龍との和解
「……つまり、なんだ? 俺の魂を変質させて? 俺自身を別の生き物に変質させると?」
買い物を済ませたフェリアたちと合流し、宿に戻ってきたのがつい先ほどのこと。
ティアはどこをほっつき歩いているのか、宿の中にその姿は見当たらない。
町の中では絶対に暴れるな、と釘を刺してはおいたが、ハッキリ言って不安だ。
が、それよりも不穏な気配漂う話をデミアから持ち掛けられて、アレクセイは頬を引きつらせているのだが。
「正確に言えば、すでに変異しているそなたをより我らに近付ける、と言った方が正しいかの」
「あ~……要するに? 俺は……いったい何になるってんだ?」
ルフルには席を外してもらった。
部屋にはアレクセイ、デミア、フェリア……そして龍神が顔を突き合わせている。
とりわけ、龍神はデミアの傍について離れず、なにを考えているのか分からない瞳でアレクセイをじっと見据えている。
「もともと、そなたが我と魂の一部を共有している時点で、そなたは完全な人間とはいえぬ存在となっておる」
加えて、先日のフェリアとの一件で彼はカノジョの魂の一部も吸収している。
「魂の質とはそれすなわち生命の根源にして核。姿かたちは我らと人間でそう大きな違いはないが、その在り様は根本的に異なっておる」
寿命、体内魔力生成量、肉体強度、五感によらない超感覚など……
「言っておらなかったが、我らと魂を共有したそなたは森精霊種を軽く凌駕する魔力生成量、長命になっておるはずじゃ……とはいえ、魔力制御はそなたの元の肉体に準じたものであり、出力は上がっておるが我らには及ばん。寿命に関しては……まぁざっと『二万年程度』は生きられると思っておればよい」
「…………」
アレクセイは開いた口がふさがらなかった。
そんな重要な情報を、これまでカノジョから一切聞かされていなかったからだ。
なんだ寿命二万年とは? 噂に聞く森精霊でさえ五千年から長くても七千年と云われているのに……その軽く二倍は生きるというのか?
「通常であればいかに寿命が延びようと精神の摩耗は避けられぬが、そなたは先ほどから言うように我らと魂を共有しておる。心が腐ることはない故安心せよ。第一、精神が腐った相方など傍に置きたくはないからのう」
頬が引きつるのを止められない。
しかも、それだけの情報の奔流が押し寄せなお、これが話の本筋ではないのだから恐怖でしかない。
「まあ、俺の現状については解った……それで話を戻すが、俺の魂をいじくる理由をもっかい聞かせてもらえるか?」
「うむ。どうにも龍神が我が人間を傍に置いているのが我慢ならんということでの。なれば選択肢は三つしない。一つは龍神が我らと袂を分かつこと。二つ目はそなたを消滅させること……これをされてしまえば我もろとも消える可能性があるがの……そして三つ目、そなたという存在を人間ではない別の種へと変質させること」
「……力業にもほどがあんだろ」
思わず頭を抱えたくなった。確かに龍神の背中を押してデミアと向き合うよう勧めたのはアレクセイだ。
しかしまさか問題解決の手段が説得ではなく、アレクセイが人間を捨てて別の種に生まれ変わる、というあまりにもぶっ飛んだ手段とは……
「それでどうするのじゃ?」
「すぐに決めろってのか?」
アレクセイの問い掛けに「別に時間を掛けて悩んでも構わんが」などと言いつつ、カノジョは疑う様子もなく、
「ハッキリ言って、そなたは何一つ迷ってないと我は思っておるんじゃがのう」
「…………」
「我がこの提案をした時点で、そなたの心は既に受けれたように見えたが、間違っておるかの?」
「…………はぁ~~~~~~」
アレクセイはデミアの視線を受け止め、これまでにないほど長く深いため息を吐き出した。
「龍神はそれで本当に納得できるのか?」
「はい。少なくともこれが完全にわたくしのわがままである以上、誠意を見せたあなたにこれ以上とやかく言うような無粋はいたしません。お母さまに誓って、そこはお約束いたしましょう」
「そうかい」
龍神にとってそれは最大限の譲歩なのだろう。
仮に存在の在り様が自分たちに近付いたからと言って、アレクセイが『元人間』という事実は変わりない。
だが、デミアと話し合いの末に出た今回の解決策に、カノジョは自分の中で折り合いをつけたのだ。
ハッキリ言ってアレクセイの負担がかなり大きい点に目を瞑れば、埒外で規格外な存在であるカノジョたちを納得させらるなら安いものである。
というより、アレクセイ事態まだ話の大きさに実感が伴っていないというのもあるのだが。
「ふむ、では双方、これ以上の意見はないものとみてよいのじゃな」
「はい」
「おう」
「では時間ばかりとっても仕方ない。さっそく始めるとするかの」
などと言ったデミア。
これにはさすがにアレクセイも待ったをかける。
「いや魂の変質ってそんな簡単なものなのかよ」
「なにを言うておる。そなたは既に一度、フェリアと魂の交信を実践しているではないか?」
「は……?」
「した! 唇にチューって!」
いつもの調子で無邪気に手を上げるフェリア。
カノジョの言葉にアレクセイは「あ」と声を漏らした。
「まさか」
「以前こやつが暴走したのを助けた後に口づけを交わしたじゃろ。あれでそなたにフェリアの魂の一部が譲渡され、交わった」
知らず知らずのうちに、アレクセイは人間をやめる一歩を踏み出していたらしい。
いや、足を強引に前に進められた、といった方が正しいのだが。
「つまり……」
「龍神と同じことをすればよい、ということじゃ」
デミアは言い切った。まるで濁すこともせず、ハッキリと。
思わず龍神を見やる。
カノジョはすまし顔で立っているだけで、何も語らない。
今回ばかりはカノジョの内心も読み取ることができず、アレクセイは問いかけた。
「お前はそれでいいのか?」
「良いも悪いもありません。それしか方法がないのであれば、やるよりほかにありません」
「口づけだぞ?」
「言っている意味が分かりません? ただ唇を合わせてあなたにわたくしの魂の一部を譲渡するだけですよ?」
「…………」
そうだった。こいつらに人間と同じ倫理観や貞操観念があるわけなかったのだ。
「人間の自分の魂を譲渡するのは気持ち穏やかではありませんが……あなたが人間という枠組みから脱することを決意したその覚悟を、わたくしも真に受け止めるべきと判断しました」
ひとの身で神に癒えぬ傷を負わせ、信頼を得た実績。
そして先日の戦いで見せた確かな実力は、いかに人間嫌いの龍神でも認めざるを得ないものがあった。
空中戦という利点はフェリアとの共闘によって打破された格好ではあるが、きっと今の姿で地上戦を挑んでも果たして勝てるかどうか……
……わたくしも受けれなくてなりません。
彼は、紛れもなく自分たちと肩を並べるにふさわしい実力があると。
その一歩として、彼に自分の魂を譲渡する。
龍神は一歩前に出て、アレクセイと正面から対峙した。
「緊張せず、心穏やかに……すぐに済みますから」
「ああ」
龍神にトンと軽く押され、寝台に腰を下ろす。
直後、アレクセイに覆いかぶさるように、龍神はその唇をアレクセイの唇に押し当てた。
デミアとフェリアが見守る中、アレクセイは不意に視界が歪み、まるで体の芯が凍てつくような感覚に襲われた。
時間にして十秒たらず。体内で膨大な魔力が暴れ狂うのを感じながら、アレクセイは離れていく龍神を見やる。
触れていた唇の間に銀色の唾液が弧を描き、そこに淫靡な気配を感じる余裕もなく、アレクセイは今にも暴れそうになる魔力を押さえ込む。
「魂の譲渡はなりました。これからは、わたくしもあなたに礼節を尽くしましょう――アレクセイ様」
アレクセイはこの日、デミア、フェリアと続いて、龍神の魂をそのうちに宿すことになった。
この選択が、彼の行く末になにを示すのか……今はまだ、知る由もなく。




