まどろみの追憶2
魔獣の包囲網……それが如何に手ぬるかったのを、アレスはすぐさま思い知った。
「がっ――」
「ふん……口先だけか? もっと無様に足掻いて見せよ、人間」
巨兵の拳から繰り出される単純な攻撃。しかしその圧倒的質量は、単調な動作ですさえも致命の一撃へと昇華させる。
地面に振り下ろされた拳から発せられた衝撃波はやすやすとアレスの体を吹き飛ばした。
背中から瓦礫に叩きつけられる。
しかし休んでいる暇などない。
「――射貫け」
「っ!?」
魔神の唇が詠唱ともいえないような呟きを紡ぐ。瞬間、アレスの前に幾重にも多重展開された魔法陣が視界を埋めた。
……でたらめがすぎる!
アレスは咄嗟に体を転がして瓦礫の隙間へと身を滑り込ませ、更に魔術による多重属性の障壁を、五層にも渡って発動させる。
直後、宙に浮いた陣の内部で術式が起動。地水火風の基本属性、更には雷、氷、闇、光属性の矢が、一斉に射出された。
瞬く間に瓦礫の壁が消し飛ばされ、アレスの展開した障壁を割り砕きながら魔術矢の雨が降り注がれる。
「……よく耐える」
魔術の暴雨が止んだ先、アレスはかろうじて立っていた。五体は満足……しかし先の一撃を防いだ衝撃で体に負荷がかかり、暴走した魔術神経のいくつかが焼き切れた。
「がっ、は……」
咳き込んだ途端に血を吐く。残っていた回復薬で応急処置。それでも負傷が回復量を圧倒的に上回り、流れる血は徐々にアレスから体力を奪っていった。
……これが、魔神の力。
過小評価していたわけではない。だが、己の認識が如何に甘かったのかを痛感させられる。
魔術の詠唱はほとんど簡略化され、ただ一言呟くだけで発動……その速度は驚異的で、こちらが一の魔術を発動させる間に、向こうは軽く五つ以上の魔術式を完成させる。
……あらゆる魔術が使える……違う。あれはもう術式を組むとかそういう次元の話じゃない。
アレは、ただ魔力に命じているのだ。
世界の根幹を成す魔力……それはいまだ、ひとの域では完全に掌握しきれない神秘。
魔術の発動には、指向性を付与するための術式を組み、特定の詠唱でもって魔力へ干渉がする工程が必要不可欠。
だというのに、デミウルゴスのアレはなんだ?
魔力という神秘を、まるで従えるかのように扱っている。ひとが魔術を発動すのに特定の術式を用意するのとはまるで真逆……魔神の魔術とは、魔力自身が神の望む形へと変質し、現象として発現しているのだ。
「ほれ……呆けている暇などないぞ」
「っ――」
巨兵が足を持ち上げ、こちらを踏み潰そうとしてくる。
体を投げ出し躱すが、衝撃で大勢を崩された。
そんな隙を見逃してくれるような相手ではなく、
「裂け」
四方を囲むように、刃と化した風に襲われる。
「――――っ!!」
アレスは手にした剣でどうにか刃を打ち払う。しかし圧倒的物量の前に体から幾つもの血飛沫が舞い、凌ぎ切った先にあったのは剣を地面に突き立ててかろうじて立つアレスの姿であった。
「……終わりか」
「ぐぅ、っ……」
足が震える。立つことはもちろん、意識を繋ぎとめておくだけで精一杯。
それでもアレスは最後の回復薬を飲み込み、一歩、前に出た。
「よい。抗うな……ひとの身にしてはよくやった。もう楽になってもよかろう」
頭上から、声がする。
冷たく無機質で、絶対的な死をもたらす破滅の福音。
……これで、終り?
いや、まだだ。まだ――
「おわ、れない……まだ、オレはっ!」
アレスの目は、死んではいない。
血を吐き、四肢が吹き飛び、この体が朽ち果てようと、魔神を討つ。
……まだ、手段はある。
相手は神……生半可は許されない。
アレスは剣を眼前に掲げる。
「お前とも長い付き合いになったな……」
魔神の魔術を受けて、刃こぼれ一つしてない。旅の最中に立ち寄った地下遺跡で見つけた宝剣。
……きっと、お前が鍵になる。さぁ、最後の時だ。
アレスは剣を構えた。回復薬をもってしても傷は塞がらない。それでも、体は動く。ならば終わりのその瞬間まで、人間らしく悪足掻きに徹しよう。
「愚かな……しかし最後まで我に剣を向けるその気概は称賛に値する……なれば、喜べ勇者。貴様には、我が魔術の深淵を覗かせてやる」
来るか!
「誇れ。ひとにコレを使うのは、貴様が初めてじゃ」
魔神と巨兵の頭上に、ひときわ強い輝きを放つ魔法陣が展開された。
極彩色の輝きを放ち、二重三重と重ね掛けされた術式のち密に計算しつくされた精緻な美しさ。
魔術師であれば誰もが焦がれるような魔術の完成形……
「我は創造神……故に、破壊もまた司る」
――さぁ、塵ひとつ残さす安らかに消えよ。
「カタストロフ・ノヴァ」
静かに、厳かに、謡うように、魔神は起動術式を寿いだ。
瞬間――世界は白一色に染め上げられた。
圧倒的熱量……世界創造のために使われるほどの莫大な熱。もはや痛みさえ覚える暇もない。あらゆる命も、無機物も、全てが蒸発し無に変える。
そうして新たな生命が誕生する。究極にして世界の理の一端に触れる、神話級の魔術。
いや、これはもはや、魔術ではない。
光が徐々に収束していく。この場にのみ発せられた超局所的な超新星爆発。
空間そのものはひび割れ、崩壊を始めている。
「……ここも、新たに創り直さねばならぬな。お主も、此度はご苦労であった」
魔神は巨兵の肌を撫で、瞳を閉じる。
「言葉を交わしたのは、いつぶりであったか……」
相手は人間……しかし、誰かと交わったのは実に千年ぶりか……
「ふぅ……よもや、人間相手にやり過ぎたか……案外、我も……む?」
すでに何もなく、ただ闇色の空間が広がるのみだった虚空に、一筋……僅かに篝火が、揺れた。
「――まだ! 終わってねぇぇぇぇっ!!」
「っ!? 貴様、どうやって!?」
星を、宙を焼く魔術をまともに受けたはず。ならば、なぜあの人間は生きている? なぜこちらに剣を向けている!?
しかし、アレスの肉体は無事というにはほど遠く、もはや死の淵に立っているような有様だ。
それでも、あの男は、耐えて見せたのだ。
「くっ――」
創成にも匹敵する大魔術の行使に、神の肉体でさえ負荷に動きが鈍る。
デミウルゴスが初めて見せた、焦りの表情がそこにはあった。
……ここだ。奴の動きが鈍った、今この瞬間!
アレスは、自身の体に魔術式を刻み、剣の柄を強く握りこむ。
瞬間、アレスの体が光輝き、体内で膨大な魔力が膨れ上がり、暴れ狂う。
「この期に及んで魔術に頼るか! 我にはいかなる魔術も届かぬ!」
「ああ。そうだろうな……」
「なに?」
神へ跳びながら、アレスは不敵に笑って見せた。そも、魔術がデミウルゴスの本体に届かないことなど承知の上。
「――ラスト・エクスプロージョン」
「っ!? まさか、貴様!」
体内の魔力を意図的に暴走状態にし、外に向けて一気に放出する禁忌の術。
「最後の最後に、自爆の道を選んだか!」
活動限界を迎えつつ肉体が、更なる無茶な稼働に悲鳴を上げる。荒れ狂う魔力の本流は、筋線維もあらゆる神経も、魔術神経さえも断裂させていく。
徐々に回転速度を上げていく魔力の流れ。臨界点はすぐに訪れ、アレスの肉体はこの瞬間、魔力爆弾と化す。
そして――
バキンッッッ――!!
勇者が有する膨大な魔力の全てが、デミウルゴスを守護する障壁にヒビを刻み――砕けた散った!
その時、勇者と魔神の視線が、近距離で交差した。