懐かしい匂いは邂逅の予兆
集落の一角が騒ぎになっていた。
アレクセイが駆けつけると、案の定そこにはカノジョたちの姿が――
「……なにやってんだお前ら」
一件の平屋。無惨に破壊された扉から中を覗くと、三人のオンナが我が物顔で自由に振舞っていた。他人の家で……
被り物から解放された美貌を惜しげもなく晒し、集落の者たちの視線を集める。
デミアが顔を上げ、フェリアが「おかえりなさ~い!」と駆け寄ってくる。ティアはでかいいびきをかいて眠りこけている。
「そなたか。話とやらは終わったのか?」
「質問してるのはこっちだ。俺は、バ車で待ってろ、って言ったよな?」
アレクセイが集落へ入る前、カノジョたちにはルフルと一緒に野営の準備をして待っているよう、伝えたはずだ。
「うむ。じゃがティアが喉が渇いたと騒ぎだしての。近くの川は干上がっておるし、水の気配を追いかけたらここに辿り着いたのじゃ」
「じゃあなんで居座ってる」
「別に我らがどこでに留まろうと勝手じゃろ」
「ここは、ひとんちだ」
どうせカノジョたちのことだ。家主の許可も取ってはいないのだろう。可哀想に……ここの主だと思われる青年は、自分の家だというのに、肩身も狭く部屋の隅でポカンとしている。
「ディグ、大丈夫?」
と、アレクセイの後ろからボルの娘が顔を出した。直後、ガチンと彼女の動きが止まる。
「な、なに? この状況……なんで女のひと達がこんなに」
「っ……メ、メイ?」
ディグが顔を上げてメイと目が合う。
すると、彼女はス~っと光が消失していく瞳を彼に向けながら、抑揚に乏しい声音で問いかける。
「ディグ、このひとたち、誰? ディグの知り合い?」
「っ――んなわけあるか! いきなり押しかけられたんだよ!」
「へぇ~……」
まるでなにか含んだようなメイの反応に、ディグは「ちげぇから!」と声を上げる。彼自身、なぜ自分が言い訳じみた弁明をしなくてはいけないのか疑問符が踊っていた。
しかし、メイは唇を尖らせたまま「不潔」とそっぽを向いてしまう。
「悪い。こいつらは俺の連れだ。すぐに出て行かせるから、勘弁してくれ」
「っ……あんた……」
ディグはアレクセイを見た途端、顔を強張らせた。
アレクセイも彼を前に目を細める。思い出すのは先ほどのボルとの会話。この集落には、『魔術系』のジョブ持ちはいない、という話だったが……
「お前がディグが。悪かったな、こいつらが迷惑をかけた。なにもされなかったか?」
「……別に。いいから、早いとこ出てってくれ」
「ああ。お前ら~、すぐにバ車に戻んぞ~」
アレクセイは、ベッドを占領していびきをかくティアを、荷物のように抱える。デミアとフェリアが彼の後に続いて家の外へ。
家を出る直前、アレクセイは一度、後ろを振り返り、いまだに不機嫌な様子のミアと、バツが悪そうに顔を逸らすディグを見やった。
……排他的な気質のある集落に、よそ者の子供、か。
集落に入った直後、女性に向かって投げつられた木片を受け止めたことを、アレクセイは思い出す。木片が飛び出した先にいた青年。それは間違いなく、この家の住民……ディグで間違いない。
……これは、ややこしいことになってそうだな。
集まってきた野次馬を掻き分け、家の外へ出ると、アレクセイはディグとミアに「騒がせて悪かった」と謝罪。
一行は住民たちから奇異の視線を受けながら、バ車へと戻って行く。
「あまり勝手な真似は控えてくれ」
面倒事は覚悟しているが、率先して起こしてほしいなどと思っているわけじゃない。
「うむ、善処しよう」
デミアから返ってきたのはそんな気のない返答だ。これは、アレクセイが気を揉まない日はしばらく来そうにない。
途中、デミアは脚を止め、集落を囲む山の一角に視線を上げた。
「どうした?」
「……いや」
夜の帳が降りる直前。紫水晶のような瞳は、真っ直ぐに一点を注視する。まるで物憂げに、手にした本を胸に抱えてカノジョは首を振る。
「なにやら、懐かしい匂いがした気がしたのじゃ」
が、カノジョの言葉に、アレクセイは首を傾げる。
「いや、なんでもない。気のせいじゃろう」
それきり、デミアは振り返ることなく、アレクセイの前に出て歩き始めた。夕闇の中にあっても淡く輝く銀の髪、幻想的な後姿を見送り……しかしそんな優美さとは裏腹に、カノジョの背中は少しだけ寂しそうにも見えた。
「フェリア、お前はなにか感じるか?」
「うん? 私は別になにも……でも、デミア様は魔力の流れとかに敏感だから、なにか感じ取ったのかも。あんがい、私たちみたいなのが近くにいたりして」
フェリアの言葉に、アレクセイの頬が引きつった。
なにか……カノジョが『懐かしい』と口にした気配。魔獣によって堰き止められた川。
……まさか。
そんなことがありえるのか。まさか偶然立ち寄っただけの集落で。
……本当に、あいつの眷属が近くにいるのか。
そんな可能性を考えて、アレクセイはデミアが見上げていた一角に振り返り、見遣った。
空は不気味なほどに快晴で、夜空に星々が瞬き始める頃、青白く輝く月が、ぼうっと山を照らしていた。
◆
「――あら?」
清流の水面にカラダを浮かしていたオンナは、ふいに肌を触れた気配に起き上がる。
流れる水の上に、沈むことなく立ち上がったオンナは、美しい貌を上げて遠くはるか先を見通すように視線を仰ぐ。
「なにか、懐かしい匂いを感じます」
オンナは甘く吐息を吐き出し、カラダを滑り落ちる水の感触に酔いしれる。匂い立つような色香。柔和な笑みにつられたかのように、カノジョを囲むように魔獣の群れが踊り出す。さながら、オンナに惑わされているかのようだ。
「麓の方でしょうか……この感じ……まさか、とは思いますが……」
あり得ない。カノジョが現世に姿を見せるなど。
しかし、オンナが感じ取った気配は、紛れもなく――
オンナは流れる水を操り、より高く視線を得る。すると、そのカラダが淡く光を放ち、一層眩い輝きを放つと同時に、その姿は異形へと変じる。
うねる水面を想起させる蒼く長大な体躯。全身を覆う蒼鱗は月明かりを反射して輝き、穏やかだった清流はソレの出現と息を合わせるかのように荒れ狂い、眼下の魔獣たちは咆哮を上げた。
【そこにいるのか……我が主……我が母よ……】
勇壮にして雄大、滞空する巨大な影は、紛れもなく――龍の姿に他ならない。
まるで帯電したかのように蒼い燐光が弾け、龍の周囲で魔力が渦を巻く。
【なれば……】
このような場で、我が創造神を見下ろすなど不敬の極み。
舞い散る花弁のように、龍の鱗が夜空に散る。
すると、それらは一斉に形を変え、トカゲの頭部を持つ魔獣……リザードマンが生まれた。
【某の働き……存分にご照覧いただかねばなるまい】
静かに集落を滅ぼす。人間たちから姿を隠し、ジワジワと絶滅へと追いやる算段だったが。
創造神が直に成果を見に来ているとなれば、そんな悠長が許されるはずもなし。
【急ぎ準備を整え、下界の人間どもを鏖殺してみせよう】
龍は静かに地上へと舞い降り、リザードマンの軍勢の前に、再びオンナの姿となり微笑みを湛える。
「夜明けとともに――人間たちを皆殺しにしましょう、皆で……ふふふふふ……」
貌に張り付けた笑みは、凄絶な龍の影を彷彿とさせた。カノジョの背後で、魔獣の決起するかのような咆哮が、夜空へと溶けていく。
「しばし待ちください、お母さま……あなた様のお望みは――この『龍神』が必ずや叶えてみせましょう」
麓の集落に大侵攻が発生しようとしていた――




