勇者と鳳と龍
心臓が凍るような殺意が眼前のオンナから放たれる。美しく整った面立ちは不快に歪み、アレクセイを睨み据えた。
「あなた、いったいお母さまになにをしたのですか……いいえ、問う必要すらありませんか。そう今すぐに」
――あなたを殺せばいいのです。
それで、胸中で蛆虫が這いまわるようなこの感覚も拭えよう。
「お母さま、しばしお待ちください。わたくしが、今すぐにその人間を消滅させて、」
「それをされては我も消えるかもしれんのう」
「なっ!?」
デミアの言葉に、龍神は虚を突かれたように目を見開き……かと思えば、アレクセイの怨嗟の籠った視線を送り付けてくる。
……俺を睨むな。
「お母さま! ご説明を! どういうことですか!?」
「どうと言われてものう……そのままのい意味じゃ。我とこやつの魂は交じり合った状態じゃ」
「つまり、どちらか一方でも死ねば」
「共倒れになるかもしれん。とはいえ、我とてこんな状態は初めてでの。確証はない。が、ありえんはなしでもない」
「そうですね」
龍神はデミアの言葉に頷いた。魂の結合。それは言い換えれば、命の融合、共有でもある。
デミアが語る様に、双方どちらかの死によって、もう一方が落命する可能性は捨てきれない。
「それに、無暗にこやつを殺されても困る。我の消滅もそうだが、こやつには我の伴侶として、これから先の生涯を付き合ってもらばねばならんのだ」
「はん、りょ……その人間と、お母さまが……」
龍神の瞳からは徐々に光が失われ、漏れ出る魔力の圧力に大気が軋み、家屋はひしゃげ、住民が一斉に失神する。
カノジョに付き従っていた魔獣たちも、龍神が放つ言い知れない感情の発露に、怖れ慄き大地に伏せる。
確実に、静かに、龍神はその内に怒りを蓄積させていっているのが見て取れた。
「おい、デミア。さっきからなんだ、その『伴侶』ってのは……」
「本で読んだ知識じゃ。ひとは生涯を共に歩む存在を伴侶と呼ぶのじゃろ?」
「……間違ってはいないが~」
違う。少なくともアレクセイとデミアに限って言えば、伴侶というよりは運命共同体と言った方が正しい。
互いに恋愛感情などなく、お互いに魂を握り合っている状態にすぎない。
「ふむ……我はうまく言葉を当てはめたと思ったのじゃが……なればひとらしく、我らも番いのように生殖してみればよいのか?」
「……お前はほんとお前だよな」
目の前にいる美しいショウジョから生々しい提案をされても、まるで色気を感じない。
「お母さま……わたくしはお母さまの『人間の絶滅』という望みを果たすために、今日まで生きてまいりました」
「うむ。苦労をかけた」
「もったいないお言葉……ですが、その命を下されたあなた様が、なにゆえ人間などと共にいるのか……」
「まぁ、話せば長い。せっかくの再会じゃ。ゆるりと語り聞かせよう」
「ええ、そうですね。わたくしも、お母さまと共に過ごす時間を想像するだけで、心が躍ります」
龍神はデミアの提案に柔和な笑みを浮かべて見せる。
これで、事態は穏便に運ぶか。
しかし、アレクセイは腰に刷いた鞘から、いつでも剣を抜けるよう、構えを解かない。
「ですが、その前にこの集落を滅ぼします」
「……龍神よ、そなた」
「それが、お母さまの望みでしょう? わたくしは……わたくしたちは――そのために創られたのです!!」
龍神は全身から膨大な魔力を解き放つと、その姿を龍へと変化させて空へと舞い上がる。
【そこの人間は四肢を引き千切り、生きた屍としてくれる……我が母を穢した罪……万死すら生ぬるい!!!】
我が創造神はどうやらあの人間に執着があるように見える。しかしそれは気の迷いに過ぎず、何かの間違いに過ぎず、永き時の中で一時その眼が曇ってしまっただけなのだ。
龍神の鬨の声に呼応するように、魔獣の群れの瞳に殺意が宿る。
【我らが母の御前である! 人間共の血肉を供物として積み上げよ!! 一匹たりとも逃さず殺せ!!】
そして、自身はあの人間の男をどう嬲り、甚振り、辱めてやろうか。
己が内側でとぐろを巻く怨嗟。龍神の琥珀色の瞳がギラつき、対象を噛み砕かんと並ぶ乱杭歯は鈍く光を反射する。
もはやあの男は死という安らぎさえ与えはしない。
生きたまま永久に、地獄の苦しみを与えてくれる。
【今この時を享受しろ人間……まもなく貴様の生は全て絶望にすり替わる】
龍神の体から青白い魔力が奔り、口腔に収束していく。
「ふむ……やはり穏便には終わらぬか」
しかし、ことここに至っても、デミアは静かに眷属を見上げた。しかしその視線はすぐに隣に立つアレクセイへと向けられ、
「面倒を掛けてすまぬ」
「いや、いいさ」
元より、カノジョと生きることを選んだ時点で、
「いつだって面倒事に巻き込まれる覚悟はしている」
アレクセイとデミアの気安いやりとりは……しかし上空の龍神の神経を余計に逆なでした。
【これ以上、我が母と薄汚い人間風情が言の葉を交わすな!!】
龍神の正面に巨大な術式が展開され、魔術が放たれようとしていた。
【――なりません】
【ぬぅ!?】
しかし、龍神とアレクセイたちとの間に割って入るように、一羽の鳳が姿を見せる。
【貴様、フェニックス!! 退け!!】
炎の翼を羽ばたかせ虹色の尾羽を翻す巨鳥。全身を黄金色の羽毛に覆われた美しい姿をしたそれは、かの災厄と呼ばれた幻獣の一体――フェニックスであった。
龍神は術式の構築を中断、同胞を威嚇する。
【かの者は既に我らの縁者。創造神たる我らの主が見初めた者。たとえあなたでも勝手な判断で断罪することは許されない】
【人間風情が縁者などと! ふざけたことを抜かすな!!】
【あの者には創造神の魂が宿っています……そして、ワタクシにとっては恩義ある者。故に、ワタクシも魂の一部を与えました】
フェニックス……フェリアの発した言葉に、龍神の全身から憤怒が溢れた。
【血迷ったかフェニックス!!】
【ワタクシは正気で、冷静です。少なくとも、今のあなたよりは】
【ほざけ!!】
龍神が長躯をしならせた。全身を旋回させ、尾を鞭のように振るう。
超重量の一撃。ましてや人間が受けることなどほぼ不可能だ。
しかし――
【なに!?】
下方から飛び上がってきた小さな影。アレクセイは魔術による身体強化を極限まで自身に付与し、的確な角度を見極め、フェリアに迫る龍の尾を蹴り飛ばした。
【アレクセイ様!】
「フェリア、お前の背中、借りるぞ!」
【承知!】
自由落下するアレクセイの下にフェリアは滑り込み、二人は龍神と改めて対峙した。
【フェニックス!! 人間、貴様――ッ!!!】
まるで呪いをまき散らすかのような憎しみの籠った咆哮。同胞を、敬愛する主人を、どこまで貶めるのか。その元凶たるアレクセイへ向けられた黒い焔は、際限なく膨れ上がっていくかのようだ。
【アレクセイ様、お許しを……かの者は我らの中で最も身内を愛し、慈悲深く……同時に、最も気性が荒いのです】
「気にするな」
龍神からすれば、これまで敵対していた対象が、自分の身内を誑かしたと思うのは当然。
ヒトの姿と幻獣の姿。両極端な言動の発現は、フェリアが口にしたカノジョの性質の証左だろう。
龍神は身内を想い、あれだけ怒り狂っているのだ。
【人間を滅ぼす! それが我らの存在意義! 某が貴様の目を覚ましてやろうっ、フェニックス!!】
再び口腔前方に魔術式を展開した龍神。放たれる高圧水流の一撃。フェリアも巨大な火球を放ち迎え撃つ。
二つの巨大な質量を誇る魔術が衝突し、大気が悲鳴の如く軋みを上げた。
【アレクセイ様、あの者に話を聞かせるには、いささか手荒い真似をせねばならぬかと】
「ああ……フェリア、協力してくれるか?」
【無論。アレクセイ様ひとりでは、空を飛ぶ龍神の相手は難しいでしょう】
しかし懸念が一つ。地上に残してきた魔獣……リザードマンと黒い飛龍の対処。
アレクセイは地上を見下ろす。すると、集落全体を覆うほどの魔法陣が展開された。
大地が隆起し、地殻を割るように無数の木の根が伸びてきた。
『こちらは我とティアに任せよ。そなたは存分に、我の眷属と戯れるといい』
「……簡単に言ってくれる」
しかし懸念は消えた。デミアとティアが『任せろ』と言うなら、万に一つも間違いはない。
見れば、黒い飛竜を相手にティアが大立ち回りを演じていた。相手が空を飛ぶのもお構いなし。手ごろな物を投げつけては地上に引きずり落とし、獰猛に攻め立てている。
「行くぞ、フェリア。あいつを地上に下ろして、無理やりにでも話をさせてもらう」
【御意に】
背にアレクセイを乗せて、フェリアは龍神へと飛翔。
大規模な空中戦闘の幕が、開いた。




