今後の方針
「戻った」
アレクセイが街で買い出しを終えて、例の貧民街近郊の工房へと戻ってきた。
「うむ。して、首尾はどうじゃ?」
荒れ果てた工房で彼を出迎えたデミウルゴス。今はその名をデミアと改めた。アレクセイ同様、過去との決別、そして人間社会に紛れるために。
「おかえり~」
工房の奥から埃塗れのフェニックスも姿を見せた。カノジョもアレクセイやデミア同様、名前をフェリアに改名した。全員が元々の響きと似たような名づけかたをしているのは、可能な限り違和感なく自分たちに馴染ませるためのひと工夫である。
「ギルドへの登録は無事に済んだ。仕事を請けてきたから、今日はそっちに集中する。それと、あとでお前たちに少し話がある」
「構わぬが……そなたが仕事をしている間、我らはなにをしていればいい?」
「ここの掃除を……と言いたいところだが、お前ら、掃除って分かるか?」
「邪魔なモノを消し去る作業じゃろ。それくらい知っておるわ。そなた、如何に我らが人間社会を知らぬからと、些かバカにし過ぎではないか?」
「……なら、頼んでもいいか? そこら辺に転がってる物はほぼ使い道もないからな。全部処分してくれて構わない」
「うむ、任せるがよい。フェニックs……フェリアよ。そなたも手伝え」
「もちろんですデミウルゴスさま!」
一抹の不安を覚えつつ、アレクセイは最低限の環境だけを整えた工房の奥に引っ込んだ。
『さて、ではこの中にあるモノ、全て焼き尽くしてしまえばよいかの』
『はい! 燃やすなら私におかませください! 完全に元の形がなくなるまで焼き尽くしちゃいますからね!』
アレクセイは慌ててカノジョたちの下に戻った。
……あんのバカども! 工房全部灰にする気か!!
◆
彼らがここに居を構えたのは先日のこと。
フェリアの背に乗って夜間の内に街へと入り、息を潜めてこの工房までたどり着いた。
デミアにはアレクセイが使っていた被り物で顔を隠してもらい、必要以上に注目を集めいないよう注意して街の奥へ……が、初めて訪れる人間の街にデミアは興味津々。
かつては滅ぼそうとさえしていた者たちの生の文明を前に、カノジョはアレクセイに質問の嵐。
店も知らなければ、その辺りを歩ている御者も、街を照らすガス灯も、カノジョにとっては全てが初見。ひとの住む居住区もカノジョにとっては新鮮で、華やかに家族とのひと時を楽しむ家庭もあれば、路地裏の集合住宅に身を寄せ合い、かろうじて命を繋いでいる家もある。
『食料を確保できぬ弱者は追いやられ、強者に淘汰される。人間社会も、自然文明となんら変わるところはないようじゃな』
結論が出ると、途端にカノジョは興味を失う。未知なるものへの関心も、知ってしまえばただの知識。やはりカノジョの感性は、ひとのそれとはどこかズレがあるらしい。
『それでも、ひとは弱者から時に強者へと成り上がることもある。偶然と努力で。生きることに足掻くのはどの生き物でも同じだが、強者へ抗う意思を持つのは、ひとだけだ』
と、アレクセイは語った。デミアは『そうじゃったな』と、アレクセイを見上げて、呆れ顔で苦笑した。
『なれば、ここにいる者の中からも、いずれ外の煌びやかな世界に反旗を翻す者が出てくるやもしれんな』
そう言うと、デミウルゴスはこちらを窓の隙間から訝しげに見下ろしてくる、一人の男の子に視線を向けた。見ていたことに気付かれた子供はすぐに窓から離れ、身を隠した。
そうして、アレクセイたちは深夜の内に工房へ到着。以前のような輩が中にたむろしているかもしれないと懸念していたが、どうやらあれから手つかずのまま放置されていたらしい。
『明日は街のギルドに登録して仕事を請けてくる。お前たちは俺が帰るまで大人しくしててくれよ』
『うむ』
『は~い!』
『くれぐれも言っておく。ここに誰かが来ても、本気で相手をするな、いいな?』
カノジョたちを残していくのには不安もあったが、それは別に襲われる心配じゃない。むしろ、襲った相手ごと、このあたり一帯を吹き飛ばすのでは、とそっちの方がよほどアレクセイの頭を悩ませた。
◆
が、懸念していたようなこともなく。
アレクセイは炎の魔術を工房内で行使しようとしていた常識知らずに、錬金術の調合指南書を手渡し、『これ読んで大人しくしてろ』と言って、再び工房へと引っ込んだ。文字が読めるかは謎だが、図説もあるので少しは退屈しのぎになってくれるだろう。
今回の調合は錬金術師にとっては基礎的な内容だ。素材をすり潰したり絞ったり蒸留したり……本来であれば素材の加工からしなくてはならないのだが、さすがに錬金術師協会のお膝元。すでに加工された素材を安く買いそろえることができた。
これなら、あとは指南書の手順に従って素材を順番に調合していけば……
「まぁ、こんなところか」
ギルドから依頼された納品物を揃えるのに半日程度で済んだ。素材同士を馴染ませるのに一晩ほど置いておけば、明日の朝には納品物として満足のいくモノに仕上がっているだろう。
「そろそろメシの準備をするか」
空は青から紫紺に移り変わり、工房の中は薄暗くなっていた。
灯油照明に灯を入れ、アレクセイは錬金素材と共に買ってきた食材を簡単に調理する。
肉に香辛料をまぶして焼く、野菜を刻んでサラダにし、上に植物油と塩を掛けて適当に味を調える。あとはスープとパンを用意して調理は終了。
かなり大雑把な味付けだが、
「ほぉ、そなたはこのようなこともできるのか」
「もっと食べる~♪」
と、反応は上々。そもそも生の木の実だけで生活していたようなカノジョたちである。その辺の子供の方がまだ舌が肥えていると言えるだろう。
簡素な食事が終わり、アレクセイは切り出した。
「街道で土人形が、何の前触れもなく大量に出現したそうだ。しかもその近くで大型の魔獣も目撃されたらしい。デミア、推測だが……お前の眷属が関わってる可能性もあるんじゃないのか?」
以前に聞いた話では、フェリアを始め、デミアにはかつて自身に代わって世界中で魔獣を生み出せる眷属の存在があった。
その数は四……ここいるフェリアを含め、まだ三体がこの世界のどこかに潜んでいるということ。
「ふむ……そやつらの力はその辺の魔獣などとは一線を画すほどに強力じゃ。よもや人間ごときに敗れたとも考えにくい……」
「どうする? 眷属である保証はないが、接触してみるか?」
「そうじゃのう……その方がよかろうて。もしもまだ魔獣を生み続けているのであれば、そろそろ止めねばなるまい」
魔獣の生成にはこの世界を循環する魔力が使われている。人間によって魔力が消費されている中、魔獣を生み出し続ければそれだけ枯渇は加速する、とデミアは語る。
「そなたに聞いたな。魔獣から魔力の結晶が採れると……本来、魔獣の死と同時に、その魔力は我へと流れ、世界樹へと還元されるはずじゃった」
しかし、その中継地点であるデミアが魔獣からの魔力を受け取ることができなくなった結果、行き場を失った魔力が結晶化した、ということらしい。
だが、それは逆に言えば、
「魔獣から採れるという結晶を注げば、あるいはコレの発芽も促せやもしれんが……」
デミアは虚空に、例の世界樹の種子を出現させた。
「じゃが、いったいどれほど魔獣を狩れば、こやつを発芽させることができるのかは、我にも分からぬ」
「それでも、世界樹の代わりになる樹を、育てることもできなくはない」
「あくまで可能性の話じゃ。あまり期待し過ぎぬ方が良い。それより、まずはその街道に現れたという巨大な魔獣との接触じゃ。そやつが我の眷属ならば、魔獣の生成を止めてやらねば」
「そうだな。俺は明日、もう少し詳しく調べてみる。あとは……そうだな……」
アレクセイはふと、デミアの全身を上から下まで視線を滑らせた。
「なんじゃ?」
「デミア。今後はお前も外にでることになるとは思うんだが……」
「うむ」
「その服は、少し目立ちすぎる……明日、もう少し街に馴染む服を見に行こう」
「む! それは我も、そなたについて行ってもよいということか!? そうじゃな!?」
食い気味にデミアが身を乗り出してきた。神らしからぬ、子供のように目を輝かせたカノジョを、アレクセイは不覚にも、少し可愛い、などと思ってしまった。