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烏天狗と贄の花  作者: 葵日野
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分岐点



それから雪は半年もの時を烏天狗の居城で過ごした。閉鎖的ながらも、飛燕は約束を違えず雪にたくさんの景色を見せてくれた。

朝日が昇る瞬間、花が開く瞬間、雨が上がり虹が架かる瞬間、時には空へ誘い、烏天狗だからこそ見れる景色を幾度となく見せた。半年もの間で、雪は己の住んでいるところが空なのだと錯覚するくらい、美しい広大な世界を知った。


それと同時に、多くの“流れ”を把握することも出来た。この山が村から見て南側に位置していること。烏天狗は朝方に眠りにつくこと。城に二箇所ある高台の見張りは常に二人常駐していて、五時間に一度交代すること。それとは別に、四方に見張り台が点在していること。そして──。


「留守を頼んだぞ」

「「はっ!」」


警察の重要任務である“報告巡回”が、三月みつきに一度あること。これより飛燕を含めた主力の烏天狗たちは揃って半月間不在になる。

烏天狗一族は日本各地に拠点を持っており、各拠点の長が中心となって担当区域を警護するという仕組みらしい。都に最も近い拠点であるここが本部であり、飛燕は全拠点の中のトップ。事実上、烏天狗一族のボスである。

故に、この城に住まう烏天狗たちの仕事は都を中心に近隣の集落の巡回なのだが、三月に一度、帝への報告をするために全国の拠点の報告を受け取る必要がある。

そのため、全国各地でポイントを用意し、遠い地方からの報告はそこで落ち合う形で受け取るシステム。三月に一度、本部の烏天狗と地方の烏天狗が足を運び、そこで蓋付きの間の治安報告を受け取っているらしい。


雪はこの時を心待ちにしていた。この城に来てからずっと晴れなかった心が、この行動へと繋がっているのだ。決死の覚悟だった。この日に向けて、準備をしてきた。


上座から部下に指示を出す飛燕を傍らで観察する。この半年、辛かったかと聞かれれば答えに困る。飛燕は本当に私を大切にしてくれた。私が嫌がることはしなかったし、無理を強いることもしなかった。初夜以降も同衾することは無かったし、忙しいながらに毎日必ず時間を見つけて散歩に誘ってくれた。私がどれだけ冷たくしようと、飛燕が冷たくなることは無かった。たまに興が乗って話しかけた時は、露骨に嬉しそうにしていたから……思わず笑ってしまった時もあった。

今思えば、私、結構笑っていたかもしれない。帰りたいという気持ちの中に、この城に居心地の良さを感じていたかもしれない。錯覚だとわかっていながらも、嫌ではなかった。


「雪、寂しい思いをさせてすまないが……少しの間、頼んだぞ」


部下への指示を捌き終えた飛燕は雪の頭を愛おしげに撫でる。

考え事をしている間にいつの間にかみんなが居なくなっていて、部屋に残るのは私の専属の護衛となった灰羽と、飛燕の護衛のふたりだけだった。

もう少しで出立の時間だ。巡回に出る時はいつもの舞台と言っても過言ではない広い露台から飛び立つ。今日もそこから出るのだろうと雪は緩んでしまいそうな決意を律するためにも早々に立ち上がる。早く行ってもらわないと、変な気を起こしそうで嫌だ。私は、村に戻る。そう決めたのだから。


「いいから、早く露台に行くわよ。時間ないんでしょ」

「……ああ」

「しゃきっとしてよね。帝に会いに行くんでしょ」


最もらしいことを言って、最後であろう会話を交わす。たった一度だけ、家族に会って話を聞きたい……なんて、許されるわけが無い。いくら優しい飛燕と言っても、ここから逃げたあとはただの落人だ。家族とあって、逃げ果せない限り、私はきっと殺される。

ズキリと胸に杭でも刺さったかのような痛みが疼く。

飛燕は、私の言ったことは全て許してくれたし叶えようとしてくれた。花壇を作りたいと言えば、喜んで手を貸してくれた。山を散策したいといえば、草花について詳しく教えてくれた。薬の勉強をしたいと言えば書物を集めてくれたし、茶を入れるのが趣味だといえば茶具の一式を用意してくれて、烏天狗のことや警察の仕事のことを知りたいといえば、事細かに教えてくれた。その全てが今日のためだと知らずに。

花壇はあやかしにも効く毒花を作るためだったし、山の散策は毒になる草の情報を得るためだったし、薬の勉強はそれを調合するために。茶は毒を飲ませる際に怪しまれないよう普段からの習慣を作るために、烏天狗や警察のことを聞いたのは、実行する日を定めるための情報収集だ。


全部、今日を迎えるための情報収集。それなのに、飛燕はそんな疚しい気持ちを抱えた私に精一杯向き合って、居心地の良い空間をくれた。私を、私なんかを信じてくれた。もっと、疑えばいいのに。

部下のみんなだって、来た頃はあんなにお互い警戒心を剥き出しにしていたのに、会えば声をかけてくれたし、思った以上に優しくしてくれた。女性がいない一族だから何かと配慮が足りないだろうと覚悟していたが、不便を感じたことは無い。必要なものはないかと何度も尋ねてくれて、必要だと言ったものは全て用意してくれた。山頂は冷えるからと暖かい布団や風呂を用意してくれた。三食しっかり用意してくれて、ある日を境に調理は自分がやりたいと言った私に喜んで厨房を任せてくれた。存外、大切にされていたと思う。すごく、甘く、優しい時を過ごせたと思う。


(…………でも、もう決めたの)


もう後戻りはできない。賽は投げられたのだ。ずっと胸にあった家族の顔が忘れられないのだ。苦しい別れをしたけれど、許せない部分もまだあるけれど、何より、確認したい。あの日、選択の余地がなかったであろう家族に…………会って話を聞きたい。本当はあんなことしたくなかったのかもしれない。止むを得ず私を差し出したが、本当はそんなことしたくなかったのかもしれない。そんな希望を抱いてしまう。

この気持ちは、この半年間胸から離れなかったものだ。だからこれでいい。私は、前に進む。答えを知らないまま後悔するなんて絶対にしたくないから。


「では、雪」


部下である烏天狗たちが露台から出立していく。帝に会うためかいつもより上等な装束に身を包んだ飛燕は優しく雪の頬を撫でると、「行ってくる」と少し静かな声で告げた。まるで何かを察しているかのようなそれに、雪の胸を刺す杭が更に奥へと打ち込まれる。存在を確かめるかのように触れる大きな手は、いつの間にか嫌悪感さえ感じなくなっていた。


「たった半月とはいえ、こんなに寂しく感じるとは思わなんだ」

「…………」

「寂しい思いをさせて、すまない」


先程からそればかりをを口にする飛燕に、すぐに返事ができなかった。何故この人はこんな時でさえ私の事ばかり気にしているのだろう。仕事の時くらい、自分の事ばかり考えていればいいのに──。


「……いいから、さっさといきなさいよ。こうしている間にも困っている人がいるかもしれないでしょ、巡回も兼ねてるんだから、早く行きなさい」

「だが、」

「しつこいわね。部屋に戻るわよ」

「……」


やっと出た言葉は相変わらず可愛げがなくて、叱るような口調になってしまう。どれだけ花嫁修業だと母に様々なことを教えこまれても、何ひとつとして役に立っていることは無かった。こんな時でさえ、可愛げのある言葉ひとつ言えないのだから。

そんな私にすらいつも通り笑ってくれる飛燕に胸は締め付けられるばかりで、雑念から逃れるように雪はそっぽを向いた。お願いだから、早く行って欲しい。決意が緩んでしまう前に、早く。


「では、行ってくる」

「───」


翼を広げて飛び立つ瞬間の美しさは、何度見ても言葉に現せない。烏天狗の羽ばたきはどれも綺麗だが、やはり何度見ても飛燕は特に綺麗だと雪は思った。同時に、何度もごめんなさいと心で唱える。

きっとこれが最後であろう飛燕の優しくも凛々しい羽ばたき。黒い羽が、美しいと眺めていられるのはきっと今日が最後だ。

私は今日、罪を犯す。

残酷で、最低な選択。だけど、こうするしか……私は村に戻れない。

どちらかを天秤にかけた時、私は家族の元へ帰ることを選んだ。

それが、この優しい物語の分岐点。




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