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反抗期への未熟な理解

 アレクセイと別れた龍神は真っ直ぐに宿へと戻ってきた。

 二階に上がって最奥の二部屋。そこがデミアたちの借りた部屋だ。

 手前がアレクセイとフェリア、ルフルの部屋……そして奥側が、デミア、ティア……龍神の部屋である。

 アレクセイとデミアはお互いに部屋を分けて眷属たちに目を光らせた方が言いだろいうことで、この配置になった。

 

 今、部屋にはデミアひとりだけ。部屋の外からでも気配で分かる。

 龍神はすばし扉の前に立ち尽くし、意を決したように中へ入って行った。


「お母さま、ただいま戻りました」

「うむ、おかえり」


 デミアは寝台ベッドで本に落としていた視線を上げて龍神に応じた。

 しかしカノジョはすぐに目線を文字へ戻し、再び本の世界へと没頭していく。

 普通ならここで声を掛けることはおろか、自分の存在を気配ごと隠してカノジョの邪魔にならないよう努めるべきだ。

 一瞬、龍神の思考がそちらへ傾きそうになったところ、カノジョはかぶりを振って「お、お母さま」と再び声を掛けた。


 内心、畏れ多いと鼓動が早くなる。

 しかしそんな龍神の心境など知る由もないデミアは、


「なんじゃ?」

「……少し、話したいことが」

「うむ。そう硬くならなくともよい。気楽に話せ」

「あ、ありがとうございます!」


 本を閉じ、龍神に目を合わせる。

 龍神は心底からホッとした様子で、デミアに歩み寄った。


 改めて間近に見る主の姿に、龍神は一時言葉が出てこなくなる。敬愛する創造主、龍神の美的感覚からもカノジョの美しさはひとしおで、目を放すことができない。

 しかし、いつまでもそのお姿に見とれている場合ではない。

 カノジョの貴重な時間をいつまでも奪うことは許されないのだから。


「申し訳ありません、お母さま」

「なにを謝る? そなたは我になにか粗相をしたか?」


 集落での一件は既にデミアは許している。なんなら最初から何も気にしていない。あの時、龍神がアレクセイに憤った理由は至極当然のものであったし、それを無理やり沈めさせたのはこちらの都合だったのだから。


 アレ以降、龍神は本当に大人しいもので、アレクセイに食って掛かるようなこともなく、不平不満を口にすることもなかった。いっそ不気味なほど、全てを受けれたかのように。


「一度吐き出した言葉を、すぐに覆すこの無礼をお許しください……そのうえで申し上げます……わたくしは、あの人間とお母さまが共にあることに――納得ができません」


 言った。

 言ってしまった。

 絶対的な主に、平伏すべき創造主に、意見を申し上げてしまった。

 これまで以上に鼓動が早くなる。

 果たして、カノジョの言葉を受けてデミアは「ふむ」としばし考える仕草を見せた。


「もう少し具体的な言葉がほしいのう……そなたはアレクセイが嫌いか?」

「あの方に限らず、人間という生き物がわたくしは受け入れられません」

「そなたらにも個という概念があるように、人間にも色々おる。我が言えたことではないかもしれんが、全てを十把一絡じっぱひとからげげに捉えることはないのではないか?」


 デミアの言うことも理解できる。

 しかし龍神は人間という種族は世界を滅ぼす害悪という認識しか持てない。かつてのデミアがそうであったように。


「むやみに人間を殺すな、というお母さまのお言葉には従います。わたくしたちはお母さまの命を遂行するために生み出された存在。そのお母さまが望まぬことをわたくしもしようとは思いません」


 ただ、それでも……


「わたくしは人間が嫌いです。愚かで、未熟で、脆弱で……そのくせ、地上を我が物顔で跋扈し、まるで世界が自分たちのものであるかのように振る舞うあの傲慢さ……」


 魔力という世界を安定させる力の根源さえ自分たちの手中に収め、管理し利用する。

 その結果はどうだ? 世界は着実に魔力が不足し、いずれは枯渇する。


「お母さまたち原初の神が与えた恩恵に対する感謝も忘れ、ただ恵だけを享受する……彼らには、慎み深さの欠片もない」

「なるほど……龍神、そなた、随分と人間の醜い面を視てきたのじゃな」


 数千年という永きに渡り、神である自分以上に世界というモノをカノジョは視てきたのだろう。

 そうして、カノジョは人間という存在を殺戮の対象としてではなく、嫌悪の象徴として捉えるに至った。


「じゃが、なればどうすればよい?」

「え?」

「そなたが人間を嫌っていることは十分に理解した。故にアレクセイを受け入れられんそなたの気持ちも察することができる。その上で訊いておる。そなたの意見を聞いた上で、我になにを望んでおるのじゃ?」

「望み……わたくしの……」


 意見だけで現状は変わらない。相手に対して行動の変化を望むのなら、具合的な行動案も示さなくてならないのだ。


「問い詰めるつもりはない。我はただ、そなたの正直な心にふれたいだけなのじゃ。ほれ、もうちょっとこちらへ来い」

「あ……」


 柔らかい笑みを浮かべ、カノジョは龍神を隣に腰掛けるよう促した。

 あまりにも近い。体温さえ届きそうな初めての距離に、龍神の顔は思わず熱くなった。


 ……あの人間にそそのかされたようなかっこうになったのは癪ですが。


 龍神はこの一時に確かな幸福感を得ていた。


「わたくしは……わたくしは、お母さまとあの人間に行動を共にしてほしくありません」

「理由は、あの者が人間だからか?」

「……はい」


 無理を言ってるのは承知の上だ。

 今のデミアとアレクセイは魂の一部をお互いに補完し合っている。デミアは断定できないと口にしていたが、一方が死ねばもう一方もそのまま魂の形を維持できず消滅する可能性が非常に高い。

 まさしくふたりでひとり、一心同体。

 それ故に、互いに距離を置くことはあまり得策とは言えない状況であることは理解できる。


「解ってはいるのです。これはただのわがまま……真にお母さまのことを思うのであればただ受けれ入れるしかないと……ですが」

「うむ、分かっておるよ。そもそも人間に差別意識を持つようになった切っ掛けを作ったのは我だ。故にそなたを責めたりはせんよ……しかし、困ってしまったのう」

「っ、お母さま、なにをっ」


 不意に、デミアは自分より身長の高い龍神をそっと引き寄せ、そのまま膝の上にカノジョの頭を抱えてしまった。

 戸惑いながらもされるがまま、龍神はその身をデミアに任せる。


 ……ふむ、これが人間でいう云うところの反抗期、というものじゃろうか。


 などと、デミアは少しずれたことを考えていた。

 まれにふくれるフェリアは、このように接してやると機嫌が良くなっていたので、龍神にも同じように接してみたが、喜んでいるよりは戸惑いが大きいようだ。


 ……これは失敗じゃっかのう。しかしここでいきなり突き放すも違うか。


 デミアは龍神の髪を指で梳きつつ「さて、どうしたものか」と独り言ちる。


 デミアとて人間は好きではない。先の集落の一件でも目にしたが、彼らは合理性に欠け感情だけで暴走する。

 目先の利と理に惑わされて大局を視ようともしない。

 アレクセイの手前、その考えは胸にしまっておくことにしたが、やはり人間という生き物は短慮に過ぎる。


 が、デミアも少なくない数の人間と触れ、彼らには実に多様な面があることに気付かされた。


 少なくとも、御者として行動を共にしているルフルのことは嫌いではない。

 人間という枠組みだけで見れば確かに受けれ難いものはある。

 しかし個人にまで視点を下げて接していくと、見えるものがまた違ってくることにも気付かされた。


「アレクセイは少なくとも、他の人間のように短絡的な思考はしておらんし……我も評価しておる」


 そうでなければ、旅の道先案内人に選んだりはしていない。


「じゃが、そなたの気持ちも無下にはしたくないのう……なるほど、これが『ジレンマ』というヤツなのかもしれんな」

「いえ、これはわたくしの問題……お母さまのご負担になるのであれば、わたくしは……」

「そうやってまた自分を押し殺して全てを無心に受け入れるつもりか?」

「それは……」


 龍神はバツが悪そうに顔を逸らした。

 果たしてどうこの問題を解決すればいいのか。


「なればいっそのこと、アレクセイ(あやつ)に相談してみるより他にないかもしれんのう」


 デミアの言葉に龍神は首を傾げた。


「お母さま、いったい何を考えて」

「なに、こちら側に片足を突っ込んでおるあやつの現状を、よりハッキリと我らに寄せてやればよいのではと思ってな」

「???」


 デミアは「うむ、意外と妙案かもしれんぞ」などと言って、龍神に見やる。


「龍神よ、生命の在り様とは(にくたい)だけで形成されるものではない。それは、魂の質によっても大きく左右される」


 それはつまり、


アレクセイ(あの者)の魂を、我らと近い存在にまで変質させれば、あやつはそなたが嫌いな人間とは言えなくなるのではないかの?」


 などという、とんでもない発想をデミアは持ち出した。

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