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王女の見る夜空

「どうにもきな臭くなってきましたわね」


 夜も深まってきた頃。

 アリーチェは執務室で送られてきた報告書に目を通し眉根を寄せた。

 例の北方連合と隣国の衝突。

 しかし今はまるでそんな事実は『なかった』と言わんばかりの静けさで兵の陰も戦艦の痕跡さえ消え失せたという。

 

 北方連合は隣国に領土侵犯と略奪を叫びかの国に対して抗議を行っているが、相手は『我が国には貴国への関与など一切していない』の一点張りで平行線を辿っている。

『海岸線を襲ったのは我が国を語る不届き者』、『これに我々は断固たる対応を取り、自国による調査を進める』などと語っている。


 が、アリーチェお抱えの諜報部隊による調査によれば、北方連合海岸沿いの集落から住民の姿が消えているという報告が入っていた。

 代わりに、武装した集団が集落や村々を占領し、内部を詳しく調査することは難しいという。


 武装集団は傭兵の類であろう。あるいはそのように扮した隣国の兵士たちか……いずれにしろ、どこかの勢力が北方連合でなにやらきな臭い動きを見せているのは確実。

 

 しかし北方連合は大国である。集落を占拠した武装集団の討伐、ないし鎮圧はそう難しいことではない。

 獣人国家。かつて小競り合いの絶えなかった部族間の衝突を、現代首長の祖先が圧倒的武力を以って治め、今の大国が生まれたとされている。

 

 かの国は移民を始め多くの人種を抱えた国だが、中でもとりわけ勢力を誇るのが獣人の存在だ。

 ジョブを持たず、魔術の扱いに不得手という不利がありながら、その圧倒的な身体能力、強靭な肉体、強い生命力を持つ。

 戦場に出れば彼らは恐れなく果敢に敵陣へ突っ込み、相手の喉笛を食い千切りその命が果てるまで戦い続ける。

 これを野蛮と称する者も少なくないが、彼らにとって正面から圧倒的な力で相手を叩き潰すことこそ誉であり、勇者の証とされている。

 

 そんな彼らが、なぜ今もまだ手をこまねいて様子見を決めているのか。


「人質?」


 ありえない話ではない。獣人たちは仲間意識が非常に強いと聞く。集落や村の者たちが監禁されているとすれば、彼らとておいそれと部隊の派遣はできないはず。


 しかし問題はそうして人質を取って何を交渉するつもりなのか、という点だ。

 

 言葉巧みにのらりくらりと躱してはいるようだが、例の国と北方大陸の間を定期的に船が渡っているという知らせは既に受けている。


 どうやら複数の港を経由して船を乗り換えたり人員を入れ替えたりと、出所が探りにくくなるよう工作しているようだが。


「これだけの手間を掛けて、いったいなんの目的があって北方にちょっかいを……」


 分からない。

 今はまだ諦観するしかない。初手のあまりにずさんな情報管理、かと思えばやたらと巧妙に偽装工作をしてみたりと……ちぐはぐな印象がぬぐえないのも不安を煽る要因になっていた。


 気高き番犬(ノーブル・ケルベロス)の戦力を全て投入すれば、集落の一つくらいは秘かに武装勢力から奪えるかもしれないが、仮に彼らが連携を密にとっていた場合、下手をすれば動きを察知されこちらがいらぬ濡れ衣を着せられるような事態にもなりかねない。


 なにより今は各国の情勢を監視する目を広く分散していることもあり、そもそも彼女たちを一気に招集するのは現実的とはいえなかった。


「頭の痛いことばかりですね……魔神が倒された今、なぜもっと心穏やかに生きることを選べないのでしょうか」


 魔神という脅威に震えていた時の方が、まだ平穏とさえ言えていたかもしれない。


『王女殿下、夜分遅くに申し訳ありません。お時間をよろしいでしょうか』


 またか、と思いながらもアリーチェは表情を声を取り繕った。


「入りなさい」

「失礼します」


 入ってきたのは空色の髪をした従者だった。


「お疲れのことろを申し訳ありません。しかし、お急ぎお耳にいれたいことがありまして」


 小柄な体躯に表情に乏しい少女だった。


「同胞から連絡がありました。先日、大陸北部の港町で、アレス様と思わしき人物の姿を確認した、と」

「っ――」


 アリーチェは座っていた椅子を蹴倒すように立ち上がった。


「見つかったのですか!? 彼が!」

「まだ断定はてきておりませんが、特徴は一致しているとのことです」

「接触は!? できたのですか!?」

「申し訳ありません、まだそこまでは」

「……なにか問題でも?」

「少しばかり」


 アリーチェは先を促す。

 彼女の報告によれば、例の国が船を経由させそうな港に張り付いていた構成員メンバーがたまたまアレスらしき人物を目撃したという。

 気高き番犬の長であるアリアから全体にアレス生存の可能性が報告され、仮に該当しそうな人物を発見次第可及的速やかに報告するようにと伝令が出されていた。


 まさか別件で動いていた構成員が真っ先に可能性のある人物を見つけるなど、偶然というものはなかなかに侮れない。


 しかし、構成員の一人がアレスと秘かに接触しようと試みたものの……


「アレス様と思わしき人物の周囲に、妙な女性の存在が複数人確認されました」


 女性、という言葉にアリーチェの眉がピクリと反応した。


「その者たちは何者ですか? 詳細は?」

「今はまだなんとも……それ以前に、アレス様と接触しようと試みた者の報告によれば、こちらの存在をその女性たちに気付かれそうになったとか」

「なんですって?」

「しかも、監視状態の時、ということらしく……迂闊に動くことができないそうです」


 聞けば、アレス(暫定)の傍にいるのは、普通の御者の少女に、目立つ銀髪のオンナ、褐色肌のオンナに、あどけない赤髪の幼女、そして群青色の髪を髪をしたオンナの、計五人。


 とりわけ、褐色肌のオンナと赤髪の幼女、青髪のオンナは気高き番犬の視線に敏感な反応を見せ、危うく監視に気付かれる寸前だった。結局、距離を放すことでどうにか監視を継続できているものの、一定の距離に近付くのは容易ではない。


 アレスが一人でいる時を何度も狙っているのだが、必ず誰かが傍についているため、なかなか接触の機会に恵まれずにいた。


 まさか、アレスが身内がなにかしでかさないか監視するために、常に行動を共にしているとは……この時のアリーチェたちは知る由もなかった。


「実に厄介ですわね、その者たち……」


 気高き番犬に所属する従者たちは諜報の専門家だ。

 気配を遮断し対象に近付く術を幾つも持っており、並の実力者程度では接触は愚か見られていることにさえ気づくのは容易ではない。


 それが、監視されているだけで気配を感じ取られそうになったというのか。


 気高き番犬の存在を知る者は国の中でも本当に一握り。アリーチェが心から信をおく人間にしか彼女たちの情報を共有していない。


 故に、こちらの存在を気取られる行動はご法度中のご法度。

 敵に捕縛されたなら自死もやむなし。それが彼女たちという存在なのだ。


 それが、誰とも知れぬ相手に知られる危険性があるとなれば、いまだアレスに接触できていないのも頷ける。


「いかがされますか? もしもこのまま船に乗り込まれて大陸を移動でもされては、我々では追いきれなくなる可能性もありますが」

「…………」


 アレスと思わしき人物に、彼に付き従う謎のオンナたち。

 アリーチェは思案する。ここで危険を冒して該当する人物に強引に接触するか。

 あるいは誰か一人を監視につけて、継続的に追跡させるか。

 

 前者はあまりにも博打が過ぎる。仮にその者がアレスでなかった時の危険度リスクがあまりにも高すぎる。

 気高き番犬はいわゆるアリーチェの私兵だ。

 政敵にその存在を知られるようなことがあれば、アリーチェは謀反の嫌疑を掛けられた上に、内政は大きく混乱することになるだろう。


 それは避けたい。

 アリーチェは長い沈黙ののち、深く息を吐き出すと瞳に理知的な光を宿して従者を見やった。


「強引な接触は避けるように伝えなさい。適度に距離を置いて追跡を一人つけて、代わりの人員を港に配置して。追跡者の選定は現場の者に一任します」

「かしこまりました」

「それと、これから『手紙』をしたためます。もし可能であれば、それを彼に渡すようにと」

「手紙ですか?」

「ええ。人づてに渡るようにしていただくのでも構いません……今から書く手紙は、きっと誰も内容を理解できないでしょうから」


 どこか寂しそうな笑みを浮かべるアリーチェに、従者の少女は静かに頷いた。

 待つことしばらく、従者は手紙を渡され、そこに書かれた宛名に目を通した。


 ――【教会の屋根裏で共に黄金の星獣を見た友より】


「これにはなにか意味がおありなのですか?」

「……秘密よ。でも、これの意味をもし理解できる者なら、それは確実にわたくしの探している者で間違いないわ」

「承知しました。すぐにでも使い魔でこれを現地へ飛ばします」

「頼みましたよ」


 少女は一礼し、静かに執務室を後にした。

 アリーチェは倒れた椅子を元に戻し、窓の方へ移動した。


「今日も空は見えないのね」


 魔術と機械文明の発展により、国は夜でも光に溢れていた。

 かつて、アリーチェが見上げた美しい夜空は、地上の太陽に焼かれて輪郭がぼやけている。


「今、あなたが隣にいてくれたら、この空を見てなんと言ったのかしらね」


 この日、アリーチェは滅多に開けない酒の蓋を開け、一人静かに口を湿らせた。

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