離反される勇者
本作は現在「ノクターン」に投稿されている作品のリバイブ版になります
アレス・ブレイブは勇者である。
選ばれし者。女神の祝福をその身に受けた超越者。
「――もう、これ以上は付き合いきれないわ」
これまで、仲間と共に数々の冒険をこなし、人々に仇なす魔神を倒すために戦い続けてきた。
しかし現在、彼は……
「今日限りでっ、あんたとの関係は終わりよ!」
苦楽を共にしてきた仲間たちから、離反されている真っ最中であった――
◆
大陸西部の荒野。王国から幾里も離れた遠き地、草木も生えぬ不毛の大地、砂塵渦巻く烈風は、何人も踏み入れることを拒み続ける。
生命の気配のない、魔獣でさえ寄り付かぬそんな土地には、ひとつ奇妙な噂が囁かれていた。
曰く――その荒野のどこかに、魔神の座す異界へと繋がる門があるのだと。
かつて、その噂の真相を求めて派遣された多くの調査団が、誰一人として帰ってこなかったという。
人々は囁いた……「あそこは人が生きることができない過酷な環境なのだ」、「いや、彼らは魔神の手によって皆殺しにされたのだ」、「あるいは、どこかここではない、楽園に誘われて帰ってこないのでは?」などと。
どれもこれも、信憑性に欠ける与太話。
しかし、この噂を聞きつけ、荒野に最も近いとされる町を訪れる者の姿があった。
男一人。女三人で構成された一行。
彼らは宿兼酒場の卓につき……しかし漂う雰囲気はお世辞にも穏やかとは言い難い。
「ちっ……くっそまずい酒扱ってんなおい。こんなんに金出せっかよ」
そう言いながら、空になった木樽を卓に叩きつけた男……アレス・ブレイブはこの一行を指揮する代表である。
が、その態度は横柄。料理の並ぶ卓に両足を乗せ、他の客も従業員も彼に対して顔をしかめる。
「ったく、お前らほんっとに使えねぇ……まともな宿のひとつも用意できねぇのかよ、なぁ?」
傲慢、不遜を絵に書いたような態度。彼は口汚く同行者である女性たちをののしり、あろうことか手にした木樽の中身を彼女たちに浴びせかけたのだ。
「っ! あんた……」
三人の女性のうち、金糸のように美しい髪を持つ女、マルティーナ・セイバーは青い瞳を逆立て、アレスを睨みつけた。
「なんだ? 文句でもあんのか? 誰のおかげで今日まで旅してこれたと思ってんだああん!」
「ひっ……」
激高するように声を荒立てたアレスは木樽を床に叩きつけた。
そんな彼の怒声に、ソフィア・アークは左右で色の違うギュッと瞳を閉じ、中央から白と黒の二色に分かれた髪を握って小さな悲鳴を上げた。
「……」
そして、美しい黒髪から酒を滴らせながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばしたトウカは瞳を伏せ、「はぁ……」と小さく息を吐き出す。
「……もう、限界」
マルティーナが俯きながら席を立つ。
「アレス……あたしはずっと、あんたがそういう態度を取るのは、勇者っていう重圧のせいなんだって思ってきた……だから、少しでもあんたの気が晴れるなら、鬱憤をぶつけられても我慢しなきゃいけない、耐えなきゃいけないんだ、って」
「あ? んだよ急に。お前らが俺のために動くのなんざ当然だろうがよ」
顔を伏せたまま語るマルティーナに、アレスはなおも暴言を浴びせた。
「でも……でも! もうこれ以上は我慢ならないわ!」
顔を上げたマルティーナの瞳には、激しい怒りの感情が宿っていた。
「路銀は酒と博打に注ぎ込むわ、ギルドでは喧嘩するわ揉め事を起こすわ……挙句に後始末を全部押し付けられて……あんた、少しはこっちの苦労も考えたことあんの!?」
「ちっ……」
が、アレスは舌打ちするだけで、マルティーナの言葉をまるで真剣に受け止めた気配もなく、
「くっだらね」
「っ!?」
吐き捨てるようなアレスの言葉に、マルティーナは目を見開いた。
「誰のおかけで稼げてると思ってんだ? この俺、アレスの勇者としての力があればこそだろうが。だったら金を俺がどう使おうが勝手だろうがよ!? それに喧嘩ぐらいなんだってんだ? くせぇメシに寝床をこっちは毎日我慢してんだよ。その鬱憤をちょっとばかし晴らしたくらいで、口うるせぇこと言ってんじゃねぇよ!」
「「「……」」」
身勝手な言い分を重ねるアレスに、マルティーナはもちろん、ソフィアもトウカも言葉を失う。
「ああくそっ、気分がわりぃ……今日はもう寝る。ここの払いはお前らがやっとけよ」
椅子を蹴倒しながら立ち上がるアレス。しかし、
「待ちなさいよ……」
「あ?」
呼び止められて振り返ると、マルティーナは手にした木樽の中身を、
「もう、これ以上は付き合いきれないわ」
「はぁ? お前なに言って……ぷっ!?」
アレスに向けてぶっかけた。
「てんめっ、なにしやがる!?」
「今日限りでっ、あんたとの関係は終わりよ! あたしは抜けさせてもらうわ!」
「はぁっ!?」
「ワシもだ」
「トウカ!?」
「今日までそなたの悪辣ぶりに目を瞑ってきたが、それも今日までだ。いい加減堪忍袋の緒が切れた」
「わ、わたしも……」
「おい! ソフィアてめぇ!」
「ひぅっ!」
口々に席を立ち、アレスに離反を突き付ける三人。ソフィアはマルティーナの影に隠れ、マルティーナとトウカは二人でアレスと真っ向から対峙する。
「正気かお前ら!? もう山ひとつ超えたら例の荒野なんだぞ!? そこには魔神がいるかもしれねぇ……いや絶対にいる! そいつをぶっ殺せば、俺たちは地位も名誉も思いのまま! こんな絶好の機会を前にして、みすみすそれを逃すってのか!?」
「地位? 名誉? ……はっ」
アレスの言葉に、マルティーナは鼻で笑った。直後、その顔はより険しくなり、
「ふざけんじゃないわよ……あたしたちは! そんな俗物のために今日まで旅をしてきたわけじゃないわ! 魔神の脅威に苦しむ人たちのために、魔獣に怯えなくていい世界を作るために、戦ってきたのよ!!」
空気を振るわせるようなマルティーナの怒号。アレスは彼女の放つ圧力に一歩下がり、額から汗を垂らした。
「さようなら、アレス……仲間になったばかりのあんたは、そんなんじゃなかったのに……」
顔を歪め、マルティーナはアレスに背を向けて、足早にその場を遠ざかっていく。
「ソフィア、ワシらも行くぞ」
「は、はい」
マルティーナの後を追うように、トウカとソフィアも宿の入り口に足を向ける。
「っ……ちょっと待てよお前ら! おい!!」
三人に呼び掛けるアレス。しかし、誰も振り返ることはなく……彼の前から姿を消した……
ひとり取り残されたアレス。
彼はその日、仲間であった三人の女性に見限られ、一人になった。
◆
喧騒が過ぎ去った酒場。
横柄な態度で、仲間をないがしろにしてきた男が報いを受けた。
そんな光景に、「ざまぁみろ」と周囲の客も従業員も、アレスのことを嘲笑う。
なにもかもが自業自得。これは、なるべくしてなった結果に過ぎない。
そう――なるべくして。
……よかった。
周囲からの厳しい視線の中……しかしアレスはなぜか憑き物が落ちたかのように、穏やかな表情を浮かべていた。
……これで、あいつらを危険な戦いに巻き込まなくて済む。
アレス・ブレイブ……女神の祝福をその身に受けた超越者……そして、後の世において、嫌われ者として語り継がれることになる『愚かな勇者』である。
本作の投稿は、三〇話まで一日一話を目安に実施予定です