おしくない売買
「先ほどはありがとうございました、お客さま……で、よろしいのですよね?」
被り物が目元を隠すほどに深いため、一見すると不審者にも見えてくる。
だが、この街は貴族の出入りも頻繁で、身分を隠して来店する客も珍しくない。傍らにいる少女は、彼の護衛といったところだろうか。まだ年端も行かない童女のようにしか見えないが……大の男を蹴りの一撃で沈めたところを見るに、かなり高い戦闘能力を持っているのは明らかだ。
……ひとは見た目によらない。この街じゃそれが当たり前だけど。
パッとしない相手だと思っていたら、有名な商会の会長だった、なんて話もある。相手の本質を見抜く目を持っていなければ、この街で商売はやっていられない。
「いや、こっちこそ戸を壊して悪かった……とはいえ、生憎と今は手持ちがなくてな」
そう言って、男は懐から野草の束を卓に並べ始めた。それが7つほど。量は多くないように見えるが、どれもしっかりと乾燥させてある。
「こいつらを買い取ってほしい。もしも戸の修理費用が必要なら改めて持参する」
「いえ、それはむしろあの男に支払わせます」
女性は床に転がって気を失っている冒険者を冷たい目で見下ろした。身ぐるみは見事にはがされ肌着のみ、手足はしっかりと縛られている。
騒ぎを聞きつけた近隣の住民がすでに衛兵を呼びに行っている。もうすぐ到着する頃だろう。
……その上でギルドの本部にも訴えてやらなきゃ。
最近は仕事にあぶれた冒険者たちの素行が悪すぎる。
「素材の買取ですね。見せていただいても?」
「ああ」
さて、この男はどんな物を持ってきたのか。一見するとただの野草。
が、これまで数多くの錬金素材を目にしてきた彼女は、それが非常に上質な代物だと見抜く。
……とても綺麗で丁寧な処理。
傍からは枯草にしか見えないかもしれない。しかし葉や花の形がしっかりと判別できる。適当に乾燥させたものは、すべて茶色く変色して素材にならないことが多い。
……それにこれ、状態でちゃんと束が仕分けされてる。
傷みがあるものは、その程度ごと束ねられていた。これなら、破壊された扉の修繕費用を見積もってもある程度はおつりが出る。
「どうだろう?」
「そうですね……これほど丁寧に処理をされているなら、その手間も考慮して……」
少女は手元に黒板を引き寄せ、石灰で金額を書き込む。
「これくらいでいかがでしょうか?」
「ふむ」
決して安くはないはずだ。贅沢さえしければ一週間は生活できる。
「売ろう。やっぱりこの店を選んで正解だったよ」
「ありがとうございます」
称賛の言葉に少女は素直に頷く。
と、二人のやり取りを見ていたショウジョが、野草の束を突いて小首を傾げる。
「……こんな草が人間には良い物に見えるんだ? 私は食べられない物はどうでもいいなぁ」
などと、小袋を取り出して木の実を口に放り込む。
「え? それ、生……」
「ああ……割と本当に金がなくてな……いや、ちゃんと渋みは取ってあるからな?」
男もショウジョと同じように袋を取り出し、中身をひとつ手渡して自身もそれを口に含んだ。
最初は恰好だけ怪しい人物かと思ったが、本当に不審者の線も出てきた……
が、手にした木の実を前に少女を軽く目を見開く。
……これ、滋養剤に使える希少種じゃない。
森の奥まで入らないと手に入らないこともあって、魔獣対策や護衛の費用を考えると決して費用対効果の良い素材ではない。
その代わり、これを原料に作られる滋養剤は効能も確かだ。それもあって人気が高いくせにどこも品薄で、かなり高額で販売されている。
「あの、こちら食べてみても?」
「構わないが……皮が厚くてお世辞にも美味いとは言えないぞ?」
「いえ、美味しくないことはわかってますので」
ならいいが、と男は怪訝な表情で彼女を見やる。しかし少女は躊躇いもせずに木の実を口の中へ。
……うっ……これで本当に渋抜きされてるの? かなり苦いじゃない。
少女はちょっと涙目だ。傍らでこれをさっきからパクパクと食べ続けている赤髪のショウジョ。思わずこんなものしか食べる物がないのかと不憫になってきた。
……でも、聞いた話だと生の実は口に入れた瞬間に吐き出すほどに渋くて、とても食べられたものじゃいって。
無理をすれば食べられないこともない。つまり、本当に渋抜きされているのだ。これで……
「んっ……はぁ、はぁ……あの……」
ちょっとだけしわがれた声。今すぐに水を飲んで口をすすぎたい衝動を堪えて、少女は提案する。
「よろしければ、こちらも売っていただけませんか?」
「ん? これをか?」
「はい。これは薬の材料になります」
油分を抽出し、それを他の素材と調合することで滋養剤になる。必要なのは木の実の油だけだが、渋抜きは必須の工程だ。手間が省ける分、これなら色を付けて買い取ってもいい。簡単な説明に男は頷く。
「そうだな。正直あまり食ってても美味いもんでもないし、買い取ってくれるならありがい」
「え~、これも手放すの~」
と、少女は自分の子袋を守るように内へ隠し、頬を膨らませた。
「お前の主のためだ。なんならあとで美味いもん買ってやるから」
「むぅ……」
男の説得に唇を尖らせながらも、渋々といった様子で小袋を手渡す。
……なんかちょっと可哀想。
決して、お世辞にも、美味しいものではないのだが……
「そうだ。ちょっと待っててください」
少女は裏へと周り、小瓶を持って戻ってくる。
「これ、私が研究中によく舐めてる飴なの。果汁で味付けしてあるのよ」
中には色とりどりの飴玉が入っていた。
研究中に小腹が空いた時などは、よくこれを舐めて気を紛らわせている。
「ほんのり果物の香りがして美味しいわよ? どう、そっちの木の実と交換してくれないかな?」
「……なにこれ?」
じ~、っと少女は警戒するように小瓶を凝視する。
「飴、食べたことない? これは、こうやって」
ショウジョに実食して見せる。口の中で転がすと、途端に甘さと果汁の香りが口いっぱいに広がる。
「あ、いい匂い」
「どうぞ。噛まないで、口の中で転がすの」
「うむ……っ! 甘い!」
むくれていた表情が一変。赤髪のショウジョは目を輝かせて頬を抑える。
「……かわいい」
思わずそんな感想が漏れてしまう。
「すまない。気を遣わせたみたいで」
「いえ……余計なお世話かもしれませんけど……ちょっと不憫に思えて」
「まぁ、こんなんでもこいつにとっては普通にうまいらしい」
「ええ……」
……よっぽどひどい環境で育ったのかな。
彼女はショウジョに憐みの目を向けた。
手渡された二つの袋。中にまだ木の実が十分に残ってる。
これならそれなりの数の滋養剤を用意できそうだ。
「こっちは……そうね。渋抜きは時間もかかるし……これくらいでどうかしら?」
提示した金額に男は少し驚いた様子だ。
「少し高くないか?」
先程の冒険者とは逆の発言に、少しおかしくなった。
「これくらいが妥当だと思います。なんなら、このお金でそっちの子に美味しい物、食べさせてあげてください」
「わかった。お言葉に甘えよう」
「では、少々お待ちください」
素材を工房の奥へ持っていき、代わりにお金を袋に入れて渡す。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。ここの工房なら、素材を良い値段で買い取ってくれると聞いて来てみたが、予想以上だった。また何かあったら頼む」
「いえ、こちらこそ助けていただいた上で、いい素材を仕入れられました」
相変わらず相手の顔は見えないが、悪い人間ではなさそうだ。
「もしまたなにかお持ちでしたら、またお持ちください。当然、ここで作った道具なんかも販売していますので、ご入用があればぜひ」
「ああ、ありがとう」
「もう行くの?」
「いや。まだここには用がある」
「はい?」
素材の売買は終えたはずはが、まだ何かあるのだろうか?
男は先ほど渡した袋から貨幣をいくつか取り出すと、
「少しだけ情報が欲しい」
卓にそれを置いて切り出してきた。