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世界救済の終わり

 荒野付近の町から北東に進むこと数日。

 アレスの元を去ったマルティーナ、ソフィア、トウカの三人は交易で栄えた港町のギルド、そこに併設された食堂で夕食をとっていた。

 

 手にした木樽ジョッキを勢いよく空にしていくマルティーナ。いったいどれだけ吞んだのか。彼女の顔は真っ赤に染まっている。


「飲み過ぎだぞマルティーナ」

「うるさい。いいじゃないこんな時くらい」

「そう言ってここ数日毎日ではないか……」

「それは、分かってるけど」


 トウカは「はぁ」とため息を吐きながら水を差しだす。


「気持ちはわからなくもないが、もう終わったことだ」

「……そうね。終わったのよね」


 水を一気に煽り、マルティーナは机に突っ伏す。卓に並べられた料理はほとんど手付かず。そのくせ中身が空になった木樽だけが卓を占領していた。


「あいつ……今ごろどうしてるのかしらね?」

「さぁな。まさか一人であの荒野に向かったとも思えん……しかし、出会った頃は誠実な男だと思っていたのだが……まさかあそこまで力に溺れた挙句に増長するとは」


 アレスのことを思い出してか、トウカは木樽を手に眉を寄せる。しかし彼女は「いや、よそう」とかぶりを振って、酒で口を湿らせる。


「で、でも……なんであそこまで変わっちゃったんでしょうか、アレスさん」

「知らないわよ。もうどうでもいいじゃないの、あんな奴」

「そう、ですけど」


 そうだ。もうどうせ会うこともない。今ごろあの男はなにをしてるのか。

 自分たちに離脱されて少しくらいは自分の行いを反省してくれただろうか?

 

 ……昔の彼だったら……ううん。


 その可能性は低い。彼の日頃の態度を見ていれば、今ごろはなぜ自分が責められたのかすら理解できず、周りに当たり散らしているのではないだろうか。

 だとしたら、彼を止められる人間がいないまま、歯止めか利かず好き勝手しているというこか。


 あの町の住人にとっては、災難なことこの上ない。


「ああ、もう!」


 途端にマルティーナが声を上げる。ソフィアとトウカがびくりを彼女に注目した。


「なんで、いなくなってまでこんなにあいつのこと気にしなきゃいけないのよ……!」


 目の前に並んだ鳥の香草焼きへ、乱暴に肉刺しを突き入れ、大口を開けて肉を頬張る。およそ貴族と思えない乱暴な所作。今の自分はさぞかしギルドの似合う女になっていることだろう。

 こびりついたような怒りがいつまでも消えてくれない。

 

「……ワシらも食べようか」

「は、はい」


 すでに料理のほとんどは冷めてしまっていた。

 本当なら、これからのことについて話し合うべきなのだが……どうにもそんな気になれない。

 勢いのまま彼から離れてしまったが、本来なら自分たちだけでも荒野に赴き、魔神の居所を掴むべきではなかったのか。


「そろそろ出よう。マルティーナも、少し夜風に当たった方がいい」

「……そうするわ」


 フラフラと揺れる足取りでギルドから出る。ソフィアとトウカも彼女の後に続いた。

 外気は思いのほか冷たく、酒で火照った体に心地いい。

 深く息を吸い、ゆっくりと呼吸する。すると、先ほどまでジリジリと胸中を苛立たせていたモノが静まっていくような気がした。


 ……いつまでもあいつのことを引きずるのはやめなくちゃ。それより、これからのことを考えるべきよ。


 魔神を倒す。そのためにずっと旅をしてきたのだ。アレスとは袂を分かった。今さら和解の道を模索して協力できるとも思えない。

 

 星の位置から、荒野の方角を割り出し、振り返る。

 いつになるかはわからない。それでも、いずれあの地へと再び挑む。


「ソフィア、トウカ……まだ終わってないわ。たとえあいつがいなくても、あたしたちの役目は変わらない」

「ああ。この手で魔神を討つ」

「わ、わたしもっ、頑張りますっ」


 これでいい。すべきことは最初から明白。この大陸、ひいては世界中の人々が安心して暮らせる世界を実現する。そのために、魔神を倒す。


 ……明日から、もう一度はじめましょう。彼に引きずられるのは今日まで。


 そう心に決めて、マルティーナは荒野の方角から視線を逸らす。


 ――直後。



 空気を震わせる轟音を響かせて……空に光が奔った。



 夜の闇を引き裂くように、極光の柱が地上から天へと伸びていく。

 この時、光の柱は大陸全土から観測されたという。


「なによ、アレ?」

「わからん。だが……あれは荒野の方角ではないか?」

「は、はい。位置関係的に、たぶん……それにしても、とんでもない魔力の波動です。こんなに離れてるのに。とても濃い」


 ソフィアは賢者と呼ばれる魔術師の中でも最高位とされるジョブを持つ。それゆえ、魔力の流れには敏感だ。

 しかし、あの光から放たれてくる魔力の波は、マルティーナやトウカにも感じることができた。

 トウカは魔力感知には疎く、そんな彼女でさえも肌で感じることができるとなれば、果たしてあの光はどれほどの魔力を孕んでいるのか……


「これは、さすがに普通じゃないわ。二人とも、一度、王都に戻って、調査隊の再派遣を……ってソフィア。あんた、なんか光ってるわよ?」

「ふぇ? え……あ。ほ、ほんとです。なんでしょう、これ……?」


 マルティーナが振り返ると、ソフィアが普段から持ち歩いている腰の小物入れから、わずかに緑色の光が漏れ出ていた。中には傷薬や飲み薬など、旅に必要な物が入っている。


「あ、これですね……て、手紙?」


 小物入れを開けると、中で光を放っていたのは見覚えのない一通の封筒だった。しっかりと封蠟までされた上質な紙。

 淡く全体を覆うように瞬いていた光は徐々に弱まり、すぐに収束。

 同時に、夜空を焼いていた光の柱も、大気に溶けるようにして消えていった。


「次から次へと、なんだってのよ……それで、その手紙はなんなの?」

「わ、わかりません。わたしも、初めて見ました。と、トウカさんは、なにか知ってましたか?」

「いや、ワシにも皆目……他人の手紙を開ける趣味はないが、これは確認しないわけにはいかぬか」

「そうね……ソフィア、なにかへんな魔術とか掛けられてない?」

「いえ、呪術の類はなにも。たぶん、開けても問題はないと思います」

「そう。なら中身を見てみましょう」


 マルティーナに促されて、ソフィアは恐る恐る封を切る。大丈夫だとは思うが、開けた瞬間に起動する類の術式が組まれていないとも限らない。

 これまで旅をしてきた中で、マルティーナたちに恨みを持つ輩はそれなりにいる。慎重になるに越したことはない。

 が、そんなソフィアの心配をよそに、手紙はあっけなくその姿を晒した。

 マルティーナとトウカが手元を覗き込んでくる。


 便箋を開く。するとそこには……


『ありがとう

 そして、すまなかった』


 などと、短い文面が書かれているだけだった。宛名もない。

 しかし、その筆跡には覚えたがあった。


「これ、たぶんアレスさんの字です」

「っ……そうね。この変な書き癖のある字」


 なんど直せと言っても直らなかった独特の筆跡。こんな書き方をする知人をマルティーナは一人しか知らない。だが、


「いったいなんのつもりでこのような……それにこれだけでは、なにを伝えたいのかも」

 

 トウカが腕を組み、マルティーナが渋い顔をする中。

 ソフィアだけが、便箋ではなく、封筒に意識を向けていた。


「あの……手紙にはいくつか、相手を呪殺したりする目的で組まれた術式があるんです。でも、これにはそれがありませんでした」


 ソフィアは前髪に隠れた色の違う瞳で二人を見上げる。いつもは言葉に詰まる彼女だが、こと魔術に関する話題になると饒舌になる。


「でも、もう一つだけ。手紙に掛けておく術式に覚えがあります。わたしたちがこの手紙の存在にずっと気付けなかったのは、きっとのせいです」

「なによその術式って」

「それは…………」


 ここにきて、ソフィアは言い淀むように視線を逸らした。


「ソフィア?」

「こんな風に、手紙を相手に見つからないように組む術式を用いるのは……そのほとんどが、王族や貴族が……遺言を、残す時だと、言われています」

「遺言?」


 ソフィアの口から出てきた遺言という不吉な単語。彼女は封筒を掴む指に力を入れて、


「術式には、手紙を書いた本人の魔力の波長が文字に記録されます……そして、その当人が生きている間、ずっと誰に気付かれることなく……その命が終わりを迎えた時に、はじめて姿を現すんです」


 王や貴族の遺言とはそれだけ秘匿され守られる。が、今この場で重要なのはそこではない。


「命が終わった時、って……なによそれ。それじゃまるで、あいつが……っ」


 ハッとなり、先ほど光の柱が上がった方角へと振り返る。

 光と手紙の出現はほぼ同時。それはつまり……


「あいつが……アレスが、死んだ?」


 なぜ? まさか、自分たちに見限られて自棄にでもなったのか?

 いや、そんな短慮な思考をする相手が、こんな手の込んだ手紙の残し方をするだろうか?

 それにさきほどの文面……


『ありがとう

 そして、すまなかった』


 感謝と、謝罪……何に対して?


「っ……ソフィア、トウカ。行くわよ、例の荒野に」


 なにか、とてつもなく嫌な感じがする。


「あの光の柱と、このふざけた手紙の関係が、そこにあるかもしれない」


 謎の光の出現にざわめく町の住民。彼らをかき分け、三人は足早に来た道を……荒野への道を引き返していった――


 ◆


 荒野近くの町に着くと、住民たちは更に混乱していた。外に出ているのは荷物を抱えて逃げ出す者がほとんどで、あとは窓が全て閉じられている。

 そんな町の様子を横目に、三人は荒野と町を隔てる山脈へと足を踏み入れる。

 依然聞いた話では、山頂に近づくほどに雪に覆われているという話だった。

 しかし、行く手を阻むような極寒の風も、視界を奪う雪煙さえなく……頂は緑に覆われていた。

 聞いていた話と全く違う。三人は一日を掛けて山を越え、死の大地とまで呼ばれた荒野へと足を踏み入れる。

 

 ――そこに広がっていたのは、白金のような美しい花弁を開かせる花々が敷き詰められた幻想的な光景であった。


「なに……これ? これが、話に聞いてた荒野?」

「なんと、美しい」

「は、はい。それに、とても濃い魔力が漂ってます」


 いったいこれのどこが荒野だというのだ。


「行きましょう」


 花弁を散らして先を進む。

 花以外、周囲にはなにもない。まるで雪原。方向感覚を見失いそうになる。

 

 どれだけ歩いたか。ほのかに温かみを感じる空気の中、それはあった。


「なによ、これ?」


 深く抉れたような大地。すり鉢状になった底には、花とは別のなにかが突き立っていた。


「あれ……まさか……っ」


 マルティーナはすぐに傾斜を滑りおり、ソフィアとトウカも後に続く。

 地の底に見えた物、それは地面に突き刺さった、ひと振りの剣だった。


「これ、あいつの……なんでここに」


 見間違えるはずがない。これはかつて、彼と共に潜った地下遺跡で見つけた宝剣……


「あいつ、ここに来たの? なんで?」


 そんなこと、分かり切っている。彼がここに来る目的など、一つしかない。そして、あの手紙……


「まさか、一人で魔神と……」


 そうまでして手柄が欲しかったのか? いや違う……ことここに至って、三人の中にある仮説が浮かび上がる。


「も、もしかしてアレスさん……わざとわたしたちを遠ざけたんでしょうか?」

「その可能性は……ないとは言い切れん。昔のあやつなら……いや、もしかすると、あやつは本当は、ずっと変わってなどいなかったのではないか」


 今にして思えば、彼の態度の豹変はいささか不自然ではなかったか?

 わからない……今となっては、なにも……彼はなぜ命を落としたのか? あの手紙に込められた感謝と謝罪の意味も、この場に彼の剣が残されている理由も……なにひとつ。


「なんなのよ……なにがしたいのよ、あいつは……」


 昔の彼であれば、命の危険から自分たちを遠ざけようとしたとしても頷ける。

 だが……


「なによ……あたしたち、仲間だったじゃない……なに、一人で全部、背負ちゃってんのよ」


 あるいは、彼が本当は変わってなどいなかったのだと、そう思いたいだけなのかもしれない。

 

 いずれにしろ、アレス・ブレイブは死んだ。それは間違いない。

 果たしてデミウルゴスは倒せたのか? 今は、それすらも分からない……


 

 ――しかし、これから数ヵ月の後。

 世界各地で猛威を振るっていた魔獣の脅威は徐々に鳴りを潜め、沈静化していくことになる。

 これにより、魔神は討たれたのだ、と王都は大陸中にその知らせを走らせた。

 あの光の柱こそ、魔神が討伐された証拠なのだと追記して……


 大陸歴147年。魔神の脅威が去り……世界は、新たな局面を迎えようとしていた。

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