水辺の異変にオンナの影
商業都市からバ車で一週間の距離――
山間部に挟まれた集落……人口はおよそ二百人程度。木組みの民家が目立つ。畜産業が主な収入源、山から流れてくる清流が集落の間を横切っている。
生活用水にも飲み水にもなり、集落の人間にとっての生命線。
しかし、例年であればそろそろ雪解けの影響で川の水量が増す時期なのだが……今年は水嵩が増すどころかむしろ減ってきている。時が経つごとに川の水は干上がり、いよいよ底が露出し始めた。
当然、集落の者達は上流で何かあったのではと予測し、若い男手を使って調べさせた。
すると、上流に水棲型の魔獣が巣を作り、川の流れを堰き止めてしまっているとのこと。
集落に流れてくる川は支流。魔獣の巣を見つけたのは、よりにもよって本流から枝分かれした分岐点らしい。相手は数が多く、男共は逃げてくるだけで精一杯。
魔獣に対抗する術を集落は持っていなかった。小さな害獣程度ならどうにかできるが、魔獣と戦う技術も装備もない。かといって冒険者を雇えるほどの金もないときた。
これは厳しい状況だ。村に井戸はない。水資源は全て川に頼っていた。こんなことなら、もっと手広く水源を確保しておけば、と悔やんでも後の祭り。
が、村には一人……この事態に対処できるかもしれない男がいた。
彼は水術師のジョブに恵まれ……しかし己の力をひた隠しにし、水不足にあえぐ集落の連中を黙って見つめる。
……はっ、いいざまだ。
男は家の軒先で胡坐をかきながら、目の前で水瓶の中を覗き込んで気を落とす主婦を鼻で笑った。
彼の名はディグ。彼に対する集落の態度は、お世辞にも友好的とは言えないモノであった。
両親は、魔獣によって滅ぼされた別集落からの流民であり、よそ者。どうにか集落に身を寄せることはできたが、排他的な習慣が根付くこの集落は、彼の両親の存在を疎んじていた。当然、二人から産まれた子供である、ディグのことも……
両親は食料を確保するために山へ入り、そのまま帰らぬひととなってしまった。集落の者は彼ら家族に食料を分け与えてくれることもなく、いつも空腹を訴えていた。
それでも、両親はディグを育てた。貧しいながらも、周囲の者たちから疎まれても、三人は懸命に生きていた。
しかし、ディグがジョブの力に目覚める直前、父と母は山で崖から川に落ち、死んだ。前日は、激しい雨が降っていた。川は不断の穏やかな顔を変貌させ、彼の両親を無慈悲に呑み込んだ。
集落の者が二人の遺体を見つけ、ディグに面倒くさそうな様子を隠すことなく、その死を伝えて来た。
集落の墓に、二人は入れてもらうことができなかった。結局、ディグは悲しむ暇もなく、山の麓にひっそり両親を埋め、墓とも言えない墓を作り、弔った。
あの時の集落の者達の態度は、いまでも忘れない。
しかし、そんな彼等の中にも、
「ディグ」
「……よぉ、メイ」
「ちゃんと、ご飯食べられてる?」
「……おう、お陰様でな」
メイは集落の長の娘だ。他の連中と違い、彼女だけはディグのことをよく気に掛けてくる。
が、皮肉の籠った眼差しで、ディグはメイを見上げた。
「そっちは大変そうだな? 親父さん、今日も集落の連中から苦情言われてんだろ……“早くどうにかしろ”ってよ」
てめぇらはなにもしねぇくせに……と、ディグは小さく吐き捨てる。
「うん……最近は本当に水が足りなくて……家畜にあげるどころか、自分達の飲み水も足りなくなってきてて……」
「そりゃ、ご愁傷様」
「お父さん、なんとか家の物を売って、冒険者を雇おうとしてるみたい。私も色々と売って、少しでも足しになればいいな、って」
「ご立派なことで。それで、わざわざそれを伝えるためだけに、ここまで来たのか?」
「違うわ」
と、メイは辺りを警戒し、服の中に忍ばせていたパンを取り出し、
「これ……少しでも、ディグのお腹が膨れたら、って思って」
「……」
目の前に差し出されたパン。ディグは奥歯を噛み……しかし暴れそうになる感情をどうにか押さえつけ、メイに視線を戻す。
……てめぇだってまともに食えてねぇくせに。
以前と比べてもメイの頬はこけていた。最近は川に住み着いた魔獣の影響か、山に入る者が少なくなった。
集落の畜産業も危機的な状況。集落に備蓄している食料もだいぶ減ってきた。
外に食料を買いつけたくても金がない。売れるモノといえば、せいぜいが山で採れた木材ぐらい。
が、飢えで体力が落ちた集落の者に、林業の真似事は荷が重い。
今は村の若い男連中で木を伐り、薪木にしたり炭にして集落の外に売りに行く……が、付近の町までは、往復するだけで数日も掛かる道のり。中には、そのまま帰ってこなかった者もいる。
賢い選択だ。この集落が滅びるのは時間の問題。
川の水が不足したことで、連鎖的に集落は瓦解していく。
尤も、水術師であるディグが己の力を解放すれば、村の窮状を改善することができるかもしれない。
それでも、ディグは集落への恨みから、決して動くことはなかった。
「やめろよ、そういうの。見つかったらお前も面倒なことになるぞ」
「いいよ別に。私、もう周りからちょっと変な目で見られてるし」
「俺なんかに構うからだろ」
「私が、したくてしてることだもん」
メイはディグにパンを押し付ける。
「早く隠してっ……それじゃ、戻るね」
「……ちょっと待て」
踵を返すメイを呼び止め、ディグは家の中に入る。家の奥。外から陰になった死角に、水が並々と注がれた水瓶があった。
ディグは、革袋一杯に水を入れ、
「ほら、これもってさっさと帰れ」
「え、これっ」
「水……魔獣に隠れて汲んで来たんだよ」
嘘だ。水術師の力を使って水を出しただけ。別に何の苦労もしてない。
「いいの? だって、危ない思いをして、やっと汲んで来たのに」
「いらねぇなら返せよ」
「それは…………ディグ、ありがとう」
少しの逡巡を経て、メイは優しく微笑んだ。
小さい時から、メイと両親だけが、ディグに優しい顔を向けてくれた。
……今は、彼女ひとりだけになってしまったが。
「ほら、見つかる前に失せろ」
「はいはい。それじゃ、またね」
また来るつもりなのか……ディグは呆れて溜息を吐きながら、後ろ髪を掻く。
同時に、胸中にチクリと痛みが走った。
集落の連中は気に入らない。憎んでいると言ってもいい。しかし、彼女だけは……
「くそ……」
自分の持つこの力のことを報せれば、きっと彼女も、集落も、救われる。
……なんで俺が、こんなところのために。
彼の中の僅かな罪悪感は、集落の者達への憎悪によって上塗りされてしまう。
そして今日も、彼は誰にも自分のジョブのことは、黙ったままでいるのだった――
◆
清く澄んだ川の上流。水棲型の魔獣がひしめく川の中に、一人のジョセイの姿があった。
「ふふ……この地は、思いのほか居心地がいいですねぇ。皆も、そう思いますよね?」
オンナは群青色の長い髪を水面に遊ばせ、琥珀石のような瞳が魔獣を愛おしそうに見つめている。垂れた優し気な目元、口元に浮かんだ微笑みは慈母のよう。衣服は川の水を吸ってオンナの肌に張り付き、その豊満な肢体を強調している。
カノジョの周りには触手を蠢かせる軟体生物のような魔獣が集まり、更には顔が魚、身体がひとのような異形の姿もあった。加えて、川の皆こそには、濃緑色の鱗に覆われた、巨大な蛇の魔獣まで。
デビルウィプスにブルーマーマン……そして、本来は海にしか生息していないはずの、シーサーペントまで。
川の支流は、土や岩、薙ぎ倒された木々で作られた壁によって、流れを堰き止められている。しかも、水面から見える水中には、デビルウィプスの卵が無数に揺れている。
「ふふふ……これで、下流の集落は静かに滅びる……いい子ですね、皆」
オンナがデビルウィプスの触手に触れる。まるで歓喜したかのように、魔獣はオンナの肌に触手を絡ませ……しかしカノジョは「あらあら」と微笑みを絶やすことなく受け入れる。
「人間たちの前に姿を見せると、冒険者たちが殺しに来ちゃいますからね……安全に、でも着実に、人間を滅ぼしていきましょうね。それが、お母様の望みなのですから」
瞬間、一斉に魔獣たちは咆哮を上げ……オンナは静かに、いつまでも口元に笑みを湛えていた。




