戦地の教訓
『いい機会だから、今回の遠征に貴方も参加してみたら? 王都を守護するばかりが、騎士の役目じゃないんだから』
レイアは騎士団長であるマルティーナから実地訓練を積んで来い、と送り出された。
騎竜の背に揺られること二週間……道中の乾燥地帯を抜ける頃には、彼女の鳶色の髪も艶をなくし、瞳には僅かな疲労感も見て取れた。
彼女と共にマルティーナに送り出された騎士は、レイアを含めて六人。いずれも騎士学校で優秀な成績を収め、マルティーナ直属の騎士団への入隊を果たした。
基本、騎士の役割は、王都の守備と兵士への指揮である。
しかし、昨今の魔獣、ならず者といった輩の減少に伴い、出動要請が減少……それによる実戦経験の不足。むろん、騎士団が動かなくてもいい世の中というのは理想的だ。何においても、民は平和と安寧を願っているのだから。
しかしそうなると、経験不足の騎士は有事の際の戦力として使えない……ばかりか、指揮系統を混乱させるような事態にもなりかねない。
マルティーナは今回の遠征で、彼女たちに少しでも現地での経験を積めればと考えた。
事前に戦場慣れしていない騎士が同行することも通達済み。
しかし今回の遠征の名目は、封鎖された街道の状況を調査するというもの。
仮に魔獣の被害によるものであったとしても、直接の戦闘は極力避けろ、と伝えられている。
「ふぅ……」
レイアは息を吐いた。
訓練で何度か遠征をこなしたことはあるが、騎竜での長時間移動はいまだ慣れない。疲労感の蓄積と共にお尻を擦りそうになる……一度、それで皮が剥けてひどい目に遭ったのは今でも苦い記憶だ。
「さすがに疲れるな。あとどのくらいだったか」
隣を並走するハンスが声を掛けてきた。彼の表情にも、蓄積された疲労の色が見て取れる。
「今日の夜には現地手前まで進めるらしい。無理を押せば今日中にも着くみたいだけど」
さすがに夜間行軍、そのまま調査、というわけにもいくまい。
「陽が落ちたら野営、夜明けと同時に出発する、って感じになると思う」
「ようやくか……俺、他の兵士たちと一緒に、歩いたほうが楽なんじゃねぇか、って気がしてきたよ」
「……そういうことは軽々しく口にしない方がいい」
騎士であるレイアたちは騎竜に跨って移動しているが、他の兵士たちは全員徒歩だ。
それは騎士と兵士の階級分けを示唆している。ハンスの言葉を他の兵士が聞いたら、嫌味だと受け取られかねない。
「特に、今回わたしたちはこの遠征に無理やり参加させてもらったようなものだ」
兵士たちは現地の調査の他、新米騎士たちのお守まで押し付けられた格好だ。騎士団長直々の頼みということもあって、快く受け入れてくれた、という話だが……中には『なんで俺たちが』と思ってる者も少なくないだろう。
「それに、マルティーナ様からいただいたせっかくの機会、これを無駄にしないよう、精進することが今のわたしたちの役目だ」
「お前は学校時代から真面目過ぎんだよ。もう少し肩の力抜いた方がいいと思うぞ、俺は」
「そうそう。レイアはいつもブスッとしてるしさ、もっと笑った方がいいって。せっかくの美人さんなんだからさ」
と、ハンスとは逆側から、キリハが声を掛けてきた。東大陸特有の顔立ち、八重歯を覗かせて彼女は冗談交じりに笑顔を見せる。
「笑みなど……騎士は責任ある身。我らの判断で、ひとが死ぬことだってあるんだ。己を律し、厳しくし過ぎてるなんてことはない」
「……あまり融通利かないと、いざって時に柔軟な対応とかできなくなっちゃうかもよ?」
キリハは笑みを引っ込めて呆れ顔だ。三人の後ろについて騎竜を駆る他の三人も苦笑している。
「とにかく、まずは現地での調査だ。実際何があるかわからないんだ。気を引き締めていかねば」
「まぁね」
「それはその通りだ」
調査とはいえ、街道封鎖の原因が魔獣であれば、戦闘になる可能性も十分考えられる。マルティーナからの指示は、極力戦うな、というものだったが、必要に迫られた場合は……
「でも、今回は現場経験が豊富な兵士長さんがついてくれてるんでしょ?」
「だとしても、騎士であるわたしたちが棒立ちのまま、何もしなくていいということではないだろ」
「でも経験値は確実に不足してるからなぁ……俺たちが変にでしゃばると、逆に現場が混乱しないか?」
「それは……」
レイアが俯いてしまう。確かに、自分たちはまだ現場での指揮経験がない。それ故に、マルティーナからも『今回は立場とかは考えないで、全員兵士長の言葉に従うこと』と言い含められている。
顔を合わせた兵士長は年配で、『現場の立ち回りはその場ですぐに覚えられるものではない。時間を掛けて、先達者たちの教えに、積み上げてきた経験によって、身についていくものだ。今回、貴方方がすべきはワタシの指揮を視ること、無理になにかをしようとすることではない』と教えられた。
つまり、今回は自分から指揮のやり方を学べ、ということだ。
実際、戦闘を行うのは自分たちではなく、兵士である。指揮とは命を預かること。
見て学ぶ。それも大切なことだ。
「そろそろ日が暮れるな」
兵士長は空を見上げて独り言ちた。レイアたちにはまだ日差しは高いように思えるが、これから野営の準備を始め、実際に設置が完了する頃には、辺りは暗くなり始める。
「今日はここを野営地とする。すぐに準備にとりかかれ」
彼の言葉に、兵士たちは荷車から物資を下ろし、さっそく野営の準備を始めた。山間部の手前。レイアたちも騎竜から降りて兵士たちを手伝う。
本来は騎士の仕事ではないが、彼らにおんぶにだっこで、何もしないというのも坐りが悪い。
ハンスたち男連中は荷運びを、レイアたちの方も天幕を張るのに手を貸す。
作業する中、以前は横柄な騎士が多かったそうだが、昨今はマルティーナを始め、良識のある騎士が増えてきた、と古参の兵士たちから聞かされた。
別に彼らとて騎士を批難したいわけではないのだろうが、騎士のほとんどは貴族階級が占めている。階級に胡坐を掻いて、兵士たちを見下す騎士は珍しくない。
少なくとも、レイアらは自分たちが彼らの遠征に『お邪魔』させてもらってることは理解している。
「天幕、張り終わりました」
「お疲れ様です。この遠征中にだいぶ野営の準備も慣れてきましたね」
「皆様の指導があればこそです。感謝しています」
「とは言っても、実際に騎士様が天幕を張ったりなんてことは、あまりないと思いますけどね」
実際、指揮をする立場の騎士が天幕を自分で準備することは少ない。が、それでもこういった経験をしておくのに越したことはない。
「では、次は食事の準備を――」
と、レイアが次の行動に移ろうとしたとき、
「敵襲~~っ!!」
『『『っ!?』』』
野営地に緊張が走った。野営地の周辺を見回りしていた兵士からの報せ。すかさず兵士長が動いた。
「報告します! こちらに向かってくる魔獣の姿を発見! 土人形! 数は四!」
「土人形か。奴らには剣や槍は通用せん……戦士系のジョブを持つ者は打撃武器を装備! 各班は分かれて複数人で土人形に対処せよ!」
兵士長の号令ですぐに兵士たちが武器を手に臨戦態勢に入る。
「兵士長! 私たちにもどうか出撃の許可を! 私は炎術師ですが、騎士の一人に棍術に優れた者がいます。他の騎士たちが陽動すれば、十分に勝機はあるかと」
レイアはすぐさま騎士を集めて兵士長に前線への出撃を願い出た。
「しかし……」
「お願いします。いつまでもお膳立てされた戦場しか知らないのでは、我々は立派な騎士を名乗ることはできません」
兵士長は僅かに逡巡する……しかしレイアの言うように、彼女たちは決して『お客様』としてここまで連れてきたわけではない。なにより、彼らにも騎士としての矜持がある。
「わかりました。では、四体のうち、一体をレイア様たちにお願いします。ただし、くれぐれも深追いはしないよう。勝ち目がないと判断した時は、迷わず撤退してください」
「承知しました。皆も、準備はいいな!」
レイアは仲間の騎士たちに振り返る。全員が頷いたのを確認し、彼女たちは戦場へ駆ける兵士たちの後に続いた。