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まどろみの追憶1

「ぁ……」


 意識が薄く回復する。視界がぼやけて、輪郭がはっきりしない。


 ……俺は……


 体が重い。思考がまるで働かず、五感のほとんどが鈍っている。

 

 ~♪、~~♪……

 

 ふと、耳をかすかな音色が撫でた。


 ~~~♪……~♪……~♪、~♪


 優しく心身を包まれるような旋律。音の出所を探るように、首をゆっくりと動かす。


「……む? ようやく起きたのか? 随分と長い寝坊じゃな」


 声がした、新緑の季節を想わる温かな声音……しかし、どこか諦観にも似た、寂寥感も思わせる、女の声。

 まどろみから抜け出せない思考と視界の中、こちらに手が伸びてくるのが分かった。


「まだ本調子ではないようじゃの……よい。今しばらく休むがよい。我は、ずっと主のそばにいるでな……」


 髪に触れる手の感触が心地いい。かろうじて開いていた瞼はそれだけで再び重力に引かれ、閉じられる。


「限られていようと、まだいくらでも時はある。焦らず、ゆっくりと我の下へ帰ってまいれ。なにせ……」


 ――我らの戦いは、もう終わったのじゃから。


 ~♪、~~~~♪……~~♪


 女の歌が、聞こえてくる。


 ……そうだ。俺は……


 優しい闇に落ちていく中、アレスは思い出す。

 己の名と、使命と、最後の時を……

 意識を手放す直前、自分が誰かの膝に寝かされていることに気付く。

 しかし、その相手が誰であるかも、今は考えるだけの余力はない。

 ただ……『彼女』には、この身の全てを任せても、いいような気がした。


「…………」

「愛い寝顔……勇ましく不遜……じゃのに、なぜこうも愛おしく思うのじゃろう……のう、勇者よ」


 問いかけに答える者はいない。

 白金の髪がけぶるように頬を撫で、透けるように覗く紫水晶の瞳がアレスを見下ろしていた。


 ◆

 

 夢を見る。

 それが自身の過去を追体験したものだということはすぐに分かった。

 忘れたくてもできない。彼にとってそれは、自身の終わりと世界の安寧を願った、決死の戦いの記憶なのだから。


「――ちぃ!」


 銀月の軌跡を薙ぐ。

 眼前に迫る白銀の狼を両断した。しかし敵の数は一向に減る気配もなく、むしろ徐々にその数を増やし、包囲されかけている。


「よく凌ぐ……が、いつまで捌けるか見物じゃな、人間」


 アレスは奥歯を噛んで顔をわずかに上げる。悠然とこちらを見下ろす銀の魔神。あどけな少女のような容貌をしていながら、肌を炙る圧迫感は人外のソレ。


 眼前に広がる魔獣の壁を前に、アレスは少しづつ後退をよぎなくされる。

 突破口が掴めない。

 遠距離から魔術を放っても、見えない壁に阻まれ、近付こうとすれば魔獣によって阻まれる。


「よそ見をしている余裕があるのか、人間?」

「っ!?」


 アレスの死角から狂爪が奔る。身を屈め、かろうじて一撃を回避。髪の毛が数本宙を舞い、アレスは咄嗟に剣を突き出して攻撃してきたソレを串刺しにする。

 小型の飛竜型。竜種の中でも矮小な体躯ながら、俊敏な動きから繰り出される一撃は重く、致命傷になりかねない。


 突き立てた剣を、魔獣を蹴り飛ばして引き抜き、返す刃で逆側から攻めてきた飛竜の首を落とす。

 後方に控えていた別の竜が、宙へ逃れようと飛び上がる。

 しかしアレスは壁に並んだ柱を蹴って高く跳躍。翼を切り飛ばして一緒に落下。衝撃と共に竜の首をへし折った。


「――っ!」


 攻撃後の硬直を狙って、こちらを包囲して飛び掛かってくる狼型の魔獣。

 アレスは右足で床を噛み、そこを起点に体を回転。一刀のもとに魔獣を切り伏せる。一瞬、アレスの包囲に穴が生ずる。


 血肉に汚れた剣を払い、大きく後方へと跳躍。デミウルゴスはその動きに目を細めた。


 着地と同時にアレスの体から魔力が奔り、足元から青白い光を放って魔法陣が展開される。


「――ストライク・グレイス!」


 起動術式のみの短縮詠唱。陣がひときわ眩く輝くと、床を疾走するかのごとく氷の波が魔獣の群れ目掛けて駆け、突き上げるように幾重にも重なった氷刃が突きあがる。

 薄い結晶を思わせる無機質な刃が、魔獣の体を抉り、突き刺し、切り刻む。

 ほぼ一瞬。

 視界を埋めるほどだった魔獣の壁が、肉塊へと姿を変えて血河を流す。


「ほぉ……あれだけの魔獣を一撃で屠るか。人間にしてはやるようじゃな……しかし。魔獣は我の魔力が続く限り、いくらでも生み出せるぞ? さて、どれだけ相手にすれば貴様は倒れるのだろうな? ふふ……」


 酷薄な笑みを張り付け見下ろしてくる魔神。

 実際、既に床に空いた紫紺の穴から、魔獣が次々と生まれてくる。

 魔獣に対処するだけで手一杯。デミウルゴスへの攻撃はもちろん、近付くことさえ容易ではない。


「自分は高みの見物決め込むだけか……神なんてほざくわりには随分と臆病じゃなねぇかよ」

「ふん……そもそも我が直々に相手にするまでもない。この戦いは余興よ。そもそもが我を目で楽しませるものに過ぎぬ。さぁ道化、今一度、踊ってみせろ」


 魔獣の群れが再びアレスに襲い掛かる。

 地を掛ける魔獣を剣で切り伏せ、空を舞う相手は魔術で打ち落とす。

 

 魔力と体力が徐々に削られ、体に無数の傷ができていく。


「くっ……」


 隙を見て回復薬を喉に滑らせる。空になった硝子容器を魔獣に向けて放り、意識が逸れたところを刈り取る。

 軽い傷程度ならすぐに治せる。しかし体力はそうもいかない。すでに消耗は目に見え、呼吸は荒くなるばかり。額から流れ落ちる汗が目に入り鬱陶しい。


 満身創痍。それでもアレスは倒れない。


「よくやるものだ……何故そこまでして我に挑む、人間?」

「そんなもの、守りたい奴らがいるからに決まってんだろ」


 世界を救う……聞こえはいいが実感など持てなかった。ただ、自分と今日まで関わってきた人間が、蹂躙される未来だけは絶対に御免だ。


「……ふん。そもそも貴様一人で我に挑んだのが間違いよ。思い上がりも甚だしい……せめて魔獣の餌くらい用意しておれば、貴様なら我に届いたやもしれぬというのに」

「はっ……生憎と俺は嫌われ者でね……」


 アレスは自虐するように吐き捨てる。


「それに、どうせ生き残っても俺は厄介者だ。勇者なんて過ぎた力は、この世界からなくなった方がいいに決まってる」


 しかし……


「だが、俺一人だけでは死なない……死ねない……必ずお前を道連れにするぞ、デミウルゴス」


 鋭く、アレスは巨兵の肩で泰然自若と振る舞う狂騒の神を見据えた。


「……口だけなら何とでも言える……確かに貴様は強いのかもしれぬが、我には届かぬ。現に今も、我の魔獣にすら手を焼く始末ではないか」

「ああ、そうだな……だが、人間ってのは諦めだけは異常に悪くてな」

「む?」


 不敵な笑みを見せるアレス。すると、戦場と化した神殿の至るところで真っ白な魔法陣が浮かび上がる。


「貴様、いったいなにをっ!?」

「もう一度言うぞデミウルゴス……人間ってのは、諦めが悪いんだ

 ――チェーン・マイン……フル・アウェイク!」

 

 術式を一斉に起動。白い閃光と共に、柱、彫刻はもちろん、壁や床に至るまで、魔獣もろとも爆風に巻き込まれていく。

 逃げ惑う魔獣たちはほとんどが瓦礫の下敷きとなり、土煙の中で血煙が舞う。


「……人間、やってくれる。だが、その爆発では貴様も――っ!?」


 眼下の惨状を前に、デミウルゴスは眉根を寄せ……しかし立ち込める煙の中で影が動き、飛び出してくるのに目を見開いた。


「貴様、人間!」

「はぁっ!!」


 一閃。瓦礫を足場に跳んだアレスは、デミウルゴスに刃を振るう。

 が、すんでのところで巨兵が身を捻り、主を守らんと後ろへ下がる。

 しかし、切っ先は確かに、魔神へ肌を浅く、確かな切り傷を残した。


 ――浅い!


 ここまでやって届かないのか。アレスは宙で風魔術を身に纏い、巨兵の剛腕による一撃を回避。衝撃で大きく後方へと吹き飛ばされた。


「ぐっ!」


 なんとか体勢を立て直して再びデミウルゴスに相対する。

 剣を片手構え、もう片方の手は魔術の術式を組み上げる。


 ……あと、一手。


「はっ……よもや、この我が人間に手傷を負わせらるとは……なるほど、我は貴様をいささか見くびり過ぎていたようじゃ」


 途端、全身を強烈に押しつぶすほどの圧、そして魔力が迸った。


「喜べ人間。貴様の勇気と健闘を称え、我が自ら相手をしてやろう。

 ――我が名は創造神デミウルゴス。勇者アレス、貴様を……この世界から魂もろとも完全に消し去ってくれる!」


 殺意をたぎらせ、ついに魔神が――動いた。

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