幻獣の片鱗
被り物の男は工房を出ると表通りから真逆に進路を取る。
後ろからは赤髪のショウジョがついてくる。手には先ほど工房の従業員から貰った飴入りの小瓶を抱えて満面の笑み。
「~♪、♪」
調子っぱずれな音色。男……アレスはそんなカノジョを見下ろし苦笑する。
「それ、随分と気に入ったみたいだな」
「これ、デミウルゴスさまにも分けてあげるの!」
「そうか。落とすなよ」
「大丈夫よ」
そうは言うが危なっかしい。歩きながら目を輝かせて瓶の中を見つめる翡翠色の瞳。足元の注意が完全におろそかになっている。
「さて……」
街の地図を脳内で思い浮かべ、先ほど少女から聞いた工房の位置を思い出す。
奥へ進むごとに街の活気は遠くなり、道は荒れ果て建物はさながら廃墟のよう……しかしこちらを射貫くような視線が肌に突き刺さる。建物からよそ者への警戒心が覗いていた。
……まだ貧民街までは距離があるはずだが。
生活格差はどこへ行っても当たり前のように存在する。ここは華やかな街が抱えた裏の顔。どこかでひとの言い争いが聞こえてくる。ごみが所かまわず投げ捨てられている。すえた臭いが鼻をついて気分が悪くなってくる。
隣を歩く赤髪のショウジョ……フェニックスも先ほどまでの笑みが引っ込み、鼻をつまんで眉根を寄せる。
「なにここ……色んなモノの腐ったみたいな臭いがする」
どうやらここも……貧民街ほどではないにしろ……お世辞にも治安のいい場所は言えないようだ。
絡まれる前に足早に抜けてしまった方がよさそうだ。
アレスが速度を上げたのを察してか、赤髪のショウジョ……フェニックスも彼に合わせて足を速める。
それからしばらく進む。
「確かこの辺だったか……」
話に聞いていた工房はこのあたりにあったはず。
相変わらず射貫くような……もはや殺気さえ帯び始めた視線を浴びながら、アレスはそれを気にも留めず、辺りを見渡す。
「あれか」
かつて工房だった名残が視られる建物を見つけた。
しかし看板はかすれて文字が読み取れず、プラプラと頼りなく垂れ下がり、隙間風が吹き抜けるたびにカタカタと揺れている。扉は完全に破壊され、覗いた工房は荒れ放題。
「……これは、聞いてた話以上にひどい有様だな」
だが散らかっている割に工房道具の類は見つからない。大方、手癖の悪い輩に根こそぎ持っていかれた、といったところか。
それに――
……いるな。
奥に身を隠している何者かの気配。全員がいつ飛び掛かってきてもおかしくなほど殺気立っている。
「ふぅ……」
今日は引き返した方がよさそうだ。ここの工房があることが分かっただけで十分。下手に中にいる連中の機嫌を損ねて揉め事を起こすのは得策じゃない。
「~♪、~~♪」
しかしフェニックスは我関せずと言わんばかりの様子で、なくなった飴玉のおかわりを口の中へと放り込んでご満悦な様子。
「お前はのんきだな」
「ふぁにが(なにが)?」
小首を傾げるフェニックス。カノジョも中の気配には気づいてるはずなんだが……尤も、このショウジョの形をしたモノにとっては、人間の殺気など虫の羽音にも劣る些事なのかもしれない。
が、そんなフェニックスの態度が災いしたのか、物陰からのっそりと影が這い出して来る。
「なんだてめぇら? ここになんの用だ?」
出てきた男は、ギラつくような刃のごとき目つきでアレスたちを睨みつけてきた。完全にならず者の風体である。
「はっ……ガキ連れてこんなとこまで散歩にでも来たか?」
「イカレテやがんな~こいつ~」
「お前にだけは言われたくねぇだろうよ」
奥から次々と顔を出す男たち。いずれも、手にはおもてなしに不向きな危ない代物を握っている。
「はぁ……」
アレスはため息を吐くことしかできない。この後に訪れる展開が容易に想像できるかのようだ。が、せめてもの抵抗くらいは試みよう。
「騒がせて悪かった。悪いが今は手持ちが少なくてな。これで勘弁してくれ」
事前に、こういう連中が出てきた時用に分けておいた硬貨の入った袋を渡す。
「ふん。話の早い奴は嫌いじゃねぇ」
ひったくるように袋を手にすると、男は鼻を鳴らして中を改める。
「チッ……しけてやがる。お前、表のもんじゃねぇな」
「今日ここに来たばかりでな。まぁ下見ってところだ」
「はん……何しに来たんだか知らねぇがさっさと失せな……が、そのガキは置いてけ」
……おいおいおい。
こっちがすぐに金を出したと見て、余計な欲を抱かせたか。
集団を取り仕切っていると思われる男がフェニックスに近づく。
「ほぉ……まだガキだか見どころはありそうだ。これなら好き者な連中に高く売れそうだ」
「ん? なに? あなたも飴欲しいの?」
「は?」
しかし、この期に及んで場の空気をまるで察していない様子のフェニックスは、なにを勘違いしたのか「しょうがないわね」と渋々といった様子で飴玉の瓶を男に差し出す。
「今回は特別なんだからね。存在の頂点である私たちは、その下に生きる物にも時には寛容さと慈悲をもって接してあげなきゃ」
飴玉で気分が高揚しているのか、人間を虐殺する魔獣を生み出してきたショウジョは鷹揚に頷いて見せた。
が、そんな彼女の態度に男は青筋を立て、
「ガキが、訳わかんねぇこと言って舐めてんじゃねぇぞ!」
フェニックスが差し出した小瓶を払いのけた。口が開いたままだったそれは、中身を散らして床へと転がった。
「ああっ!?」
瓶は割れ、埃まみれの床に四散した飴玉。
「デミウルゴスさまに、持って行ってあげようと思ってたのに」
足元に落ちていた飴玉を拾い上げて涙目になるフェニックス。これにはアレスもすかさず動き、
「おい、お前ら」
「――さない」
直後、足元から胃のものがせり上がってきそうなほどの殺意が奔った。同時に、肌を炙るようなジリジリとした赤熱した魔力が小さな体から放たれる。
「は? おいなんだコレ――ッ!?」
男は最後まで言葉を発することを許されず、フェニックスは彼の口元を抑えたまま床へと押し倒し、
「おい、やめろフェニックス」
「うるさい。たかが人間風情が。神への貢ぎ物に泥を付けたんだ……その罪、魂の消滅をもってなお許しがたい」
男の顔から肉と骨が軋むような音がする。彼は自分を抑えるつける小さな腕を掴み抵抗するが、
「灰になr――」
「やめろっての」
カノジョの手が赤熱した瞬間、その脳天にアレスの手刀が振り下ろされた。
「いった~~い!? なにするのよ!?」
「ここで騒ぎを起こすな。面倒を起こすな。お前の主に巡り巡って迷惑が掛かるぞ?」
「むぅ~……」
恨みがましく見上げてくるフェニックス。先ほどまでの殺気は霧散し、涙目で頭をさする姿はどこか愛嬌さえある……しかし、組み伏せられていた男は跳ねるようにフェニックスから距離を取り、顔の一部に小さな手形の火傷を負っている。
「な、なんなんだお前ら」
声を震わせる男に、アレスはゆっくりと近づく。
「本当はもっとゆっくりと、穏便に交渉していきたったが……」
アレスは今日の収益の一部を袋の中身を、ならず者の前に落として見下ろし、
「それでここを明け渡してくれ。もし抵抗するようなら」
「ま、待て! わかった! 出ていく! すぐに!」
男は床に散らばった金をかき集め、配下の男たちに「い、行くぞ!」と声を荒立て外へ飛び出ていく。
が、アレスは最後に出ていこうとした男の手を掴み、
「あの金は口止め料も込みだ。今日のことを他で話したときは、」
「わ、わかった! あいつらにも言っておく!」
「おう、それじゃ頼む」
ぱっと腕を離し、アレスは明るい声でならず者の集団を見送った。後には静けさだけが残される。
「うぅ~……デミウルゴスさまへのおみやげ~」
それもすぐに破られ、床からなんとも悲しい声が聞こえてきた。
床に散らばった飴玉。アレスとフェニックスで拾い集めていく。
「……まぁちょっと汚れたが、これなら十分に食えるだろ」
そもそもつい先日まで生の木の実を食ってた奴らである。落ちてる飴玉を食ったところでどうにかなるとも思えない。
「ほれ」
飴玉を一つ口の中に放り込む。フェニックスも埃を落として飴玉を口に入れた。
「……おいしい」
「ならメソメソしてないで、これ拾って今日は帰るぞ」
結果的に、工房に空きができた(無理やり)。また別の連中がこないとも限らないが、その時はその時である。
二人は貧民街から裏通り、表通りを経て街の外へ。
しばらく歩き、ひと目がなくなったころを見計らい、
「行くか」
「うん!」
――その日、南部で栄えた街へと至る街道で、空へ飛びあがる巨大な炎を纏った鳥が目撃されたという。