約束の履行
「相変わらず騒がしいのう」
路地から一歩出ればすぐに大通り。流れる人波にデミアは独り言ちた。
アレクセイもデミアも、顔を半分隠すように被り物をしている。
路地から出てきた怪しげな二人組に、通行人から奇異の視線が突き刺さる。
「して、どこから向かう?」
「まずは塩と酒だな。あとはパンと干し肉、乾酪……さすがに味気ないか。干し果実も買っておこう」
通りは右を見ても左を見ても屋台で溢れている。通行人を捕まえては商売に精を出す。商業都市と呼ばれるだけあって、その熱気や活気は王都にも引けをとらない。
「……少し耳が痛いのう」
「お前はずっと静かな場所にいたからな」
かつて根城にしていた異界の神殿、森精霊の森……この街に越してきてからも、ほとんどカノジョは工房で本を読んだり、手慰みに料理をしてみたり。
「悪かったな」
「なにがじゃ?」
「お前をずっと工房に押し込めてた」
「そなたなりに考え合ってのことじゃろ? それに、我はあそこを窮屈などとは思っておらんぞ」
「ならいいが」
「むしろ、これまで触れたことのない世界を視て、触れて……ふむ、こういうのを、楽しい、と呼ぶのかもしれんな」
「そうか」
デミアはあまりに人間社会の常識に疎い。ひとが多く集まればそれだけ厄介ごとの種も転がっている。今のカノジョは、障害に当たれば全て消し去ればいい、という力技で物事を解決しようとする。
曰く――『人間も所詮は獣よ。他の生命より知恵をつけたところで、根源にあるのは自己制御もできん本能じゃ』などと。
デミアにとって、ひとも獣も魔獣も、一括り。
「あら、アレクセイさん。今日も錬金術の素材かい?」
商店から中年の女性に声を掛けられた。錬金術の素材を販売している店の店主だ。アレクセイもよくここを訪れている。
顔を隠した相手にも気さくな態度で接する店主の女性だ。気前がさっぱりしており好感の持てる人物である。
「いや、しばらく街を留守にするんでな。今日はその準備で、食料の買い出しだ」
「あら、そうなのかい。それは寂しくなるねぇ。そっちは連れかい?」
「ああ。こいつはデミア。俺の工房で一緒に生活してる」
「うむ。こやつがいつも世話になっておるようじゃな」
店主にカノジョを紹介する。被り物の奥から覗く紫水晶の瞳と目が合い、彼女は一時、言葉を失う。
やはり、顔を隠していても、間近に接すればカノジョの存在感に吞まれてしまうようだ。
「せっかくだ。滋養剤の素材を売ってくれるか?」
「あ、ああっ、わかったよ。どれくらい入用だい?」
「長旅になるからな。とりあえず一〇本分貰えるか?」
「まいど」
アレクセイの言葉にハッとした様子の店主。しかしすぐに頭を切り替え、店の奥から品物を準備する。
注文した素材を受け取り、代金を渡す。「またきておくれよ」と店主と別れ、アレクセイたちは次の店に向けて歩き出した。
「ふむ……あの者はなにゆえいきなり緊張したのじゃ?」
「お前がいたからだろ?」
「我がなにかしたか?」
「……お前がありえないくらい美人ってことだよ」
「生憎とそなたらの美的感覚はわからん」
「そうかい」
まぁ、確かにな、とアレクセイは納得した。自分たち人間にとってデミアの容姿は間違いなく美しく映る。だが、価値基準が違うデミアは、自身の顔が他人からどう見られているか、また自分ですら相手がどう見えているか、理解できてない。
「……アレクセイよ、そなたにとって我の見目は良いモノか?」
「うん? ああ、かなり良いモノだと思うぞ」
「そうか。ならばよかった」
「どうした急に?」
「いや、少し人間を観察していて思ったのじゃよ。ひととは、自分を着飾ることが好きなようじゃ」
デミアはおもむろに周囲のひとを見渡す。
「着ているもの、身に着けているもの、住む場所さえ、己をよく見せようと必死なように我には映る」
故に……
「共にいる者に対しても、そういったモノを求めるのかと思っての」
見上げてくるデミアの言葉は淡々としたものだった。
しかし、アレクセイは「はぁ……」とため息を吐き出して、
「いたっ」
デミアの頭を小突いた。
「むぅ……いきなりなにをする」
「……今のお前に言っても、わかんねぇよ」
呆れ顔のアレクセイの様子に、デミアは首を傾げた。
「とりあえず次に行こう。買い出しするものはまだまだあるんだからな」
アレクセイは先ほど買った滋養剤の入った袋をデミアに押し付ける。カノジョはそれを胸に抱え、少しだけ早足になったアレクセイの後を追った。
◆
「結構な荷物になったな」
「うむ。これは……前が見えん」
荷物を両手いっぱいに抱えたアレクセイとデミア。特に小柄なデミアは抱えた荷物で視界を塞がれてしまっていた。
「荷車を持ってくればよかったな」
以前使っていた風術師も、今は別のジョブに切り替えてしまった。あれがあれば空気操作で物を運べたのだが、失敗した。
「いや、いざとなれば魔術でいかようにもできる」
「……使うなよ?」
詠唱もなく、ただ魔力に命じるだけで魔術を行使できる現場など、とてもじゃないが見せられるわけがない。
魔術師のジョブ持ちが近くにいたら、軽く卒倒すること請け合いだ。
「むぅ……」
不満に頬を膨らませつつ、ふらつくことなくゆっくりを前に進むデミア。見た目以上に力があることは知っている。しかし、カノジョを知らない周囲の通行人や商人たちは、小柄な人物が抱えた荷物の量に目を丸くする。
「さて、今日はもう帰るか」
揃えるべきものは全て買った。ギルドに寄る用事もない。
大荷物を抱えて帰路につく……しかしその矢先、背後からけたたましい音が響いた。
「――運竜が突っ込んでくるぞ!!」
アレクセイとデミアが振り返ると、暴走した運竜、繋がれた荷車が土煙を上げてこちらに向かってきているのが見えた。
しかも、運竜の先には――
「え……」
買い物中の母娘の姿。娘の手を繋いだ母親は、咄嗟に娘を自身の体で守ろうとするが、
「――っ!」
アレクセイは荷物を全て投げ捨てて跳んだ。
運竜と母娘までの距離は絶望的。誰もが悲惨な未来を想像して目を覆った。
そこに、間一髪アレクセイが身を滑り込ませ、二人を抱えて更に跳んだ。母娘のいた場所を運竜と荷車が駆け抜け、屋台の中へと突っ込んでいった。
「あ、っぶな……」
屋台の従業員はなんとか自力で逃げ延びることができたようだ。アレクセイに両脇に抱えられた母子とも、なにが起きたのかわからずに目を丸くしている。
飛び出した勢いで、アレクセイの被り物が脱げていた。彼は母娘を下ろす。
と、母親はようやく思考が追い付き、娘を力いっぱい抱きしめた。今しがた自分たちの窮地に現れたアレクセイを見上げ、
「あ、ありがとうございます!」
「ああ。どこか痛むか?」
「私は別に……メルちゃんは? どこか痛いところない?」
「お母さん! 今びゅんっ、て! すごかった!」
「はは……大丈夫そうだな」
「はい。もう、なんとお礼を申しあげれば」
「気にするな。たまたま居合わせただけだからな。それより、気を付けて帰れよ」
それだけ残して、被り物を被りなおして立ち去ろうとすると、
「あ、あの! せめてお名前だけでも」
「アレクセイだ。貧民街の近くで錬金工房を開いてる。危ないから近付くなよ」
「え? あ、せめてお礼を」
が、引き留める声もそのままに、アレクセイは荷物の傍で怪訝な表情をするデミアの下に戻った。
「悪い悪い」
「そなたよ」
「おう」
一言文句でも言われるかもしれない、とアレクセイは後ろ髪を掻いた。が、
「あの二人は知り合いか?」
「いや」
「ふむ……では、なにゆえ二人を助ける必要がある? 心配はしておらぬが、そなたの身が危うくなる可能性もあったじゃろうに。己が生命を危険に晒してまで、無関係な者を救うことには、なんの意味がある?」
「……そうだな」
デミアの真っ直ぐな疑問に、アレクセイは困ったような、バツが悪そうな、複雑な表情を向けた。
「お前の疑問に答えるなら、自己満足、ってことになる……でも」
他者を思い、手を差し伸べること……ひとは群れねば生きられない。だからこそ、アレクセイは自分の手が届く範囲なら、助けたいと願ってしまう。
かつて行き場もなく、孤児として彷徨っていた時、手を差し伸べてくれたひとがいたことを、知っているから。
「俺は他より強い力を扱えるから、誰かを助けたい、って傲慢になっちまってるんだよ」
「よく分からんな……力とは有象無象ではなく、己のために振るうものであろうに……」
「その自分のため、ってのが、結果的に誰かを助けること、だったりもするんだよ」
「そういうものかの?」
「お前も人間の世界を生きていくなら、いずれ知ることもあるさ」
デミアは疑問を解消できない様子のまま、右に左にと傾げ続けている。アレクセイは「寄り道しちまったな。帰ろう」と、散らばった荷物を抱えなおした。
再び歩き出す二人。アレクセイは隣を歩くデミアを見やり、ふと問いかける。
「なぁ」
「なんじゃ?」
「どうしてお前と俺たちの姿は似てるんだ?」
ひとと神。存在の次元が異なる両者の姿が、こうも似通っていることを、アレクセイは純粋に疑問に思ったた。
「さぁな……生憎とそなたら人間を生んだ神は『我ではない』……今はどこにいるとも知れぬ、我が半身に訊いてみよ」
「……お前みたいなヤツが他にもいるってのか?」
「ああ、そういえば話したことはなかったか。そなたら、ひとを生んだ神は――」
しかし、カノジョがその名を口にしようとした瞬間、
「――あなたのようなモノが身内などと、恥でしかないわ」
アレクセイとデミアの前に、かつてとある村で出会った、妖しい女がいた。
「お前は」
「さぁ、約束を果たしなさい……わたしの勇者」
直後、街の外から轟音が響いてきた。
音の出所……見上げた先にいたのは、赤々と燃える翼で大気を裂く、フェニックスの姿であった。




