出立の時は近い
――私も一緒にお出かけ行く~!
午後に工房を空ける旨を伝えると、フェリアはアレクセイにしがみついてきた。
――うむ。まぁしばし籠りきりじゃったからのう。どうじゃ、アレクセイ?
――はぁ……わかった。ただし、俺たちから離れるなよ。
――やった~!
先程の少女と変わらぬ無邪気な反応に、アレクセイは溜息を吐く。
できることなら、フェリアには工房の二階で眠りこけている、もう一人の居候を見張っておいてほしかったのだが。
日がな一日。最近は朝から晩まで眠りこけている怠惰な住人……ティア。またの名を、神の巨人『ティターン』という。
先日の騒動で目撃された、もう一体の大型魔獣の正体である。カノジョもフェリア同様、デミアによってこの世界に生み出された眷属の一体である。
数ヵ月前、都市付近の街道で土人形を大量発生させて封鎖に追い込んだ張本人。今はアレクセイたちと行動を共にしているが、気性が激しいくせに、極度の面倒くさがりで手を焼いている。
フェリアの一件以来、カノジョの鬱憤を晴らす相手になってやることができず、最近はずっと不貞腐れたように眠ったままだ。
しかし、その寝相の悪さは一級品で、なんど部屋を破壊されたか分からない。最近は特にひどい気がする……あるいは、それだけ鬱憤が溜まっていたか。
いよいよ、工房内をアダマンタイト鉱で塗り固める必要があるかもしれない、とアレクセイは考え始めた。
……そんな金、あるわけもねぇんだが。
しかし実際、カノジョのせいで工房の修繕費はかさむ一方……先日の魔獣騒動でもほとんど被害を受けなかったというのに。
よもや後になってから身内によって工房を破壊されるとはこれ如何に……
アレクセイの溜息が尽きた日はない。
復興で騒がしい表通り。例のごとく全員が被り物を目深に被って人相を隠す。
もはや自分から怪しんでくださいと言わんばかりのこの姿。すれ違う者たちの視線が突き刺さる。
しかし、デミアやフェリアの容姿は良くも悪くも注目を集めてしまう。
男も女も関係なく目を引く美貌。銀月のごとく流れる髪に、燃え盛る炎のごとき深紅の髪……とにかくデミアとフェリアは目立ちすぎる。
ろくでもない連中を釣り上げ、穏便にことを収めるのに苦心することになるのは目に見えていた。
それなら、怪しまれても遠巻きに眺められる方が何倍もマシというもの。
表通りはここ数日で露天商も戻り始め、以前のような活気に満ちつつある。まだまだ破壊の痕跡は随所にみられるものの、商魂たくましい街の住人たちは、今日もせっせと商売に励んでいるようだ。
同時に、事件前は陰鬱としていた空気感を放っていた冒険者たちの顔つきにも変化が見られる。
街の復興や、ここ最近になって立て続けに発生している魔獣がらみの案件……職にあぶれていた彼らは職と報酬を得て顔に生気が戻ってきている。街からすれば些か皮肉な話でしかないが。
通りを抜けてからしばらく進むと古書店に着いた。この街に工房を開いてからずっと贔屓にしている店である。
「いらっしゃ~い!」
店の奥に設置された精算所で女が一人店番をしている。
「あら、久しぶりじゃない。あの事件以来顔を見せないから、てっきり魔獣の胃袋にでも納まっちまったのかと思ってよ~」
気安い態度。調合指南書や、デミアのために本を買ったりと足しげく店に通ううちに親しくなった。
「それは期待に応えられなくてすまかったな。そう言うそっちはどうなんだ? 怪我とかしなかったか?」
「部屋が一つぶっ壊されちまったけどそれだけ。とくに怪我もなければ今んところ生活に支障はないかね」
「そうか。今日はこいつの本を探しにきた。少ししたら街を離れるつもりでな。今回は少しばかり余計に買わせてもらう」
「あら? なんだいあんた。この街から出て行っちまうのかい? そいつは金づ……大事な客がいなくなって寂しくなっちまうよ~」
「……いい性格してるな」
「褒めてるのかい?」
「もちろん」
世間話をするアレクセイの裾がついと引っ張られる。見れば、デミアがソワソワと落ち着きなく店内を見回している。
「いいから好きに選んで来い」
「よいのか?」
「十冊までな」
「五〇じゃ」
「一五」
「四〇」
「二〇」
「三五」
「……三〇。これで勘弁してくれ」
「うむ! ゆくぞフェリア」
「はい!」
「毎度アリ~」
にししと意地の悪い笑みを浮かべる女店主。アレクセイは溜息を吐き出し、デミアたちとは別に掘り出し物の錬金術関連の本でもないか漁り始める。
と、アレクセイの隣に店主が近づき、
「ほんとに街を出て行っちまうのかい? 巷じゃ、あんたのおかげで裏の連中がだいぶ大人しくしてる、って喜んでたんだけどね」
「俺の目的はこの街で工房を開くことじゃないからな。もともと、ある程度資金が貯まったところで、ぶらりと世界を物見遊山して回るつもりだったんだよ」
「工房はどうするんだい?」
「知り合いに任せる。裏の連中にも顔なじみがいるから、適当に店番をしてもらうってことで話は通してあるしな」
「もしかして、帰ってこないつもり?」
「いや」
アレクセイは首を横に振る。
「疲れたら帰ってくるさ。ここは、思いのほか居心地がいいからな」
「そう……いつ頃出発するつもりなんだい?」
「早ければ今週中にでも発つつもりだ。つっても、頼んでたウマの御者が魔獣騒動で怪我しちまったみたいでな。代わりを送ると言われてるんだが……」
いつごろ来てもらえるか、まだハッキリと返事をもらえていない。
「近いうちに挨拶に来るとは聞いてるけどな」
「そうかい……」
店主は目を伏せると、あれやこれやと本を物色しているデミアに振り向き、
「嬢ちゃんたち! もし四〇冊買ってってくれるなら全品二割引きにしてやるよ!」
「「!?」」
彼女の言葉に、アレクセイとデミアは目を見開いた。一方は驚愕に、もう一方は歓喜に……
「そ、そなたよ!」
「ああもういい……好きに選べ」
あまり見たこともないカノジョのキラキラとした瞳にアレクセイは投げやりに応じた。
デミアは本棚の間を駆けまわり、フェリアに気になった古書をポンポンと手渡していく。視界が塞がれるほどに積み重なった本の束。アレクセイは苦笑しながらカノジョたちに近づき、重ねられた本を半分受け持つ。
隙間が目立ち始める書棚。それでもまだ二〇冊程度。あとここから倍近く増えるのか。帰り道のことを考えると憂鬱になってきた。
「荷車、貸すかい? もちろん返してもらうけどね?」
「…………」
またここに来ることになれば、デミアにせがまれて共に来ることになりかねない……そうなれば、また余計に本を買わされることに。
……店主……分かってて言ってるな。
商魂たくましい女店主に、アレクセイは「頼む」と、諦めの心境が顔に出る。
四〇という本を積むには些か荷車は大きすぎたが、抱えて帰るにはやはり数が多い……アレクセイは工房に本を持ち帰り、日を跨いで荷車を返しに行く。
案の定、デミアは付いていくと言って聞かず……アレクセイは最終的に、デミア用に本を、四五冊も買い与えることになってしまった。
礼として受け取った臨時収入は、全て消し飛んだ。それだけ本は高いのだ。
「まぁ、いいか」
嬉々として本の頁をめくるデミア。傍らでカノジョの手元を覗き込むフェリアの姿は、死闘の末に取り戻した日常を改めて実感させてくれる。
――世界は、いずれ滅びる。
人間種が生み出した魔術文明によって、大地から魔力が消費され、いずれは……
その前に、カノジョと共に世界を巡る。
アレクセイは出立の準備を進める。また面倒ごとに巻き込まれる前に、手早く、可及的速やかに。
……さて、どこから見て回ろうか。
世界は広い。これからの行方を思案しながら、アレクセイは自分も少しばかり浮かれていることに気付き、苦笑した。




