを語る意味もないと言わんばかりに。
「じゃが……我は少々、干渉し過ぎたのやもしれんな。人間も、文明も、世界が生んだ営みの一部。その果てに終りを迎えるなら、それが運命だったのだ……きっと、我は抗うべきではなかった」
神なるショウジョは、アレスを横目に見やり、
「じゃとて、今すぐに終わるわけでもない。なれば、我に残された僅かばかりの生……ひとの世を見て回るのに使うのも悪くない。あるいはそこに、世界が人間を生んだ意思を垣間見えるやもしれぬしな」
「……そうか」
きっと、彼女はなにか大きなものに抗っていたのだ。それは、おそらく矮小な人間ごときでは測れないような、視点の広さがあったがゆえに。
アレスは追求しない。する意味もない。人々を魔神の脅威から解放する。
カノジョからは、これ以上ひとに関わる意思を感じない。ならば、己の使命は全うされた。あとは、生きているものが世界の明日を決めればいい。
「長旅になりそうだな」
「うむ。我の知らない姿をした世界……きっと飽きぬじゃろうな」
「そうだといいな」
「他人事のように言う。誰のせいじゃと思っておる」
「なら、死んだ俺をなんとかしてくれ。そうしたら、責任取ってどこまでもお前について行ってやるよ。そうだな……どうせなら名前も全部変えて、新しく始めたらいいんじゃないか?」
「ほぉ、言うたな?」
と、デミウルゴスの瞳がキラリと光る。ゾクリとするような色香と、幼子のようなあどけなさが、妖しい笑みとなってアレスに向けられた。
「ひとつ忠告してやろう。神と悪魔には、適当なことは言わぬ方が身のためじゃぞ」
つい先ほどまで命のやり取りをしていたとは思えない気安さで……しかしそれを不快には感じない。
「残されたときはわずか。しかし一人で生きるにはいささか長い……」
デミウルゴスは、そっとアレスに近づくと、
「ならば、そなたの申し出を受け入れよう」
「っ!?」
次の瞬間、アレスの唇が、カノジョによって塞がれていた。
「摩耗し消えるだけのその魂……我のために燃やし尽すといい」
触れた箇所が熱く燃え、徐々に熱が体を侵すような感覚を覚える。
「お前、なにを……」
意識が遠のく。白と黒のセカイはその輪郭さえも曖昧になり、崩れ行く魂の残滓がカノジョの手によって受け止められる。
「眠れ……そなたが起きるまで、我はしばし待つこととしよう……おやすみ」
それきり、アレスの視界は閉じられた。
……次に目を覚ますその日まで、今日のことは夢に留めて安らかに。
いつか目覚めた暁に、彼はカノジョの隣へと……
――おやすみ。