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夢か現か(仮)  作者: 髙田龍
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ふたたびの修羅

人生は自分の物だからと安心しているととんでもない事が起きる。

何か得体の知れない力に振り回されてしまう不運の人生物語。

その中でも精一杯生きた男。

今回の章では、いよいよ悪の計画が動き始める。小田尊はどのように坂井千夏を護るのだろうか。




 自分の部屋に戻った尊は、坂井千夏の身に起きていることに思いを巡らせていた。

工藤がなりふり構わずに金儲けに走っていることは、尊も知っていた。

彼の長い懲役が決まった頃に工藤は仁和会の下部組織の盃を受けた。

その頃の工藤からすれば、尊は伝説のヤクザ、遥かに見上げる存在だったろう。

そんな工藤が仁和会という大組織の中をどのように駆け上がって行ったのか、尊は知らない。

堅気になったとはいえ、尊にはその世界の情報は入って来る。

工藤の過去は判らなくても、その現在の動向は手に取るように判っていた。

工藤は、判りやすく言えば、今風のヤクザだった。

武闘派というレッテルは貼られてはいるが、尊の若い時代のそれとは全く違うものだと言える。

尊には、工藤が何をしようと関係のないことだったが、問題なのは千夏の身に工藤が仕組んだ火の粉が降りかかることだった。

カタギになる事は、刑務所の中に居た時に熟慮に熟慮を重ね、尊が導き出した結論だ。

二度とあの世界に戻る事はない、そう決めたのだ。

しかし千夏の災難が尊をまた修羅の道へと引き戻すことに成るのかも知れない。

千夏のために身を投げることには、些かの躊躇いはなかったが、やっと手にした堅気の世界を手離すのはつらいことだった。

だからと言って、慄く千夏に知らん顔など出来ようはずもないのだ。


ベッドの脇のタバコを取り、灰皿を引き寄せると火を付けた。

紫煙が天井に上っていくのを目で追いながら、穏やかに過ぎていく日常の終着点が近づいているような気がしていた。

 徳田の所有するマンションの三階、302号室に千夏が匿われてから、四日が過ぎた。

徳田からは進展があったという話は来なかったし、尊からもあの日以来なんの連絡もなかった。

《SAKA》の方にも尊はあれ以来、姿を見せていないようだった。

携帯が鳴った。

登録していない番号からの着信だったが、千夏は電話の相手が判った。

この電話の主は尊だ。

『坂井でございます、もしもし。』

『小田です。』

やはり尊だった。

この数日間に知り得たことを順を追って尊は語った。

千夏は、受話器を耳に押し当て聞き漏らすことの無いように黙って聴いている。

 

 医師と患者という関係から始まった資産家と千夏の元夫、桑嶋とは、知り合った時点では計画的に仕組まれたような事はない。

問題は、この資産家が反社会的組織と繋がりがあったという事だ。

資産家は、杉並に広大な敷地を持つ金村 庸太郎という四十代後半の男だ。

金村には、愛生という娘がいる。

現在、二十四歳。

愛生という娘は、職業が女優・モデルということにはなっているが目立った活動はしていない。

愛生については、不明な部分が多い。

 金村自体は、今回の事に関わっている様子はない。

金村の妻は四年前に交通事故に遭い、不帰の人になっている。

桑嶋を交えた狂言の可能性も有るが、桑嶋と愛生、さらに弁護士と金を立替えたという不動産業者の四人以外に、これを計画し、動かしている人間がいるようだ。


この人間を中心に、弁護士、不動産業者、愛生の三人が繋がり、桑嶋は最終的には彼等に喰われてしまう可能性が高い。


一億円の金を脅し取ることと桑嶋の病院を手に入れようと企んでいるようだ。

 か尊は、千夏に解りやすいように話し、それが終わると被害が千夏に及ぶ事はないようにするから心配しなくてもいいが、片付ける為には少し面倒な思いもするかもしれないと告げて、電話を切った。

尊は、千夏が家に戻り、通常の生活を取り戻すことが出来るようにするといい、もう少し辛抱して欲しいとも言った。

尊と電話で話したのは五十年ぶりだった。

 あの頃は、毎日のように電話で話していた。

携帯電話という言葉もなかった時代、忘れていた懐かしく温かな想い出が、千夏の胸に拡がっていった。

 昭和41年。

街には、フォークソングや、リバプールサウンドなど、数多いジャンルの音楽が溢れていた。

若者たちは、音楽にもファッションにも敏感に反応して盛り場はカラフルな服装を身にまとった若者達が青春を謳歌していた。

千夏が中学二年になった五月、千夏が小田尊に好意を寄せていることが学校中の噂になった。

多分、千夏の仲の良い友人の中の誰かから漏れたのだろう。

事実、千夏は何人かの友人に尊に対する気持ちを話していた。

恥ずかしさはあったものの、尊に対しての自分の気持ちが拡散されていくことは嬉しいことだった。

学校内の噂が、現実になる日が来た。

梅雨が近づいていたある日、千夏としてはかなりの勇気をふるい、彼が登校に使う通学路に向かった。

 夏用のセーラー服の千夏は、水色の雨傘をさし、小さな坂の上で、坂の下から来るはずの尊を待った。

霧雨で、傘を差している千夏の髪も服もすっかり濡れている。

うっとうしい季節だった。

それでも十四歳の千夏の心は晴れ渡っていた。

 『タケル!何時だと思ってんのッ、あ〜ァ嫌んなちゃう、毎日毎日、知らないわよ遅刻したって。』


母親の罵詈雑言が機銃掃射のように階下から乱射される。

掛布団を蹴り上げて、跳び起きる尊は階段を転がり落ちるように階下に降りる。

慌ただしく洗面などを終えると、食卓に置かれた焼き立てのパンを咥えて外に駆け出す。

尊の背後から母親の機銃掃射が追いかけてくる。

玄関前の路地を抜け、表の通りに出る。

それを右に曲がると路はゆるい坂になっている。

一気に駆け上る尊の視界に水色の雨傘が眩しい。

その傘が少し動いて千夏の笑顔が覗く。


《ホントに来てる。》

口に咥えたパンを慌ててポケットにねじ込む尊を見て千夏が声を出して笑った。

 尊もつられて笑う、少し恥ずかしそうに。

降り注ぐ雨さえ心地よく感じる二人。

肩を並べて歩きはじめてしばらく経ってから『おはよう。』思い出したように千夏がいい、尊は『あ、うん。』とだけ言った。


そして、千夏はまたコロコロと笑った。

これが、千夏と尊の幼い恋のスタートだった。


昼休みの校庭。


放課後の電話。


日曜日の散歩。


毘沙門様の縁日。


微笑ましくて幼さの残る、恋と言えるのかもわからないような二人。

一学期が終わり、夏休みが始まる。

尊は陸上部。

千夏はテニス部。

おたがいの練習が終わった夕方、真夏の太陽はその時間でもまったく熱気を失っていない。

二人は部活が終わると校門の前で待ち合わせをした。

桜の樹が葉をいっぱいに繁らせて、日陰を作っていた。


その中で尊を待つ千夏。


尊は、千夏の頬をつたう汗が、形の良い顎の先で雫になり、陽の光を受けてきらめきながら落ちて行くのに気がつき胸がときめいた。

『ごめん、待った?』


遅れて来た尊の言葉に、千夏は首を横にかすかに振って、『今来たばかり。』

二人の前を数人づつのグループが通り過ぎていく。

二人を見ないように足早に去っていく男子生徒の一団もいれば、普通に声をかけていく女子もいたりと、反応はそれぞれだった。

尊は、同じ陸上部の何人かが通りかかって、声をかけてくると、少し照れたように笑った。

笑った尊の白い歯が、日焼けした顔の中でいっそう白さを際立たせていた。

千夏は、頬が紅くなるのを感じてうつむき、自分の尊への想いが強まることを知った。

思春期の二人の淡い想いは、少しづつ恋へと固まっていく。

それぞれの未来に何が待っているかなど、まったく予想もしていなかった。


 千夏が徳田に与えられた部屋に身を寄せてから、二週間が過ぎた。


そして、あの弁護士からも桑嶋からも、不思議に何の連絡もなく過ぎていた。


千夏の中の脅迫観念も次第に薄らいでいる。


このまま、何事もなく終わってくれれば良いのにと思い始めた頃だった。


悪は動いた。

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